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4月26日(日)朝、カタマラン型高速艇に乗ってイラクリオンを出港し、最後の訪問地サントリーニ島に向かった。 |
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カタマラン型高速艇 2009.4.26 09:05 |
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▼ 地中海の東部に位置するエーゲ海は、西はギリシャ半島、東はアナトリア半島に面した入り江状の海域で、東ではダーダネルス海峡とボスポラス海峡を経由してマルマラ海、さらには黒海へと繋がっている。 |
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エーゲ海は大小合わせておよそ2,500 の島々が浮かぶ多島海である。大半はギリシャに属しているが、ボズジャアダ Bozcaada とギョクチェアダ Gokceada はトルコ領である。エーゲ海沿岸は、リアス式海岸が多く、天然の良港になっている。 |
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ギリシャ全図
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古代には、クレタ島のミノス文明とペロポネソス半島のミケーネ文明が誕生した。さらに時代を下ると、アテナイ(アテネ)やスパルタに代表される多くの都市国家による古代ギリシャ文明が生じた。その後、ペルシャ、ローマ帝国、東ローマ帝国、ヴェネツィア、そしてオスマン帝国がエーゲ海やその周辺に国家を形成し、ヨーロッパとアジアを結ぶ中継地として中世以降も繁栄した。 |
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クレタ島イラクリオンを出港 |
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エーゲ海の島々はいくつかの諸島に分類される。北エーゲ諸島、ユービア島、スポラデス諸島、キクラデス諸島、サロニカ諸島、ドデカネス諸島それにクレタ島である。これらの島々は良港を備えているが、古代、中世にはエーゲ海の航海は決して安全なものではなかったという。 |
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火山島が多く、大理石や鉄の産地でもある。クレタ島のような比較的面積の大きな島には肥沃な耕地が広がるが、多くの島は農業に適していない。しかし、地中海性気候のため、まばゆい太陽が輝く夏季には、太陽に恵まれない地域から多くの観光客が訪れる。 |
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エーゲ海に浮かぶクレタ島 |
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ざんせつを うみよりあおぐ くれたとう |
Crete Island, looking up the remaining snow from the sea. |
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残雪のクレタ島春景色 |
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キクラデス諸島に位置するサントリーニ島(ギリシャ語:Σαντορίνη )は、エーゲ海に浮かぶギリシャの島で、ミコノス島と並んで人気のある観光地である。島の中心はフィラ(Φηρά、Fira )の町で、崖下に新旧二つの港がある。サントリーニ島は大小5つほどの島々の総称で、一般には最も大きいティラ島(ギリシャ語:Θήρα )をいう。 |
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エーゲ海に浮かぶサントリーニ島と漁船 |
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主な町はフィラのほか、フィロステファニ Firostefani、イメロビグリ Imerovigli、北部にイア Οία、Oia があり、特にイアから見る夕日は人気がある。フィラからイアへは、バスが運行されており、沿道の断崖には、伝統的な洞窟型ホテルが多く存在する。白壁の家々が断崖にびっしりと連なる街の景色のなか、ギリシャ正教会の聖堂のドーム型屋根の青色が映える様は素晴らしい。 |
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サントリーニ島の島頂に拓けたフィラの町 |
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▼崖下のオールド・ポート |
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海底火山の噴火により、地中にあったマグマが噴き出してできた空洞の上の陸地が陥没して、現在のような三日月型の島になったといわれている。紀元前1600年ころに起きた火山の噴火は、プラトンの著作に端を発するアトランティス伝説に大きな影響を与えており、この洋上に浮かぶ理想郷アトランティスのモデルとして有力視されているのが、クレタ島とサントリーニ島である。 |
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サントリーニ島アティニオス港に到着 11:40 |
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アティニオス港に上陸 |
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紀元前4世紀の哲学者プラトンは、「クリティアス」と「ティマイオス」の2編の著作で、滅亡したアトランティス島とその国家について詳細に記している。それによれば、アトランティスは地中海の西の端にある美しく豊かな国で、貴金属に富み、歴代の王は名君で、軍隊も強く、交易船は世界中から集まったという。 |
ところがこの理想国家は、大地震と津波により、一昼夜にして海中に没してしまったという。「はたしてこのアトランティスは実在したのだろうか。もしそうなら何処にあったのだろうか。」これが古来から繰り返されてきた議論の核心であった。 |
ところが、1967年以来サントリーニ島アクロティリ遺跡で発掘を続けてきたギリシャの地震学者ガラプノスは、新しい仮説を発表した。「紀元前1600年ころに起こったサントリーニ島の大噴火による大地震と大津波がサントリーニ島の古代都市を壊滅させ、それがアトランティス伝説となったのではないか。」というものである。 |
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▲▼ アクロティリ遺跡では、現在でも紀元前16世紀ころ繁栄した古代都市の建築物や道具類などが出土している。特に、色鮮やかなフレスコ画は当時の文明の高さを示しており、アテネ考古学博物館所蔵の「ボクシングの少年」「漁師の家の壁画」「ユリとツバメの壁画」などは秀逸である。 |
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ユリとツバメの壁画/アテネ考古学博物館 |
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古代、カリステ Kaliste (最も美しい)と呼ばれたサントリーニ島こそがアトランティスの一部だったのだろうか。クレタ島説といい、サントリーニ島説といい、その謎は、深まるばかりである。なお、「謎のアトランティス大陸」という表現があるが、地中海に大陸が存在するはずもなく、アトランティスは大きな島と理解すべきだと思われる。 |
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車窓から見たアティニオス港 |
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つづらざか みぎにひだりに はるのうみ |
The winding slope with hairpin curves, looking at the spring sea right and left. |
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サントリーニ島の九十九坂 |
マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。
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2連泊したホテル SANTORINI PALACE |
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▲▼ サントリーニ島アティニオス港に入港した一行は、ツアーバスに乗り、フィラの中心街から北方徒歩15分の高台にあるサントリーニ・パレス・ホテルに到着。ここで2連泊し、サントリーニ島を心ゆくまで堪能した。 |
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ホテルのプール |
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ホテル北方の風景 |
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青いキューポラと白い家 |
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鐘のある路地裏 |
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大聖堂のあるフィラの繁華街 |
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展望レストラン |
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石畳の小径 |
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フィラの大聖堂 |
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険しい崖の上に家屋が建つサントリーニ島/大聖堂前から北方を臨む |
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フィラのテオトコプールー広場 |
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