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ギリシャ神話によると、「クレタ島のミノス王は、一度入ったら二度と出られない迷宮を建て、ミノタウロスという牛頭人身の怪物を閉じこめていた」という話があり、これは長い間、単なる神話だとされていたが、1900年に始められたイギリス人考古学者アーサー・エヴァンスの発掘によって、実在していた宮殿であることが分かった。 |
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▼ アーサー・エヴァンスは考古学者の息子に生まれ、オクスフォード大学、ゲッティンゲン大学で学んだ。父親の考古学への興味を引き継ぎ、1884年〜1908年、オクスフォード大学のアシュモレアン博物館の学芸員を勤めた。 |
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1900年にクノッソス遺跡を発掘し、”Palace of Minos at Knossos” を刊行するとともに、遺跡の復元を行った。
1911年に考古学的業績により爵位を得た。 |
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▼ イラクリオンの南東約5kmにあるクノッソス宮殿は一辺が160mもあり、中央宮庭という中庭を持つ重層構造の巨大な建物である。一部4階建てで、部屋数は1200以上と推定され、まさに迷宮にふさわしい。 |
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▲▼ 宮殿は、東側の王宮と西側の神殿から成り立っており、巡回ルートは、1 West Court 西側宮庭 から入り、南部 〜10 Central Court 中央宮庭 〜 東部 〜 北部を巡り、最後は 22 Theatre 劇場 で終わる。 |
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1 West Court 西側宮庭 より巨大なクノッソス宮殿を臨む
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▼ 宮殿南部にはプロピュレアと呼ばれる南門がある。クレタ史上、最も輝いていたミノア時代に建てられたクノッソス宮殿は、傑出した建造物であるが、殆ど破壊されており、一部再現されてはいるいるものの、その遺構は痛々しいばかりである。 |
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6 South Propylaem プロピュレア(南門)
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▼ 宮殿南面のファサード(正面の景観)や南部は激しく浸食されている。南の入口から通じる回廊に有名な「ユリの王子」のフレスコ画が飾られている。オリジナルはイラクリオン博物館にあり、ここにあるのは復元画である。 |
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エヴァンスは、この回廊とユリ王のフレスコ画を復元するに当たり、欠落部分をセメントで塗り固めてしまった。 |
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11 Copy of the 'Prince of the Lilles' fresco ユリ王のフレスコ画のコピー
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▼ 迷宮と呼ばれる群室は、中央宮庭と呼ばれる中庭の周りに集中している。各部屋の壁には真っ赤に燃えるフレスコ画が描かれ、床にはタイルが貼られており、換気や採光、排水などの設備が備わっていたという。 |
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クノッソス宮殿の「10 Central Court 中央宮庭」から「8 Throne room 玉座の間」を臨む
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▼ 玉座の間 |
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▼ 中央宮庭から「控えの間」に入ると、その奥に「玉座の間」が現れる。いつも長い行列ができている。控えの間の右(北)と左(南)の壁には石膏石(せっこうせき)製の低いベンチが取り付けられている。北側のベンチの中央に木製の椅子が据えられているが、発掘時に炭化した椅子の痕跡がこの場に認められたからだという。エヴァンスは「玉座の間」の椅子と同じ形の木製の椅子を作り、ここに設置した。 |
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列をなして「控えの間」から「玉座の間」を覗く観光客たち
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▼ 「控えの間」から「玉座の間」を撮影。エヴァンスは「玉座の間」の北側の壁に据えられた石膏石製の椅子に祭司を兼ねた王が座したものとみて、この部屋を「玉座の間」と名付けた。椅子とそれを取り囲むベンチは発掘されたときと全く同じ状態だという。中央の椅子に祭主である王が座り、両脇のベンチに司祭たちが座ったものと見られている。 |
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エヴァンスは玉座の正面にある「清めの場」(黒い円柱の左側にあって見えない)で心身を聖水で清める儀式が執り行われたと考えた。「清めの場」は、地面を掘り込んで床より低いレベルに設けられた長方形のスペースで、下りるための数段の階段が取り付けられている。 |
中央に置かれたアラバスター(雪花石膏)製の扁平な広口の器物は香油などを入れる容器だと考えられ、儀式に使用されたものと見られている。発掘時に数個発見されており、宮殿が突然攻撃を受けたか、地震などの天災により儀式を中断したため、室内に取り残されたものと推測されている。 |
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▼ 玉座 |
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▼ 「控えの間」から「玉座の間」は、分厚い柱の間からしか見ることができず、柱の厚みが邪魔して、片側からでは全体を見ることができない。下の画像は、入口の右側から撮影したもの。玉座脇侍(わきじ)のグリフィンを完全に捉えることができた。 |
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▼ 玉座 |
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▼ オランダのハーグにある国際司法裁判所 International Court of Justice ICJ
の裁判長の椅子は、「玉座の間」の椅子を模して作られている。「ミノス王がこの世で最初の裁判官であった」と伝えられているからだという。 |
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ぐりふぃんや ぎょくざのへきが はるのいろ |
Griffin, the mural of the throne is a spring scenery. |
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▼ 室内の北側と西側壁面に葦(パピルス)のような植物の繁みの中に座しているグリフィンが描かれている。このフレスコ画は復元されたもので、オリジナルはイラクリオン博物館に保存されている。 |
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グリフィン Griffin は神の三面を象徴しており、鷲の頭は天空の神、ライオンの胴体は地を支配する神、そして蛇のような尾は地下(冥界)の神だという。 |
世界大百科事典には、グリフィンは「獅子の胴体に鷲の頭と翼のある幻獣」と解説されている。グリフォンともいう。ギリシア神話ではグリュプス Gryps といい、ゼウス、アポロン、ネメシスの車を引き、聖書ではエデンの園の門番をし、エジプトでは悪神セトの象徴、さらにバビロニア神話では水の悪魔ティアマトの信者の一人になっている。中世伝説では聖地エルサレムの〈グリフォンの爪〉は、病を治す魔力があると信じられていたという。 |
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▼ 下の絵は、残されたフレスコ画や資料などを基に当時のクノッソス宮殿の様子を描いたもの。長髪で裸褌姿の男性や乳房を丸出しにした女性の姿が生き生きと描かれている。 |
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資料 |
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▼ 中央宮庭の中央部東側に地下に通じる階段がある。大きな開口部から中を覗くことができるが、地下は幾層にもなっており、高度な建設技術により大規模な宮殿が築かれていた様子がよく分かり、迷宮といわれるにふさわしい複雑な構造になっている。 |
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12 Grand Staircase 中央宮庭の階段
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▼ 宮殿の東部に「王妃の間」がある。エヴァンスは、復元に際し、ユリ王の壁画でもそうしたように、各所にセメントを用いている。これは、類似の素材を使って復元するという考古学の常道に反するものであり、学会から非難があがっている。その他にも勝手な推論で復元し、今では疑問視されているところもある。 |
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エヴァンスの功績は、否定しがたいものの、彼が残した負の遺産も否定できない。ただ、エジプトやアテネなどでの他の発掘者と違って、彼は出土品をイギリスに持ち帰ろうとはしなかったので、この点は高く評価されている。 |
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▼ 王妃の間北側上部の壁に良く知られているイルカのフレスコ画が復元されている。イルカの他に小魚やウニなどの海中に棲息する生物が描かれている。この壁画は新宮殿期(紀元前1700-1350)に属するが、渦巻き模様のフリーズ(帯状装飾)は宮殿期以後(紀元前1350-1100)に付け加えられたものという。 |
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ここにも渦巻き模様のフリーズ(帯状装飾)の下にコンクリートで固められた壁がむき出しで見える。 |
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王妃の間北側上部の壁に復元されたフレスコ画のイルカの壁画
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▼ 宮殿北部には一部修復された北の入口がある。王宮には下水溝があり、衛生上の配慮がなされていたのは驚きである。王宮の壁の外側には一般住民の住居があったという。 |
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19 North Entrance 一部修復された北の入口
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栄華を極めたクレタ(ミノア)文明は、紀元前1400年頃からクノッソス、フェストス、マリアの宮殿が次々に火災に遭い、やがて破壊されて廃墟と化してしまった。サントリーニ島で発生した火山の大噴火の時期が一致することから、噴火に伴う地震や津波が原因ではないかともいわれている。また、ミケーネ人たちに攻撃され、滅亡したのではないかという説もあり、はっきりしたことは分かっていない。 |
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22 Theatere 劇場 から南方のクノッソス宮殿を臨む |
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