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和田義男

 旅紀行日本の花

2011年5月14日改訂

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メドレー Greensleeves テノール1〜リュート〜テノール2〜ギター

 

山吹の実の一つだにありぬべし   北舟

2011年5月12日制作

A kerria should bear a fruit.

山吹と八重桜の道 / 木漏れ日散策コース
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山吹と八重桜の道 / 木漏れ日散策コース(埼玉県秩父市)

秩父の芝桜

菖蒲田
撮影・制作 和田義男

はじめに

 快晴の旅行日和に恵まれた平成23年(2011)5月4日(水)みどりの日家内と共に秩父の芝桜を見にぶらり旅に出かけた。 目指すは、7年前に旅した埼玉県秩父市(ちちぶし)羊山(ひつじやま)公園芝桜の丘である。

 
 

【凡例】  ▲:上の画像の説明文  ▼:下の画像の説明文  〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示

羊山公園ひつじやまこうえん 「芝桜の丘」のある 秩父市ちちぶし

羊山公園「芝桜の丘」のある秩父市

Googleマップ
 

秩父市ちちぶし

 
  ▲ 京都・高山と並び日本三大曳山祭と称される秩父夜祭で知られる秩父市(ちちぶし)は、埼玉県北西部、秩父地方にある人口約7万人の市。面積は約578km2で、埼玉県内の市長村で最も広い自治体である。  
   秩父山地に囲まれ秩父地方(秩父盆地)の中央に位置する唯一の市である。市域のほとんどが秩父多摩甲斐国立公園や埼玉県立自然公園に指定されている荒川が南西から北東に流れ河岸段丘を形成する。市の南東にそびえる武甲山(ぶこうさん)(1,304m)では石灰石を産出し、露天掘りが行われている。  
西武秩父線 横瀬よこぜ 駅からスタート 2011.5.4 11:05

西武秩父線横瀬駅からスタート 2011.5.4 11:05

拡大写真(1600X1100)260KB

  ▲▼ JR青梅線・河辺駅(かべえき)から拝島(はいじま)経由JR八高線(はちこうせん)東飯能駅(ひがしはんのうえき)に行き西武秩父線の西武秩父駅行きに乗り換え午前11時ころ一駅手前の横瀬駅(よこぜえき)に着いたこのルートは、7年前と同じで、帰りは西武秩父駅から飯能行きの始発電車に乗った。  
「芝桜の丘」の位置

「芝桜の丘」の位置

Goggleマップ
 

羊山公園ひつじやまこうえん

  「芝桜の丘」
 
  ▲▼ 秩父市大宮にある羊山公園(ひつじやまこうえん)は、一面に芝桜が植えられた「芝桜の丘」で知られ、毎年4月上旬から5月上旬の開花期には多くの観光客でにぎわう。  
   武甲山から北に尾根状に延びる丘陵上にあり、西に秩父市街を一望でき、南には武甲山の雄大な姿を間近に見ることができる。公園は中央部にある小さな谷で南北に二分され 、南側のブロックに「芝桜の丘」がある。  

←南

羊山公園ひつじやまこうえん おさんぽMAP
北→

羊山公園おさんぽMAP

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芝桜対策本部資料

  ▲▼ 横瀬駅から「芝桜の丘」へは3つのルートがあり、7年前には最短の田舎道を通ったので、今回は「姿の池」を経由する最長ルートを選んだ。沿道には秩父の田園風景が広がり古い家並みや美しい花々が旅情をかき立ててくれる。  

花に囲まれた古い土蔵

花に囲まれた古い土蔵

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牡 丹ぼたん

 
  この牡丹の花は、沿道の民家の庭に咲いていたもの。中国西北部を原産地とする牡丹は、元は薬用として利用されていたが盛唐期以降「花の王」として他のどの花よりも愛好されるようになった。隋の煬帝(ようだい)や初唐の則天武后(そくてんぶこう)が牡丹を愛でたという故事がある。8世紀ごろ日本に移入され、栽培が始まったらしい。文学作品では、平安中期に書かれた「枕草子」に初めて牡丹が登場する。  
   夏の季語である牡丹は、ボタン属(Paeonia)の総称。 別名は「富貴草」「富貴花」「百花王」「花王」「花神」「花中の王」「百花の王」「天香国色」 「深見草」「二十日草(廿日草)」「忘れ草」「鎧草」「ぼうたん」など多数。  
  ぼうたんの二つもあれば夢心地  北舟 

ぼうたんの ふたつもあれば ゆめごこち

Two flowers of peony, enough to feel as if in a dream.

満開の牡丹の花

満開の牡丹の花

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むぎ

とテントウムシ
 
  麦畑では、麦の穂が大きくなり、テントウムシが止まっていた。麦を見て連想するのは、俳句の季語「麦秋(ばくしゅう)」。麦の穂が実り収穫期を迎えた初夏のことで、麦にとっては収穫の秋であることからそう名づけられた。雨が少なく、乾燥した季節ではあるが、すぐ梅雨が始まるので、二毛作の農家にとって麦秋は短い。  
   テントウムシは、コウチュウ目・テントウムシ科(Coccinellidae)に分類される昆虫の総称。鮮やかな体色の小型の甲虫である。和名の「天道虫」は、太陽に向かって飛んで行くことから、太陽神の天道に由来する。天道虫のほか、紅娘、瓢虫とも表記され、夏の季語となっている。  
  麦の穂や天道虫の羽休め  北舟 

むぎのほや てんとうむしの はねやすめ

An ear of wheat, a ladybird resting her wings.

麦とテントウムシ

麦とテントウムシ

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姿の池
 
 

「姿の池」は羊山公園の北部にある農業用貯水池である。標高約230mの秩父盆地のやゝ遅い春を迎え木々の新緑が美しかった。

 

新緑の「姿の池」

新緑の「姿の池」

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山 吹やまぶき

木漏れ日散策コースを歩くと山吹が花盛りだった。山吹ヤマブキ 学名:Kerria japonica)は日本原産のバラ科ヤマブキ属の落葉低木で、低山の明るい林の木陰などに群生する。樹木ではあるが茎は細く柔らかい。背丈は1〜2mで、先端はやや傾き往々にして山腹では麓側に垂れる。晩春に明るい黄色の花を多数つける。北海道から九州まで分布し、国外では中国に産する。古くから親しまれた花である。
 花は一重のものと八重のものがあり、特に八重咲きが好まれ、よく栽培される。一重のものの花弁は5枚。果実は痩果*(そうか)で、長さ4mmの長楕円形。1〜3個集まってつき、暗褐色に熟す。
*痩果:ヒマワリなどのように果皮と種皮が密着して分かれていないもの。

山吹と八重桜の道 / 木漏れ日散策コース

山吹と八重桜の道 / 木漏れ日散策コース

拡大写真(1800x1400)980KB

 

太田道灌おおたどうかん

    山 吹やまぶき
 
 
 
 
 山吹といえば、室町時代の武将で、江戸城を築城した太田道灌のエピソードが有名。
 道灌が父を尋ねて越生(おごせ)の地に来た。突然の俄雨に遭い、蓑を借りようと農家に立ち寄った。すると、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され、内心腹立たしく思った。
 その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が、「後拾遺(ごじゅうい)和歌集に醍醐天皇の皇子中務卿兼明(なかつかさきょう・かねあき)親王が詠まれた《 七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき 》 という歌がありその娘は蓑ひとつだになき貧しさを山吹に喩えたものと思われる」旨進言した。驚いた道灌は、己の不明を恥じ、この日を境に歌道に精進するようになったという。
 歌本来の意味は、八重咲き山吹には実がつかないことを嘆く歌とされるが、「七重八重」を山吹が重なる様に咲く様子と解し、山吹の果実が堅くて食べられないので、「山ほど花が咲くのに食べられる実がつかないのは悲しい」とする解釈もある。私は後者が理にかなっていると思う。
 尤も、貧しい農家の娘が道灌すら知らなかった和歌を知るはずもなく、後世の創作と思われるが、そのような憶測こそ「み」も蓋もないものであろう。
 
  山吹の実の一つだにありぬべし  北舟 

やまぶきの みのひとつだに ありぬべし

A kerria should bear a fruit.

花弁が5枚の一重の山吹

花弁が5枚の一重の山吹

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八重桜やえざくら

▼ 山吹に混ざってピンクの花をつけた八重桜が綺麗だった。野生の山桜に対し、人が里で交配による改造を行ったり、変異によって生まれた園芸品種が里桜で染井吉野が代表格である。里桜の中で八重咲きのものが八重桜と総称され、色々な品種がある。染井吉野が散ったあとで咲き始めるのが多く、花期が長い。
 ナラノヤエザクラは『詞花集』(しかしゅう)を著した平安時代中期の女流歌人・伊勢大輔(いせのたいふ)(989-1060)の和歌で有名になった八重桜である。「一条院御時、奈良の八重桜を人のたてまつりて侍けるを、そのおり御前に侍ければ、その花をたまひて、歌よめとおほせられければよめる」とあり、「いにしへの奈良のみやこの八重ざくらけふ九重ににほひぬるかな」と詠んだ。奈良を代表する花として奈良県花、奈良市章・市花に用いられている。『詞花集』春29 小倉百人一首 61番
  八重ざくら奈良のみやこの雅かな  北舟 

やえざくら ならのみやこの みやびかな

Multiple flowering cherry trees, elegance of the capital Nara.

ピンクの八重桜

ピンクの八重桜

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菖蒲田しょうぶだ

 
  「芝桜の丘」の北側の入口は、この菖蒲田の向こうにある。菖蒲の生えている田を菖蒲田といい、全国あちこちの地名に使われている。一般に菖蒲(ショウブ)といえば花菖蒲(ハナショウブ)を指すことが多い。  
   ハナショウブはノハナショウブの園芸種で6月ごろに花を咲かせる。花の色は、白ピンク紫、青、黄など多数あり、 形や模様などの組み合わせにより、5,000種類もあるといわれている。  
菖蒲田しょうぶだ 武甲山ぶこうさん (1304m)

菖蒲田と武甲山(1304m)

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グリーンスリーブス GREENSLEEVES
 
  ▼ この作品のBGMには、芝桜に似合うグリーンスリーブス Greensleeves のメドレーを流している。世界的に知られるこの曲は、伝統的なイングランドの民謡でロマネスカと呼ばれる固執低音の旋律をもつ。作曲者は不詳
Green Sleeves は「緑の袖」という意味で、Greensleeves は女性の名前である。イギリスの画家ダンテ・G・ロセッティ(1828-1882)が「My Lady Greensleeves 」という題名で緑の小袖の清楚で美しい女性を描いている。
 
   この曲は、エリザベス朝の頃、イングランドとスコットランドの国境付近で生まれ、1580年、ロンドンの書籍出版業組合にレディ・グリーン・スリーヴスの新北方小曲 A New Northern Dittye of the Lady Greene Sleeves として登録された。この歌は16世紀半ばまで口頭伝承で受け継がれ、17世紀にはイングランドの誰もが知っている曲となった。また、リュート用の楽譜も、17世紀初頭にはロンドンで出版されている。  
 
 歌の中のレディ・グリーンスリーブスは、恐らく娼婦だったとみられている。彼女の袖(スリーブ)の色が緑であることは、恋人との情事が草のなかで行われ、草の色が染みついたことを示唆している。また、イングランドでは、緑という色は、売春と関連付けられていた。「緑の袖」は取り外しができ、その職業を示す印として、娼婦が付けることを求められたともいわれている。
 
 

GREENSLEEVES    緑の小袖
Alas, my love, you do me wrong,
To cast me off discourteously.
And I have loved you so long,
Delighting in your company.
Chorus:
Greensleeves was all my joy,
Greensleeves was my delight,
Greensleeves was my heart of gold,
And who but my lady greensleeves.
ああ、愛しの人よ、あなたは間違っている
私を失礼にも捨ててしまうとは
私はあなたをずっと愛してきて
あなたと一緒にいるのが歓びでした


緑の小袖のあなたは私の全ての楽しみ
緑の小袖のあなたは私の歓喜
緑の小袖のあなたは私の黄金の心
緑の小袖のあなた以外に私の貴婦人はいないのです

 
   この曲が清楚で美しいことから新たな歌詞を付けて『御使い(みつかい)うたいて』という賛美歌が生まれ、クリスマス・キャロルとして歌われている。ウィーン少年合唱団の天使の声を聞くと、涙を流す人もいるほど素晴らしい。  
My Lady Greensleeves / ダンテ・G・ロセッティ画(イギリス)

My Lady Greensleeves / ダンテ・G・ロセッティ画(イギリス)

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