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さきほど、本年第17集、2000年7月以来通算第440集となる作品をアップした。
感動写真集第180集/特集!旅紀行第112集 「ミャンマー感動の旅」
撮影・原作:宮嶋 茂 監修:和田義男 |
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この作品は、感動写真集同人の宮嶋
茂さんが、平成24年(2012)2月12日(土)から17日(金)までの7日間、タイ在住の友人とともにインドシナ半島西部に位置するミャンマー(ビルマ)へ個人旅行にでかけたときの記録である。ミャンマーは初取材なので、これでWa☆Daフォトギャラリー掲載国は、53ヵ国となった。宮嶋さんの素晴らしい第12作で、9頁255枚の感動巨編である。どうかお時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。 |
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住居: 愛知県豊川市 |
趣味: 音楽鑑賞、寺めぐり
スポーツ: スイミング、サイクリング |
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私は1946年生まれの66歳です。出身は愛知県で、タイ滞在は6年になりますが、平成20年(2008)に帰国しました。 |
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あとがき
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実は、ミャンマーへの旅行は昨年の10月に予定し、ツアーを予約して私はタイの友人の住むアユタヤまでは行ったのですが、アユタヤ滞在数日後に大雨となり、結局50年ぶりという大水害となってしまい、その時は既にアユタヤ市内を通ってバンコクへは行けない状況で、結局ミャンマー旅行をキャンセルしました。 |
そして今年の2月再度ミャンマー行きを計画し、やっと成功したような次第です。軍事政権ということで空港や主要道路とか橋などの撮影はできないのではないかと覚悟して出かけましたが、そういう不安は杞憂に終わりました。どこでも自由に気兼ねなく撮影することができました。 |
ただ、非常に大変だったことは、朝の起床が早かったことが再々あったことです。4時起きなんてざらでしたし、飛行機もスケジュール通り飛ばないことも度々あり、随分観光する時間が圧迫されました。 |
もう一つ大変だったのは、全ての寺院は、靴も靴下も脱ぎ、裸足で参拝しなければならないことでした。これは下が小石や砂があったりで、本当に面倒でしたし、旅行中足の裏は真っ黒でした。ミャンマー旅行は、裸足でサンダルが最も適したスタイルだと思いました。
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感心したのは、ミャンマーの経済状況からは考えられないような立派な黄金に輝く寺院が多かったことです。人々の仏教に対する思い入れはすごいものがあり、来世の幸せを祈るという上座部の仏教国らしく、人々は多くの喜捨をお寺にしている証拠だと感じました。
土地は個人所有で、農民が非常に真面目に働いていることは、ミャンマーという国の大きな財産ではないかとも思いました。 |
また、感心したのは、ロンジーという一種の腰巻(褌)を老いも若きも着用していたことでした。ミャンマーの人々が民族衣装を大切にしていることがわかります。日本の伝統の褌はどうでしょうかね。随分違いますね。ビルマは英国の植民地とされましたが、心までは侵略されませんでした。 |
ミャンマーは、現在車は右側通行なのですが、イギリスの統治から独立した時に、ただちにそれまで車は左側通行だったのを右側通行に改めました。これで国民の多くは英国からは解放されたのだという意識を得たのだそうです。 |
ミャンマーのヤンゴンで宿泊したホテルなどは、私は日本で今まで泊ったことがないような豪華さを誇るホテルで、びっくりしました。ただ、私とタイの友人とガイドは、ミャンマー入国から出国までずっと一緒に行動して同じものを食べ、私はペットボトルの水しか飲まなかったのですが、私だけが通過儀礼ともいわれる下痢になり、一時はどうなるかと思うほどの辛さを味わいました。しかし、他の二人は何ともなく、日本人のひ弱さを感じさせられました。 |
また、健康面では、首から胴体にかけ、かゆみを伴う発疹ができ、ヤンゴンの医療施設で治療を受けるというハプニングがあり、ここでもそうなったのは私だけでした。しかし、さまざまなトラブルに遭遇しながらも結果的には無事に全日程を全うすることができ、満足度の高い観光でした。 |
ミャンマーには大変多くの観光資源があり、私はタイ以上だと思いました。民主化の進展と共に、これからますますミャンマーは発展すると思います。日本人のツアー観光客も多く見かけましたが、まだまだ日本人にはミャンマーの観光資源は知られていないと思いますので、これからもっと盛んになことでしょう。
宮嶋 茂 |
★☆★彡 |
感動写真集第180集/特集!旅紀行第112集 「
ミャンマー感動の旅」 |
撮影・原作:宮嶋 茂 監修:和田義男 |
平成24年(2012)09月10日
作品:第19作 画像:(大221+小34) 頁数:9
ファイル数:530 ファイル容量:178MB
● 平成12年(2000)〜平成24年(2012)
作品数:442 頁数:1,767 ファイル数:77,684 ファイル容量:14,059MB |
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ちごそうの ふゆひにのぶる かげぼうし |
The
shadow of child monks, getting longer by the winter sunshine. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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拡大写真(2600x1300)161KB |
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平成24年(2012)
9月10日(月)、感動写真集同人・宮嶋 茂さんの第12作「ミャンマー感動の旅」が完成した。ミャンマーは初めての取材なので、これでWa☆Daフォトギャラリー掲載国は、53ヵ国となった。 |
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宮嶋さんから郵送されてきたデジタル写真の原画は、1万枚17ギガという途方もない量だった。見るだけで大変なので、撮影するにはもっと苦労されたことは間違いなく、これだけの大作を惜しげもなく提供いただいたことに、心から御礼申し上げたい。 |
予想通り、編集に20日を要してしまった。テーマはミャンマーという一国であり、内容が広すぎるのである。素晴らしい写真が多々あり、あれもこれもと欲張って、9頁255枚の感動巨編となった。 |
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それでも涙を飲んで掲載を見送った名作も多々ある。乾期の雨が一滴も降らない晴天のミャンマーの観光は、満足度の高い観光であることは間違いない。ただ、タイでの生活経験を持つ宮嶋さんでさえ、下痢や湿疹に悩まされたことからも分かるように、衛生面で十分に気をつけないと、楽しかるべき旅行が最悪の思い出になってしまう。 |
宮嶋さんは、ペットボトルの水以外は飲まなかったそうだが、食事の中で氷などが使われていると、水を飲んだのと同じ結果になるので、火が通っている物だけを口にすることが大切である。私の知人が台湾旅行でペットボトル以外の水を飲まなかったのに
酷い下痢に陥った。原因は、バーで飲んだウイスキー・オンザロックスの氷だった。 |
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おうごんの いしょうのはねる はるまじか |
Spring at hand, the golden costumes hopping around. |
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絢爛豪華な王朝舞踊/ヤンゴン |
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編集していて感じたことは、上座部仏教の国であるために、観光資源が仏塔や仏像、寺院といった宗教施設が多いということである。キリスト教国に行けば、毎日教会や修道院をまわる羽目になるのと同様で、仏教に興味のない方は、うんざりしてくるに違いない。長編なので、面白くないところは読み飛ばしていただきたい。 |
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編集子ですら、毎回、金ピカの仏像が出てくるので、最後は食傷気味になったことを白状する。しかし、解説の段階で、じっくりと写真と対峙すると、どの仏像にも個性があり、それぞれに味わい深いものがあることに気付いた。日本の仏教文化に造詣が深い方であればあるほど、その違いに衝撃を覚え、逆に興味を持つようになるだろう。 |
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ミャンマーは、現在、軍事政権で民主化されているとは言い難く、カメラを没収されはしないかなどと気苦労が多く、気軽に旅行できる国ではないと思い、最初のタイトルは、「遙かなるミャンマーの旅」としていた。しかし、佳境のバカン観光に入ると、宮嶋さんと同じように感動の連続となり、また、空港施設を含め、拍子抜けするように規制が緩やかで自由に観光できることが判明したため、タイトルを「ミャンマー感動の旅」に変更した。 |
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宮嶋さんのお陰で、ミャンマーへは、気軽に出掛けられる環境にあることがわかった。世界遺産をひとつも持たない国だが、バカン遺跡など、世界遺産や国宝級の観光地が多々ある。どうか、これからの海外旅行の候補地の中にミャンマーを入れていただければ幸いである。
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今回、BGMをどうするかで、かなり時間を費やした。結局、1956年にヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジオ賞を受賞した中井貴一主演の「ビルマの竪琴」に敬意を表し、感動シーンとして未だに私の脳裏に刻み込まれている「埴生(はにゅう)の宿」のメドレーを全頁に流すことにした。 |
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合計、16曲23MBもの「埴生の宿」を使っている。そのうち歌曲は7曲で、日本語の曲は3曲ある。同じ曲でありながらそれぞれに味わいがある。今、演奏を聴きながら校正しているが、飽きることがないのは、不朽の名作だからに違いない。 |
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「こんなに多くの埴生の宿をどこから集めたのか」という疑問にお答えしよう。日本語の3曲は、私の書庫のCDを調べて見つけたもの。1曲は
名人・日當鶴山 の尺八曲。その他の曲は、アメリカの
Legalsounds から Home, Sweet Home を検索し、1000曲近い中から試聴を繰り返し、私の希望するイメージの曲を選んで購入した。手間暇かけていることをご理解いただきたい。これは、internet でなければ絶対にできないことで、高度情報化社会の有り難さを実感する。 |
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ぶっとうの こうやをてらす ふゆいりひ |
Winter
sunset, dyeing the range of pagodas. |
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バガンの落日/五〜切り絵の世界〜 |
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拡大写真(2400x1450)116KB
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平成24年(2012)2月5日からソーシアル・ネットワーキング・サービス(social networking service、SNS)のフェースブック
facebook を始めて7ヵ月が過ぎたが、既にフェースブック上の友人(FBフレンド)は500人を超えた。積極的に友人を探して申し込んだわけではなく、世界中からの申込みを受動的に処理しただけで、この数である。 |
奇しくもこの作品を編集中にヤンゴン大学出身でヤンゴンにお住まいの
Min Min Oung (ミン・ミン・オウン)さんの申し入れでFBフレンドになり、チャットで英会話を楽しんでいたところ、彼から美しいミャンマーの写真が送られてきたので、現在、
私のフェースブック
を彩っている。 |
余りにも素晴らしいので、この作品に使わせてもらうべく、お願いしたところ、これらの写真は彼が撮影したものではないことが分かった。彼のコメントは次のとおりである。 |
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Good evening Wada San
All these photos I posted to
wall are not taken by me. I told
you I'm only interested in photo
business recently. I need to buy
professional camera and try to
coming in photo business. All
these photos are taken by local
and foreign professional
photographers who visited these
region and I got these photos
from local blog. You can share
as you like for non profit use.
For the photo size I have only
this kind. It's up to you to
used these photos in your web
site or not. I'm only share with
you about my country interest.
But I'm not a photographer yet.
I need to try very hard to own
good camera and so on ..... |
彼はこれから写真ビジネスに乗り出したいが、まだ、プロ用のカメラを持っておらず、ミャンマーの名作シーンは国内外の写真家のブログから借用したもので、商用でない限り、使用してかまわないという許可を得たので、この作品に使わせてもらった。下の写真は、この作品をご覧頂いた方々には、どこで撮られたか分かると思う。 |
オウンさんは親日家で、日本の伝統文化をより広く深く理解したいという。彼は私とのチャットの中で、日本はビルマがイギリスから独立するのに力を貸してくれた恩人であり、多くの日本人にミャンマーを訪れて欲しいと言っていた。彼の善意や友好の気持ちは、この作品の発表により、大きな輪となって広がり、インスピレーションとなって世界中の人々がロマンと感動を求めてミャンマーに旅することを期待したい。 |
ミャンマーは貧しい国である。オウンさんから「ミャンマーをどう思うか」と聞かれて、そう答えた。「しかし、文化と心は、決して貧しくない。」と伝えたところ、嬉しく思ったようだった。確かに、地方に行けば、人々の生活レベルは日本の江戸時代とほとんど変わらない。すべてが人力によるアナログ社会で、時間は今も緩やかに流れている。ロンジーという日本の褌・腰巻姿も見られる。ミャンマーを旅すれば、まさにBGMの「埴生の宿」がその素晴らしさを声高らかに歌い上げる貧しくも心豊かな世界が広がり、物質文明に毒された現代人が遠い過去に置き忘れた人間と大自然との素朴な営みの素晴らしさを再発見できるに違いない!
〈 完 〉 2012.09.10 監修 和田義男 |
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仏陀と小僧 |
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感動の名場面 |
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拡大写真(425x640)69KB
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拡大写真(800x600)108KB
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ビルマの褌 |
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▼ この写真は、Min Min
Aung
(ミン・ミン・オウン)さんのフェースブックから拝借したもの。この男性は、日本の六尺褌そっくりの腰布を着用している。彼の説明によると、かつて、古き良き時代のビルマ人男性は、このような褌を着用し、下半身に入れ墨をするのが流行っていて、人々はそれを見て勇敢だと感じていた。 |
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現在は、ロンジー( longyi 腰巻)を纏うようになっており、ミャンマーでこのような褌を締める人は誰もいなくなってしまった。
現代人のオウンさんは、この褌をどう呼ぶのかも知らない。 |
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昔のビルマでは、江戸時代の日本人のように褌を締めていたが、それが廃れてしまったのを聞いてとても残念に思う。これから先、ロンジーも廃れてゆくのだろうか。(ロンジーの下は、何もつけないのが普通だという。)
追記:2012.09.12 |
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古き良き昔にビルマ人男性の誰もが着用した褌 |
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▲ This old man of Myanmar wears a sash on his loin. It looks like
Japanese fundoshi. There are no
men wearing this fundoshi-like cloth now
in Myanmar any more. The name is unknown. Long time
ago, all men of Myanmer must do like this. Ancient Burmese thinks these tattoo men are
only brave
men.They wear longyi nowadays.
My friend of
Myanmar Mr. Min Ming Aung taught me. |
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