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本日、本年第23集/通算第406集となる作品をアップした。
日本の裸祭り第139集 「江ノ島白褌神輿'11」
撮影・制作:和田義男
この作品は、去る7月10日(日)、神奈川県藤沢市に鎮座する江島神社の末社・八坂神社で開かれた江ノ島天王祭を取材したものである。3頁60枚の中編となった。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。 |
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撮 影
2011年7月10日
OLYMPUS E-5
12-60mm
70-300mm
1230万画素
2,040枚 5.15GB
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友人が昼食に連れて行ってくれたところは、新江ノ島水族館の西方にあるレッドロブスター
Red Lobster
というチェーン店で、カナダから空輸されたロブスターを売りにしたアメリカ料理のシーフード・レストランである。日曜の昼どきとあって、小田急・片瀬江ノ島駅周辺は、どこも満杯だったが、ここは予約なしでも直ぐにテーブルに着くことができた。 |
高級リゾート地にある高級レストランといった雰囲気だったが、意外にもリーズナブルな値段でシーフードが楽しめるところで、お薦めの穴場である。多彩なシーフードに舌鼓を打ちながら楽しい会食は数時間に及んだ。 |
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江ノ島天王祭での出会い |
江ノ島は、思い出の地である。7年前の平成17年(2004)に初めて天王祭の取材をし、江の島天王祭
として発表すると、その作品に写っていた三木芳樹さんからメールが届き、その縁で祭愛好者たちとの交流が始まった。 |
翌年の平成18年(2005)から始まった鐵砲洲寒中水浴の取材も三木さんに誘われたもので、それが発端となって、石川辰夫さんはじめ鐵砲洲稲荷神社弥生会との交流が始まった。写真を撮るだけでなく、裸祭に参加するようになったのは、石川さんの勧めによるもので、還暦記念の赤褌水浴以来、鐵砲洲稲荷神社で今年で4回目の寒中水浴を行い、私の新年は鐵砲洲から始まるようになった。 |
このようにして、毎年、交流の輪が広がり、全国の裸祭の取材は、更にエスカレートし、この作品で90種・139集となった。Wa☆Daフォトギャラリーは、現在、裸祭のロマンと感動を世界に向けて発信する日本最大のサイトとして、記録を更新し続けているが、江ノ島は、播州姫路の灘のけんか祭りとともに私を裸祭に駆り立てた原点であり、江ノ島天王祭における三木さんとの出会いは、運命的なものを感じる昨今である。 |
★☆★彡 |
日本の裸祭り第139集 「江ノ島白褌神輿'11」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成23年(2011)7月17日
作品:第23作 画像:(大58+小2)
頁数:3 ファイル数:129 ファイル容量:42.3MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:406 頁数:1,827 ファイル数:67,349 ファイル容量:10,702MB |
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えのしまや うちわだいこに ゆかたがけ |
Enoshima island, white fundoshi loincloth of Tennoh festival. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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拡大写真(2400X1650)582KB |
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私が江ノ島白褌神輿と名付けた江ノ島天王祭は、湘南の海を渡る裸神輿で知られるが、全員、白の前袋式六尺褌、いわゆる白水褌(しろすいこん)を締めている。地元の氏子だけでは人数が足りないことから、部外者の加勢で神輿が海に入ることができる。 |
江ノ島では裸神輿の舁手が締める褌の支給はなく、自前で用意することになっているため、掟を知らない部外者による色柄褌が混じることがあったが、今年は完璧に白褌に統一された。 |
裸神輿の指導者がしっかりしているからこそできることだと感心している。神田祭や三社祭、深川祭など、江戸っ子の著名な神輿祭から褌姿が消え去り、夏祭にもかかわらず、股引やハンダコ姿の神輿舁は、どこか野暮ったく、迫力に欠け、生粋の江戸っ子はどこに行ってしまったのか |
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と嘆く昨今だが、江ノ島天王祭だけは、白褌神輿(びゃっこんみこし)として裸褌文化を維持しているのが素晴らしい。 |
★☆★彡 |
江ノ島の裸祭は、正月の東浜で行われる寒中神輿と共に、部外者への支援は一切ない。褌を締めたり外したりする更衣所もないので、部外者たちは、浜辺の衆目の面前で裸になる。海外であれば、許されない光景だが、現在でも銭湯やスパでは素っ裸で入浴する日本にあっては、奇異には見えないのだろう。荷物を預けるところもないので、誰か一人は荷物番に残らなければならない。 |
神輿舁が終わると、冬は入浴もできないので、そのまま浜辺で着替えるし、夏は公園の水飲み場で塩抜きし、着替える光景が見られる(写真下)。今回も出発準備中の神輿のそばで、パンツをはいたまま、その下に褌を締めている人がいたが、常連ともなれば、旅館の一室を確保したり、地元民と知り合って部屋を借りたりしている。上総一ノ宮の玉前(たまさき)神社の大寒禊や夏越(なごし)禊のように、神社や町内会が更衣用のテント1張りを立てることは簡単なことだと思うのだが、そうしないのは、価値観や文化の違いによるものかも知れない。ともあれ、初めて参加する方は、戸惑うことのないよう、対策を考えて来て欲しい。 |
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江ノ島での7年目の取材を終えて感じることは、神輿舁に参加する人が増加し、毎年、盛大に催行されていることが嬉しい。今年は、Wa☆Daフォトギャラリーの作品を見て初めて参加したと声を掛けてくれた人もおり、このサイトが多少なりとも役に立っていることを知り、とても嬉しく思った。 |
一点だけ気になったことがある。それは、江戸の三社祭などでみられるように、折角褌を締めておきながら、腹巻で臀部を隠している人がいることである。しかも、棒鼻など重要なポジションにいるので、とても目立っている。指導的立場にあると思われる人がそのようなみっともない格好をしているのは残念でならない。褌を見られるのがそんなに恥ずかしいのだろうか。日本男児なら、伝統の褌を隠す行為こそ恥ずかしいと知るべきであり、正規の白水褌に統一された美しい裸祭をスポイルしないでいただきたい。〈 完 〉 2011.7.17 和田義男 |
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えのしまや しろすいこんの みこしかき |
Enoshima island, mikoshi carriers of white swimming loincloth. |
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編集子の選ぶ傑作 |
陸に還る |
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拡大写真(2000X1500)469KB |
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昨日、本年第22集/通算第405集となる作品をアップした。
日本の裸祭り第138集 「島立堀米の裸祭り」
撮影・制作:和田義男
この作品は、去る7月3日(日)、長野県松本市島立堀米に鎮座する津島牛頭天王社で開かれた子供たちが主人公の裸祭りを密着取材したものである。5頁97枚の長編となった。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。 |
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撮 影
2011年7月3日
OLYMPUS E-5 E-30
9-18mm 12-60mm
1230万画素
3,150枚 8.12GB
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松本駅17:19発千葉行きの特急あずさ24号の出発時間が迫っていた。これを逃すと、次の特急は1時間半も待たねばならない。 |
もう少し取材し、上野町会長に御礼を言ってから引き揚げたかったが、挨拶中の町会長には話ができず、そのまま畳の部屋を後にして、子供会の直会を撮影した後、取材を終えた。 |
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公民館の外に出ると、後片付けの役員の方がいて、御礼をいうことが出来た。タクシーを呼び、余裕を持って松本駅に戻った。 |
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日本の裸祭り第138集 「島立堀米の裸祭り」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成23年(2011)7月9日
作品:第22作 画像:(大78+小19)
頁数:5 ファイル数:209 ファイル容量:69.6MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:405 頁数:1,824 ファイル数:67,186 ファイル容量:10,659MB |
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ふどししめ あくりょうはらう こらのなつ |
Summer of the children, exorcising evil spirits, wearing fundoshi loincloth. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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素晴らしい裸祭りだった。子供たちだけが裸になって行う祭りはとても珍しい。江戸時代から続く農村の裸祭りが未だに続いていることに感動した。そこには緑滴る美田や麦秋を迎えた麦畑、白壁の土蔵や常夜燈、道祖神があり、江戸時代の情緒が漂う美しい農村の風景があった。 |
しかし、その一方で、田畑の宅地化が進み、豊作祈願の町内巡行は、1時間15分のうち、田園地帯を通ったのは僅かに10分ほどだった。便利な土地だけに、県庁の出先事務所や企業が進出し、サラリーマンのベッドタウンとして宅地化が進められていた。 |
この美しい農村の祭りは、都市化の波を受けて、曲がり角に来ているようにも感じられるが、堀米町会が組織する裸まつり実行委員会の活動は磐石で、郷土の誇る無形文化財として、この素 |
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晴らしい伝統を子々孫々に引き継いでいかれることだろう。少子化の影響で、参加者が減っているということだったが、褌を締めた男児が49人もおり、恥ずかしそうにしている子は皆無だったのは何と素晴らしいことだろうか。 |
一点だけ、提言させて頂きたい。読者お気づきのように、子供たちは褌を締めながら西洋文化である運動靴を履いており、これは見苦しい。日本古来の履物は、草鞋(わらじ)か藁草履(わらぞうり)なので、足下も日本文化を継承して頂きたい。祭りの準備作業の中で、公民館で自分が履く藁草履の作成を指導すれば、一石二鳥だと思う。 |
★☆★彡 |
このたび、裸まつり実行委員会の全面的な支援の下に「島立堀米の裸祭り」をWa☆Daフォトギャラリーに紹介することができた。この作品がこの祭りを紹介する定番となることは間違いなく、これを機に、全国でも珍しい子供が主役の奇祭は、全国的に知名度が上がることは間違いないだろう。改めて、関係者の方々のご努力と取材のご協力に感謝申し上げると共に、今後の更なるご発展を祈念したい。〈
完 〉 2011.7.9 関東梅雨明けの日 和田義男 |
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あおたみち ほうさくきがんの ふどしっこ |
A path of
green fields, children of loincloth praying a good harvest. |
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編集子の選ぶ傑作 |
青田を行く裸たち |
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上:拡大写真(2600X1500)745KB / 下:拡大写真(2400X1600)822KB |
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■■■ セピア色の日本男児〜褌編 ■■■ |
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▼ internetを検索していて偶然見つけた「セピア色の日本男児〜褌編 http://fundoshidanji.at.infoseek.co.jp/」。2007年1月に転載させて頂いたが、現在、infoseek
の isweb は終了し、この作品は消え去っている。ここに2枚の写真だけでも収録できたことは、幸いだった。 |
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資料は昭和初期に撮影された褌姿の日本男児たちの白黒写真である。全て坊主頭なので従軍した兵隊の写真であることが分かるが、海の水泳訓練の写真が圧倒的に多い。海軍に従軍し、無事帰還された方が持ち帰った資料と想像する。 |
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トップ頁の写真 |
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▼ 写真下の水泳訓練は、全員、水褌(すいこん)と呼ばれる前袋式六尺褌を締めている。溺れそうになったとき、褌を掴んで助けられるので、海水パンツよりも安全な水着である。ガッシリとした体格の人も見られるが、肥満児はおらず、食糧事情が厳しい状況にあることが読み取れる。 |
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戦争に青春を捧げた男たち。今生きていれば、父や祖父となっている方々だが、生き生きとした映像が胸を打つ。解説がないので、生々しさが薄れ、悲惨さが和らげられている。その方が良いのかもしれない。ラバウルと思われるアウトリガーを愉しむ褌姿があったが、無事に帰国した人はどれだけおられたのだろうかと、心が痛む。 |
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海軍の水泳訓練 |
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▼ 写真下は、★福島の戦争資料室★
からお借りした中支派遣部隊の兵隊さんの褌で、下着に使用された越中褌である。黄ばんでいることから、実際に使われていたものである。「中七六五〇部隊 フルタニ」と墨書されているので、持ち主は古谷さん。兵士たちは、褌だけは自己調達していたようで、殆どが越中褌を締めていたが、「トップ頁の写真」のように、中には六尺褌の人もいた。前垂れ部分に大きく書かれた名前は、墨汁なので何度洗っても消えることがない。大きく所属と氏名を表示すれば、間違いや盗難防止に役立つ。こうしておけば、間違って持って行かれることはないだろうし、盗まれて他人に使われても、別人の褌だということがわかるので、盗まれにくいだろう。 |
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越中褌は、酒保(売店)でも販売していたようだが、古谷さんの褌は、家族の手縫いのものなのか、しっかりと縫製されている。横褌(よこみつ)は、袋縫いされており、立褌(たてみつ)の前垂れの先端部分はきちんと折り返して縫合され、ほつれないようになっている。地方によっては、前垂れを切ったままにしている所がある。縫い止めすると良くないという迷信から縁起を担いだものといわれている。当時、江戸時代のように褌は貴重品で、敗戦後、満州から引き揚げて来る際、自分の褌を中国人に売り、食料に替えて飢えをしのいだという実話もある。 |
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間もなく梅雨が明け、本格的な暑い夏がやってくる。そして8月15日の終戦記念日には、天皇陛下はじめ我々日本国民が日本のために戦って散っていった多くの兵士たちに感謝し、心から冥福を祈る。あなたたちの献身は、決して無駄ではなかったと・・・。 |
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写真は全てを無言のうちに語ってくれる素晴らしいメディアである。文字情報は、いくら説明してもそれによって思い浮かぶ光景は乏しい。写真の素晴らしさと記録性を再認識する。 |
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internetをはじめ、出版物や博物館などには、日本の着物に関する種々の資料が展示されているが、どういうわけか、学者先生たちは、日本男性の下着である褌について、詳細に研究していないように思われる。着物の歴史などを扱った大著ですら、褌は記載されていないか、解説されていたとしても中身が乏しい。この褌談義は、褌に特化した資料を集めて記録する貴重な文献であると自負しており、これからもビジュアルな資料を収集してゆきたい。 2011.7.4 |
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