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ベルリンでは、ドイツ統一に伴い、東西ベルリンに分散している博物館や美術館の統廃合が行われている。ベルリンで必見の博物館といえば博物館島にあるペルガモン博物館で、古代ギリシャのペルガモン(現トルコ・ベルガマ Bergama )で発掘された高さ9.66mのゼウスの大祭壇(紀元前180〜159年)をはじめ、ギリシャ、ローマ、中近東のヘレニズム美術品、イスラム美術品などが展示されている。 |
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ペルガモン博物館 |
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博物館島は、ベルリン市内を流れるシュプレー川の中洲であり、かつての東ベルリンに位置する。中洲の北半分にペルガモン博物館のほか、ボーデ博物館 Bodemuseum、旧国立美術館 Alte Nationalgalerie、旧博物館
Alte Museum、新博物館 Neue Museum の計5つの国立博物館が集中している。 |
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ペルガモン博物館と見学の子供たち |
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当地は、19世紀半ば、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルムIII世によって「芸術と科学のための地域」に定められたもので、ペルガモン博物館の建築は、1910年に始まり、第一次世界大戦を挟んで1930年にようやく完成した。 |
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有名なゼウスの大祭壇/ペルガモン博物館 |
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ちょうぞうの はだもあらわに なつごろも |
Statues of summer dress, exposing skins. |
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大祭壇右側の袖部分 |
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第二次世界大戦の空襲でペルガモン博物館をはじめとする博物館群は甚大な被害を受けた上、ベルリン動物園近くのツォー高射砲塔に疎開していたゼウスの大祭壇(ペルガモンの大祭壇)は赤軍が戦利品としてレーニングラードに運び去った。美術品が東ドイツに返還され、博物館が再開したのはようやく1959年のことだという。 |
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大祭壇左側の袖部分 |
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ギリシャ神殿のような外観をもった本館は「コ」の字形の平面をもち、内部は古代(ギリシャ・ローマ)博物館、中近東博物館、イスラム博物館に分かれている。 |
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大祭壇後面の彫刻 |
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力強いネプチューンの像 |
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「ゼウスの大祭壇」の全長100m余の浮き彫りは、ギリシャ神話の神々と巨人族との戦い(ギガントマキア)を表わしたもので、ヘレニズム期の彫刻の代表的なものである。1864年、カール・フーマンらが発見し、ドイツに持ち帰ったもの。 |
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大祭壇奥の部屋のレリーフ |
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ギリシャ・ローマ時代の男性裸像 |
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「イシュタール門」(紀元前560年頃)は、バビロニアの古都バビロンの中央北入口にあった門である。青地の彩釉煉瓦でおおわれた壁面には、牡牛やシリシュ(獣の体に鳥のような足、蛇のような首をもった想像上の動物)のレリーフがある。 |
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彩色が施されたイシュタール門 |
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