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▼ 平成24年(2012)2月5日にfacebookを始めて7ヵ月近くになるが、本日、facebookフレンド(FBフレンド)が400人を超えた。100人になるまで23日、200人
まで更に20日、300人まで18日、そして400人まで19日を要した。平均20日で100人ずつ増えている。毎日、firiend申請が来るので忙しい
が、「来る人は拒まず」のポリシーでやっている。 |
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ただし、頭をちょん切った裸姿など明らかにゲイと思われる写真を顔写真にしている人は承認せず、再度申請できないようにしている。裸褌祭は、日本特有の神聖な宗教的セレモニーであるが、外人の目には「エロチック」と写るらしく、ゲイと思われるフレンドが多い。日本人を含め、性的好奇心のまなざしを感じるが、人間の本能的な反応に違いなく、悩ましいところで、裸祭にとって避けて通れない本質的な問題である。 |
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さきほど、本年第17集、2000年7月以来通算第440集となる作品をアップした。
感動写真集第179集/特集!旅紀行第111集
「ドバイ感動の旅」
撮影・原作:原田とおる 監修:和田義男 |
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この作品は、感動写真集同人の原田とおるさんが、平成24年(2012)2月9日(日)から14日(金)までの6日間、地元知人の支援を受けて、アラブ首長国連邦のドバイへ家族旅行にでかけたときの記録である。原田さんの第2作で、3頁85枚の中編となった。どうかお時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。 |
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出生:昭和27年(1952)長野県北佐久郡御代田(みよた)町 |
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住居:長野県南佐久郡南牧村(みなみまきむら) |
趣味:パソコン、読書、海外旅行写真のDVD作成、庭作り |
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あとがき |
ニュージーランドのオークランド大学に留学中の次女の友人がドバイの隣国シャールジャに帰国しているとのことで、娘の休みに合せてドバイの旅行を計画しました。砂漠の国アラブ首長国連邦のドバイの経済発展は、一度見てみたいと思っていましたが、度胆を抜く様な建物の形、スケールの大きさに唖然としました。
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「ドバイ感動の旅」名作集 |
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このたびのドバイ旅行で、以下三点の動画をYouTubeにアップしましたので、是非ご覧下さい。動画のサイズは小さいですが、静止画と違って、とても臨場感があります。 |
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ドバイの旅 YouTube 1m42s |
ドバイ・ファウンテン YouTube 1m34s |
デザート・サファリ YouTube
2m33s |
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オイル・マネーで繁栄を謳歌するドバイは、世界で一番高い塔、世界で一番大きいショッピングモール、世界で一番巨大な噴水ショーなど世界一が謳い文句の様です。アラブ諸国では、男性は白装束のカンドーラを身にまとい、口ひげ、顎ヒゲをきれいに手入れし、女性はエキゾチックな顔立ちに黒装束のアバヤを身にまとい優雅に歩く姿は、まさにアラビアンです。イスラムの国ですが、ドバイは開放的で異国情緒がタップリ味わえ、まさに感動の旅でした。 2012.8.20 原田とおる |
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感動写真集第179集/特集!旅紀行第111集
「ドバイ感動の旅」 |
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撮影・原作:原田とおる 監修 : 和田義男 |
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平成24年(2012)08月10日
作品:第18作 画像:(大74+小11) 頁数:3
ファイル数:189 ファイル容量:66MB
● 平成12年(2000)〜平成24年(2012)
作品数:441 頁数:1,758 ファイル数:76,961ファイル容量:13,997MB |
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おうごんの おびのながるる ふゆげしき |
Winter
scenery, golden light belts flowing. |
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編集子の選ぶ傑作 |
ドバイの夜景1/バージュ・ハリファ展望階(124F)
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平成24年(2012)
8月21日(火)、感動写真集同人・原田とおるさんの第2作「ドバイ感動の旅」が完成した。新しい国なので、これでWa☆Daフォトギャラリーに登場する国は52ヵ国となった。 |
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最近よく耳にするUAEがアラブ首長国連邦という豊富なオイル・マネーを持つ豊かな国であるという程度の知識はあっても、その正確な位置や生い立ち、現状など、何一つ知らなかった。 |
このたび、原田ファミリーがお嬢さんの留学先で知り合ったアラブ人の支援によるドバイへの旅が実現し、そのお陰で、ドバイを中心としたUAEの素顔を知ることができたことは、誠に有り難く、まずは原田さんに衷心より御礼申し上げたい。 |
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今回は、観光ガイドもさることながら、アラブ首長国連邦やドバイがどんな国でどんな街であるかを重点に解説した。そのため、写真と解説が一致していないところが多々あるが、興味のない方は、読み飛ばしていただきたい。 |
ドバイは、砂漠の国で年中暑く、屋外には出られないと思っていたが、冬場が観光シーズンで、十分に集客力のある魅力的な避寒地であり観光国であることが分かった。この作品を機にドバイが見直され、UAEへの観光が増えれば、作者冥利に尽きる。 |
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ふゆうみを およぐあらぶの びーちかな |
Arabian beach, swimming in a winter sea. |
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シャールジャ西海岸 |
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私が今年の3月まで勤めていた大成建設がドバイのパーム・ジュメイラの海底トンネルの施工に当たったこともあり、ドバイの栄光やバブルの崩壊などによって、日本の建設関連会社が大きな試練を受けたことを実感しているが、パーム・ジュメイラやドバイ・メトロが動き始め、ドバイの発展に貢献していることを嬉しく思っている。 |
砂漠の中のオアシスとして、世界一のホテルやリゾート施設を建設する活力ある国は、他ではみられない。石油が枯渇したときがUAEの繁栄の終焉であることは誰しも考えることだが、それを回避するために、アメリカ・ネバダ州の砂漠に生まれたラスベガスをお手本に巨大開発を進め、油が生産できなくなってからも繁栄を続けることができるように経済基盤を大きく転換しつつあるドバイに喝采を送りたい。しかし、過大投資が今後どうなるのか、不安材料も抱えている。産油国のモデルとしてドバイ方式がどう評価されるのか、ドバイ・バブル崩壊後の動向にこれからも目が離せない。〈
完 〉 2012.08.21 監修 和田義男 |
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らくだのり どばいさばくの ふゆびおつ |
Camel
riding, winter sunset at Dubai Desert. |
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デザート・サファリ/拾弐 「駱駝乗り」 |
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■■■ 磐田市の赤褌犬「しっぺい」 ■■■■
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▼ 見付天神裸祭で知られる磐田市では、市政施行7年目に当たる平成23年(2011)、新たな磐田市のスタートを記念して8〜9月に磐田市を代表するイメージキャラクターのデザインを募集したところ、全国から1,210点もの作品が集まり、10月に選考委員会を開いて10点の候補作品に絞り、12月に市民投票を行った。その結果を参考に、本年1月20日に選考委員会を開催し、厳正な選考の結果、最優秀賞1点、優秀賞5点が決定した。 |
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静岡県 |
磐田市 |
のイメージキャラクターに決まった「しっぺい」 |
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▲▼
最優秀賞は大阪府の田中みなみさんの作品「しっぺい」で、見付天神に伝わる民話「悉平(しっぺい)太郎」をモチーフにしたもの。ご覧のとおり、赤褌(あかふん)を締めたふくよかな白犬である。横褌(よこみつ)が紐状なので、越中褌だと思われるが、見付天神裸祭に合わせて赤い六尺褌の方が格好良いと思われる。しかし、決まってしまった以上、訂正はできないだろう。後ろ姿がどうなっているか、気になるところである。9月の見付天神裸祭のときに、機会があれば情報館に行って確認してみたい。 「しっぺい」壁紙ダウンロード 悉平太郎伝説 |
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昨日、見付天神裸祭保存会の福代事務局長からこの吉報を知ったが、地元氏子たちは、親しみ深く「しっぺい君」と呼んでいる。しかし、磐田市当局は、「しっぺい」でとおすつもりで、磐田市高見丘の「ららぽーと磐田」一階の磐田市情報館には縫いぐるみも登場し、「しっぺい」をPRしている。私は、「しっぺい」だけではよく分からないので、「赤褌犬しっぺい(あかふんけん・しっぺい/あかふんいぬ・しっぺい)」と呼ぶことを提案する。こう呼ぶだけで、グッと注目度が集まることだろう。 |
ともあれ、これで名実ともに見付天神裸祭が磐田市を代表するイベントとなったわけで、「赤褌犬しっぺい」が全国に知られるようになることを祈念している。....「ふんどし談義」用原稿 |
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■■■ 福井県高浜町の「赤ふん坊や」 ■■■■ |
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赤褌キャラクターといえば、平成20年(2009)に20歳の誕生日を迎えた福井県高浜町の「赤ふん坊や」がある。福井県高浜町を全国にPRするために生まれたキャラクターで、赤いふんどし姿で元気にPRしている。昭和63年(1988)に誕生というからかなりの老舗である。こちらは、同じ赤褌でも前袋式六尺褌で、跳んだり跳ねたり泳いだりしても絶対に乱れることはない。いがぐり頭がとても可愛い。戦前戦後は、夏になると水褌(すいこん)一丁で川や海で泳ぐ子供たちが何処にでも見られた。赤ふん坊やの呼称が良い。だから「赤褌犬しっぺい」を提案した次第。....「ふんどし談義」用原稿 |
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■■■ 飛脚のふんどし ■■■
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現代の郵便や宅急便は、江戸時代には、飛脚と呼ばれる人夫が街道をリレーしながら運搬する人力輸送であった。江戸末期から明治初期の写真には、その姿が捉えられている。当時の男性の労働着は、六尺褌で、飛脚も例外ではないことが分かる。走り方に注目願いたい。足と腕が交互でなく、前なら前、後ろなら後ろに一致している。「ナンバ走り」と呼ばれる日本独特の走法である。 |
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かつて、佐川急便のトラックには、赤褌(あかふん)の飛脚がシンボルマークとして描かれていた。しかし、2007年3月21日からはセールスドライバーをイメージした新飛脚マークに置き換えられ、赤褌飛脚が過去のものになりつつある。ギャラクシーカラーのトラックでは順次旧飛脚マークの上に新飛脚マークが貼られており、現在ではごく稀に見られる程度である。ただし飛脚マーク自体は会社の社章でもあるので、用途を限定して使用されているという。
佐川急便の赤褌飛脚は、越中褌で、激しい運動を伴う業務では、直ぐに乱れてしまい、江戸時代の実際は、写真上のように六尺褌である。そのため、関連会社のトラックには、子供が赤い腹掛けと六尺褌をまとったマークが描かれている。こちらの方が実際に見合ったもので、望ましい。 |
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かつての佐川急便のシンボルマーク |
赤褌飛脚 |
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「飛脚のふんどし」は、佐川急便のトラックにまつわる都市伝説で、飛脚の赤いふんどしに触れると幸せになれるといわれ、触ろうとする人が増えた。1991年の年末ころから主に小学生の間で知られるようになり、1993年には都市伝説として女子高生を中心に爆発的な流行を見せた。しかし、マーク自体が存在しなくなるにつれ、過去の伝説となってしまった。
....「ふんどし談義」用原稿 |
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■■■ 地井武男さんを悼む ■■■
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ロンドンオリンピックの光と影 テレビでは、帰省ラッシュのピークだと伝える今日は8月11日。昨日、多摩川のリバーサイドに立つ我がマンションの狭いながらの楽しい書斎で那古野神社「赤褌神輿」を完成し、一息ついているところである。比較的凌ぎやすい日だったが、夕方から雨となり、今日は、多摩川健康ウォークを取り止めた。オリンピック女子バレーボールの三位決定戦を見ながら夕食を取り、見事日本が3-0で韓国を破り、銅メダルを手にしたことに感動する。東洋の魔女と讃えられた時代を知っているので、よくやったと手放しで喜ぶ。 |
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先日、死に体の李明博(イミョンバク)韓国大統領が政権維持を図るための私利私欲の愚行により、韓国軍が不法占拠している日本の固有領土・竹島に上陸するという野蛮なことを行ったばかりで、韓国の人気は落ちるばかりだ。ロンドンオリンピック開催中の男子サッカー日韓戦に重なった行動でもあり、
その軽薄でセンスのなさに、日本だけでなく国際社会から顰蹙を買うであろうことが読めない人たちなのであろう。政治問題をスポーツに持ち込んではならないという建前があるものの、サッカーを見ても分かるようにそれは形式論に過ぎず、実際は国家間の思惑が大きく陰を落としている。審判の依怙贔屓(えこひいき)に人間の本音が現れる。なでしこジャパンがアメリカに敗れたのは、決勝戦でアメリカを勝たせたい審判が明かなペナルティ・キックを取らなかったのが大きな敗因で、残念に思う。韓国を倒した日本のバレーボールの勝利を見て、溜飲を下げたのは私だけではなかったろう。それにしてもロンドンのライブ映像を我が家の52インチ液晶テレビで観賞しながら夕飯を取るなんて、なんと贅沢なことなのだろう。グローバルなIT時代を生きる喜びを実感する。 |
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地井武男さんを悼む 実は、それに先だつ午後6時から、去る6月29日、70歳で逝去した俳優・地井武男さんを追悼した特別番組『追悼・地井武男さん…想い出をありがとう 今夜、最後のお別れ』がテレビ朝日で放送されたので、それをパソコン・ディスプレーの左上で見ながら、赤褌神輿の褌句6句を「俳句海の風景」に追加する作業を行った。これで、我が英訳写真俳句は、ヘボ俳句ながら1695句となり、褌句は285句に達した。継続は力なりで、誰もやっていない凄い実績を積み重ねていることに我ながら自画自賛のときが流れた。(^^; |
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地井さんとは、面識があるわけではないが、私より5歳も年上にもかかわらず若々しく活躍されておられたので、テレビに出るといつも拝見していた。故人は、俳優座養成所出身で、昭和43年(1968)の映画「斬る」でデビューし、映画「戦争と人間」や「北の国から」のレギュラーなどで知られる。俳優以外に、テレビ「ちい散歩」の案内人、バラエティー番組、CMなどで親しみやすいキャラクターで、幅広い人気を得ていたが、今年1月末から体調不良を訴え、療養していたという。今、ここに改めて衷心よりご冥福をお祈り申し上げる。〈
拝 〉 |
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追悼特集を見て、最後の病床で日記に書き記した言葉、「来年の桜を見ることを目標に大切に一日一日を生きていきたい」が心に響いた。番組では、「ちい散歩」の名場面集が放映されており、我が家のそばの羽村提周辺の満開の桜を見ながら西行法師のように桜への思いを強く語る地井さんの映像に感動した。「桜はいつも同じように咲いて、来年はまたどんな思いで桜を見るのでしょうね。本当に綺麗です。」「桜よ年に一度の祭かな」 |
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悠々自適の余生を謳歌する私もあと5年で地井さんの臨終の年・70歳を迎える。私もそんなに先は長くない。地井さんの桜への思いと違って、私の場合は、毎年正月第二日曜日に鐵砲洲稲荷神社で行われる寒中水浴大会への思いだろう。還暦60歳になった年から始めた新年の初禊。私が撮影を止めて裸祭に参加するのは、この鐵砲洲だけで、今年で6度目の寒禊を終えた。 |
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新しい純白の水行褌一丁の裸形で冷たい水に浸かる初禊は、私の毎年のスタートである。越中褌を下着にしてから約半世紀。褌人生、褌カメラマンを自認する私は、家族の理解を受け、誰憚ることもなく、日本古来の裸褌文化をオリンパスの愛機で追い求めながら日本人らしい人生を謳歌させていただいている。神様から生かされているこの短い命。自分が好きなことを好きなだけやりたい。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」そう看破した芭蕉の奥の細道ではないが、人生は旅そのものである。私も気力体力の続く限り、人生の旅を続けてゆこう。そして、その情熱が燃え尽きたときが我が終焉のときである。23:45 |
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さきほど、本年第17集、2000年7月以来通算第440集となる作品をアップした。
感動写真集<第178集> / 日本の裸祭<第94種・159集>「赤褌神輿」
撮影・原作:宮嶋 茂 監修:和田義男 |
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この作品は、平成24年(2012)7月16日(月)海の日、愛知県名古屋市に鎮座する那古野(なごや)神社(宮地俊彦宮司)で行われた例大祭を取材したものである。感動写真集同人でお馴染みの宮嶋茂さんの第11作で、5頁129枚の長編となった。どうか、お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。 |
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あかふんを しめてなごやの みこしかき |
Mikoshi carriers, wearing
red fundoshi loincloth. |
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外来参加者たちの記念撮影/那古野神社(
愛知県名古屋市) |
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住居: 愛知県豊川市 |
趣味: 音楽鑑賞、寺めぐり
スポーツ: スイミング、サイクリング |
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私は1946年生まれの66歳です。出身は愛知県で、タイ滞在は6年になりますが、平成20年(2008)に帰国しました。 |
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あとがき
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地元に住みながら、また一時那古野神社(丸の内)のすぐ近くの三の丸に通勤をしていましたが、朝から夜遅くまでの勤めで、近くを散策するなどできませんでしたので、初めて「那古野神社渡御」をみたような次第でした。 |
昔の名古屋城にあった那古野神社と若宮八幡社間の渡御でしたが、名古屋の街の政治経済の中心ともいえるところに、赤褌と法被で神輿を担いで練り歩くという祭りが今まで続いてきたことは、先人たちの涙ぐましいご尽力のお陰さまだと思いながら撮影してました。
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統領をお勤めになった方からお聞きしたのですが、町内の氏子だけでは、もう神輿は担げないということで、全国から神輿の担ぎ手を募集して参加してもらって、やっと渡御をしているとのことでしたが、時代の移り変わりを感じさせられ、これからもこういった伝統ある祭りが絶えることなく続いていって欲しいと願わずにはいられませんでした。 |
暑い中を祭り参加の全員が力を合わせて渡御をしている姿に感動しながら那古野神社を後にしましたが、尊いものを見せていただいたという気持ちで一杯でした。 |
ただこの渡御とは関係ないのですが、祭りが行われたのは「海の日」という祝日であったのですが、道路を練っていく中で、国旗の掲揚がされていたのは、ある銀行の前だけで、後は一か所も見ることができなかったことは、非常に残念でした。 |
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日本の裸祭り<第94種・159集>感動写真集<第178集>「赤褌神輿」 |
撮影・原作:宮嶋茂 監修:和田義男 |
平成24年(2012)08月10日 作品:第17作 画像:(大100+小29) 頁数:5
ファイル数:249
ファイル容量:101MB
● 平成12年(2000)〜平成24年(2012)
作品数:440 頁数:1,755 ファイル数:76,772 ファイル容量:13,931MB |
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あかふんの てんのうさいや みこしさし |
Tenno-sai Festival of red loincloth,
raising the portable shrine. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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平成24年(2012)
8月10日(月)、感動写真集同人・宮嶋茂さんの第11作「赤褌神輿」が完成した。初めての取材なので、裸祭シリーズは94種159集となった。以前から「赤褌で神輿渡御を行う裸祭が名古屋にある」という情報を得ていたので、今年の取材予定に入れていたところ、
野暮用で行けなくなってしまった。 |
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来年まで待つのは忍びないと思い、同じ愛知県の豊川市に住んでおられる宮嶋茂さんに取材をお願いしたところ、快諾していただき、本日、この素晴らしい裸祭を世に出すことができた。 |
宮嶋さんには、暑い夏場の取材にもかかわらず、何と4,500枚7.5GBもの大量の写真を撮影して頂いた。ファイルの数量を瞬時に計算するソフトの間違いではないかと思い、再計算したが、同じ数値だった。私でもこれだけの撮影は不可能なので、その御労苦に心より御礼申し上げたい。 |
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★☆★彡 |
那古野神社例大祭は、何と1100年の歴史ある夏祭で、江戸時代には、尾張徳川家の庇護の下で名古屋城三之丸天王祭として、名古屋三大祭のひとつに数えられる華やかな祭だった。当時は、車楽(だんじり)や見舞車が巡行する山車祭(だしまつり)だったが、明治時代から神輿渡御が行われるようになり、神輿祭へと変貌していった。 |
天下祭として名を馳せた江戸の祭も、明治以後、電線の敷設で山車が通れなくなったために、神輿祭へと変貌を遂げ、現在では神田祭や三社祭など大規模な神輿祭が盛大に行われている。 |
同じような歴史を踏まえながら、ここ名古屋では、都心のど真ん中で行われるのに、地元名古屋でも知られていないらしく、こんなにも観客が少ないことに正直いって驚いてしまった。 |
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なつまつり びるのたにまの あかふどし |
Summer festival, red
loincloth in the valley between tall buildings. |
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ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点) |
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現代の江戸では、褌がハンダコに取って代わられ、裸褌文化が大きく変質していることを残念に思っているが、名古屋では、昔ながらの赤褌神輿が健在で、裸褌文化が変質することなく存続していることに感動する。 |
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東京でも都心の空洞化が進み、地元の氏子だけでは神輿が上がらなくなり、部外者の力を借りて運営されており、名古屋と同じ状況にある。 |
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ここは、名古屋っ子の奮起のときで、赤褌神輿を前面にPRし、経済でそうだったように、神輿祭でも東京に負けない根性を見せてもらいたい。幸い、Wa☆Daフォトギャラリーに掲載されたことで、全国的に知られる裸祭となることが予想されるので、今が潮時だと思われる。 |
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今後魅力ある神輿祭として発展させるためには、永田組の力を借りて「赤褌神輿」「暴れ神輿」を前面に出したものであって欲しい。東京では、「担ぎ棒に上がってはいけない」など規制強化の方向にある事態が憂慮される。今こそ戦国・徳川時代にヒーローを多数輩出した名古屋っ子の出番である。これからも微力ながら応援させて頂きたい。頑張れ赤褌神輿!〈 完 〉 2012.08.10 監修 和田義男 |
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あかふんに うちわさしたる うじこかな |
The shrine
parishioner, holding a round fan in his red loincloth. |
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●傑作アニメーション●
拡大写真:直会での交歓/壱(那古野神社) |
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▼ 平成24年(2012)2月5日にfacebookを始めて6ヵ月になるが、本日、facebookフレンド(FBフレンド)が300人を超えた。
100人になってから20日で200人、そして18日で300人を超えた。毎日、firiend申請が来るので忙しい。 |
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一昨日の7月30日、本年第14集、2000年7月からの通算第437集となる作品をアップした。
日本の裸祭り<第158集・93種>「猪鼻の甘酒こぼし'12」
撮影・制作:和田義男 |
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この作品は、去る7月22日(第4日曜日)、埼玉県秩父市荒川白久に鎮座する猪鼻熊野神社で、「猪鼻の甘酒こぼし」(埼玉県無形民俗文化財)が開かれたので、和田グループを編成して参加するとともに、甘酒こぼし保存会の支援の下で密着取材したものである。7ページ153枚の感動大作となった。どうかお時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。 |
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あまざけを はこぶむらびと しろふどし |
Villagers
of white loincloth, carrying sweet alcoholic amazake. |
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編集子の選ぶ傑作 |
佳境に入った甘酒こぼし
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拡大写真(2600X1800)1.26MB |
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撮 影
2012年7月22日
OLYMPUS E-5
12-60mm 9-18mm
1230万画素 2,240枚 5.5GB
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平成24年(2012)7月30日(月)、撮影して8日後に平成12年(2000)以来第158作目の裸祭り「猪鼻の甘酒こぼし'12」が完成した。 |
今回も秒間5コマの連写を多用したので、2,240枚という大量の原画から傑作を選別する作業が大変だったが、昨年同様、光線の具合が良く、万緑の中で繰り広げられた裸祭の素晴らしさを十二分に切り取ることができ、7頁153枚という感動大作が生まれた。 |
写真はカメラが写すもの。今回、ISO800に設定し、隅々までシャープに撮影することを目指したところ、E-5の性能は申し分なく、全くノイズのない美しい画像を切り取ってくれた。 |
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編集中の7月26日、ロンドン五輪男子1次リーグD組の日本がスペインと対戦し、1-0で勝つという大金星をあげた。それ以降、パソコンディスプレーの左上に地デジのスクリーンを表示させて、オリンピックのライブ映像を見ながら編集作業を続けた。 |
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裸祭の編集とオリンピックの観戦という二つのイベントが同時に進むIT時代は、思えば凄いことだが、お陰でかなりの睡眠不足となってしまった。今日は、早めに祝杯をあげて床につきたい。(^^; |
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▼ 8月1日、この作品に入り切れなかった写真を追加して、2年分473枚を収録したプリント出来るスライドショーCDを作成し、2L版プリント名作集と共に甘酒こぼし保存会の浅香文男会長にお送りした。 |
猪鼻の甘酒こぼし /
プリントできるスライドショーCD
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謝 辞
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この作品を制作するにあたり、地元猪鼻区の氏子の方々には、大変お世話になりました。とりわけ、甘酒こぼし保存会の浅香文男会長と猪鼻区の黒澤勝孝区長には、数々のご支援を賜り、衷心より御礼申し上げます。 |
伝統の裸褌文化が躍動する「甘酒こぼし」に加勢させて頂くため、来年以降も取材を続けさせていただき、また、Wa☆Daフォトギャラリーを通じて全国から参加者を募り、和田グループとして参加させて頂きたく思っておりますので、どうかご高配のほど、宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。〈 拝 〉 |
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日本の裸祭り<第93種・158集>「猪鼻の甘酒こぼし'12」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成24年(2012)07月20日 作品:第16作 画像:(大133+小20) 頁数:7 ファイル数:310
ファイル容量:149MB
● 平成12年(2000)〜平成24年(2012)
作品数:439 頁数:1,750 ファイル数:76,523 ファイル容量:13,830MB |
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すいらんの あまざけこぼし しろふどし |
Green
mountain, white loincloth of amazake scattering festival. |
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編集子の選ぶ傑作 |
甘酒こぼし/二十三 (アニメーション) |
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拡大写真(2000X1500)619KB |
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大自然の |
山懐 |
に抱かれた「甘酒こぼし」 |
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天平8年(736)以来今日まで約1300年にわたって「甘酒こぼし」を継承してきた奥秩父の猪鼻地区では、過疎化高齢化が進み、かつて70軒あった村落が39軒にまで減少し、もはや地元の勢力だけでは祭の催行が難しくなっている。 |
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伝統文化の絶滅危惧種とでもいうべき「甘酒こぼし」に加勢するため、Wa☆Daフォトギャラリーに
募集広告
を掲載して全国から参加者を募ったところ、北海道、栃木、埼玉、東京、神奈川から13人の有志が集まり、今回初めて和田グループとして参加した。 |
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みどりさす たるころがしや ぬれふどし |
Surrounded
by green trees, wet loincloth of cask-rolling. |
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編集子の選ぶ傑作 |
甘酒こぼし/三十(樽転がし) 13:25
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拡大写真(3000X2300)1.78MB |
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僅か30分の裸祭だったが、参加者の満足度は高く、来年も是非参加したいとの心強い感想が多数寄せられた。緑したたる木陰の境内で、褌一丁の裸たちが甘酒をかけ合い、空(から)になった大樽を転がし、水槽に投げ込む。この単純素朴な村祭に魅せられるのは何故だろう。 |
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その答えは、緑溢れる山懐に抱かれた神庭(かむにわ)でのほのぼのとした触れ合いや人情味溢れる優しさにあるように思われる。福岡市の博多祇園山笠や岡山市の西大寺会陽など、何千人もの裸たちが参加する大規模な裸祭では、絶対に味わうことができないものである。初参加の人でも戸惑うことなく楽しむことができることがそれを証明している。 |
私は、古き良き時代の鎮守の森で生まれた祭の原点を垣間見たような気がして、この小さな村の祭が大好きになってしまった。来年も必ず参加し、全国からやってきた人たちと地元の方々との交歓を楽しみたい。〈
完 〉
2012.7.30 和田義男 |
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かむにわに つどうむらびと なつまつり |
The summer
festival, villagers gathering at the garden of deities of
Shinto. |
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編集子の選ぶ傑作 |
名作シーン(アニメーション)
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パノラマ写真(3000X1600)1.44MB |
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