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2008年1月27日改訂

今 日

昨 日

メドレー(お江戸日本橋(鼓)・早春賦・お江戸日本橋・さくらさくら)

初春や木遣くずしの梯子乗  北舟
パノラマ写真(1710x1024)320KB

The New Year,
 Ladder-top stunts in the song Kiyari-kuzushi.

2000年7月31日開設

加賀鳶はしご登り

加賀鳶はしご登り(金沢城公園/石川県金沢市)

2008年の日記  

 

1月
  2007年12月

1月

2月上

目次


 
2008年1月27日(日)晴
 
 
■■■       「鷹栖観音鬼会」完成! ■■■
 
   本日、今年第3作(通算第334作)目の作品をアップした。

日本の祭り第97集/感動写真集第91集 「鷹栖観音鬼会」
 
http://wadaphoto.jp/maturi/takasu1.htm

 
        平成20年(2008)1月27日 作品:第3作  画像:(大25+小12)  頁数:3  ファイル数:70  ファイル容量:13MB
      平成12年(2000)〜平成20年(2008) 
作品数:334 頁数:1,183 ファイル数:32,923 ファイル容量:4,582MB
 
 
暗夜の川渡り

暗夜の川渡り

拡大写真(1400X1050)248KB

 
 

★☆★彡

 
 
静かな故郷の祭り
 
   1月4日金曜日に大分県宇佐市上拝田地区に伝わる『鬼会』の撮影に出かけました。夜8時から行事が始まり、約1時間少々の無病息災と五穀豊穣を祈願する行事を堪能しました。  
   今回の撮影で感じた事は『火と水の祭典』という感じで、歴史を感じさせられる祭りでしたが、一個人としては川渡りの際に水位がもう少し欲しい事と、昔からの習わしがこのような形であったものだとは思いますが、赤、青の氏子達が燻った松明をただすれ違う時に当てるだけでは、物足りなさを感じました。  
   私が今まで見た火祭りは豊後高田市の『鬼会』や国見町の『ケベス祭り』などの荒々しいものでしたが、この祭りは逆に静かな故郷の祭りと言った方が良いかも知れません。  清原 浩  
 
参道を駆ける男たち

参道を駆ける男たち

拡大写真(1400X1125)291KB

 
 

★☆★彡

 
 
水と炎の夜祭り
 
   大分県宇佐市にお住いの清原浩さんが激写されたこの「鷹栖観音鬼会」は、「若宮八幡裸祭'07」に続く第5作で、過去に「天念寺修正鬼会」「櫛来社ケベス祭」という同じジャンルの素晴らしい作品がある。  
   過去の二作は、逃げ惑う参観者を追い回して松明の火の粉を浴びせかけるという過激な祭りだったが、それに比べると静かで、拍子抜けがしたというのが清原さんの感想である。  
   しかし、私は、過去の二作の祭りが異常であり、今回の祭りの方が穏当で美しい祭りだと思った。最近の裸祭りは、褌が恥ずかしいのか、ハンダコに代えるなどして変質してしまったものがある中で、この鬼会は、伝統の衣装を忠実に守り、古き良き時代の祭礼を現代に再現している。  
   松明を抱えた裸男たちが漆黒の駅館川(やっかんがわ)を渡るシーンや巨大な「どんど」を炊きあげる光景、そして松明を抱えて参道を走り回り、浄火の火の粉をまき散らす厄払いの儀式は、とても美しく、ロマンと感動に満ちあふれている。参観者は安心して美しい水と紅蓮の炎の夜祭りを堪能することができる。何とも素朴で素晴らしい裸祭りではないだろうか。 〈 完 〉                                                

平成20年(2008)1月27日   監修 和田義男


 
2008年1月22日(火)晴
 
 
■■■       「鐵砲洲寒中水浴'08」完成! ■■■
 
   1月20日(日)、今年第2作(通算第333作)目の作品をアップした。

日本の祭り第96集/感動写真集第90集 「鐵砲洲寒中水浴'08」
 
http://wadaphoto.jp/maturi/kanreki1.htm  

 
       平成20年(2008)1月20日 作品:第2作  画像:(大28+小21)  頁数:3  ファイル数:94  ファイル容量:19MB
    平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:333 頁数:1,180 ファイル数:31,535 ファイル容量:4,562MB
 
 

祈 り

祈り

拡大写真(1400X1200)223KB
 
 

★☆★彡

 
 
和田さんの寒中水浴
 
   和田さんとのお付き合いは3年前に遡ります。ネットを検索していて、たまたま鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴の写真(鐵砲洲寒中水浴05)を発見し、迫力ある写真と詳細な解説に感動して、鐵砲洲稲荷神社のホームページからリンクさせていただきたい旨のメールを差し上げたのがきっかけです。  
   以来、毎年寒中水浴の取材に来ていただいただけでなく、例大祭や節分祭も取材していただいたり、弥生会制作のポスター等にも多くの写真を提供していただいたり、和田さんを通じて志村清貴さんや三木芳樹さんらともお知り合いになることができたりと、いろいろとお世話になって来ました。  
   そして、今年は何と和田さん自ら水浴に参加して下さることになりました。3年前には考えてもみなかったことです。しかも、ご本人が「主役」として登場するということは、“Wa☆Daフォトギャラリー”としても初の快挙ですので、それを記録するという役目は、私には少々荷が重かったのですが、小林豊一さんというプロの写真家のご協力を仰ぎ、無事に記録することができました。和田さんも寒風吹きすさぶ中、とても初めてとは思えないほど立派に水浴を成就されましたので、過去3回とは一味違った作品になっていると思います。  
   鐵砲洲の寒中水浴は、今年で五十三回目を数える行事ですが、近年はマスコミやネットで取り上げられる機会も増え、ますます大勢の参加者や見物の方が来られるようになりました。反面、物珍しさだけで取り上げられることもありますが、禊祓いと健康祈願と言う本来の主旨を大切にして、今後も伝統を引き継いで行きたいと思います。 2008.1.20  星 宏幸  

  2008年1月21日(月)晴  
 

■■■ ダイドードリンコ「日本の祭り2008」に「Wa☆Daフォトギャラリー」がリンク! ■■■ 

 

 2008年1月16日(水)ダイドードリンコ「日本の祭り2008」 http://www.dydo-matsuri.com/index.php  のサイトを管理運営する
クリエーターズユニオンから「来週のサイトリニューアルを目前にし黒石寺の蘇民祭紹介ページを作成いたしました。ここのオ
ススメリンクへ「Wa☆Daフォトギャラリー」様へのリンクを貼らせていただければと思っております。いかがでしょうか。」とのメー
ルがあり、了解していたところ、本日、
「黒石寺蘇民祭」 http://www.dydo-matsuri.com/list24/sominsai/ のページの「おすす
めリンク」に「黒石寺」「奥州市」と共に「Wa☆Daフォトギャラリー」がリンクされていることが分かった。

ダイドードリンコ今年応援する24の祭り「黒石寺蘇民祭」のページ

ダイドードリンコ今年応援する24の祭り「黒石寺蘇民祭」のページ

   リンクの文字列をクリックするとトップページが表示されので、「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm  が
どこにあるか分からない。そこで、最新作の3コマ目に蘇民祭を格上げして、すぐ分かるようにした。
   JR東日本の蘇民祭セクハラ・ポスター騒動のお陰で、一躍有名になり、日本中に知れ渡ってしまった黒石寺の蘇民祭。この特集ページには、藤波住職による蘇民祭の詳しい解説が掲載されている。住職の写真の右側に「Wa☆Daフォトギャラリー」のリンクがある。私のサイトもこの騒動で一時はパンクし、3日間麻痺に陥ったが、「災い転じて福となる」の諺どおり、私のサイトも日本中に知れ渡る結果となり、一日のアクセスが倍増し、連日、15000件/日を超えている。この数字はこれまでの二倍にあたるもので、大変繁盛している。「黒石寺蘇民祭」も2000件/日を超える日が続いており、普段の20〜50倍のアクセスなので、パンクしないよう、厳重な監視を続けているところである。
   今日、ダイドードリンコの「黒石寺蘇民祭」のページに私のサイトがリンクされたばかりなので、その影響はまだ現れていないが、明日以降、急激にアクセスが増えるようなら、対策を考えなければならない。ともあれ、嬉しい悲鳴をあげている昨今であるが、何はともあれ、目出度いことには間違いないので、素直に喜びたい。

 
2008年1月17日(木)晴
 
 
■■■       「七日堂裸詣り」完成! ■■■
 
   1月16日(水)、今年第1作(通算第332作)目の作品をアップした。

日本の裸祭り第40集(実質第68集) 「七日堂裸詣り」  
撮影・制作:和田義男
 
http://wadaphoto.jp/maturi/yanaizu1.htm  
 
       平成20年(2008)1月16日 作品:第1作  画像:(大50+小15)  頁数:4  ファイル数:128  ファイル容量:25MB
     平成12年(2000)〜平成20年(2008) 
作品数:332 頁数:1,177 ファイル数:31,450 ファイル容量:4,549MB
 
 

大鰐口から降りる

大鰐口から降りる

拡大写真(1400X1320)385KB
 
 

★☆★彡

 
 

Kaz Takahashi さんのこと

 
   Kaz Takahashi さんは、本名を高橋和男といい、鹿児島県出身で今年還暦を迎えられた。2006年11月3日、次のe-mail
いただいてから、お付き合いが始まった。
 
  ★e-mail★彡 はじめまして。私はアメリカ、フロリダ州在住の日本人カメラマンです。あなたのサイトを祭りのサイトで発見して
その行動力の迫力に圧倒され、メールを差し上げている次第です。

私は1948年生まれで和田さんより一つ年下です。アメリカに来てから24年が経ちます。職業はフリーのカメラマンで、おもにプ
ロスポーツを撮影しておりましたが、10年くらい前からアメリカの自然に興味が移り、アメリカの国立公園の撮影に挑戦、7年
かけて58カ所全部を回りました。

幸運にも、昨年学研から「アメリカの遺産」というタイトルで出版でき、今年の夏は品川のキヤノンギャラリーSで1ヶ月間の写
真展を開くことが出来ました。私のサイトは www.kaz-photography.com です。

ところで、メールを差し上げたのは、今、日本の祭りに非常に興味を持っているからです。今年の夏、フロリダにある美術館
で、私がアメリカに来る前に撮影した能登半島の写真展 http://kaz-photography.com/gallery/ を開かせて頂きましたが、そ
のときアメリカ人に「どうしてもっと日本の写真を撮ってみんなに見せてくれないのか」という言葉からでした。

和田さんのサイトを拝見して、自分の中に眠っていた日本人の心がどんどん大きくなってくるのを感じます。来年は機会を作
り、なるべく日本へ行き、裸祭りや奇祭と呼ばれる祭りに挑戦したいと考えています。もし機会がありましたら和田さんにもお
会いして、いろいろご指導いただきたいと考えています。・・・

現在の予定は黒石寺蘇民祭/なまはげ/西大寺会陽/国府宮裸祭り/など2月に行われるお祭りに行けたらと考えていま
す。・・・

長々と書いてしましましたが、和田さんのサイトを知ってこれまで何回となく訪問しましたが、忘れかけていた日本の良さを発
見してとても感動し、同じ年代の人間としてとても刺激を受け、また頼もしさを感じました。・・・
 
 

「民宿そめや」の夕食

左から長谷川昭司さん、筆者、Kaz Takahashi さん

「民宿そめや」の夕食

拡大写真(1400X1050)389KB

 
   私は、2007年2月の黒石寺蘇民祭で山本グループの密着取材を予定していたので、ご一緒することにしていたところ、仕事
が入って来日できなくなったため、去年の蘇民祭は私の単独取材となってしまった。
 
   2007年12月に高橋さんから年末の挨拶状を頂いた折、私も予定していた2008年1月7日の七日堂裸詣りの取材を計画され
ていることを知り、長谷川昭司さんのご尽力で「民宿そめや」に宿を確保し、このたび行動を共にすることができた。翌日、高
橋さんから次のメールをいただき、満足されたことを知って大変嬉しく思っている。
 
  ★e-mail★彡 会津柳津の裸参りでは大変お世話になりありがとうございました。皆さんや地元会津の方たちと知り合え、祭り
を通し、改めて自分の日本人としてのアイデンティティを再確認しました。

裸祭りに対する抱いていた偏見みたいなモノも、長谷川さんみたいにただ参加するだけではなく、祭りに対し勉強し、自分の
精神までもたかめておられる人がおられるということも初めて知り、変わりました。そんな意味から日本人の原点を再発見した
貴重な旅となりました。・・・
 
 

 高橋さんは、今年2月に再来日され、黒石寺蘇民祭や西大寺会陽などを取材される予定なので、機会があればご一緒した
いと考えている。

 

 
2008年1月14日(月)晴
 
 
■■■       「鐵砲洲寒中水浴'08」速報! ■■■
 
   平成20年(2008)1月13日(月)午前11時から東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社中川文隆宮司)で第53回寒中水浴大会が開催された。今年は撮影を弥生会の星宏幸さんらにお任せし、午前10時前に神社に着いた。身体一つだとこんなにも身軽かと驚く。  
 

神楽殿の鐵砲洲囃子/鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区) 2008.1.13

神楽殿の鐵砲洲囃子/鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区) 2008.1.13

拡大写真(1400X1100)242KB

撮影小林豊一

 
   神社に近づくと鐵砲洲囃子が聞こえてくる。近づくにつれて音が高くなり、石鳥居を入ると、左の神楽殿から演奏される優雅なお囃子が初春ムードを醸し出し、あっという間に祭り気分に切り替わる。いつも撮影のことしか考えていなかったので、身軽になるとその音の大きさに驚く。  
 

お囃子をバックに氷水の寒中水浴

お囃子をバックに氷水の寒中水浴

拡大写真(1800X1350)526KB

撮影:星 宏幸

 
   午前11時、川面流旭会(かわづらりゅう・あさひかい)の道彦(みちひこ)・小杉與四郎さんの指導で一般参加者36名を含む約60人が白鉢巻・白褌(女性は白衣)姿となって寒中水浴が始まった。半径5mの円形水槽は去年新調したもので、135kgの氷柱が2本入れられて、早朝から冷やされている。今年は、曇り空になり、風も強く、これまでにない寒さだった。  
 

水浴後の鳥舟(とりふね)

水浴後の鳥舟(とりふね)

拡大写真(1800X1350)430KB

撮影:小林豊一

 
 
 初春や鳥舟漕ぎの裸の輪  北舟 

はつはるや とりふねこぎの はだかのわ

 
 

寒さで身体が真っ赤に!

寒さで身体が真っ赤に!

拡大写真(1800X1250)448KB

撮影:星 宏幸

 
   今年は、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続いて赤褌による還暦(満60歳)記念水浴を行った。当初、三木さんと二人で行う予定だったが、社務所の控え室で平野さんも還暦だと知り、急遽3人で水浴することにして宮司の了解を得た。赤褌は三木さんが2本持っていたので間に合った。赤鉢巻で予定していたが、宮司に相談すると、赤褌でも鉢巻は白のままが良いとのことで、白鉢巻・赤褌というスタイルとなった。介添役の長谷川昇司・石川辰夫両氏はじめ約20人の方々が一緒に参列水浴して下さり、とても嬉しかった。  
 

還暦(満60歳)記念水浴

還暦(満60歳)記念水浴

拡大写真(1800X1300)461KB

撮影:小林豊一

 
   今年はこゝ4〜5年で一番寒く、道彦が鳥舟のあとランニングするのを失念してすぐに水浴したため、もう少しで耐えきれずに飛び出してしまいそうになったが、恥ずかしいので最後まで我慢した。神社の周りを2回ほど走ると身体が温まり、辛さがかなり和らぐので、初参加の筆者だけでなく、常連たちも今年は特にきつかったといっていた。  
 
 還暦の赤褌水浴初神楽  北舟 

かんれきの あかふんすいよく はつかぐら

 
   1997年のハリウッド映画「タイタニック」で、主演のディカプリオ扮するジャックがローズを残して水没して行くシーンや冬山遭難のことなどが頭をよぎり、凍死していった遭難者の気持ちを多少なりとも体感することができた。事前の計画では、世界平和や日本の繁栄、会社の無事故・発展、家族の幸福など、色々と祈願することにしていたが、寒さと戦うために祓戸大神(はらいどのおおかみ)を繰り返し唱えながら、振魂(ふりたま)をして体温を上げることに専念していたので、その余裕はなかった。  
 

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)

拡大写真(1400X1150)209KB

撮影:星 宏幸

 
   水を出ると足に感覚が無く、突っ張ってしまって思うように歩けなかった。みんな身体が真っ赤になっていた。水から上がると風があり、水中にいるよりも寒くなると聞いていたが、外の方が楽で、裸でいても皮膚がチクチクする程度で、辛さは和らいだ。今年は入船湯で暖を取ったが、浴槽の湯は熱すぎでとても入れず、温めのシャワーを交代で使いながら身体を慣らして最後に湯に浸かった。やがてしびれが切れていたのが直るように、手足がジンジンしながら感覚が戻ってくると、温めの湯だったことが分かった。冬になると野生の猿が温泉に浸かりに来るが、極楽とはこのことだと思った。  
   12時からの直会(なおらい)では、天気が良くなり、陽光の差し込む社務所二階で、初春の爽やかな気分のなか、弥生会はじめ、外来の方々と楽しく交歓することができ、新しい人たちと知り合うことが出来た。共に寒さと戦った体験は、戦友の気分に近いもので、初対面でも親しみが湧いてくる。お開きのあと、去年同様石川邸に招待され、元気で米寿を迎えられたお母さんはじめ皆さんの歓待を受けた。これから「鐵砲洲寒中水浴'08」として完成版を作成したい。乞うご期待!  

  2008年1月11日(木)晴  

■■■ Wa☆Daフォトギャラリー」危機を脱す ■■■ 

 Wa☆Daフォトギャラリーは、WADAXレンタル・サーバーの厳しいアクセス制限により、9日のトータルアクセス数は4000件くらいに落ち込んでしまい、しかも、最後までダウンロードできないため、事実上凍結状態に陥っていた。
 10日の朝もノロノロ状態は解消しなかったため、WADAXのユーザー・サポートに電話で掛け合った。当方の言い分は、「集中攻撃を受けたファイルはアクセスできないようにしたので、解除しても大丈夫ではないか。」というものであったが、サーバー側は、「今もアクセス要求が高水準にあるので、解除できない」と繰り返すばかりだった。
 「解除してもファイルがないのだから以前のようにダウンロードできず、負荷がかからなくなっているから心配ない」と私が説明しても、負荷がかかるの一点張り。どうも担当者はパケット通信の理屈が分かっていないのではないかという気さえして、不信感を持ち、「私はレンタル料を払ってサイトを運営しており、納得いく説明がないままに制限をかけ続けるのは契約違反ではないのか」と、強く主張したところ、やっと折れてくれ、制限を一段緩める対応をとってくれた。
 その説明は、Wa☆Daフォトギャラリー全体に対して同時に100人がアクセスできるところを500人にするという総枠規制の緩和だという。数字は例示であり、実際の数字は開示できないという。また、個別ファイルだけアクセスできないようにすることはできないということだった。長電話を切ったとたん、Wa☆Daフォトギャラリーはサクサクとアクセスできるようになった。大きな画像も一瞬でダウンロードできるようになった。説明は規制緩和だったが、その実は規制撤廃だった。面子を保つために理屈をつけられたような気がして、後味が悪かったが、真摯に私の希望に耳を傾けてくれ、最終的には善処してくれたので、良い会社だと思い、これからも使い続けて行こうと思った。
 実は、専用サーバーに切り替えようかとも考え、WADAXに相談したところ、専用サーバーは個人のサイトではなく、営利会社が利用するもので、金額も高く、今の危機が終われば、このままで十分快適に運営できるから、オーバースペックといわれた。ちなみに容量80ギガという最低の専用サーバーでも初期費用が7万円、年間20万円ほどかかるという。現在の共用サーバーは、容量40ギガで年間6万円なので、四倍以上もする。また、サーバーの管理に別途月5万円の委託費用が必要と聞いて、ギブアップした。
 ねばり強く交渉した結果、アクセス制限がほぼ外れ、9日は一日で16,111件と平常に復した。私の説明どおり、問題のファイルはアクセスできないので、サーバーの負荷はなく、11日1900現在、正常に作動している。ここに危機を脱したことをお伝えする。ご迷惑をおかけした読者には、心よりお詫び申し上げる。この経験を今後に生かし、同じような集中攻撃に遭ったときは、ファイルの削除など、迅速な対応を心がけたい。

  2008年1月9日(水)晴  
 

■■■ 「Wa☆Daフォトギャラリー」アクセス殺到でパンク状態! ■■■ 

 

 昨日の夕方、「七日堂裸詣り」の取材で帰宅した直後、テレビで「奥州市作成の黒石寺蘇民祭のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨の報道があり、とても驚いてしまった。その後、レンタルサーバー会社WADAXからメールが届き、

「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm
「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm

へのアクセスが集中し、サーバーがパンク状態になっているため、午前11時より帯域制限とアクセス制限をかけている旨の通報を受けた。その後、事態が改善せず、今朝、起床後パソコンを起動してアクセスしたところ、FTP転送を含め完全にアクセスできない状態になっていた。

   本日、オフィスの昼休みにWa☆Daフォトギャラリーを覗いてみると、何とかアクセス出来る状態になっていたので、アクセスが集中している二つの作品のファイル名を変更し、アクセスできないように措置したあと、WADAXのユーザーサポートに電話して対応を報告したところ、直ちに平常に復することはできないので、徐々に制限を解除してゆくということだった。
 

2008.1.9 20:50のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 15:30のカウント状況/日本三大奇祭(黒石寺蘇民祭)

2008.1.9 20:50のカウント状況/黒石寺蘇民祭

2008.1.9 15:30のカウント状況/黒石寺蘇民祭
   結果的に「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm は、1月8日の一日だけで16,693件のアクセスがあった。普段は50〜200件/日くらいなので、1日に100日分のアクセスが集中したことになる。
   「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm の方も2,322件のアクセスがあり、いつもの約10倍である。
   共用サーバーを利用している以上、当サイトにアクセスが集中すると他のユーザーサイトへのアクセスが出来なくなるためレンタル・サーバー会社の対応に従わざるを得ない状況にある。蘇民祭関連の作品は、沈静化したことを確認したあとに復活させることにするが、WADAXから復旧するとしてもファイル名を変更して旧名ではアクセスできないようにするようアドバイスを受けている。
   ともあれ、現在もWa☆Daフォトギャラリー全体にきついアクセス制限が課せられており、ダウンロードに時間がかかったり時間切れでファイルや画像がダウンロードできない事態が続いている。読者の皆様には、大変ご迷惑をおかけしており、お詫びするしかないが、今しばらくのご不便を我慢していただけるよう、お願い申し上げたい。 2008.1.8 22:45
 

■■■ 「蘇民祭ポスターがセクハラに当たる」としたJR東日本 ■■■ 

 
長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター
 

★彡

 旧正月7日夜半から8日早暁にかけて行われる「黒石寺蘇民祭」は、裸の男と炎の奇祭として千年余りの歴史を誇る夜祭りで、東奥の奇祭ともいわれる。
 岡山の「西大寺会陽」と大阪の「四天王寺どやどや」と共に日本三大奇祭の一つに数えられる蘇民祭は、古代の祭りの姿を今に伝える貴重な裸祭りで、国より「記録保存すべき無形民俗文化財」の指定を受けている。

★☆彡

 今回、JR東日本がセクハラに当たるとして駅構内に掲示することを拒否したポスターは、髭づらの男性とそのバックに褌を締めた裸男が並んでいる写真で、これまでのポスターと変わる点は殆どない。平成18年(2006)には友人の長谷川昇司さんが大写しになったポスターが作られ、問題なく掲示されている。
 平成20年のポスターは、長谷川さんの代わりに髭づらの男性が大きく掲載されているが、彼の風貌は美男子でもなく紳士でもないが、普通の男性である。
 徹夜で祖民袋を争奪する勇壮な裸祭りに美男子ややさおとこは不似合いであるのは当然で、奥州市の選んだ男性は荒々しい争奪戦にふさわしい野性的な風貌をした男性であるというに過ぎない。
 その風貌がセクハラに当たるというJR東日本の判断に疑問を感じたマスコミ当局が報道価値を認め、テレビ報道がなされたのだろう。
長谷川昇司さん(左)が載った平成18年のポスター

拡大写真(990x1400)252KB

 
 私は、小さい頃から「人は外見で判断してはいけない」と教わったが、ポスターの男性の風貌(顔つき)がセクハラになり、美男や美女のポスターでないと駅構内に掲示できないというのであれば、差別発言に当たるのではないかと危惧される。金子みすゞの「みんなちがってみんないい」という詩のとおり、それぞれの個性を最大限に尊重される社会が望れる。
 褌着用による裸祭りは、Wa☆Daフォトギャラリーの「日本の裸祭り」シリーズをご覧いただければ分かるように全国に数多く存在し、世界に誇る日本独自の伝統文化である。土俵の上でまわしと呼ばれる褌を締めただけの裸形の男性が取り組む相撲は、その最たるもので、国技である大相撲がお茶の間で人気があるように、公序良俗に反する要素はまったく存在しない。長谷川さんによると、風貌がセクハラだとされた男性は、古くから蘇民祭に尽くしてこられた方で、長谷川さんのような余所者ではなく、きちんと精進潔斎をし、真摯に蘇民祭に取り組んでこられた立派な人だという。

☆★☆★彡

 JR東日本がこのような背景や伝統文化としての価値を認識せず、ただ単に外見だけで判断し、その人の写真がセクハラに値するとしたことが事実であるとすれば、非常に残念である。国鉄から私鉄になったJRとはいえ、公共の輸送機関であり、その判断には慎重な対応が求められよう。
 

平成20年のポスター

平成20年のポスター

 
2008年1月9日(火)晴
 
 
■■■       「七日堂裸詣り」速報! ■■■
 
   平成20年(2008)1月7日(月)午後八時半から福島県河沼郡柳津町(かぬまぐん・やないづまち)圓蔵寺(えんぞうじ)福満虚空蔵尊(ふくまん・こくぞうそん)の本堂・菊光堂(きくこうどう)に於いて、奇祭「七日堂裸詣り(なのかどう・はだかまいり)」が行われたので、激写してきた。  
 

裸足で113段を駆け上る裸男たち/圓蔵寺 2008.1.7

裸足で113段を駆け上る裸男たち/圓蔵寺 2008.1.7

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手水鉢の寒禊

手水鉢の寒禊

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雪解け水を浴びる若者

雪解け水を浴びる若者

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   この裸祭りは、千数百年の伝統を今に受け継ぐ奇祭で、毎年正月七日の丑の刻(現在は午後八時半)に境内に鳴り響く一番鐘(いちばんがね)を合図に、褌一丁の男たちが113段の石段を駆け上り、菊光堂前の手水鉢で、凍り付くような雪解け水を浴びて身を清めたあと、争いながら堂内の大鰐口(おおわにぐち)によじ登るという全国に例のない奇祭である。  
 

麻綱にとりつく男たち

麻綱にとりつく男たち

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 初春や白ふんどしの綱のぼり  北舟 

はつはるや しろふんどしの つなのぼり

 
 

次々と麻綱をよじ登る裸たち

次々と麻綱をよじ登る裸たち

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我先にと麻綱(あさづな)を登る男たちが威勢良く争うことによって一年間の無病息災、祈願成就、招福が叶うという。

 
 

大鰐口に登った裸たち

大鰐口に登った裸たち

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  鰐口に裸の登る七日かな  北舟 

わにぐちに はだかののぼる なのかかな

 
 

巨大な梁(はり)にあがった裸男たち

巨大な梁(はり)にあがった裸男たち

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   この奇祭は、その昔、村に疫病や不作が続き、村人たちが苦しんでいたため、只見川の水底に棲む龍神から宝照(ほうしょう)の玉(たま)を手に入れて疾病などを退散させたところ、1月7日に龍神が宝照の玉を取り返しにやってくるため、一計を案じた信者たちが菊光堂に集まり、大声で揉み合い騒いだところ、その迫力にさすがの龍神も驚き、姿を隠したという伝説に由来しているという。  
 

大鰐口登りのパノラマ画像

大鰐口登りのパノラマ画像

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   堂内で約一時間ほど大鰐口のぼりが行われたあと、裸男たちは、牛王法印(ごおうほういん)の護符が差し込まれた柳の木の芽の矢を拝受した。この矢は365本用意され、これを手にすることで幸福が授かるという。  
 

柳の木の芽の矢に挟んだ牛王法印(ごおうほういん)(護符)拝受する裸男たち

柳の木の芽の矢に挟んだ牛王法印(ごおうほういん)(護符)を拝受する裸男たち

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 そのあと石段を下り、牛王法印を受けた裸男たち全員が観光案内所で福引きを行い、黄・緑・紫の玉に応じた量の清酒を手にした。

 
 

黄玉が出ると清酒一升/福引き

黄玉が出ると清酒一升/福引き

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   外気温零度の中、地元民と全国から馳せ参じた褌一丁の男たちが残雪の境内で揉み合いながら本堂の鰐口や梁によじ登るという単純明快な裸祭り。終わって石段を下りて行く参加者の口からは痛い痛いという声が聞こえた。裸足の足が痛く、感覚が無くなってくるという。しかし、福引きが終わった後は柳津(やないず)温泉に入って暖を取り、深夜まで交歓する楽しみがある。初春を寿ぐ雪国の心温まる裸祭りであった。完成版を乞うご期待!  

  2008年1月1日(火)晴  

■■■ 初春のご挨拶 ■■■ 

新年明けましておめでとうございます。

 この正月で満7歳半になったWa☆Daフォトギャラリーは、多くの読者と感動写真集30名の同志の方々のお陰で、昨年12月16日に500万アクセスを超えた。昨年1月4日に200万アクセスを突破してから500万アクセスに至る迄の300万件をわずか1年で達成したことになり、サイトを立ち上げてから200万アクセスを得るのに6年半かかったことを考えると、凄いことだと自分でも驚きを隠せない。また、去年は40作品高精細画像1,688枚を発表したが、我ながらよくもこれだけ大量の作品を創作できたものと思う。これも一重に皆様方の大きなご支援のお陰であり、心からお礼申し上げます。

 
初夢や遠き異国の旅枕

First dream of the New Year, Lodging at the foreign country far away.

 今年は去年の大ブレークの勢いをどう生かして行くか、Wa☆Daフォトギャラリーにとって大きな正念場である。心身ともに初心に還り、日本一のフォトギャラリーとして、累計1,000万アクセスを目指して、更にロマンと感動の世界旅を続け、美しく迫力ある画像を散りばめて、夢多き和田ワールドを築きあげて行きたい。今年も皆様方のご支援とご鞭撻を衷心よりお願い申し上げます。

2008年子年

 平成20年(2008)がスタートした。今年の干支(えと)は子の鼠で、十二支(じゅうにし)(子・丑うし・寅とら・卯・辰たつ・巳・午うま・未ひつじ・申さる・酉とり・戌いぬ・亥)の最初の年である。干支は、神様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物が割り当てられたというエピソードがあり、鼠が一番先に着いたから最初に子があるという。アジアだけでなく、ロシアなど東ヨーロッパ諸国にも十二支の風習があることは意外と知られていない。
 干支は、本来、十干十二支(じっかん・じゅうにし)のことで、十干を甲乙(こうおつ)、丙丁(へいてい)、戊己(ぼき)、庚辛(こうしん)、壬癸(じんき)の五行を十二支と組み合わせ、60通りとしたもので、平成20年(2008)は、25番目の戊子(つちのえね)の年に当たる。暦(こよみ)はこれを繰り返しており、生まれてから一巡して最初の年に戻ると満60歳(数え年61歳)となる。元の暦に戻るので還暦(かんれき)と呼ばれる。

干支

 ちなみに、戊辰戦争(ぼしんせんそう)〈慶応4年/明治元年(1868)〜明治2年(1869)〉は、王政復古で成立した明治新政府が江戸幕府勢力を一掃した内戦だが、慶応4年/明治元年(1868)の干支が05番目の戊辰だったことからこの名がついた。

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白褌びゃっこん の放水天に出初式    北舟
加賀鳶はだか放水
New Year ceremony of fire brigades, wearing white fundoshi sash, splaying water to the sky.
謹賀新年/加賀鳶はだか放水(金沢市)

 

加賀鳶はだか放水/石川県金沢市  2007.1.7

還暦記念の赤褌水浴

 私は24番目の丁亥(ひのとい)の年に生まれ、平成19年(2007)3月6日に満60歳の還暦を迎えた。心身を一新して二巡目の人生を健康で明るく過ごしたいと思い、正月13日(日)に東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で還暦記念の寒中水浴をして、厄払いをすることにした。
 日本には古来より還暦を迎えた人に還暦祝いとして赤い頭巾やちゃんちゃんこなど赤色の衣服を贈る風習がある。かつては魔除けのために赤子の産着(うぶぎ)に赤色が使われていたため、赤子と同じ赤い装束を身に着けて生まれ変わった気持ちで長寿を全うしてほしいとの願いが込められている。
 赤い褌を「あかふん」と呼ぶが、丹後地方などでは42歳の厄年に着物の下に赤褌を締めて神社参りをする風習があり、「赤褌(あかふん)行事」と呼ばれている。また、全国的には60歳の還暦祝いに赤褌が贈られ、赤褌を締めて禊をし、厄落としをする風習がある。 高良大社へこかき祭 は、還暦に赤褌で水浴する神事である。そこで私もこの伝統に従って、還暦記念水浴を赤褌で行うことにした。実施要領: 還暦記念水浴について

私の写真が使われている第53回寒中水浴大会のポスター

私の写真が使われている第53回寒中水浴大会のポスター

 本来、神前の禊は白装束でなければならないが、鐵砲洲稲荷神社の中川宮司のご高配により、第53回寒中水浴大会の神事のあとに実施することで特別許可を得た。介添役には、常連の長谷川昇司さんと地元・弥生会幹事長の石川辰夫さんに引き受けてもらった。参列水浴として、有志の方々も一緒に水浴していただくことになった。粋な江戸っ子の皆さんのお陰で、人生に一度の禊による厄払いを執り行う運びとなった。多くの方々のご支援に心から感謝申し上げたい。
 なお、公式の寒中水浴大会と還暦記念水浴ともに、地元氏子のみならず、部外者の飛び入り参加を歓迎しているので、興味のある方は、この機会に是非水浴に参加していただければ幸甚である。
                             参考: 徒然日記〈2007年12月〉/ 「還暦記念の赤褌水浴」実施要領決定!

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■■■ 2007年の年間アクセスは315万件! ■■■ 

 2008年元旦の零時零分零秒にメーリングリストに登録の読者に年賀カードをお送りした。ところが通信エラーで送信できず、再送信のタイムスタンプは、Date:Tue, 01 Jan 2008 00:00:47 +0900となり、47秒遅延してしまった。昨年は成功しただけに、残念である。通信回線が混んでいたのだろうか。

 トップページを開いて、カウンターを切り取った。元旦の零時零分の累計は1を差し引いて5,128,505件だった。2007年元旦の零時零分は1,971,621件だったので、差し引きすると、昨年(2007)の一年間の総アクセス数は3,156,884件だった。一昨年(2006)の一年間のアクセス数は63万件だったので、アクセス数は5倍に増えたことになる。

  2007年12月

1月

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