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Wa☆Daフォトギャラリー

 感動写真集

2008年12月19日改訂

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♪プールビー・ドゥン(Poorbi Dhun / Shahnai)
インドの民族楽器シャーナイ(ダブルリードの木管楽器)

 

エローラに仏のおわす夏高原   北舟

 
拡大写真(1200x1800)202KB

The summer highlands,
The Buddha exists at Ellora caves.

2008年12月19日制作

第4窟本尊の近撮

第4窟本尊の近撮/エローラ石窟寺院(インド・デカン高原)

エローラ石窟寺院

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はじめに

 西インドの世界遺産では、やはり、アジャンタ遺跡と並び賞されるエローラ遺跡が有名です。観光地としても名高く、インド国内のみならず世界各地から多くの観光客が訪れる名所となっています。

 今回、ご紹介の画像は、2005年8月22日撮影のもの。帰任直前に、念願のアジャンタ・エローラ遺跡を見ることが出来、その時の画像を、3年経って、やっと編集することが出来ました。
 アジャンタ遺跡が、壁画なら、エローラ遺跡は、石窟と浮き彫りに特徴があります。インド人の神話信仰とインド人の美的感性をじっくりと味わうことの出来るこのエローラ遺跡、ごゆっくりご鑑賞頂ければと思います。

巨大なエローラ石窟寺院

巨大なエローラ石窟寺院

拡大写真(2000x1333)480KB

 デカン高原の大地。標高は600mぐらいの地点です。雨季での時期の撮影となりましたが、昼間は、幸運にも晴れてくれて、一日だけの一発勝負のエローラ撮影旅行、本当に助かりました。

デカン高原の大地

デカン高原の大地

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 宿を取ったアウランガバードから、エローラ遺跡までは、北西に、約30km。車で一時間程度のところです。バニヤンが生い茂る道路を、運転手付きでレンタルした黄色の国産のアンバサダーで、走りました。前日のアジャンタ遺跡の撮影で、暗さから来る手ぶれに悩みましたので、エローラ遺跡でも石窟内の撮影で同様の苦労をするだろうなと思いながら、現地に向かいました。うっそうと茂るバニヤン樹の並木が気分を盛り立てて呉れます。どでかいバニアン樹ですが、デカン高原という固い岩盤の上の土が薄い土地では、根はそんなに深く張れていませんので、強風で根こそぎ倒されたりしてしまいます。倒れたバニアン樹は西ベンガル州でもよく見かけましたが、マハラシュトラ州でも同じなんだと、記念に撮ってみました。  

バニヤンの並木道

バニヤンの並木道

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エローラ遺跡について
 エローラ遺跡は、3つの宗教窟が集まり、構成されており、番号を打たれた窟で34、それ以外の小窟を合わせると計70余の石窟が、南北1.5kmに、点在しています。
 アジャンタ遺跡が、1819年に、イギリス人将校に発見されるまでは、土中に埋もれて全く存在を知られていなかったのとは対象的に、エローラ遺跡は、交易道付近にあったせいか、隊商宿として利用されたりして、ずっとその存在は意識されて来ました。イギリスの統治を受ける中でイギリスの学者たちによって学術的研究がなされ文化遺跡としてその真価が認められ、今日に至っています。1983年に文化遺産として世界遺産に登録されています。世界遺産の石造というジャンルではカンボジアのアンコールワットエジプトのスフィンクスと並ぶレベルのものでしょう。
 34窟のうち、第1〜12窟が仏教窟、第13〜29窟がヒンドゥー教窟、第30〜34窟がジャイナ教窟ですが、番号は、学術研究のために、南から順に付けられたもので、開窟の年代順で番号が振られたわけではありません。
 仏教窟にヒンドゥー教の神々が彫られた窟(第6窟や第8窟)もありますが、これは、宗教の伝播の関係で、混在が生じたものと考えるべきでしょう。ヒンドゥー教では、仏陀は、ヴィシュヌ神の9番目の化身と信じられていますし、双方の宗教の根幹がバラモン教ですので、このようなことも開窟の際に起こったのだと思います。宗教にしても何にしても、がちがちでないのが、インドのなんせ良いところだと思います。

倒れてしまった大木の処理作業

倒れてしまった大木の処理作業

第1窟(仏教窟)

 第1窟と呼ばれる僧院窟が、遺跡の一番南端に位置しています。ここから番号順で撮影を開始しましたので、Wa☆Daフォトギャラリーでも、番号順で説明していきたいと思います。
 第1窟は、僧侶の住居としての空間で、ヴィハーラ窟と呼ばれ、僧侶が生活と祈りの場として使っており、礼拝用のチャイティア窟とは区別されています。奥に見える小部屋が僧侶部屋です。6世紀末から7世紀前半に開窟されています。
 右手にぽっかり穴が見えますが、このすぐ下に地下水が湧き出る井戸があります。飲用も可能とのことでしたが、撮影に夢中で飲み逃しておりますので、味はコメント出来ません。

エローラ第1窟

エローラ第1窟

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 東の壁面を正面から撮影しています。この壁面にも、僧侶の部屋が4つ並んでおり、計8つの僧侶部屋があります。極めてシンプルな造りで、広さは12m四方のほぼ正方形の空間です。柱もなく、この150平米ぐらいの空間が維持できていますので、岩質の良さが想像出来ます。

東の壁面

東の壁面

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 北面の壁。こちらは、ただの壁ですが、蝋燭でも置いたのか、壁には、各所に穴が穿かれています。一番手前の穴はデザイン的にも優れていると思います。

北面の壁

北面の壁

拡大写真(1600x1067)198KB

 内部から第5窟の方向を見ています。前夜吹き込んだ雨がまだ床に残っています。当時の僧侶になった気分で清清しい気持ちになれました。この山裾約1.5kmに亘って、遺跡が点在しています。

第1窟の内部から外を見る

第1窟の内部から外を見る

拡大写真(1800x1200)193KB

第2窟(仏教窟)

 第2窟も仏教窟です。6世紀末から7世紀前半の開窟と言われています。第1〜4窟までが、地元では、デラワラ仏院群と呼ばれています。
 修復作業中なのか、あるいは、早朝(8時半)のためか、正面のドアには鍵がかけられておりました。窓には、こうもりの糞害を防ぐ目的で、侵入防止用の金網が張られています。

鍵がかかっていた第2窟

鍵がかかっていた第2窟

 今回は、中に入ることが出来ませんでしたが、中は15mX20m程度の広さで、20本の柱で支えられた空間の奥に仏陀の坐像が鎮座しています。

金網の張られた窓

金網の張られた窓

 顔が破損した仏像が多いのは、異教徒による破壊であると言われています。インドでは、紀元前3世紀のアショーカ王の治世の時代に、王の庇護を受け、インド全土に広まりましたが、8世紀頃から徐々に衰退していき、13世紀頃には、ヒンドゥー教やイスラム教に完全に押されてしまい、インドでは、周辺地域に8百万人程度の信者を残すだけの宗教となっています。

顔が破損した仏像の浮き彫り

顔が破損した仏像の浮き彫り

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第3窟(仏教窟)

7世紀の仏教窟です。垂直に切り立った岩盤を、奥へ掘り進んで開窟されています。

第3窟の入口

第3窟の入口

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12m四方の広間は12本の柱が支え、広間の周囲には11の僧坊があります。これは、一番奥の仏堂本尊です。

第3窟の仏像(本尊)

第3窟の仏像(本尊)

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 生きるものあれば、死ぬものもある。生きているものも、いつかは死ぬ。 第3窟前で、野生の鹿が息絶えておりました。

野生の鹿

野生の鹿

第4窟(仏教窟)

 第3窟のすぐ横に第4窟。7世紀の開窟です。窟の前部が大きく崩れています。2階部も少し見えますが、第4窟の一部なのか、隣の第5窟の2階部の一部なのかは判明していないようです。動線を考えると、第5窟の一部なのかもしれません。

第4窟の入口

第4窟の入口

 窟奥の本尊は、膝や手は破損していますが、顔は、比較的損傷の少ない状態で保存されています。入り口左右の守門仏も見事なバランスです。

第4窟の本尊

第4窟の本尊

拡大写真(1600x1067)178KB

 本尊近撮。1300年の時空を超えて仏様が迫って来るようです。

  エローラに仏のおわす夏高原  北舟 

えろーらに ほとけのおわす なつこうげん

The summer highlands, The Buddha exists at Ellora caves.

第4窟本尊の近撮

第4窟本尊の近撮

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