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平成20年(2008)2月9日(土)、一泊二日の日程で、雪国・新潟県長岡市(旧栃尾市)栃堀(とちぼり)に鎮座する巣守神社(すもり・じんじゃ)において9日夜開催された裸押合大祭を激写してきた。 |
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大蝋燭を持って栃堀巣守神社に向かう裸たち(新潟県長岡市) 2008.2.9 19:03
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栃堀巣守神社は、天正年間(1570年代)、戦国時代の武将・上杉謙信が信仰した毘沙門天(びしゃもんてん)を祀り、謙信が戦勝祈願、五穀豊穣を祈願したのがこの裸祭りの始まりといわれる。南魚沼市(旧大和町)浦佐(うらさ)の裸押合大祭とあわせて、越後の二大押合大祭と呼ばれる。神社に祀られている毘沙門天像は守門岳から切り出した椿の木の根元(表とも)を栃堀、上の部分(裏とも)を浦佐に祀ったといわれている。 |
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浦佐の裸押合大祭の方は規模が大きく、国の重要無形文化財の指定を受けているが、祭り衣装が褌からハンダコに変質しており、これでなぜ重要無形文化財なのかといぶかしく思っている。最初、浦佐の取材を検討していたが、褌でないことが分かった時点で、栃堀の方を取材することにした。 |
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今年の裸押合大祭には、地元・部外あわせて50名が参加。午後6時頃から栃堀ふるさと交流会館(長岡市栃堀区事務所)の支度部屋で鉢巻・前袋式六尺褌・足袋草鞋の裸になった。裸男たちは午後7時に会館を出発し、雪の降る中、20kgの大蝋燭(おおろうそく)を抱えた4人を先頭に駆け足で巣守神社の参道を駆け上って本殿に入った。 |
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太鼓の合図で裸押合大祭がはじまり、裸男たちは午後8時半まで「押(オ)ッセ、押(オ)ッセ」、「サンヨ(撒与)、サンヨ」などと大声で掛け声を掛け合いながら、火照(ほて)った身体をぶつけ合い、揉み合いを繰り広げ、随時、福窓から撒かれる270枚もの大量の福札(撒与札)の争奪戦が行われた。この福札は終了後、交流会館で5万円の金券を始め家電製品など、豪華な景品と引き換えられた。 |
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裸男たちは、激しい押し合いで身体が火照ると、石段を駆け下りて参道の途中にある禊場(みそぎば)で垢離を取った。この禊場は、一枚岩をくり抜いた立派なもので、一度に何人も水浴することができる。神妙に手を合わせる者、水を掛け合ってはしゃぎ合う者など、人それぞれで、禊の作法は統一されていないようだった。 |
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毘沙門天 |
の祭殿前で富籤を分けてくれる恵比寿・大黒 |
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この喧騒の最中、寺で云えば内陣にあたる場所で、恵比寿・大黒が日の丸扇を持ち、信者らに富籤(とみくじ)を分けていた。その奥では、神職が撒与札(さんよふだ)を7枚づつ盆に乗せ、福窓から交代で撒く役員に手渡していた。 |
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祭殿の中央には毘沙門天像が置かれている。毘沙門天は仏教における天部の仏で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、神仏混淆の名残が伺える。 |
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私が利用した宿は、神社の上流にある刈谷田川(かりやだがわ)ニューホテル(Tel:0258-52-5548)。支配人の大橋茂雄さんに大変御世話になり、行きは10kmほど離れている栃尾のバスターミナルまで迎えに来ていただき、帰りは車で45分の道のりをJR長岡駅まで送っていただいた。 |
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おまけに、下見の案内をしていただき、裸男たちの基地となる栃堀ふるさと交流会館では、区長に「褌を締めるところから取材させて欲しい」と頼んでくれるサービスぶり。一旦ホテルにチェックインした後、交流会館まで車で送迎してもらい、完璧な取材ができたのは大橋さんのお陰であり、心から御礼申し上げたい。 |
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祭りに参加するグループがいれば、JR長岡駅まで送迎してくれるという。栃堀の裸押合大祭は気軽に参加できる裸祭りだが、アクセスに難があると云われていた。しかし、刈谷田川ニューホテルを利用すれば、一泊2食付き1万円と格安料金の上に支配人の送迎付きなので是非お勧めしたい。 |
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今回もオリンパスE-3と ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD 、FL-50 を組み合わせた一刀流で1350枚2.8GBを切り取ってきた。雪が解けてビショビショになった機体をタオルで拭きながらの撮影だったが、予備機 E-510 の出番はなかった。ボディ・レンズともシーリングされているので、劣悪な環境にも安心して使えたので、有り難かった。 |
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これから「宝光院はだか祭」を完成させた後、編集に取りかかり、雪国の心温まる伝統の裸押合大祭の全てを作品で明らかにしたい。完成版をご期待願いたい! |
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平成20年(2008)2月3日(日)節分の日、東京は大雪に見舞われたが、岐阜県大垣市(おおがきし)・宝光院(ほうこういん)(鈴木孝敬住職)において「節分会(せつぶんえ)はだか祭」が開催されたので、日帰りで激写してきた。 |
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心男 |
・ |
中山智史 |
さん(32歳)による |
豆打式 |
/宝光院(岐阜県大垣市) 2008.2.3 |
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宝光院は、平安時代に伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう)が東国布教の際に伽藍(がらん)を創建した古刹(こさつ)で、戦国時代に織田信長の兵火で全焼したが、豊臣秀吉の保護を受けて存続し、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、徳川家康に白桃を献上したことから「桃寺」の称号を賜り、代々徳川将軍家の庇護を受けて繁栄した。境内が御朱印地のため、罪人が逃げ込み、大名奉行のご用を免れたことから「かけこみ寺」の異名を持つ。 |
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宝光院には十二支の守り本尊があり、中でも左目が見えない隻眼の不動尊「ひだりめ不動明王」が有名で、霊感あらたかな福の盟主とされる奇瑞仏(きずいぶつ)として知られており、商売繁盛、家内安全を叶えてくれるという。 |
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2月3日の節分には、恒例の「はだか祭」が催され、今年は日曜日に重なったこともあって部外者の参加が増え、地元の人たちと合わせて70人ほどの男たちが裸男詰所(はだかおとこ・つめしょ)で「宝光院裸祭」と書かれた褌と鉢巻などをもらって裸になった。 |
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裸祭りの参加料は無料だが、地下足袋とタオルの準備が必要。褌は洗って再利用されるので、終了後返納しなければならないが、赤い三つ葉葵の紋が入った鉢巻(手拭い)は持ち帰ることが出来る。正午に寺務所で昼食が供されるほか、裸男詰所で裸男たちやカメラマンにも酒や豚汁などが振る舞われる。私もご相伴にあずかったが、酒の「伊吹おろし」は超辛口だが美味い。 |
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煙の充満する |
裸男詰所 |
で暖を取る男たち |
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この日は朝から何回かに分けて籤(くじ)の入った豆袋を撒(ま)く豆打式(まめうちしき)があり、それに並行して大般若祈祷(だいはんにゃきとう)、裸練り、裸男たちによる杭瀬川(くいせがわ)のみそぎ川渡り、心男(しんおとこ)(厄男)遷座(せんざ)・胴上げ、福俵授与・利剣木(りけんぼく)争奪戦など、午後3時頃まで盛りだくさんの行事が繰り広げられ、多くの信者や観衆を魅了した。 |
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裸男たちによる |
杭瀬川 |
のみそぎ |
川渡 |
り |
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杭瀬川(くいせがわ)といえば、慶長5年(1600年)9月14日に行なわれた関ヶ原の戦いの前哨戦である杭瀬川の戦いが有名。この戦いは局地戦だったが、西軍が大勝し、東軍の総大将・徳川家康は辛酸を舐めたが、翌9月15日の関ヶ原本戦では東軍が勝利し、家康が天下を取った。 |
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みそぎ川渡りを終えた裸男たちは、境内に引き返し、本堂から騎馬戦スタイルで下りてきた心男(厄男)中山智史さん(32歳)を受け取り、胴上げしたまま境内を練った。その後、心男は着地することなく、再び裸男たちの騎馬に乗り、本堂に戻り、続いて副心男(厄男)の胴上げが行われた。 |
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午後3時頃フィナーレを迎え、籾殻(もみがら)の中に赤い布が巻かれた利剣木(りけんぼく)を忍ばせた福俵(ふくだわら)が境内に投下され、激しい争奪戦が展開された。利剣木を手にした男が今年の福男となり、一年間の福を授かるとあって、大勢の裸男たちが福俵に殺到し、全身籾殻にまみれながら俵を引き裂いて手を差し入れ、利剣木を奪い合った。 |
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福俵 |
に入った |
利剣木 |
の争奪戦 |
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この日は、小雨がぱらつく曇天で風も強く、裸祭りには厳しい状況だったが、柔らかな光を受けて、白飛びのない美しい写真を撮影することができたのは幸いだった。 |
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今回、オリンパスE-3の秒間5コマの連写機能を使って撮影したため、2500枚5.4ギガという大量の画像を切り取ることができた。E-510は予備機として持参したが、出番はなかった。これから整理・編集するのが大変だが、連写したお陰で、同じ構図の中でも最良の画像を選ぶことができるので、時間をかけて迫力ある完成版を仕上げたい。乞うご期待! |
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籾殻 |
を掻き出して |
利剣木 |
を探す男たち |
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★☆★彡 |
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このたびの取材では、今年1月13日に開かれた第53回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会で知り合った新尺俊勝(しんじゃく・としかつ)さん(47歳 公務員)とJR大垣駅で落ち合い、全面的なサポートを受けて密着取材することができた。帰りの新幹線では、東京駅まで祭り談義や褌談義に花が咲いた。新尺さんには心から御礼申し上げたい。 |
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