|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヴィースのどかな草原の小高い丘の上に建つヴィース教会(ヴィースの巡礼教会)は、1745年から1754年にかけて建てられた教会で、外観は平凡だが、ロココ様式の内部の装飾がヨーロッパ随一といわれている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1800x1350)466KB |
|
|
|
|
|
|
特にヴィース教会の天井画は「天から降ってきた宝石」とも讃えられ、1983年に世界文化遺産に指定されている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1500x2000)550KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1738年、ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫った「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日、そのキリスト像が涙を流したという。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1500x2000)553KB |
|
|
|
|
|
|
この噂は「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになった。そのため1740年にこの木像を牧草地の小さな礼拝堂に移したが、巡礼者は増える一方だった。 |
|
そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般から浄財を募るなどして建設資金を捻出し、1754年に完成したのがヴィース教会である。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
写真写真(1200x1600)452KB |
|
|
|
きりすとの しろきなみだや あおしぐれ |
White tears of Christ, the shower for fresh green leaves. |
|
|
|
|
拡大写真(1400x1300)326KB |
|
|
|
|
|
|
設計はドイツ・ロココの完成者として名高いドミニクス・ツィンマーマンで、それまでにも数多くの建築を手がけていたが、この教会には特別な愛情と情熱を傾け、完成後もこの教会から離れることを嫌い、すぐ近くに居を移し、亡くなるまでこの教会を見守り続けたという。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1350x1800)407KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
♪ アヴェ・マリア AVE MARIA / F.P.Schubert
|
|
|
BGMに流れる美しい曲は、シューベルトが1825年に作曲したアヴェ・マリア。歌詞は、イギリスの詩人ウォルター・スコットの長編詩 「湖上の美人(Lady of the Lake)」の一部から採られたもの。 |
|
|
「憩え戦士よ(エレンの歌T)(D.837)」、「眠れよ狩人(エレンの歌U)(D.838)」、そしてこの「アヴェ・マリア(エレンの歌V/Ellens Gesang III/Ellen's Song III)(D.839)」として発表された。 |
|
とても美しいメロディとハーモニーで、「グノー/バッハのアヴェ・マリア」、「カッチーニのアヴェ・マリア」と並んで3大アヴェ・マリアと称されている。喜怒哀楽の活きた感情をやわらかい光に包んで作られたこの曲を聴くと、懐かしさとともに心が浄化される気がする。 |
シューベルトは、僅か31年の短い生涯の中で、多くの傑作を残した。特にリート(ドイツ語による独唱とピアノで構成される歌曲)は、1000曲以上もの作品があるほか、交響曲、弦楽四重奏曲なども手がけた。 |
|
|
|
|
Ave Maria Sir Walter Scott / Franz Peter Schubert |
Ave Maria! Jungfrau mild,
Erhöre einer Jungfrau flehen,
Aus diesem Felsen starr und wild,
Soll mein Gebet zu dir hinwehen.
Wir schlafen sicher bis zum Morgen,
Ob Menschen noch so grausam sind.
O Jungfrau, sieh' der Jungfrau Sorgen,
O Mutter, hör' ein bittend Kind!
Ave Maria! |
アヴェマリア、慈悲深き乙女よ
おお 聞き給え 乙女の祈り
荒んだ者にも汝は耳を傾け
絶望の底からも救い給う
汝の慈悲の下で安らかに眠らん
世間から見捨てられ罵られようとも
おお 聞き給え 乙女の祈り
おお 母よ聞き給え 懇願する子らを
アヴェマリア |
|
★☆★彡 |
堀内敬三の訳詞 |
アヴェマリア わが君(きみ)
野の果てに嘆こう
乙女が祈りを
憐(あわ)れと聞かせたまえ
御許(みもと)に安らけく
憩(いこ)わしめたまえ
悩めるこの心
君に祈(ね)ぎまつる
アヴェマリア |
|
|
|
|
註:歌詞は3番まであるが、1番の紹介のみに止めた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1050)300KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ミュンヘンは、ドイツ南部のバイエルン州の州都である。面積は310km2、人口は約132万人。ベルリン特別市、ハンブルク特別市に次ぐドイツ第三の都市である。ミュンヘンという名はドイツ語の僧/メンヒに由来する僧院の意。ミュンヒェンとも表記される。 |
|
市の中心地にあるカールス門 Karlstor からマリエン広場までを結ぶノイハウザー通りNeuhauser Str. がミュンヘンの目抜き通りで、歩行者天国になっている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1536x2048)489KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ミュンヘンのマリエン広場 Marien Platz に建つ新市庁舎は、1867〜1909年に建設されたネオ・ゴシック様式の建物で、ドイツ最大の仕掛け時計グロッケンシュピール Glockenspiel で知られる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x1050)228KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
|
|
新市庁舎の東側には旧市庁舎が建っている。現在は、おもちゃ博物館 Spielzeugmuseum として利用されている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1200)444KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
クロッケンシュピールの32体の仕掛け人形は等身大で、1568年に行われたバイエルン大公ヴィルヘルムV世とロートリンゲン公女レナーテの結婚式を再現したもの。聖金曜日と諸聖人の日を除く毎日、11:00と12:00に10分間、騎士の馬上試合や樽職人の踊りを見せてくれる。3月10月までは、17:00にも見られる。 |
|
仕掛け時計が作動する時刻になると、マリエン広場は見物の観光客でいっぱいになる。幸運にも我々ツアー一行は午後5時のからくり時計を見学することができた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x1230)289KB |
|
|
|
|
|
|
時刻になると、先ず上段のからくり仕掛けが作動し、馬上の槍試合が始まり、向かって左側から現れたバイエルンの青と白の旗を馬に着けた騎士が勝つ。騎馬試合が終わると、下のからくりが動きはじめ、ビール樽を作る職人たちがくるくると踊り出す。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1050)424KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
フラウエン広場にあるフラウエン教会(聖母教会)は、個性的な2本の塔を持つ後期ゴシック様式の教会で、新市庁舎の西側に建っている。1468年、それまでマリア礼拝堂があった場所に建設が始まり、約20年かかって完成した。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2048x1536)551KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
フラウエン教会の双塔にルネサンス様式の円蓋(えんがい)が加えられたのは、完成から37年後のこと。1821年からは南バイエルン教会圏の首教会となった。内部には、ヴィッテルスバッハ家の46人の墓所がある。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1800x1350)453KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
フラウエン教会の葱坊主のような双塔は、ミュンヘンのシンボルとなっている。北塔は99m、南搭は100mの高さがあるが、なぜか不揃いなのが面白い。南搭はエレベーターで上がることができ、ミュンヘン市街やバイエルンの山並みを望むことができる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1200x1600)512KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
フラウエン教会は、ハレンキルヒェというドイツ特有の後期ゴシック様式で、窓が高いため、教会内部はとても明るく感じる。三身廊からなる内部は、22本の白い八角柱が2列に並んでおり、入口からはそれが白い壁のように見え、側廊と窓は見えない構造になっている。 |
|
|
|
|
|
|
|
巨大な十字架「受難のキリスト」があるフラウエン教会の内部
|
|
|
|
|
|
|
|
悪魔の足跡 |
|
|
フラウエン教会には「悪魔の足跡」の伝説があり、入口近くに足跡のついている石がある。教会に入ってこの位置に立つと22本の白い柱が壁のようになって窓が見えないが、それに気が付く人は少ない。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
悪魔の伝説 |
|
|
教会が完成して間もなく、好奇心にかられた悪魔が忍び込み、窓がひとつもないことを知り、こんな教会にやってくる信者などいないだろうと、勝ち誇った気分で床石に足跡を残し、1〜2歩踏み出すと、窓が現れ、騙されたと思った悪魔は強風を起こして教会を壊そうとしたが、教会は壊れなかったという。 |
|
|
|
|
|
|
|
キリストの処刑をモチーフにしたステンドグラス「受難のキリスト」
|
|
|
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
新市庁舎のあるマリエン広場の南部にペーター教会がある。尖塔の299段の階段を登ると、展望台があり、新市庁舎やフラウエン教会はじめ、ミュンヘンの街並みを一望できる最も景色のいい場所である。 |
|
|
|
|
|
|
|
ミュンヘン最古のペーター教会
|
|
拡大写真(1400x1800)271KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
市民には「ペーター爺さん Alter Peter 」の名前で愛されるミュンヘン最古のペーター教会は、ミュンヘンが市に昇格する以前の11世紀前半に建てられたもの。高祭壇の上にある聖ペーター像は、エラスムス・グラッサーの1492年の作。 |
|
|
|
|
|
|
|
天井の方が明るいペーター教会の内部
|
|
|
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
ペーター教会の中に入ると高窓から差し込む光のお陰で天井がとても明るく、美しい天井画に見とれてしまう。 |
|
|
|
|
|
|
|
ペーター教会の天井画
|
|
拡大写真(1200x1600)390KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
|
|
聖ミヒャエル教会 St Michaelskirche
|
|
|
聖ミヒャエル教会は、カールス門から新市庁舎に向かう途中の歩行者天国ノイハウザー通りにあり、1583年から1597年にかけて、ヴィルヘルムX世の命で反宗教改革の一環として建てられた。建物正面の壁にはバイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の領主の石像がずらりと並んでいる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1200)249KB |
撮影:松井公代 |
|
|
|
|
|
|
バロック様式の内装がとても美しいイエズス会の教会で、内部にはヴィッテルスバッハ家代々の墓所があり、ルートヴィヒII世が眠っている。半筒状のドームは世界で2番目の大きさだという。中央奥に大きな祭壇があり、「悪魔と闘う聖ミヒャエル」の祭壇画がある。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1200)382KB |
撮影:松井公代 |
|
|