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 感動写真集

2009年2月2日改訂

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medley 'Heidenröslein(Franz Schubert & Heinrich Werner)/野ばら'

 

千年の薔薇の涼しき大聖堂   北舟

 

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A great church, roses of one thousand years look like cool.

2009年2月1日制作

名物の千年の薔薇

名物の千年の薔薇/聖マリー大聖堂(ドイツ・ヒルデスハイム)

世界文化遺産

東北ドイツの旅・下

ドイツ国旗

ハノーハー

ヒルデスハイム Hildesheim
 ドイツ中部に位置するヒルデスハイムは、ニーダーザクセン州南部の都市で、約10万の人口を有し、世界遺産に登録されている聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会がある。「地球の歩き方」では、巻末に僅かに触れられているだけだが、必見のスポットである。

ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂/世界文化遺産

ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂/世界文化遺産

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聖マリア大聖堂
 聖マリア大聖堂は、初期ロマネスク様式で1010年から1020年にかけて建設された。2つの後陣を伴う対称形となっており、これは古ザクセン時代のオットー朝ロマネスク様式の特徴だという。11世紀から14世紀にかけて拡張されたが、1945年の空襲で完全に破壊された。戦後、1950年から1960年の間に再建されたが、優美な内装は失われたままである。

約1000年前に町に繁栄をもたらしたベルンヴァルト司教の銅像

約1000年前に町に繁栄をもたらしたベルンヴァルト司教の銅像

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  千年の薔薇の涼しき大聖堂  北舟 

せんねんの ばらのすずしき だいせいどう

A great church, roses of one thousand years look like cool.

聖マリア大聖堂に咲く樹齢千年の薔薇(野バラ)

聖マリア大聖堂に咲く樹齢千年の薔薇(野バラ)

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聖ミカエル教会

 聖ミカエル教会はベネディクト派の聖堂として、ヒルデスハイムの司教ベルンヴァルト(993-1022)により、1010年から1020年にかけて建設された。ベルンヴァルト司教は大天使ミカエル(死者を天国へ運ぶキリスト教の天使)に深く傾倒していたので、この聖堂に大天使ミカエルの名をつけた。
 なお、ミカエルはドイツ語の発音ではミヒャエル、英語ではマイケル、フランス語では世界遺産のモン・サン・ミッシェル(聖ミカエルの山)でご存じのミッシェルとなる。

聖ミカエル教会/世界文化遺産

聖ミカエル教会/世界文化遺産

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 聖ミカエル教会も第二次世界大戦の空襲で爆破されたが1950年から再建が開始されて1957年に完成。1985年ヒルデスハイムは、この聖ミカエル教会と聖マリア大聖堂、樹齢1000年の薔薇の木と共にユネスコ世界遺産に登録された。

聖ミカエル教会の内部

聖ミカエル教会の内部

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ハノーファー Hannover
 ニーダーザクセン州の州都ハノーファーは、ライネ川沿いにある北ドイツの主要都市のひとつで、約52万人が住む。地域の行政の中心地として政治的力点の置かれた町である。ドイツ語の原音に近いカタカナ表記は「ハノーファー」だが、日本ではアルファベット表記や英語の発音からハノーバー(ハノーヴァー)と呼ばれることが多い。

14世紀に建てられた高さ97mの尖塔を持つ煉瓦造りのマルクト教会

14世紀に建てられた高さ97mの尖塔を持つ煉瓦造りのマルクト教会

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 中世にライネ川岸に建設されたこの町は、当時は Honovere (高い堤)と呼ばれた。もとは漁村だったが13世紀には大きな町に発展し、14世紀には教会や市庁舎、3つの市門を持つ城壁が建設された。このころ、ハンザ同盟の一員として繁栄した。

免罪符を踏みつけているマルティン・ルター像/マルクト教会

免罪符を踏みつけているマルティン・ルター像/マルクト教会

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 1636年にブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の一部であるカーレンベルク公国が首都をハノーファーに移し、ハノーファー公国となった。1692年、ハノーファー公エルンスト・アウグストが選帝侯となったことにより、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯国、通称ハノーファー選帝侯国となった。

ハンザ都市らしい旧市庁舎の華やかなファサード(正面)

ハンザ都市らしい旧市庁舎の華やかなファサード(正面)

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 1714年、ハノーファー選帝侯ゲオルク I 世がイギリス国王に栄進し、ジョージ I 世として即位した。それ以後イギリスとの関係が深く、イギリス風の建物が残る。のち、1918年までハノーファー王国の都となった。第二次世界大戦では、空襲を受けて町の3分の2が焼失した。

ファサードに埋め込まれたアカンベーの紋章?

ファサードに埋め込まれたアカンベーの紋章?

ルネッサンス様式のハノーファー市庁舎

ルネッサンス様式のハノーファー市庁舎

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 ハノーファーは多彩な教育機関と大学のある町で2000年には万国博覧会が開かれた。残念なことに入場者数が当初予想された半分以下の約1800万人に終わり、多額の負債が残されたという。

市庁舎ドーム展望台から見たハノーファー市街

市庁舎ドーム展望台から見たハノーファー市街

パノラマ写真(2200x1000)475KB

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