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本日、本年第27集/通算第415集となる作品をアップした。
日本の裸祭り第142集(92種)「湯殿山滝行」
撮影・制作:和田義男
この作品は、平成23年(2011)8月6日(土)から8日(月)迄の三日間、湯殿山参籠所に連泊して
山形県鶴岡市に鎮座する出羽三山神社で行われた錬成修行道場を密着取材したものである。10頁225枚の完成版で、今年最大の感動巨編となった。どうかお時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。 |
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拡大写真(1600X2600)804KB |
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ゆどのさん おたきぎょうにん ぬれふどし |
Mt. Yudono,
the wet fundoshi loincloth of the ascetic of Otaki falls. |
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撮 影
2011年8月6-8日
OLYMPUS E-5
12-60mm 9-18mm
1230万画素
4,170枚 10.3GB
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平成23年(2011)8月25日(木)、夏休みの9連休を含む17日間の編集作業を経て、10頁225枚の感動巨編「湯殿山滝行」がここに完成した。本年最大の作品である。 |
今年の正月、第56回鐵砲洲寒中水浴大会に和田グループから参加された柴田栄さん(群馬県伊勢崎市)が出羽三山神社の錬成修行道場の経験者であることを知り、詳しくお聞きして、是非とも取材したいと思い立った。 |
7月1日(金)、出羽三山神社の社務所に電話して密着取材の許可を申し出ると、責任者の吉住さんが応対に出られ、ファックスをお送りした後、光栄にも正式に許可を頂いた。 |
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それ以来、修験道の本を何冊も読み、予備知識を得て取材に当たった。社務所の説明では、前期道場参加者は常連が多く、神社が撮影を許可したといっても、気難しい人がいたり、撮影を断られることもあるといわれていたので、どうなることかと気を揉んでいたが、現地に行ってみると、案ずるより産むが易しで、神職のみならず、行人(ぎょうにん)の方々からも絶大なるご支援を賜り、お陰様で、会心作を世に出すことが出来た。このことをここに付記し、ご支援ご協力を賜った多くの方々に衷心より御礼申し上げたい。 2011.8.25 和田義男 〈 拝 〉 |
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日本の裸祭り第142集(92種)「湯殿山滝行」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成23年(2011)8月25日 作品:第27作 画像:(大188+小37)
頁数:10 ファイル数:463 ファイル容量:172MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:415 頁数:1,618 ファイル数:68,380 ファイル容量:11,021MB |
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たきぎょうじゃ ふどしいっちょう ゆきげみず |
Melted
snow running,
the ascetic naked with a loincloth beneath a waterfall. |
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編集子の選ぶ傑作 |
気合いの滝行
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拡大写真(1800X2000)384KB |
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山はこれ神
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出羽三山の最奥の地・湯殿山の御神体は、女性の秘所に似た霊巌(れいがん)である。その頂上から流れ出る湯は、梵字川に注ぎ、やがて赤川となって庄内平野の大地を潤し、日本海に注いでいる。この不思議な巌(いわお)が発見されて以来、湯殿山と名付けられた霊山の慈悲深い湯殿の大神により、新しい生命を賜って再生するという信仰が生まれたのは、日本人にとっては自然の成り行きであったろう。 |
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山々に鎮座する神々の御加護を受けて、父母の厳粛な営みにより新しい命を賜った我々は、死後、その魂が山に還ってゆくという信仰は、六世紀半ばに中国から仏教が伝来すると、神仏習合の文化となり、修験道となって庶民の心を捉え、栄えていった。 |
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まんりょくの あかばしわたる しろばかま |
Fresh
green trees,
crossing a red bridge wearing a white hakama. |
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編集子の選ぶ傑作 |
太田慶春道彦を先頭に滝行に向かう56人の行人たち
/ 梵字川・御沢橋
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拡大写真(2400X1800)1.10MB |
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しかし、下級武士たちの革命で生まれた明治政府は、神仏分離令や修験道廃止令により、国宝級の仏教寺院や仏像を破壊し、修験道を放逐してしまった。これは、イスラム原理主義を標榜するタリバンによるバーミヤン石窟の破壊以上に罪深いもので、今となっては取り返しのつかない失政である。敗戦後、日本は一時的に連合軍に占領されたものの、幸いにも植民地化を免れて民主化され、日本国憲法によって信教の自由が保障されると、神仏混交の文化が鮮やかに蘇った。 |
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今、ファッショナブルな装備品を身に着けて山に登る山ガールがはやっているそうだが、湯殿山錬成修行道場も半数近くが女性行者であることを考えると、隔世の感がある。男性だけでなく、若い女性までもが物質文明に毒された都会の生活から一時的に脱出し、大自然の山に分け入り、山駈け、沢駈け、滝行と、かつての修験者・山伏たちがやっていたことを体験することは、
西洋至上主義や経済大国の価値観のもとに失われてしまったものを取り返す縁(よすが)となることだろう。 |
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ゆどのさん なつそうちょうの おさわがけ |
Mt. Yudono,
going along a stream
early morning
in summer. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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拡大写真(2400X1800)1.32MB |
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修験道の教理は、一言でいえば「山はこれ神」ということであり、草木や岩や石ころや滝といった山々のあらゆるものに神が宿っているというものである。神々の御加護により人は生まれ、そして定められた命を全うすると山の神々の下に還ってゆく。山の神々を敬い、人も大自然も全てが一体であるという信仰は、先人が培った素晴らしい叡智であり、世界に誇る日本文化のひとつではないだろうか。 |
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化石燃料の大量消費による地球温暖化や原発事故などによる自然破壊の恐ろしさを思うとき、「自然に還る」ことこそが「エコ社会」の要諦であり、江戸時代のように、たおやかに時の流れる「スローライフ」と相まって、これから先の生き方のように思われる。自然崇拝や神道、仏教などが習合した修験道は、古くさいと思っていたが、苦悩する現代にも通用する教えが沢山あることを再発見した旅であった。 〈 完 〉 2011.8.25 和田義男 |
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ゆどのさん しろふんどしの たきぎょうにん |
Mt. Yudono,
ascetics of white loincloth beneath a waterfall. |
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梵天を先頭に滝行の開始 / 含満ノ滝 |
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パノラマ写真(2800X1500)999KB |
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