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2010年9月24日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子

 

うっちゃりの小兵頼もし草相撲  北舟

 

拡大写真(2000X1250)495KB

The rural sumo match,
the small boy looks hopeful performing utchari technique.

2000年7月16日開設

小よく大を制す

小よく大を制す/諏訪神社(東京都 立川市)

2010年の日記   9月
  8月 9月 10月

目次


 
2010年9月24日(金)曇
 
 
■■■     日本の裸祭り第116集 「虎柏神社奉納相撲」 完成! ■■■
 
   本日、今年第27作(通算第436作)目の作品をアップした。

                         日本の裸祭り第116集 「虎柏神社奉納相撲」

                                                    
      撮影・制作 : 和田義男
 
 
 

切株の高みの席や草相撲  北舟

 

拡大写真(1300X1600)345KB

Amateur sumo wrestling, stump seats at high place.

2010年9月24日制作

大逆転!
 

大逆転!/虎柏神社(東京都青梅市)

 
 

和田義男

  
撮 影

2010年8月27・28日


OLYMPUS E-30
 
 
12-60mm


1230万画素 730枚 1.84GB
 

 汗だくで取材してきた奉納相撲シリーズも三作目となり、本日目出度く完成した。今日は急に寒くなり、気候の変化について行けなくて、体調を崩した人が散見されるが、そうならないよう気合いを入れて編集を続けてきた。
 三作目は、奉納相撲の作品ではあるが、前半は素晴らしい雅楽を激写し、美しい高解像度の写真を披露することができた。
 10人もの日本伝統のオーケストラが生演奏する雅楽や舞楽を目にする機会は少なく、フラッシュ撮影が許されたことは、普通はあり得ないことで、超ラッキーだった。
 私がお付き合いさせて頂いている東京都中央区に鎮座する鐵砲洲稲荷神社の例大祭でも中川宮司が主宰する神事には、他の神社から派遣された三人ほどの楽士による雅楽が生演奏されるが、10人もの楽士に来てもらってこれだけの品位と格式ある雅楽が奉納されていることに驚きを隠せない。暑い中、多額の費用や労力をかけて奉納された一流の雅楽を無料で観覧できるとは、何と幸せなことだろうか。
 雅楽が終わった帰りに虎柏神社の参道で、青梅大祭のご縁でお付き合いさせ頂いている村野公一さんと出会った。彼は雅楽の奉納を知らず、あとの祭りだったので、残念がっていた。虎柏神社ではあまり宣伝していないようなので、来年は事前広報を徹底し、多くの青梅市民や部外の方々の観覧を期待したい。
 日本の国技として世界に誇る相撲は、学校から土俵が消え去り、今では神社の神事として細々と続けられているが、それでも過疎化・少子化の波には勝てず、伝統の奉納相撲があちこちで姿を消している。長老たちの話を聞くと青梅市でも裏宿町(うらじゅくちょう)での奉納相撲が知られていたが今は行われていないという。そんな残念な声を耳にする一方で、派遣を受けてでも雅楽や相撲を催行する虎柏神社の姿勢には、感動した。これからも伝統文化を子々孫々に伝えるための活動が末永く継続されるよう祈念申し上げ、密着取材のお陰で、素晴らしい写真を多数切り取ることができたお礼を申し上げたい。〈 完 〉  2010.9.24 和田義男

日本の裸祭り第116集 「虎柏神社奉納相撲」

撮影・制作 : 和田義男

  平成22年(2010)9月24日 作品:第27作 画像:(大44+小3)  頁数:3  ファイル数:104  ファイル容量:35MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:436 頁数:1,677 ファイル数:59,826 ファイル容量:8,808MB
 

 
2010年9月20日(月)曇
 
 
■■■     感動写真集第142集「ヴェネツィアの結婚式」 完成! ■■■
 
   本日、今年第25作(通算第434作)目の作品をアップした。

                       感動写真集第142集「ヴェネツィアの結婚式」

                                                  
撮影・原作:山崎貴暁 監修 : 和田義男
 
 
 

式場に向かふゴンドラ夏運河   北舟

 

拡大写真(1450x2000)510KB

Summer canal, the gondola going to a hall for ceremonies.

2010年9月20日制作

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂をバックに式場に向かうゴンドラ

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂をバックに式場に向かうゴンドラ/ヴェネツィア(イタリア)

 
 
穴居住宅で4人の記念写真
 
山崎貴暁 やまさき たかあき
出生:昭和50年(1975)長崎市

住居:福岡市

職業:大成建設(株)勤務

趣味:一人旅

 大成建設入社後、宮城県仙台市で4年、青森県むつ市に1年作業所勤務後、海外へ。未だにむつでの海の幸山の幸の味を忘れることが出来ません。その後、短期間のUAE、トルコ勤務後、2004年7月にチュニジアへ。5年後の2009年帰国。現在九州支店勤務。

感動写真集第142集 「ヴェネツィアの結婚式」

 平成22年(2010)9月20日 作品:第26作 画像:(大50+小9)  頁数:3  ファイル数:118 ファイル容量:30MB
 平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:435 頁数:1,674 ファイル数:59,235 ファイル容量:8,652MB

あとがき
 
 私もようやく結婚できたが、なかなかこれまで親孝行出来ていなかったが、このような機会にも恵まれ、すべて手作りの旅行であったが、両方の両親も結婚式と旅行を存分に満喫してくれたと思うが、子供である我々夫婦もうれしい。
 もともと母親とは、チュニジアにいる時から今度二人でイタリアとフランスを旅行しようと言っていたが、母の体調にも波があり、私の休暇と旅行のタイミングがなかなか合わず、ヨーロッパはやめて、2009年9月に初めて母親と二人でハワイのオアフ島とマウイ島へ海外旅行をした。
 その後私も結婚したが、今後なかなか親と旅行する機会も取ることが出来ないと思い、目的地をイタリアとフランスと、その中でも南イタリアを中心に観光とハードスケジュールではあるが、また贅沢ではあるが移動にはお金を掛けることで、両親の肉体的負担を減らすようバランスをとった。ヴェネツィア、カプリ島、アマルフィ海岸、ローマ、パリと限られた日数で、これだけの都市を思う存分観光できたのも、恵まれた天候の中、おいしい食事と旅行のしやすいイタリアというお国柄もあったと思う。お互いの両親と、このような充実した旅行が出来て我々もまた幸せを実感した。
オリンパスペン

 この作品にアップした写真は、イタリア人・カメラマンと金井幸子さんと私の撮ったものである。私の写真は、結婚式以外のものだが、前回の世界一周旅行でチュニジアなどで使っていたデジ一眼がなくなったので、今回オリンパスの Pen Lite を新調した。レンズはツインレンズセットに広角レンズを別途購入したので、腕はともかく、カメラ自体はどのような風景にも対応できることとなった。

 小型軽量高性能で、旅行に使用するには重宝する。これまでの小型のコンパクトカメラとは、画質がまるで違って素晴らしく、コンパクトカメラなみの大きさでいてデジ一眼のクオリティを有する何とも有り難いカメラである。お陰で、青の洞窟やサン・ピエトロ寺院など、傑作を多数ものにすることができた。 2010.9.20 山崎貴暁
 
 
  リアルトの船の往来夏運河  北舟 

りあるとの ふねのおうらい なつうんが

The summer canal, boats come and go at Rialto.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

リアルト橋付近のゴンドラと水上バス

リアルト橋付近のゴンドラと水上バス

拡大写真(2000x1250)401KB

 
 

一石二鳥の海外挙式

 このたび、「カルカソンヌの結婚式」に続く山崎貴暁さんの第三弾「ヴェネツィアの結婚式」が敬老の日の9月20日(月)に完成した。これで「日本の結婚式」と「韓流結婚式」とあわせ、4ヵ国の結婚式を紹介することができた。それぞれのお国柄が偲ばれて興味深いが、カルカソンヌ(フランス)とヴェネツィア(イタリア)の結婚式は、襷掛けをした人が結婚式を宰領する点で、似ているともいえる。どちらも世界文化遺産の地であり、式典だけでなく、その後の歴史文化遺産を巡る観光などを総合すると、挙式には最高の場所である。
和田義男
 写真家の立場からみると、ヴェネツィアは、場所に関係なく何を撮っても名画になるところが素晴らしい。特に、ゴンドラは最高の乗り物で、ワクワクするほど美しい。日本で云えば駕篭(かご)や馬に乗って嫁入りするシーンであり、海洋国家としての伝統が今に息づいている。この作品を見て「私たちも!」と思い立つ人が生まれるに違いない。ヴェネツィアであれば受入体勢が成熟していて、安心して出掛けられるし、今なら円高メリットを受けて思ったよりも安価に予約できる。 
 このスタイルは、キリスト教徒でない人の配慮がなされており、聖書に手を置いて誓約させられたり、アーメンと云わなければならないようなことはないので、キリスト教徒でない日本人にもお勧めできる。

 また、山崎・中川両家のご両親も同行され、親孝行もできるので、一石二鳥である。以前、地味婚(じみこん)が流行ったことがあったが、義理で出席する職場や親類の人たちを満足させるために見栄を張った豪華な結婚披露宴が経費の割に感動が薄いことへの反動と思われるが経費を掛けるのであれば、親族だけがたっぷりとロマンと感動を味わえる海外挙式が大きな選択枝になると思われる。〈 完 〉 2010.9.20 監修 和田義男

 
 
  式場に向かふゴンドラ夏運河 北舟 

しきじょうに むかうごんどら なつうんが

Summer canal, the gondola going to a hall for ceremonies.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂をバックに式場に向かうゴンドラ

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂をバックに式場に向かうゴンドラ

拡大写真(1450x2000)510KB

 

 
2010年9月15日(水)雨
 
 
■■■     日本の裸祭り第115集「とねり少年相撲大会」 完成! ■■■
 
   本日、今年第25作(通算第434作)目の作品をアップした。

                     日本の裸祭り第115集 「とねり少年相撲大会」

                                                    
      撮影・制作 : 和田義男
 
 
 

白褌の大技小技宮相撲  北舟

 

拡大写真(1600X1350)507KB

The ritual sumo match,
bold or subtle moves wearing white loincloth.

2010年9月15日制作

大技決まる!/五年生
 

大技決まる!/五年生(東京都足立区舎人)

 
 

和田義男

  
撮 影

2010年8月22日


OLYMPUS E-30
 
 
12-60mm


1230万画素 990枚 2.05GB
 

 前日の立川諏訪神社に引き続き、「舎人諏訪神社奉納相撲」を激写した。連ちゃんの取材は初めてで、しかも炎天下だったので、大変だったが、好きだからこそできることだろう。体重は確実に1kg は減ったと思う。
 3年前にH.I.さんの投稿により、六尺褌で相撲を取る舎人諏訪神社の奉納相撲のことを知り、今年は満を持して取材し、期待通りの作品を完成させることができた。
 誰も知らない小さな神社の草相撲だが、地元住民と青年部の熱意で、素晴らしい相撲大会が行われていることに感動した。
 大会役員の勤労奉仕は大変だったことだろう。特設相撲場は毎年準備し、相撲が終わると取り壊して整地する。その作業だけでも大変だが、子供たちに相撲を教え、当日は午前10時の受付から午後5時のお開きまで、事前の設営から後かたづけまで、丸一日、ヘトヘトになって運営しなければならない。彼らも好きでなければやってられないだろう。聞くところによると、相撲愛好者はおらず、子供たちの世話役には、柔道愛好者らが多いという。
 舎人は、立川のように相撲の全国大会を目指すものではなく、あくまでも地域の親睦が中心である。観衆は多く、声援が湧き上がり、保護者たちは、我が子の勝ち負けに一喜一憂する。舎人には地域住民の連帯感があり、娯楽が少なかった古き良き時代の雰囲気が満ちあふれていた。洋風化された現代にあっても、伝統の褌を頑なに守っている主催者のセンスの良さに感服する。これからも末永く子供たちの白褌相撲(びゃっこんずもう)が執り行われるよう祈念しながら舎人を後にした。 〈 完 〉  2010.9.15 和田義男

日本の裸祭り第115集 「とねり少年相撲大会」

撮影・制作 : 和田義男

 平成22年(2010)9月15日 作品:第25作 画像:(大42+小11)  頁数:3  ファイル数:106 ファイル容量:27MB
  平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:434 頁数:1,671 ファイル数:59,310 ファイル容量:8,688MB
 

 
2010年9月10日(金)晴
 
 

■■■ 「見付天神裸祭・浜垢離」速報! ■■■

 
   
 平成22年(2010)9月8日(水)、昨年に引き続き、日帰りで静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の浜垢離(はまごり)を密着取材した。朝4時起きしてJR青梅線の一番電車で東京駅に出て新幹線こだまで浜松駅まで行き、東海道線で磐田駅に着いたのが午前9時前。私と一緒に取材することになった曽根由香さん(さいたま市)の車で見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一(ふくよ・よういち)さん宅に行き、地元関係者のお世話になりながら感動写真を多数切り取ることができた。
 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

松原

放生会ほうじょうえ

祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 2010.9.8 10:14

松原放生会祭/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市) 2010.9.8 10:14

パノラマ写真(2800X1200)602KB

▲▼ 今年の輿番(こしばん)を担当する権現(ごんげん)(東区)のチャーターバスで福田海岸に行き、関係者の準備の完了を待って予定通り松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)が催行された。ここで放生(ほうじょう)される命之魚(みょうのうお)は、何時の頃からか大原の大杉家の当主が捕獲して献上するのが習わしとなっている。大杉家では「かけ魚(うお)」と称し、必ず奇数匹の鯔(いな)(鯔ぼらの子)を献上する。去年は大きな篦鮒(へらぶな)だったが、今年は正規のボラの子だった。
今年

放生ほうじょう

される

命之魚みょうのうお

(奇数匹のボラの子)

今年放生される命之魚(奇数匹のボラの子)

拡大写真(1400X1050)286KB

▼ 昨年と同じ小川に鯔(いな)を放流した後、神職ら祭事関係者は福田浜に移動し、祭壇を設営したあと、海浜の修祓(しゅばつ)が行われた。台風9号が三陸沖を東進しており、空模様が心配されたが、神のご加護か、祭事中に雨は降らず、無事に予定の神事が終わった。
鈴木俊彦宮司による

祝詞のりと

奏上/海浜の

修祓しゅばつ

 2010.9.8 10:40

鈴木俊彦宮司による祝詞奏上/海浜の修祓 2010.9.8 10:40

拡大写真(2200X1200)563KB

▼ いよいよ浜垢離(はまごり)が始まった。最初は、鈴木宮司ら神職が鉢巻と越中褌一丁の裸形になり、沖に向かって拝礼したあと、強風と荒波寄せ来る遠州灘に入水し、垢離(こり)を取った。
強風と荒波の遠州灘で垢離を取る鈴木宮司(右端)ら神職たち 10:51

強風と荒波の遠州灘で垢離を取る鈴木宮司(右端)ら神職たち 10:51

拡大写真(1600X1200)296KB

▼ 宮司ら神官たちの禊ぎが終わると、長老を肩車に御輿先供係(みこしさきともがかり)と書かれた浜印(はまじるし)を持つ旗手を先頭に、六尺褌一丁になった先供(さきとも)たちが氏子一番乗りで海に入り、禊をしたあと、荒波に洗われて丸くなった小石12個を拾い、浜砂と海水を桶に汲み取った。浜砂と海水は御大祭(ごたいさい)前日の「御池(みいけ)の清祓(きよはらい)」に、小石は御大祭の「御輿出御祭」に使われる。
海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿

先供さきとも

海水・浜砂・浜石12個を採取する御輿先供係

拡大写真(2000X1500)419KB
▼ 続いて黒烏帽子(くろえぼし)・白丁(はくちょう)上下・白足袋(しろたび)・草鞋(わらじ)姿の輿役(こしやく)たちが権現(ごんげん)の浜印を掲げ、一団となって海に入り心身を清めた。輿番だけは裸にならず、神輿を担ぐときと同じように上衣の袖を肩までたくし上げて背中で止め、袴の股立(ももだち)を取った勇壮なスタイルである。権現は、東区の觸番(ふればん)でもあるため、觸鈴(ふれすず)を打ち鳴らしながら垢離を取った。
浜印を掲げて垢離を取る御輿番/

権現ごんげん

(東区) 10:57

浜印を掲げて垢離を取る御輿番/権現(東区) 10:57

拡大写真(2050X1400)400KB

▼ 去年は西区の一番觸(いちばんぶれ)が祭組の先頭を切って海に入ったが、今年は西区の水陣(すいじん)が先陣を切った。去年、初めて取材して見事だった水陣だが、今年も大人から子供まで一人の衣装違反もなく、全員、祭組の鉢巻と褌を締め、模範的な美しい浜垢離を披露してくれた。
模範的な

水陣すいじん

の美しい浜垢離(西区) 11:06

模範的な水陣の美しい浜垢離(西区) 11:06

拡大写真(2000X1450)376KB

▼ 続いて、西中区の舞車(まいぐるま)・元藏社(げんぞうしゃ)・天王(てんのう)・二番觸(にばんぶれ)の四つの祭組が一団となって垢離を取った。肩車の上で鈴を打ち鳴らしているのが二番觸の警固長の松本直希さん。保存会副事務局長をつとめられており、去年以来、大変お世話になっている。このグループも衣装統一が完璧で、素晴らしい浜垢離だった。
 西中区は、四つの梯団(ていだん)のうち最小なので、今年から11の祭組を擁して最大規模を誇る東中区と行動を共にすることになった。御大祭では、四梯団三グループ、「西中区・東中区合同」で堂入りする。
舞車・元藏社・天王・二番觸(西中区)の浜垢離 11:08

舞車・元藏社・天王・二番觸(西中区)の浜垢離 11:08

拡大写真(2300X1600)484KB

▼ 満を持して登場したのが大島秀敏警固長率いる西区の一番觸(いちばんぶれ)である。昨年の堂入りでは、最高の鬼踊りを披露し、また「おわたり」では山神社から出発する素晴らしい勇姿を見せてもらった。入水前から既に盛り上がっており、写真を撮る立場から見ると、常に絵になるパフォーマンスをみせてくれるため、見付天神裸祭の看板的存在である。
海に入る

一番觸いちばんぶれ

(西区) 11:09

海に入る一番觸(西区) 11:09

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ロープで囲った子供たちの浜垢離

ロープで囲った子供たちの浜垢離

拡大写真(2150X1600)404KB

  台風の怒濤寄せ来る浜の垢離 北舟 

たいふうの どとうよせくる はまのこり

The beach purification, the surging waves of typhoon.

佳境に入った浜垢離 11:16

佳境に入った浜垢離 11:16

拡大写真(2000X1200)426KB

▼ 石川会長にお聞きすると、浜垢離に足を運んだ人たちは二千人は下らないという。磐田市の見付地区の人たちだけの祭りであり、しかも台風の荒天下にもかかわらず、平日にこれだけ多くの人たちが集まる熱意は、とても頼もしく羨ましい。
大勢の氏子たちで賑わう福田浜 11:20

大勢の氏子たちで賑わう福田浜 11:20

パノラマ写真(2900X1200)553KB

▼ 時間が経つにつれて、風雨が強くなり、浜垢離を早めに切り上げ、松原のお祭り広場で、御大祭の鬼踊りの練習を兼ねて、肩車をし、押し合いへし合い、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声も勇ましく、地団駄踏んだ裸練りが繰り返し行われた。写真下は、裸祭の品位を汚(けが)すパンツ姿が隠れて見えなくなった瞬間で、ナイスショットである。常時、このような光景を目にすることができることを期待したい。
松原のお祭り広場で鬼踊り 11:40

松原のお祭り広場で鬼踊り 11:40

拡大写真(2000X1550)663KB

▼ 浜垢離が終わり、お祭り広場での裸練りが終わると、祭組ごとに設営されたテントの下で、酒食をとりながら歓談する直会(なおらい)が開かれた。生憎の雨ではあったが、年に一度の家族と近隣との楽しいピクニックであり、ご馳走が沢山あり、このあと私もご相伴にあずかった。
テントの下で直会/権現(東区) 11:45

テントの下で直会/権現(東区) 11:45

拡大写真(1600X1200)392KB

▼ 福代さんが所属する御瀧車(おんたきぐるま)のテントに石川大造会長がおられたので、楽しく歓談させて頂いた。写真下は今年から大きな助っ人となった曽根由香さんが私のカメラで撮影してくれたもの。皆さんの笑顔が素晴らしい!
見付天神裸祭保存会・石川大造会長を囲んで/御瀧車(東中区) 12:07

↓マウスのポインターで画像のどこかに触れると説明が現れます。

見付天神裸祭保存会・石川大造会長を囲んで/御瀧車(東中区) 12:07

拡大写真(2000X1450)418KB

撮影:曽根由香

パンツで神事の浜垢離に参加する子供たち

 エース的存在の祭組のあとは、衣装を気にしないグループが海に入ってきた。去年よりは格段に減っているように思えるが、私にとっては神聖な神事を汚(けが)す破廉恥(はれんち)な行為と映る。毎年全戸に配られているガイドブックの21頁には「禊(みそぎ)の身なりは町印手拭いのはちまき、晒布(さらし)の褌(ふんどし)とすること。」と明記されているが、今年もこの掟(おきて)を守らない若者や子供たちが目についた。
 「学校は制服」と決まっているのに私服でやってくる生徒と同じである。祭りは義務教育ではないからルール違反者の参加を禁止してもまったく構わないが、保存会の石川会長や鈴木宮司は、忍耐強く、本人や親の自覚を促しておられるのだろう。違反者は、国から指定された重要無形民俗文化財の品位を傷つけているという認識がないのだろうか。
 その親は、社会生活を営むために必要な躾(しつけ)を我が子にしなければならないときにその義務を放棄しているように思える。ルール違反をしても大目にみてもらえるとなれば、その子は世の中を侮(あなど)り、身勝手な自由を主張するようになるだろう。祭りは、子供たちにとって大事な社会教育の場である。祭組の長老や保存会の責任者、そして最後に神職から直接指導されない限り、守れないというのでは余りにも悲しい。このままでは、社会に出て初めてその厳しさを思い知ることになるだろう。そうなっては後の祭りである。
 見付天神裸祭は、28の祭組が全て水陣のように衣装統一を果たした暁には、一人の装束違反者もない美しく統制の取れた博多祗園山笠(福岡)や西大寺会陽(岡山)、国府宮はだか祭(愛知)と共に日本四大裸祭として名乗るにふさわしい一流の祭として評価されると思われるので、もう一度褌を締め直し、一致団結して、美しい裸祭を披露して頂きたい。
                                                              2010.9.10 和田義男

 
2010年9月9日(木)晴
 
 

■■■ 日本裸祭全集が大ブレーク! ■■■
 
  ▼ 9月6日(月)、Wa☆Daフォトギャラリー・トップページのアクセスカウンターがうなぎ登りに増え、いつもは1日1万件程度だったのが、2倍の20,393件を記録した。  

1日のアクセス件数20,393件!/トップページ 2010.9.6

1日のアクセス件数20,393件!/トップページ 2010.9.6

 
▼ 原因が良く分からず、ランダムに調査中この日、11,179件のアクセスを記録した「日本裸祭全集」の仕業だと分かった。この全集は、普段は多くても数百件程度だったのが、その50〜100倍ものアクセスとなった理由は、「2ちゃんねる」などで、誰かが「日本裸祭全集」の存在を紹介したものと思われる。

1日のアクセス件数11,179件!/日本裸祭全集 2010.9.6

1日のアクセス件数11,179件!/日本裸祭全集 2010.9.6

 
 その後も「日本裸祭全集」の異常アクセスが続き、9月7日(火)は9,801件、9月8日(水)は2,659件を記録。9月9日(木)には正常値に戻った。そのお陰でトップページのアクセスも9月7日(火)は18,659件、9月8日(水)は12,089件を記録した。
 スイス氷河特急の事故に伴うアクセス急増と今回のアクセス増のお陰で、7月2日(金)に総計1,400万件を達成以来、68日間で71万4000件のアクセスがあり、1日1万件のペースよりも更に3万4000件ほど上回っているのが嬉しい。

 
2010年9月6日(月)晴
 
 
■■■     日本の裸祭り第114集「立川諏訪神社奉納相撲」 完成! ■■■
 
   本日、今年第24作(通算第433作)目の作品をアップした。

                     日本の裸祭り第114集 「立川諏訪神社奉納相撲」

                                                    
      撮影・制作 : 和田義男
 
 
  目隠のでんぐり返し宮相撲  北舟 

めかくしの でんぐりがえし みやずもう

The ritual sumo match, turning a somersault with a blindfold.

 
 
同時に転んで引き分け

同時に転んで引き分け

拡大写真(1800X1400)573KB

 
 
  目隠のでんぐり返し宮相撲  北舟 

めかくしの でんぐりがえし みやずもう

The ritual sumo match, turning a somersault with a blindfold.

 
 

和田義男

  
撮 影

2010年8月21日



OLYMPUS E-30
 
 
12-60mm


1230万画素 2,960枚 7.57GB
 

 本日、「立川諏訪神社奉納相撲」が完成した。暦の上では秋に入って久しいが、今日もまだ残暑が厳しく、天気予報では、あと1週間も酷暑が続くという。
 そんな中、平成22年(2010)8月21日(土)から昨日までの16日間に都内4箇所の神社を廻り、奉納相撲を激写した。秋といえば相撲のシーズンで、大相撲秋場所も9月12日(日)から東京・両国国技館で始まる。
 力士の賭博など相次ぐ不祥事のために、名古屋場所はNHKのテレビ中継が中止され寂しい思いをしたが、これから心を入れ替えて国民の信頼を取り戻して頂きたい。
 学校から土俵がなくなり、少子化やスポーツの多様化などにより、相撲人口が激減しているなか、先祖伝来の奉納相撲を続けている氏子町会がある。特に武勇を尊ぶ諏訪神社や八幡神社系では宮相撲が盛んであり、とても喜ばしい。
 首都圏では、諏訪神社を拠点とした立川市相撲連盟の活躍が顕著で、関係者の尽力に頭が下がる思いである。ここでは小中高の全国相撲大会の優勝を狙った活動が中心となっているため、氏子町会による神事相撲という側面が限りなく薄まり、大相撲の力士を目指す本格的な道場となっている。
 300年前から続いてきた立川諏訪神社の奉納相撲がこのような形になったのは、変質というより発展と評価すべきであろう。パンツの上に相撲褌(まわし)を締めるグループが出現している現在、古来の伝統を守りながら地道な活動を続けておられる関係者に敬意を表させて頂くと共に、子供たちの活躍と、大きな夢が叶えられるよう、心から祈念したい。                                                        

日本の裸祭り第114集 「立川諏訪神社奉納相撲」

撮影・制作 : 和田義男

 平成22年(2010)9月6日 作品:第24作 画像:(大73+小8)  頁数:4  ファイル数:169 ファイル容量:41MB
  平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:433 頁数:1,668 ファイル数:59,204 ファイル容量:8,661MB
 
 

皇位継承相撲の図 / 狩野山雪画

皇位継承相撲の図 / 狩野山雪画

拡大写真(2000X1100)486KB

 
 

相撲節会すまいのせちえ

▲  日本書紀によると、日本の相撲の嚆矢(こうし)は、垂仁(すいにん)天皇の御代に野見宿禰(のみのすくね)が当麻蹴速(たいまのけはや)と取った相撲だというが、あくまでも伝説であり、史実としては、元明(げんめい)天皇(在位707-715)の御代から貴族の間で相撲が流行り始めたのが最初だといわれている。
 奈良時代、聖武(しょうむ)天皇(在位724-749)が天平6年(734)7月7日に相撲をご覧になり、これ以降、宮中では、国家安泰と五穀豊穣を祈願した「相撲節会(すすまいのせちえ)」として秋に相撲を取るのが年中行事化したという。上図は、江戸時代初期に描かれた狩野山雪(かのうさんせつ)が描いた貴族の皇位継承相撲の図である。
▼ 下図は、享和元年(1801)に刊行された伴蒿蹊(ばんこうけい)が書いた江戸後期の随筆「閑田耕筆(かんでんこうひつ)」に掲載されている相撲絵巻である。
 これらの図に描かれた相撲取の姿は、いずれも水褌(すいこん)の様に前袋式六尺褌を締めている。江戸時代以降、六尺褌は臍(へそ)下三寸(約10cm)に締めるのが習わしとなっているが、相撲節会の力士たちは、臍のかなり上の腹部に横褌(よこみつ)が来るように締めており、そのため、立褌(たてみつ)(前袋)と後ろ立褌(うしろたてみつ)が異様に長くなっている。伴蒿蹊の相撲絵巻では、特に顕著で、後ろ立褌がばらけないよう、細紐(ほそひも)で数箇所を結わえている光景も描かれている。
 このような締め方だと、力士の大事なものが見えたり、はみ出たりする恐れがあるので、今ではこのような締め方は誰もしない。奈良時代から平安時代に至るまでのかなり長い間、相撲節会に参加する力士たちの褌は、このような締め方だったようだが、その理由を知りたいところである。鎌倉時代に入り、武士が台頭してくると、褌も実用的なものに変化してくるのは、当然の成り行きだろう。相撲節会の褌は、貴族の諧謔(かいぎゃく)趣味によるものなのかも知れない。ともあれ、相撲が秋の季語となったのは、相撲節会が発端である。〈 完 〉 2010.9.6  和田義男
 
 
相撲絵巻   閑田耕筆かんでんこうひつ

伴蒿蹊ばんこうけい

著)

相撲絵巻 閑田耕筆(伴蒿蹊著)

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