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冬の澄んだ夜空を焦がす花火を背景に、絢爛豪華な2基の笠鉾と4基の屋台がお旅所を目指す。囃子手(はやして)たちにとって一世一代の晴れ舞台となる団子坂(だんござか)は、熱気に溢れ、気合もろとも次々と引き上げられた6基の笠鉾・屋台が御旅所に勢揃いする様はまさに壮観である。 |
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毎年12月3日に行われる秩父夜祭は、約300年前の江戸時代に、年の瀬の秩父で一大商業イベントが行われるようになったのが始まりで、以前は「六日まち」と呼ばれたように、12月6日頃まで出店や銘仙の商いが行われていた。神事と共に民衆の「付け祭り」として発展し、現代に至っている。 |
京都・高山と並び日本三大曳山祭と称される秩父夜祭は、秩父神社の妙見宮(みようけんぐう)の女神と武甲山(ぶこうさん)(蔵王権現)の男神(龍神)が年に1度逢引するというロマンスがあり、信仰と人々と笠鉾・屋台と花火が織り成す壮大な夜のページェント(野外劇)である。 |
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拡大写真(1800x1600)721KB |
註:花火は画像合成です。 |
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前年度の囃子手(はやして)が幹事を務める上町(かみまち)の囃子手激励会。平成20年(2008)11月8日(土)の夜、70名もの仲間が今年の囃子手を祝福するために集い、盛大な祝宴を開いた。晴れ舞台に立つ囃子手のために、多くの仲間が集まり、激励する慣行は、秩父の氏子たちの結束の堅さを示すものである。 |
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屋台の心棒は、毎年1本ずつ上町(かみまち)職人により欅(けやき)の未乾燥材を使用して製作される。今回作成しているのは屋台前輪の車軸部分で、次年度は後輪部へと移る。長さ8尺7寸(2m64cm) x 太さ8寸2分(24.3cm)の寸法に仕上げられる。 |
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太鼓ならしと呼ばれる太鼓の練習会。太鼓係の大人と子供たちで秩父屋台囃子を1週間程前から練習する。祭り前の秩父の街は夜9時まで、各町の秩父屋台囃子が鳴り響く。 |
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11月30日(月)、上町屋台収蔵庫で上町屋台の組立が行われた。普段は見ることができない反木(そりぎ)の間から臨む土台廻り。毎年少しづつ鉋(かんな)をかける木曽桧(きそひのき)の見付柱(みつけばしら)が立てられ、本来の屋台の姿になっていく。 |
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拡大写真(1400x900)177KB |
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収蔵庫で上町屋台を組み立てる屋台職人。上町屋台職人会は総勢15名程の大工(だいく)職人により編成されており、普段は大工さんとして仕事に従事している。 |
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屋台は祭り終了後に解体して保管するため、組立時には込み栓や麻縄(あさなわ)を使用して固定する。秩父のシンボル・標高1,304mの武甲山(ぶこうさん)を背景に唐破風(からはふ)に鬼板が取り付けられる。屋根への出入りは画像手前の出入口から。 |
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土台廻りを組み、見付柱を立て、屋根廻りを完成させる。勾欄と呼ばれる手摺部分を大勢で支え、一気にホゾ穴(ほぞあな)へ差し込む。いつもながら、先人たちの技術と知恵に、尊敬と感謝の思いが生じる。 |
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勾欄を組み終わりと、屋台の構造部分がほぼ出来上がる。運行係「い組」の面々により、曳き綱を屋台に取り付ける。上町屋台の組立の日は、多くの祭り関係者が参加し、昼食も150食程用意される。 |
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夕方に差し掛かり、完成間近の上町屋台。屋台内部の造作を完成させ、勾欄廻りを組み、後幕(うしろまく)を吊る。この後に唐獅子柄の赤い水引幕(みずひきまく)と下げ幕を取り付ける。 |
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大きな軒(のき)の出が深い点が特長の上町屋台。もう一つの大きな特長でもある後幕(うしろまく)は、川島織物謹製の「鯉の滝登り」である。「流れの急な龍門という河を登りきった鯉は龍になる」という伝説から登竜門という言葉が生まれた。「登竜門」とは「竜門(という河)を登る」という意味なので、「天安門」のような門のことではない。 |
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