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2007年12月30日改訂

今 日

昨 日

♪La Campanella (F. Liszt)
ラ・カンパネラ/リスト(パガニーニによる大練習曲 S.141-3)

拡大写真(1560x1110)493KB

白馬車の花嫁の微笑残る秋  北舟

  2000年7月31日開設

Smile of the bride on a horse-drawn white carriage, Late in the fall.
オンタリオ湖畔のガゼボと白馬車

オンタリオ湖畔のガゼボ(洋風東屋)と白馬車(ナイアガラ・ オン・ザ・レイク/カナダ)

2007年の日記  

 

12月
  11月

12月

2008年1月

目次


  2007年12月30日(日)晴  

■■■ 「還暦記念の赤褌水浴」実施要領決定! ■■■

 平成19年(2007)1月14日(日)、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で行われた第52回寒中水浴大会の模様を激写した 鐵砲洲寒中水浴'07 の編集後記で、「・・・再三にわたり、石川幹事長や三木さんから寒中水浴を誘われてきたが、撮影を理由に断ってきた。しかし、今年(2007)3月6日に還暦を迎えるので、人生の大きな区切りを記念する意味で、来年の寒中水浴大会には赤褌で参加することにした。・・・」と宣言していたが、このたび、その実施要領が決まった。
 鐵砲洲稲荷神社の中川宮司と弥生会の石川幹事長はじめ、祭礼関係者各位のご高配を賜り、平成20年(2008)1月13日(日)午前11時から実施される第53回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会の公式神事のあと、特別に私の還暦記念水浴を行う運びとなり、具体的な実施要領は、pdf資料の 還暦記念水浴について のとおりである。 参考:鐵砲洲稲荷神社公式サイト 

第52回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会 2007.1.14

第52回鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会 2007.1.14

拡大写真(1600x1200)473KB 写真提供:弥生会 撮影:星宏幸 

飛び入り参加大歓迎

 公式の寒中水浴大会と還暦記念水浴ともに、地元氏子のみならず、部外者の飛び入り参加を歓迎しているので、読者におかれては、この機会に是非経験されてみたら如何だろうか。かくいう私も初めての水浴なので、氷柱の中の水浴に耐えられるか一抹の不安があるが、女性も含め、これまで挑戦された方で、脱落者は一人もいないので、きっと神々のご加護があるものと思われる。体験者に感想を聞くと、しびれが快感になり、気持ちよくなるという人もいれば、しびれが痛みに変わり、堪えるのが辛かったという人もいる。人それぞれなので、自分はどちらになるかを知る楽しみもある。(^^; ともあれ、寒垢離は、乾布摩擦と同様に、皮膚が鍛えられて身体の抵抗力や免疫力が増し、風邪にも強くなって無病息災の御利益があることは、疫学的にも医学的にも立証されている。
 これまであちこちの寒中禊や寒垢離を取材してきたが、鐵砲洲の水浴大会は、部外の参加者に最も配慮した祭礼だと思われる。社務所二階の日当たりの良い部屋が部外者の脱衣所兼控え室として開放されており、また、寒中水浴が終わった後は、直ちに銭湯に入浴して冷えた身体を温めることができる。そのあと、暖かいみそ汁に寿司折りの昼食が提供されるので、心身共に爽やかな気分で、初春を迎えることが出来る。

 
2007年12月28日(金)曇
 
 

■■■ オリンパス「E-3」のラインナップ完成! ■■■

 
   今日、待望のズイコーデジタル ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD が我が家に届き、新しい戦力が全て揃った。主力のE-3には ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD を付け、E-510には ED 70-300mm F4.0-5.6 を付ける。これで、レンズ交換無しに、12mm〜300mm (35mm換算で24mm〜600mm)の広角から超望遠までの広域をカバーするシステムが完成した。  
 

オリンパス E-3

オリンパス E-3

拡大写真(580x430)39KB

 

 

 

オリンパス E-510

オリンパス E-510

拡大写真(627x630)60KB

ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD

ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD

拡大写真(468x330)32KB

 

ED 70-300mm F4.0-5.6

ED 70-300mm F4.0-5.6

拡大写真(531x321)34KB

 
   E-510は、既にニュージーランドで使用し、中級機として必要なスペックは全て揃い、安定した画像が得られている。E-3は、12月8日の岐阜・池ノ上みそぎ祭で筆卸しを行ったが、その階調豊かな画像は、オリンパスのフラッグシップ機にふさわしいもので、大満足の一言あるのみである。(^^  
   E-3の使用感を総括すると、画質向上、11点全点ツインクロスセンサーによるAF機能アップ、手振れ防止、高感度撮影時のノイズ低減、連写機能、SAT、ノイズリダクションなど、現時点の最高水準の機能が全て盛り込まれており、E-510と比べて、ワンランク上の高級機である印象がとても強い。全天候型の設計のため、頑丈にできており、サイズが大きく重いのはやむを得ないという気もする。  
 

裸男たちの夜の禊 / 撮影:E-3(手持フルオート)  1/60  F2.9  ISO400  FL-50

裸男たちの夜の禊

拡大写真(2400X950)414KB

 
   特記したいことは、階調オートの設定でSATが働くと、写真上のように、光が届かない遠くでも明るく写ることである。今までなら、光が届く範囲は明るいが、それを過ぎると真っ暗闇になっているところである。この差は驚くほどで、今後、大きな戦力になることだろう。  
 また、内蔵フラッシュの能力が高いことが挙げられる。E-510もE-3も充電が早く、かなり早く写せる。外部フラッシュのFL-36は充電が遅くて、速写時には使えない。FL-50も早いが、内蔵フラッシュの方が早いように感じた。再充電だけでなく、内蔵フラッシュはボディ一体となっているためか、合焦機能がチューンナップされているようで、とても早く感じられ、ストレス無く撮影が続けられる。バウンス撮影とレンズの蹴られが発生する近接撮影以外は、内部フラッシュで完璧に対応できる。重くて大きな外部フラッシュFL-50は、バウンス撮影など、特殊な状況のみに使い、普段は、内蔵フラッシュで対応したい。専用電池を沢山持って行けばよく、単三を用意したりすることも必要ないので、とても楽になる。

 
2007年12月27日(金)曇
 
 
■■■       「太宰府秋の旅」完成! ■■■
 
   12月27日(月)、今年第40作(通算第331作)目の作品をアップした。

旅紀行ジャパン第48集(実質第98集) 「太宰府秋の旅」  

撮影・制作:和田義男
 
http://wadaphoto.jp/japan/dazaifu1.htm
 
       平成19年(2007)12月27日 作品:第40作  画像:(大38+小6)  頁数:3  ファイル数:93  ファイル容量:22MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:331 頁数:1,173 ファイル数:31,259 ファイル容量:4,516MB
 
 

戒檀院全景

戒檀院全景

拡大写真(1400x1000)394KB

 
 

★☆★彡

 
 

仏教の渡来と国難

 
   日本に仏教が公に伝えられたのは6世紀の538年、欽明(きんめい)天皇の治世のときで、百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)(523〜553在位)が仏典や仏具などとともに釈迦如来の金銅仏一体をもたらしたという。  
   その恩義ある百済が660年唐・新羅(とう・しらぎ)に滅ぼされたため、倭国(わのくに)(日本)は救援軍を派遣したが、663年8月百済の首都・扶余(ぷよ)の西方、朝鮮半島南西部にある白村江(はくすきのえ)の戦いで大敗した。  
   海を渡った倭国水軍は、唐・新羅連合軍の170隻の軍船に迎え討たれ、海は流血で真っ赤に染まり、夥しい兵士が海の藻屑と消えた。この国家危急存亡のときに、倭国は太宰府政庁を国防上の重要拠点と定め、太宰府に水城(みずき)、大野城(おおのじょう)、基肄城(きいじょう)を築き、対馬(つしま)、壱岐(いき)、筑紫(つくし)に防人(さきもり)を緊急配備するなどして、背水の陣を引いた。  
 

心字池にかかる太鼓橋

心字池にかかる太鼓橋

パノラマ写真(2000X970)524KB

 
   618年に隋(ずい)が滅び唐が建ったとき、倭国はそれまで派遣していた遣隋使に代えて遣唐使(けんとうし)を朝貢使(ちょうこうし)として派遣するようになった。659年に実施された第4回の派遣のあと、この国防上の危機が訪れた。第5回の派遣は、国難が収まった2年後の665年に行われ、894年に菅原道真の建議により停止されるまで遣唐使の派遣は20回を数えた。やがて907年唐が滅亡して遣唐使の歴史は終った。  
   第18回の804年に渡唐した遣唐使の中に最澄(さいちょう)と空海(くうかい)がいた。唐の高僧から天台宗や真言密教を学んだ彼らは、日本仏教に大きな足跡を残した。両国の国交が安定していたことが、この偉業につながったといえる。  
   ちなみに、中国が元(げん)(蒙古)となり、その属国・高麗(こうらい)とともに実際に北九州を襲った元寇(げんこう)がおこったのは、鎌倉時代に入ってからのことで、1274年の襲来を文永の役(ぶんえいのえき)、1281年の襲来を弘安の役(こうあんのえき)という。いずれも神風(かみかぜ)(台風)が吹き、日本は国土防衛を果たすことができた。  
 

拝殿の参拝客

拝殿の参拝客

パノラマ写真(1600x850)391KB

 
 

★☆★彡

 
 

日向ひゅうが

師走祭しわすまつり

 
 仏教を日本に伝えた百済が唐・新羅連合軍による侵略で660年に滅亡したとき、百済の都・扶餘(ぷよ)から日本に亡命してきた禎嘉王(ていかおう)一族の物語は、千年の歴史を刻む師走祭となって現代に伝えられている。上平明さんの力作 日向の師走祭 に詳しいので、興味のある方は是非ご覧いただきたい。

  2007年12月24日(月)晴  
 今日はクリスマス・イブで、天皇誕生日が日曜に当たったため、振替休日となった。多摩川の北岸にある我が家のリビングは、朝から暖かい日射しが差し込んでおり、温室のようにポカポカと暖かい中で、パソコンに向かっている。また、満月のクリスマス・イブも大変珍しい。

 この連休は年賀状の作成に費やし、夕べやっと完了した。5年ほど前に購入したエプソンのコピー・スキャナー・プリントの三役をこなす複合型コピー機の葉書吸入部分がへたり、オートでは吸い込まなくなってしまったので、1枚ずつ手送りで印刷したため、大変難儀した。今まで、あっという間に印刷が終わっていたので、その有り難さを身に染みて感じることとなった。来年は新型機を導入しようと思う。

■■■ 大好評の「池ノ上みそぎ祭」 ■■■

 12月17日に発表した「池ノ上みそぎ祭」は、快調な出足で、僅か1週間で5,000アクセスを突破した。12/18 1,315件、12/19 679件、12/20 655件、12/21 559件、12/22 857件、12/23 635件と、アクセス件数がずっとハイレベルを維持している。 これに比べて、11月3日に発表した「ニュージー早春の旅」は、50日経って、まだ1,680件しかない。取材と制作に多額の費用と1ヵ月という長期間を費やした大作であってもこの程度のアクセスでは、張り合いがない。その点、裸祭りシリーズは、10倍以上の反響があり、裸祭りファンの期待が大きいことが分かる。「裸祭り」のジャンルでは、日本一の老舗サイトという評価が定着し、ファンの注目度が高いせいだと思われる。
 また、Googleで「池ノ上みそぎ祭」を検索すると、アップして数日後には上位に表示されるようになったことも大きい。Googleはタダで私の作品を宣伝してくれるので、本当に有り難い。今、「池ノ上みそぎ祭」で検索してみると、735件中、第6位にランクされている。彗星のように現れた作品があっというまにトップ頁に表示され、どのサイトよりも内容がリッチなので、これからも「黒石寺蘇民祭」のように「池ノ上みそぎ祭」の定番サイトとして、多くの読者に親しまれることになるだろう。

Googleで735件中第6位にランクされた「池ノ上みそぎ祭(池上宮)(和田フォト)」

Googleで735件中第6位にランクされた「池ノ上みそぎ祭(池上宮)(和田フォト)」

 
2007年12月19日(水)晴
 
 
■■■       「池ノ上みそぎ祭」完成! ■■■
 
   12月17日(月)、今年39作(通算第330作)目の作品をアップした。

日本の裸祭り第39集(実質第67集) 「池ノ上みそぎ祭」  
撮影・制作:和田義男
 
http://wadaphoto.jp/maturi/ikenoue1.htm  
 
       平成19年(2007)12月17日 作品:第39作  画像:(大80+小8)  頁数:6  ファイル数:191  ファイル容量:41MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:330 頁数:1,187 ファイル数:31,632 ファイル容量:4,564MB
 
 

【編集子が選ぶ傑作】

宮前で神男の胴上げ

宮前で神男の胴上げ

拡大写真(2000X1250)448KB

 
 

★☆★彡

 
 

清流のめぐみ

 
   岐阜の県庁所在地という大都会にありながら、日本三大清流の一つに数えられる長良川の清流でみそぎをするという、大自然の恵みを身体いっぱいに浴びる裸祭り。何という贅沢な祭りなんだろう。特に、裸になった氏子たちの溌剌とした顔が素晴らしい。  
   中部地方には、尾張の「國府宮はだか祭」という数千人が繰り出す裸祭りがあり、神男が登場する。しかし、同じ神男でも「池ノ上みそぎ祭」の方は、追われる方ではなく、裸たちを統括する指揮者であり、仲間である。  
   そのコンセプトの違いから、勇壮な裸祭りではあっても和気藹々とした雰囲気があり、何より、主催者は事故防止に心がけている様子が伺え、4歳児でも安心して楽しめる祭典に仕上がっている。「池ノ上みそぎ祭」は、濃尾平野の豊かな恵みに感謝する楽しい祭りであった。  
 

【編集子が選ぶ傑作】

褌を締めた元気な子供たち

褌を締めた元気な子供たち

拡大写真(1400X1200)208KB

 
 

★☆★彡

 
 

ふんどし

下帯したおび

 
   12月9日(日)朝、宿泊したホテルのフロント女性が岐阜新聞と中日新聞の朝刊に「池ノ上みそぎ祭」が載っていることを教えてくれた。彼女は、タクシーの手配など、私をサポートしてくれた人で、午後7時の禊に友人が参加するということで見に行ったという。  
 

 
   ホテルで両紙を購入し、新幹線の中で記事を確かめた。両紙とも対岸からみそぎ場の様子を撮影したカラー写真を第一面に掲載し、大きく報道していた。地元の岐阜新聞は、「師走の長良川、祈る男衆」という見出しで、「下帯姿の男衆が清流で身を清める「池ノ上みそぎ祭」が8日、岐阜市の長良川で行われた。・・・」と書かれていた。  
   一方、中日新聞は、「冬の冷水締まる心 - 長良川・みそぎ祭 -」という見出しで、「・・・ふんどし、鉢巻きだけを身に着けた小学生からお年寄りまでが集結、頭から水をかぶったり、肩まで水につかったりして、けがれを落とした。・・・」と書かれていた。  
   読者は既にお気づきだと思われるが、中日新聞の記事の方が正確に書かれている。「池ノ上みそぎ祭」の祭り衣装は鉢巻と褌であり、神社入口の掲示板を見ればすぐに分かることである。下帯という言葉は、一切使われておらず、みんな褌と云い、裸男たちは全員越中褌を締めていた。地元新聞の記者は、何故か褌という由緒正しい言葉を使うことを躊躇し、褌=下帯と考えて「下帯」と書いたのではないだろうか。  
 

★☆

 
   私のセンスでは、越中褌は帯の部類には入らず、下帯と表現するには無理があると思う。「帯に短し襷に長し」という諺があるが、僅か3尺(90〜100cm)の布に紐を付けた越中褌は、三尺褌ともいわれ、襷の代わりにもならないほど短い。川越まつりの地元研究家によると、かつては木綿の手拭いを褌代わりに使うことがあったという。手拭いを縦に裂いて2本の紐とし、それぞれ手拭いの片端に結ぶと、即席の越中褌ができあがる。  
   越中褌は手拭いのようなもので、下帯ではない。広辞苑の「下帯」の説明は、「ふんどし」とあるが、これは六尺褌を指していると思われる。江戸時代の武士や町人たちは、下着や労働着、祭衣装に六尺褌を用い、激しい運動をしない僧侶や神官などが越中褌を愛用したといわれ、爾来、越中褌は僧侶や神職の下着や禊の衣装として定着した。時代考証を十分に行った時代映画や浮世絵を見れば、褌とは六尺褌であることが分かるだろう。  
   江戸時代につくられた「褌を締めてかかる」、「人の褌で相撲を取る」、「緊褌一番」、「褌担ぎ」などの格言は、今でも使われているが、下帯を使った格言は聞いたことがない。下帯とは、所詮、その程度の言葉なのである。  
 

★☆★

 
   今、静かな褌ブームで、internetでは老舗の褌屋など褌専門店が様々な色柄に加え、六尺、越中、もっこ、黒猫、まわしなど多種多様な褌を販売して繁盛している。褌販売店はあるが、下帯販売店は存在しない。「下帯」という言葉は、「褌」を上品に表現しようとしたものだろうが、曖昧な表現であるために使用されていないのではないだろうか。「褌」こそ、伝統と歴史ある正しい用語であり、現在、その復権が進んでいる。今年、NHKさえも「ふんどし」という言葉を使ったことを嬉しく思っている。  
 

【編集子が選ぶ傑作】

寒さに耐える禊

寒さに耐える禊

拡大写真(2200X1360)502KB

 
 

★☆★彡

 
 
オリンパス E-3

筆卸ふでおろ

 
   今回、「池ノ上みそぎ祭」の撮影に、11月23日に発売されたばかりのオリンパスのフラッグシップ・モデル「E-3」と「E-510」の二台を使用し、1000万画素1300枚2.8ギガを撮影した。そのうち主力として使用したE-3の分量は、920枚2.0ギガだった。両機とも手ぶれ防止機能があり、すべてフルオート手持撮影の和田式撮影術で激写したが、予想を超える素晴らしい画像が得られた。  
   拡大写真をご覧頂ければわかるように、動きのある祭礼にもかかわらず、細部にわたってシャープで彩り豊かな画像が得られている。「E-3」は、ダイナミック・レンジが広く、白飛びや黒潰れの少ない高性能機に仕上がっており、見事という他はない。  
   両機ともビビッド・カラーで撮影したが、「E-3」の方がその効果が強く、見た目以上に鮮やかな画像となっている。写真で人の肌色と白を表現するのが一番難しいが、「E-3」はやや赤みがかった色合いになっており、健康色とでも云うべき肌色となっている。フォトショップV6で標準色に戻すことは簡単だが、そうすると、冷ややかで貧相な画像となるので、私はあえてこの健康色で通した。今後、特に裸祭りは、この健康色を前面に出すこととし、少々重たい「E-3」ではあるが、筆者の主力機として活用してゆきたい。  
 

【編集子が選ぶ傑作】

神社に向かう裸の渦

OLYMPUS E-3 1/60秒 F2.8 内蔵フラッシュ(強制発光) ISO800 (手持・全自動・ライブビュー撮影)

神社に向かう裸の渦

拡大写真(2000X1400)559KB

 
 

E-3 の内蔵フラッシュ

 
 写真上の「神社に向かう裸の渦」は、「E-3」の内蔵フラッシュを使ってライブ・ビューで撮影したものだが、隅々まで光が行き渡っており、ISO800 1/60秒で撮影したにもかかわらず、ノイズもなく、シャープな画像が結ばれている。特に、SAT (シャドー・アジャストメント・テクノロジー Shadow Adjustment Technology )という新技術により、明暗差の激しい画像の暗い部分も明るく写るようになったため、遠くの方もしっかりと描写されているのが凄い。E-510によるフラッシュ撮影と比べてみると、その差は歴然としている。
 「E-3」の内蔵フラッシュは合焦機能がチューンナップされていてとても速く感じられ、ストレス無く撮影が続けられる。外部フラッシュのFL-50を使ったときよりも速い気がするし、再充電も瞬時なので速写性にも優れている。
 バウンス撮影とレンズの蹴られが発生する近接撮影以外は、内部フラッシュで完璧に対応できることが分かったので、これからは重い外部フラッシュは、バウンス撮影など特殊な状況のみに使い、普段は、内蔵フラッシュで対応したいと思う。

  2007年12月16日(金)晴  
 

■■■ 500万アクセス達成! ■■■

 
 平成19年(2007)12月16日14時09分48秒、トップページの累計アクセスカウンターが5,000,000件を示した。2000年7月16日(日)にサイトを立ち上げてから100万件を頂くまで4年11ヵ月、100万件から200万件まで1年7ヵ月、200万件から300万件まで3ヵ月半(107日 9346件/1日)、300万件から400万件まで4ヵ月(118日 8475件/1日)、そして今回、400万件から500万件まで4ヵ月(121日 8265件/1日)で達成。今年の7月16日に満7歳を迎え、8年目に入ったWa☆Daフォトギャラリーにあって、一つの大きな節目を通過したことを素直に喜びたいと思う。

500万アクセス達成の瞬間

500万アクセス達成の瞬間
 記録を冷静に振り返ってみると、今年の1月4日に200万アクセスを突破してから、500万アクセスに至る迄の300万件をわずか1年弱で達成したことになり、サイトを立ち上げてから200万アクセスを得るのに6年半かかったことを考えると、凄いことだと自分でも驚きを隠せないでいる。
 300万アクセスから500万アクセスまでを分析してみると、トータル200万件のアクセスを得るのに約8ヵ月、正確には118+
121=239日かかっており、200万を239で割ると8368となるので、ここ8ヵ月は1日平均8000件超で推移していることになる。そして、特別な大ブレークが生じない限り、今後もこの水準が続くものと思われる。
 「継続は力なり」でこつこつと積み上げてきたWa☆Daフォトギャラリーであるが、気が付けば8年目で500万アクセスをクリアしたことは、一個人のサイトにとってはとても大きな重みがある。しかし、世界31ヵ国を巡る高画質写真9,349枚 作品329作 / 1,181頁という巨大なフォトギャラリーとして見た場合は、これだけの顧客があって当然のことかも知れない。ともあれ、これも多くのリピーターの皆さんや感動写真集に作品をお寄せ下さった同志の方々のお陰であり、心から感謝申し上げたい。
 私は今年還暦(60歳)を迎えたばかりであり、気力体力が続く限り、これからもWa☆Daフォトギャラリーは健在である。次は、1000万アクセスが目標である。このままのペースだとすれば、あと20ヵ月、1年8ヵ月で達成できる。更にコンテンツを充実させ、日本一のフォトギャラリーとして、多くの皆様方のご期待に添えるよう、たゆまぬ研鑽を続けて行きたい。

 
2007年12月11日(火)曇
 
 
■■■       「若宮八幡裸祭'07」完成! ■■■
 
   本日、今年38作(通算第329作)目の作品をアップした。

日本の祭り第93集/感動写真集第89集 「若宮八幡裸祭'07」  
撮影・原作:清原 浩  制作・演出:和田義男
 
http://wadaphoto.jp/maturi/waka1.htm  
 
       平成19年(2007)12月11日 作品:第38作  画像:(大42+小2)  頁数:4  総ファイル数:100  ファイル容量:19MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:329 頁数:1,181 ファイル数:31,390 ファイル容量:4,520MB
 
 

【編集子が選ぶ名作】

篝火の間を進む川渡神輿 = 静 =

篝火の間を進む川渡神輿

拡大写真(1800X1350)185KB

 
 

★☆★彡

 
 
與丁よちょう 定年
 
   平成19年(2007)11月23日(金)と25日(日)の両日に秋季大祭川渡し神事が盛大に行われました。祭日と日曜日とあって観客人数も予想以上でした。また、祭り自体は、例年になく荒々しく、気迫に満ちた神事でした。  
   この裸祭りの川組には年齢制限があり、20歳以上40歳以下と決められています。今年の渡御のあと、役員4名、一般與丁5名が定年を迎えて退会しました。退会者の多くが、「まだ担ぎたい!」「もっと早くから担げば良かった!」と、この神事の名残りを惜しんでいました。  
   この寒い時期に川に入り神輿を担ぐ。見る側には理解に苦しむでしょう。でも、この祭りが終わった後の『充実感』や『達成感』は、担いだ者でないと味わえません。毎年色んなドラマがあります。現役與丁のみんなが1 年でも長くこの神事に携わってくれることを切に願っています。 (清原 浩)  
 

【編集子が選ぶ名作】

豪快に桂川東岸のスロープを駆け上がる神輿 = 動・濁 =

豪快に桂川東岸のスロープを駆け上がる神輿

拡大写真(2000X1500)528KB

 
 

★☆★彡

 
 
清原ワールド
 
   大分県豊後高田市にお住いの清原浩さんが激写されたこの「若宮八幡裸祭'07」は、「櫛来社(くしくしゃ)のケベス祭」に続く第4作で、素晴らしい作品である。昨年、清原さんのお誘いを受けて、この祭りを激写して「若宮八幡裸祭り」を発表することができたが、今年は、そのときの案内役だった清原さん自身が、オリンパスE-500を入手されて、自ら激写されたのである。  
   たった1年の間に、すっかり和田式撮影術をマスターされたようで、その上達ぶりは目を見張るほどである。私が特別に指導したわけでもないのに、撮影には脚立を持参し、高い位置から奥行きのある構図を的確に切り取っておられるし、撮影位置も完璧で、與丁らの前後左右だけでなく、上部からも肉迫して、男たちの精悍な表情を的確に捉えておられ、天賦のセンスを持っておられるようである。何より600枚650MBもの写真を激写されており、私が写したのと変わらない、いや、それを超える名作が多々あり、脱帽するほかはない。  
   この「若宮八幡裸祭'07」は、「清原ワールド」といえる感性豊かな作品である。與丁OBの清原さんだからこそ写すことが出来た裸の男たちのロマンと感動が満ちあふれている。  
 

【編集子が選ぶ名作】

スロープで神輿を押し上げる赤組の與丁たち = 動・濁 =

スロープで神輿を押し上げる赤組の與丁たち

拡大写真(1800X1350)540KB

 
 
静・濁・動の裸祭り
 
   若宮八幡の裸祭りは、純白の狩衣(かりぎぬ)に白晒木綿の腹巻と前垂式六尺褌という統一された伝統の装束が美しい。また、赤・白の鉢巻により赤組と白組を明示し、お下りには赤組、お上りには白組が神輿の先棒を担ぐという掟を設けて、変化と公平さを確保している。  
   漆黒の川を渡る夜祭りにすることで、大松明や篝火による炎と強力なスポットライトの照射により、川を渡る神輿を浮かびあがらせるという心憎いばかりの演出がなされている。このファンタジーを「静」とすれば、川を渡りきったところで、全員が一丸となって急峻なスロープを担ぎ上げて対岸に上陸し、初めて渡御が完結する。この最大の難所に挑む男たちの雄々しさが「動」として多くの観衆の心を奪うフィナーレとなる。  
 

【編集子が選ぶ名作】

最後の踏ん張り!

最後の踏ん張り!

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   この祭りのシナリオを成功させるためには、潮時(しおどき)が大切である。祭り会場は、周防灘に注ぐ桂川の河口近くであるために、潮の干満によって水面が上下する。日没後に丁度よい潮時となる日は毎年変わるため、祭日も毎年変わらざるを得ない。  
 去年は11月3日(金)が「お下り」、5日(日)が「お上り」だったが、今年はそれぞれ11月23日(金)と25日(日)だった。私が取材した去年の「お下り」は薄暮の最適な潮時だったが、今年のお下りは日がたっぷりと暮れ、暗闇のなかの渡御となった。潮時が悪いと、深すぎて頭しか見えなかったり、足下しか水がなかったりして、とても見られたものではない。褌が見え隠れするくらいから胸下あたりまでが丁度よい潮時だという。
 潮が逆流してくるため、清流が一転して油や海藻が浮いた水面になり、白装束が汚濁してしまう。その汚れにもめげず、川の深みを渡りきり、難所のスロープを担ぎ上げる男たちの精悍な姿に感動を覚えるのは私だけではないと思う。「清」「濁」合わさった理想と現実の夜祭り。男たちの汚れた濡れ褌がそれを象徴している。この祭りは見れば見るほど味わい深く、規模は小さいものの見せ場が多々あり、私の好きな祭りである。それだけに祭元の苦心が偲ばれる。

 
2007年12月9日(日)晴
 
 
■■■       「池ノ上みそぎ祭」速報! ■■■
 
   昨日、岐阜市池ノ上町に鎮座する葛懸(かつらがけ)神社で毎年12月第二土曜日に開催される「池ノ上みそぎ祭」が催行され、一泊二日の日程で激写してきた。この祭りは「池ノ上はだか祭」とも呼ばれるが、正式には「葛懸神社禊祭(かつらがけじんじゃ・みそぎまつり)」といい、葛懸神社禊祭祭典委員会が主催する祭礼で、600年以上の歴史があるという。中部地方では有名な裸祭りで、今日の中日新聞と岐阜新聞の朝刊は、ともに対岸から撮影したカラー写真とともに一面で報道していた。  
 

「池上宮みそぎまつり」の鉢巻と厄除褌を締めた子供たち  2007.12.8

「池上宮みそぎまつり」の鉢巻と厄除褌を締めた子供たち

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   この裸祭りは、白の晒木綿に「池上宮(いけのうえぐう)みそぎまつり」と赤く右横書きされた鉢巻と厄除(やくよけ)と赤く書かれた越中褌を締めただけの裸男たちが葛懸神社のそばを流れる長良川に入浴する寒禊(かんみそぎ)の神事で、昼から夜にかけて3度行われ、延べ約400人が参加した。  
 

気合いを入れて池ノ上公民館を飛び出す裸たち

気合いを入れて池ノ上公民館を飛び出す裸たち

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長良川を目指す裸男たち

長良川を目指す裸男たち

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   去年までは、男の子たちも大人と一緒に行動していたが、今年から独立し、神男(しんおとこ)を先頭に子供グループが先に川に入り、そのあと大人グループが禊を行い、午後3時、7時、10時の三回、寒垢離(かんごり)が繰り返された。最年少参加者は4歳の幼児。禊場には、外舷機付きの川船が待機し、いつでも救助できる体勢にあったのが印象的で、祭主催者のきめ細かな企画力に感心した。  
 

長良川で柏手を打つ子供の神男(しんおとこ)

長良川で柏手を打つ子供の神男(しんおとこ)

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元気よく長良川に入る子供たち

元気よく長良川に入る子供たち

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   大勢の観客が見守り、報道へりも飛来するなか、裸男たちは、正禰宜(せいねぎ)をつとめる奥村悟さん(会社員 39歳)=同市池ノ上町=の先導で、勢いよく川の中へ入った。この日の最高気温は13.6度で平年並みだったが、川面を吹き抜ける風は冷たく、裸たちは体を真っ赤に染めながら、かしわ手を打ち、厄払いをするとともに、家族の幸せと繁栄を祈っていた。  
 

正禰宜・奥村悟さん(39歳)がつとめる神男の禊ぎ

正禰宜・奥村悟さん(39歳)がつとめる神男の禊ぎ

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長良川に入る裸男たち

長良川に入る裸男たち

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禊をする裸たち

白い橋は忠節橋(ちゅうせつばし)、その後ろが頂上に岐阜城(旧・稲葉山城)のある金華山

禊をする裸たち

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   裸衆の正装は白の越中褌。部外者の飛び入り参加もOKで、神社のすぐ裏にある池ノ上公民館で登録すると、鉢巻・褌がもらえるので、参加者全員の衣装統一がなされている。ただ、神男(しんおとこ)だけは、赤の水褌(すいこん)姿である。裸衆が厄落としのために神男の身体に触れ、胴上げするなど、激しい運動に備えて衣装の乱れの少ない水褌姿になったものと思われる。  
 

神男の胴上げ

神男の胴上げ

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胴上げのまま宮入りする神男

胴上げのまま宮入りする神男

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   祭の取材には、新発売のオリンパスE-3とE-510の二台を使用し、1000万画素1300枚2.8ギガを撮影した。両機とも手ぶれ防止機能があり、すべてフルオート手持撮影の和田式撮影術で激写したが、予想を超える素晴らしい画像が得られた。拡大写真をご覧頂ければわかるように、動きのある祭礼にもかかわらず、細部にわたってシャープで彩り豊かな画像が得られており、見事という他はない。自慢話で恐縮だが、脚立と長靴を持参し、長良川に入って撮影したので、最適位置から感動溢れる昼夜の映像を多数切り取ることが出来た。後日「池ノ上みそぎ祭」として完全版を作成したい。乞うご期待!  

 
2007年12月5日(水)晴
 
 
■■■       「櫛来社のケベス祭」完成! ■■■
 
   昨日、今年37作(通算第328作)目の作品をアップした。

日本の祭り第92集/感動写真集第88集 「櫛来社のケベス祭」  
撮影・原作:清原 浩  制作・演出:和田義男
 
http://wadaphoto.jp/maturi/kebesu1.htm  
 
   この作品は、10月14日(日)大分県豊後高田市にお住いの感動写真集作者・清原浩さんが瀬戸内海の西部・周防灘に面する大分県国東市(くにさきし)国見町(くにみちょう)に鎮座する「櫛来社(くしくしゃ)」で行われた炎の祭典「ケベス祭」を激写されたものである。清原さんの三作目となる3頁29枚の作品で、神社の神事であるにもかかわらず、修験道の影響を受けた神仏混交の文化が色濃く残る奇祭である。  
 

 
       平成19年(2007)12月4日 作品:第37作  画像:(大28+小1)  頁数:3  総ファイル数:73  ファイル容量:11.3MB
     平成12年(2000)〜平成19年(2007) 
作品数:328 頁数:1,177 ファイル数:31,290 ファイル容量:4,500MB
 
 

夜の全裸禊・潮かき

夜の全裸禊・潮かき

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★☆★彡

 
 

激しい火祭り

 
    平成19年(2007)10月14日国見町に伝わる火祭りの撮影に出かけました。その祭りの名前は、『ケベス祭り』・・・ 起源も意味も全く不明で、奇々怪々な祭りと聞きました。禊も一切の衣類を着けず、頑なに伝統を継承している姿は素晴らしと感じました。  
   面をかぶり、松明(たいまつ)を振りかざし、参拝者に火の粉を浴びせかける場面などは、『修正鬼会』に類似したものに思えましたが、鬼会よりも容赦を感じさせない荒々しいものでした。参拝者は、悲鳴をあげ火の粉を避けて逃げまわり、あたり一面に煙がたちこめる中、不気味なケベス面を目にし、しばし呆然となりました。  
   このケベス祭は、単なる火祭りでは無く、『奇祭』と言っても過言ではないと思います。参拝に行かれる場合は焦げても良い服装でお出かけ下さい。一張羅で行くと泣くことに ・・・。 (清原 浩)  
 

ケベスとトウバのせめぎ合い

ケベスとトウバのせめぎ合い

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★☆★彡

 
 
神仏混交しんぶつこんこう 神事
 
   清原浩さんは、平成18年(2006)11月に豊前高田市の「若宮八幡はだか祭り」の取材でお世話になって以来、地元大分県の伝統の祭りを激写された作品を次々とお送り頂いている。  
   今回も「ケベス祭」という余り知られていない奇祭を全国に紹介することができた。清原さんのコメントにあるように、前作の「天念寺修正鬼会」の災祓い鬼(さいばらいおに)に当たるケベスやトウバによる炎の洗礼は強烈で、参拝者の衣服に焦げ穴が空いてしまうのは必至である。  
 

社殿に入るトウバたち

社殿に入るトウバたち

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   天念寺といい、この櫛来社(旧・岩倉社)といい、信仰の地・国東半島に伝わる激しい火祭りは、浄火で災厄を焼き払うもので、日本各地で見られる山伏による柴燈護摩(さいとうごま)と軌を一にしている。しかし、衣装や作法など細部にわたって創意工夫がみられ、当地の気候風土に育まれた独自の祭り文化に発展している。  
   この地が神仏混淆と八幡神(はちまんしん)の発祥の地である宇佐神宮に近いことを考えると、櫛来社が仏教や修験道の影響を強く受けて進化してきたことは、その特異な白装束を見ただけでも明らかである。この「ケベス祭」は、神社の神事であるとはとても思えないほどに昇華されており、まさに奇祭である。  
 

激しい火の粉の洗礼!

激しい火の粉の洗礼!

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   清原さんは、去年の「若宮八幡はだか祭り」のあと、オリンパスE-500を入手され、見事に和田式撮影術を体得されてロマンと感動あふれる九州の祭を激写しておられる。東京からでは手軽に取材に行けないので、これからも清原さんにお願いして、九州各地の祭文化を多数発信していただきたいと思っている。  

 
2007年12月1日(土)晴
 
   あっという間に今年も師走に入った。木・金と大阪に出張し、昨夜帰宅。今朝は寝坊した。ベランダから見える多摩川の向こうの山々はすっかり色付いている。青梅の山々に囲まれた我が家周辺は、今日は穏やかな小春日和で、ゆっくりと疲れを癒すことができた。  
 
■■■ オリンパス「E-3」を入手! ■■■
 
 

手に取った第一印象

 
   今朝、待ちに待った11月23日発売のオリンパスのフラッグシップ・モデルE-3本体が宅急便で届いた。急に目が覚めた気分になり、箱を開け、中からボディを取り出した。810g という重量は、予期した以上に重い。E-510の470g から一気に340gも増えたのだから仕方がないが、これに11-22mm広角レンズを付けて、4ギガのCFメモリー(1010万画素の撮影可能枚数1,628枚)とバッテリーを装着すると1,480g となった。まだ入手していないが、同時発売の12-60mmを付けると、更に90g 増加して、1,570g となってしまう。これからこれを携えて世界の旅を続けるとすれば、かなりの重荷になる。良いことがあれば負担も大きいことを覚悟せねばならないが、オリンパス技術陣には、フラッグシップ・モデルといえども、フォーサーズ規格の有利性を生かして、高級ボディ・高級レンズ共に更なる小型軽量化をお願いしたい。なお、雑誌の評価記事で「E-3のライブ・ビューの液晶パネルは2.5型69万ドットなので、ニコンD-300と同様の3型92万ドットにして欲しかった」という指摘が散見されるが、大きく重たいカメラを真似することはない。オリンパスは、オリンパスらしく、液晶パネルの大きさはこれで十分なので、小型化を目指して欲しい。  
 

オリンパスのフラッグシップ・モデル「E-3」と12-60mmズームレンズ

オリンパスのフラッグシップ・モデル「E-3」と12-60mmズームレンズ

 
   新品のストラップを取り付ける。OLYMPUSの文字が刺繍され、裏側には全面滑り止めが張られている。さすが高級機だと感心する。時刻を合わせ、マニュアルを一読して、操作要領を確認する。操作性は殆ど変わっていないので、ボタンやダイヤルの位置に慣れると、直ぐに使いこなせるようになる。ファインダーを覗くと、今までとは違って画面が大きくなっている。ただ、今までの大きさに慣れているせいか、眼球を左右に意識的に動かさないと左右がハッキリ見えない。今までは少し小さかったので、眼球を動かさなくてもよく見えた。好みの分かれるところであるが、私は今までのサイズでも困ったことはないので、なぜ、これまでファインダーが狭いことがハンディだといわれていたのかよく分からない。  
 

「E-3」ボディ前面

「E-3」ボディ前面

 
   画面にはこれまでの3点から大幅に進化させた11点全点ツインクロスセンサーが3・5・3の横3列に並んでいる。ピントの合った場所の正方形がピピッという音と共にピカリと赤く光る。瞬時に反応するAF機能。これは凄いと思った。E-510までは合掌した点が赤く光るだけだったが、正方形となり、今どこにピントが合っているのかが非常に分かりやすくなった。しかし、露出諸元がこれまで右側に表示されていたのが、画面下になっている。ついつい右に視線が行くので、これは慣れるまで大変だ。  
   次に、連写モードを試すことにした。連写は秒間5枚のHと3枚のLの2モードがある。Hに設定して、秒間5枚の連写を試してみる。カシャ・カシャ・カシャ・・・と小気味よい金属音が居間に響く。これまでにない軽やかで小気味の良い作動音が素晴らしい。ボディ全体を眺めると、外部フラッシュを装着するホットシューの金属部も黒く塗装されている。電池やメモリーの出し入れもレバーの開閉でロックする機構が備わり、電池の裏蓋も外れないように固定されている。洗練されたデザインと相まって高級感を醸し出している。性能といい、一つ一つの丁寧な造りといい、E-3はオリンパスのフラッグシップ機にふさわしい完成度の高いデジカメだと思った。  
 

「E-3」ボディ背面のライブビュー

「E-3」ボディ背面のライブビュー

 
 

最先端を行く2軸可動式ライブビュー

 
   ボディ背面に採用された2軸可動式のライブビューは他社の追随を許さない。縦横自由なアングルで感動を切り取ることが出来る優れものだ。背面のライブビューボタンを押すと、ミラーアップしてライブビュー撮影に入り、撮像素子に届いた画像が背面液晶に映し出される。画角を決め、シャッターを半押しすると精密測光され、全押しすると、ミラーダウンしてAF機能によりピントを合わせたあと、ミラーアップしてシャッターが切られる。ファインダー撮影なら、半押しすると測光とピント合わせが同時に行われるので、全押しすると、直ちにミラーアップしてシャッターが切られ、ミラーダウンする。  
   このように、ライブビュー撮影では、全押ししたあと、シャッターが作動するまでに、ミラーダウン・AF合焦・ミラーアップという3つの動作が必要なため、ミラーアップしか必要ないファインダー撮影と比べると、リリース・ラグ(シャッター・ボタンを全押ししてから実際にシャッターが切れるまでの遅延時間)が長くなる。そのため、E-510までは、今だ!というような微妙なシャッターチャンスのときにはライブビュー撮影は実用的でなかったが、E-3は、大幅に改善され、同時発売されたED12-60mm(35mm判換算24-120mm)など、オリンパス初の超音波駆動方式SWD(スーパーソニック・ウェーブ・ドライブ)によるAFシステムを搭載したレンズを使うと、殆どストレス無しにシャッターを切ることができるようになり、2軸可動式への進化と相まって、オリンパスのライブビュー撮影は、実用域に達した。  
   これに比べて、E-3と同時発売されたニコンD-300には、はじめてライブビュー機能が付加されたが、全く実用的でなく、評判が悪い。まず、D-300をライブビューにするためには、左上のレリーズモードダイヤルを廻して、ライブビューにあわせなければならず、ワンタッチではない。しかも、シャッターを半押しして初めて背面液晶に画像が表示される。また、全押ししても、オリンパスのようにミラーダウン・AF合焦・ミラーアップという動作は行われず、そのままシャッターが切られるので、事前に背面のAFボタンを押してピントを合わせておかないと、ピンぼけ写真となってしまう。このようにD-300のライブビュー機能は稚拙なもので、およそニコンらしくない。開発が間に合わなかったことは明らかであり、ライブビューの搭載は後継機まで見送るべきだったと思われる。  
   ライブビュー撮影は、オリンパスの発明なので、E-3に叶う機種はないのは当然だが、E-3に対して更なる改善点を指摘しておきたい。撮影したあと、ライブビューが復活するまでに数秒かかってしまうことだ。これでは、祭りやスポーツなど、次々に撮影したいときには間に合わない。この大きなタイムラグを是非取り除いていただきたい。また、ライブ・ビュー撮影の際には、ファインダーから光が入って測光に悪影響を与えないようアイピース・シャッターを手動で閉じなければならないが、これが意外と手間である。この点、セルフタイマー撮影などとともに、シャッターが切れる直前にアイピース・シャッターを閉じ、シャッターが切られたあとに開くように自動化してほしい。何もアイピースにシャッターをつけることはないので、どこかに光を遮るようなシャッターをつければ良いと思う。  
 

パワーアップした手ぶれ補正の IS ( Image Stabilization

 
   E-510からボディにジャイロ・センサーを組み込み、カメラの揺れを検出して撮像素子を動かすボディ内手ぶれ補正機構が装備され、全てのレンズで手ぶれ補正が使えるようになった。ニコンやキャノンは、レンズ毎に組み込む方式をとっているため、レンズの光学設計に影響があり、費用や重量も増えるので、賢明な方式ではない。E-3では更にチューンナップされ、最大5段の補正が可能となり、世界一の性能を誇るという。また、E-3は IS ボタンが新設され、ワンプッシュで手ぶれ補正の設定モードに入ることが出来る。「OFF」「I.S.1」「I.S.2」の三つのモードがあり、何故かデフォルトは、E-510同様、「OFF」となっているので、作動するように切り替えなければならない。「I.S.1」は上下左右の手振れを防止する。「I.S.2」は、流し撮りなどのときに、上下の手振れを防止してくれる。常時「I.S.1」としておこう。  
 

「E-3」ボディ上面のコントロールパネル

「E-3」ボディ上面

 
 

モードダイヤルの廃止とコントロールパネルの新設

 
   外見上これまでの機種と大きく違うのは、右上にコントロールパネルという白黒液晶の表示パネルができたことである。そのかわり、オートや絞り優先、シャッター優先、マニュアル撮影などの切り替えがワンクリックでできるモードダイヤルがなくなった。撮影モードの変更は、左上のMODEボタンを押し、右後面のメインダイヤルをまわして行う。撮影モードが切り替わるごとにP、A、S、M の文字がコントロールパネルの左端に表示される。(背面液晶の左上にも大きく表示される。)便利な撮影モードの切替ダイヤルを廃して、コントロールパネル表示による撮影モードの切り替え方式にしたことは意見の分かれるところではある。  
   これまでと同様に背面のINFOボタンを押すと背面液晶にスーパーコンパネと称して各種設定が表示されるので、普通に考えれば、右上にコントロールパネルを作る必要はない。背面液晶の設定値から抜粋したものを二重に表示しているだけであり、上から見えるというだけのものである。設定がどうなっているかは、カメラをちょっと前に傾けて背面液晶を見れば分かる。  
   多分、設計陣は、ライブビュー撮影時には背面液晶のスーパーコンパネ機能が使えないので、コントロールパネルを設けて撮影諸元の切替・確認ができるようにしたのだろう。これはE-3から始まった新しい操作系の創造であり、ニコンのD-3やD-300もこの方式をとっているので、今後高級機はコントロールパネル方式が当たり前ということになりそうである。
 なお、撮影モードを切り替えるMODEボタンだけでなく、ISOやWBなど、その他のダイレクトボタンも、メインダイヤルかサブダイヤルを廻して設定値を変更するようになっている。
 
   なお、小さな点だが、コントロールパネルの撮影可能枚数は3桁しか表示されないので、デフォルトのままで4ギガCFを差してフォーマットすると、スーパーコンパネの背面液晶には1628(枚)と表示されるのに、コントロールパネルでは999となる。撮影可能枚数が減って3桁になれば同じ数値になると思われるが、何故4桁表示にしなかったのだろうか。  
 

「E-3」ボディ背面の十字ボタンとOKボタン

「E-3」ボディ背面の十字ボタンとOKボタン

 
 

十字ボタン操作系の改良

 
   E-510では十字ボタンを押すと、ISOやWBなど各種機能の設定モードに入るようにしてあるが、便利な反面、十字ボタンがベルトのバックルなどに当たって、気が付かないうちWBなどの設定値が変わってしまうという事故が起こる危険性があるため、メニュー画面の最後の項目でこの機能をロックする(使えないようにする)ことができるようにしてあり、私は常にロックして使っていた。(他社同等機にはこのロック機能が無く、事故防止対策をとっていたのはオリンパスだけだった。)E-3では、十字ボタンを押しただけでは設定値を変更することが出来ないようにしてあり、E-510のロック状態をデフォルトにしている。これは安全性を高めた賢明な改良である。  
   十字ボタンから設定値を変更するには、十字ボタンの中心にあるOKボタンを二度押すと、変更モードに入る。これが最も安全・確実な方法で、私はISOやWBなどのダイレクト変更ボタンなどは使わず、各種設定の変更はOKボタンと十字ボタンで行っている。機種によって位置が違うボタンを探す手間も要らないので、これが一番簡単である。メニュー画面を起動して変更するのはもっと手間がかかるので、現場での変更はOKボタン二度押しと十字ボタンによることをお勧めする。  
 

新機能のSAT ( Shadow Adjustment Technology )

 
   E-510では階調設定は「標準」「ハイキー」「ローキー」しかなかったが、今回新たに「オート」を選択することができるようになった。マニュアルでは標準設定がお勧めと書いているが、私は常時「オート」に設定することにした。明暗差の大きな被写体、例えば晴天下の社寺のような景色は、青空や光を受けている屋根に露出をあわせると軒から下の影の部分が黒く潰れてしまい、逆に窓や入口に露出をあわせると、屋根や青空は露出オーバーになり、雲などが白飛びを起こしてしまう。これまでのカメラでは、これはどうしても避けられないことだった。  
 ところがこのE-3の階調を「オート」に設定しておくと、雲や空も階調豊かに綺麗に写り、なおかつ、黒く潰れていた影の部分も自動的に調整されて明るく写り、目で見たとおりのナチュラルな画像ができあがる。これは凄いことなのに、何故か、PRやパンフレット、マニュアルではこの機能を明確に説明していない。
 この「オート」は、シャドー・アジャストメント・テクノロジー Shadow Adjustment Technology SAT という新技術であるらしい。フォーサーズという一から始めたデジタル専用設計のデジカメはオリンパスだけである。ニコンやキャノンは、フィルムカメラの規格のまま、フィルムを撮像素子に置き換えた重くて大きいデジカメである。過去のしがらみから解放された理想設計がフォーサーズ規格であれば、小型高性能の撮像素子とSATなどの処理技術を駆使し、小型軽量でなおかつハイクオリティな画像が撮れる優位性があることをもっともっと前面に打ち出してほしい。

纏舞で景気付ける加賀鳶はだか放水(金沢城公園/石川県金沢市) 2007.1.7

纏舞で景気付ける加賀鳶はだか放水

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 冬といえば、裸祭りの季節。今年1月7日に石川県金沢市で行われた加賀鳶はだか放水は、暴風雨の中、びしょ濡れになりながらの厳しい取材だったが、感動の名画面を沢山切り取ることが出来た。厳寒の中で裸になり、男気を見せる日本独自の裸祭りは、Wa☆Daフォトギャラリーの魅力の一つであり、今シーズンも力を入れたいと思っている。早速、今月第2土曜日の8日に岐阜市葛懸(かつらがけ)神社で越中褌一丁の氏子たちが冷たい長良川に入って垢離(こり)を取る「池の上みそぎまつり」があり、一泊二日の取材を計画している。同時に岐阜城(稲葉山城)も撮影するつもりである。既に岐阜駅前のホテルも確保している。ちょうどタイミングよくE-3が手に入ったので、今週末は岐阜でE-3の筆卸しを行いたいと思っている。実際の使用感など詳細は後報したい。乞うご期待!

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