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和田義男

 旅紀行ジャパン

2005年8月13日改訂
♪Amazing Grace KaRaNo healing Melody

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2005年8月12日作成

煉瓦造のトラピスチヌ修道院本館

煉瓦造のトラピスチヌ修道院本館(北海道函館市)

函館初夏の旅

聖母

 

トラピスチヌ修道院

   市電で五稜郭公園前から終点・湯の川まで行き、あとはタクシーで函館空港近くの山間部にあるトラピスチヌ修道院に行った。修道院は、キリスト教の修道会の会員がイエス・キリストの精神に習って祈りと労働のうちに共同生活(修道生活)を送るための施設である。
   日本最初の女子修道院として知られるトラピスチヌ修道院は、明治31年(1898)フランスのウプシーにある修道院から派遣された8人の修道女によって湯ノ川村(現在の上湯川町)に創設されたフランス・シトー修養会の女子修道院で、正式名を「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」という。

五稜郭公園前を走る市電

五稜郭公園前を走る市電

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   その発端は、函館教区長ベルリオーズ司教が「キリスト教伝道のためには修道院の精神的援助が必要である」と要請したためといわれる。草創期の修道女たちの生活は困難を極め、見かねた本国から引き揚げるよう伝えられたこともあったという。

大勢の観光客で賑わうトラピスチヌ修道院

大勢の観光客で賑わうトラピスチヌ修道院

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聖ミカエル像

   函館に安住の地を得た修道女たちは、第二次世界大戦の間、函館の町と津軽海峡を往く船が戦火から守られるよう、聖ミカエルの保護を願って祈ったという。
   修道院の入口に建つ聖ミカエル像は、そのときの加護を感謝して昭和28年(1953)に建立された。その後、フランスから送られた元の像は風雪で損傷したため、現在の像は昭和61年(1986)ブロンズで鋳造し直されたもの。

聖ミカエル像

聖ミカエル像

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聖ミカエル

   修道院の解説によると、ミカエルは大天使で、悪魔が反逆したとき、「ミ・カ・エル」(ヘブライ語で「神のように振る舞う者は誰か」という意味)と叫びながらこれを破り、神 God に忠誠を尽くした。日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師・フランシスコ・ザビエルは、聖ミカエルを日本の保護者と定めた。修道院では、悪魔の誘いに負けることなく、日々正しく生きるよう、聖ミカエルの保護を求めて祈っているという。
 

三大天使

   キリスト教では、ガブリエル Gabriel (ヘブライ語で「神の人」の意で、「神意の伝達者」の役割を果たす。)、ラファエル Raphael 旅人の守護者)、ミカエル Michael を三大天使と呼ぶ。
   ミカエルは、天軍の長であり、最後の審判のときに死者の心臓をはかり、天国に送るか地獄に送るかを選別する天使で、仏教の閻魔大王に当たる。フランス語ではミッシェルという。 砂上の僧院モン・サン・ミッシェル

清潔な境内

清潔な境内

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聖母マリア像

  入口の聖ミカエル像の奥に、両手を広げた聖母マリア像が建つ。台座には、次のメッセージが彫り込まれている。

慈しみの聖母マリア

やさしき み母よ   みあとを したう   か弱き この身を   みちびち たまえ

 

聖ベルナールのいのり

両手を広げた聖母マリア像

両手を広げた聖母マリア像

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  夏の庭両手広げし聖母像   北舟 

なつのにわ りょうてひろげし せいぼぞう

   大正14年(1925)の火災で修道院の大部分の建物が焼失したため、現在の建物は昭和2年(1927)に再建されたもの。現在、約70名の修道女が祈りと労働を中心とした自給自足の生活を送っている。

本館正面の階段

本館正面の階段

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修道院・本館

   最後の石段をあがると、煉瓦造りの修道院・本館が建つ。観光客は庭からこの建物を眺める。修道女を見ることはできない。奥に広がる農場で酪農が行われている光景も見学することができないのが残念である。

美しい煉瓦造の修道院本館

美しい煉瓦造の修道院本館

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ジャンヌ・ダルク

 本館の赤い薔薇の花のそばに、鎧に身を包み、フランスの旗を持ったジャンヌ・ダルクの白い像が建っている。
   オルレアンの少女・ジャンヌ・ダルク(1412-1431)は、カトリック教会から聖女として讃えられている。 百年戦争の際、神のお告げにより、フランス軍を率いてオルレアン解放に貢献し、フランスを勝利に導いたが、コンピエーニュの戦いでイギリス軍の捕虜となり、フランスでの宗教裁判で魔女と断罪され、ルーアンで火刑に処せられた。

フランスを救ったジャンヌ・ダルクの像

フランスを救ったジャンヌ・ダルクの像

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  紅薔薇鎧姿のジャンヌかな   北舟 

べにそうび よろいすがたの じゃんぬかな

 

ルーアンを訪ねて

   家内と二人でフランス旅行中の1999年11月15日、ルーアンを訪れ、ジャンヌ・ダルクの足跡を訪ねた。ルーアンはノルマンディ地方の海辺にあるセーヌ川の河口に拓けた街で、ローマ時代からセーヌ川を利用した水運の拠点として発展してきた。今なおバイキング(ノルマン)が創った文化が建物に反映されている。
 

ノルマン文化が残るルーアンの街

ノルマン文化が残るルーアンの街

拡大写真(1024X713)309KB  撮影:1999.11.5

   ジャンヌ・ダルクは、1431年、ルーアンのヴュー・マルシェ(古い市場)の広場で火刑に処せられ、その灰はセーヌ川に棄てられた。市場(写真左)のそばにジャンヌ・ダルク教会(右)があり、火刑地(下)に面した教会の壁に、ジャンヌ・ダルクを追悼する見事な菊の花に囲まれたジャンヌの像がある。  
 色とりどりの菊の生花が飾れているが、フランス人がお墓に菊を手向けるのは日本人と変わらない。
 

市場のそばのジャンヌ火刑地

市場のそばのジャンヌ火刑地

拡大写真(1024X768)276KB  撮影:1999.11.5

 残された資料によると、裁判官は、何とかジャンヌを救いたいと思い、「神のお告げ」は無かったのではないかとほのめかしたが、ジャンヌはあくまでも真実を述べたため、魔女と認定されてしまったという。
 当時、神のお告げは聖職者しか受けられず、もし神のお告げを受けたことが真実であれば、それは魔女以外にはあり得ないと考えるのが当時の常識であったために、魔女と断罪されてしまったのである。
 

ジャンヌ・ダルク教会のジャンヌの像

火刑地そばのジャンヌの像

拡大写真(1024X700)356KB  撮影:1999.11.5

   20世紀に入ると、ローマ法王は、ジャンヌの宗教裁判が間違っていたことを認め、彼女の名誉回復が図られ、現在、聖女として、また、フランス国民の英雄として尊敬を集めている。 「ジャンヌ・ダルク」フリー百科
   現地ガイドの説明によると、誤った宗教裁判になってしまったのは、彼女の功績によってメンツを潰されたフランスの男たちによる陰謀であったとの噂が流れているが、真相は「神のみぞ知る」である。

修道院より函館山を臨む

修道院より函館山を臨む

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それでも地球は動く(回る)

 最近小泉首相のセリフ*で復活した「それでも地球は動く」は、天文学の父・ガリレオ・ガリレイの言葉であるが、この宗教裁判も天動説は誤っていたとして、ガリレオの死去から359年後の1992年(僅か13年前!)に彼の名誉回復が図られた。カトリック教会は、かつては非科学的な集団だったようだ。 「ガリレオ・ガリレイ」フリー百科
  *「ガリレオは、それでも地球は動くと言った」―8日午後8時半から首相官邸で会見に臨んだ小泉首相は、地動説を唱えたイタリアの物理学者ガリレオ・ガリレイを引きあいに出し、衆院解散の正当性を強調した。ガリレオは天動説が「常識」だった時代に1人地動説を唱えたために宗教裁判にかけられた。首相はその境遇を自らに例え、「国会で郵政民営化は必要ないという結論を出されたが、もう一度、国民に聞いてみたい」と訴えた・・・ 読売新聞 2005年8月9日。

薔薇と白十字

薔薇と白十字

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  花薔薇白き十字架煉瓦壁   北舟 

はなそうび しろきじゅうじか れんがかべ

 

聖母マリア

 キリスト教の教典・新約聖書によると、聖母マリアは聖霊によりイエスを身ごもった(処女懐胎)。「ルカによる福音書」にはマリアのもとに、「マタイによる福音書」には夫ヨセフのもとに天使ガブリエルが受胎告知に現れた。
   フランシスコ・ザビエルは、天文18年(1549)8月15日に鹿児島の海岸に上陸したが、その日がちょうど聖母マリアの被昇天の祭日に当たっていたこともあり、彼は日本を聖母マリアに捧げた。 「聖母マリア」フリー百科
   ザビエルは聖ミカエルを日本の保護者にしたりして勝手なことをしているが、彼の行動は純粋な宗教的良心に基づくものであり、日本を聖母マリアの保護に置けば、日本国民は幸せになれると思ったからだという。

青空の聖母

青空の聖母

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  夏の空白き聖母の微笑みぬ   北舟 

和田義男

 
和田義男

撮影 2005年7月11・12日
 

OLYMPUS E-300

11-22mm 14-54mm
SIGMA 55-200mm


800万画素

 
1,300枚  1,950MB
 

 私は平成10年(1998)春から2年間函館市に単身赴任していたので、函館のことは何でも知っているつもりだ。
 冬季は、毎日、温泉・サウナ付き銭湯に通ったことや、マウンティン・バイクで1万kmを達成したことなど、楽しい想い出が沢山ある。

 しかし、アルバムを開くと、殆どが家族の記念写真で、使える写真は皆無だった。

 そこで一念発起して函館を激写してきたのが今回の作品である。
 函館は異国情緒豊かで、素晴らしい観光資源が多く、私の大好きな街の一つである。

函館山の夜景

 中でも私の一押しは、函館山の夜景である。日本一の折り紙を付けても良いほどで、掛け値なしに素晴らしい。
 次男も非常に気に入り、先週の日曜日の夜、夏休みで登った函館山山頂から携帯電話があり、三度目にしてやっと夜景を見ることができた感動を伝えてきた。それまでの二回は霧や雲に阻まれて見えなかったのである。
 道南に旅行されるときは、是非、函館で一泊し、絶景の夜景を堪能されることをお勧めする。 2005.8.12 〈 完 〉

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