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2007年6月8日(金)から15日(金)まで、クラブツーリズム主催の「美しき北欧4カ国スペシャル8日間」の旅に参加し、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧4ヵ国を巡った。 |
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北欧の地図
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6月12日(火)ノルウェー第二の都市ベルゲンを見学し、13日(水)午後零時40分フィンランド航空6852便に乗ってスウェーデンの首都ストックホルムに向かった。間もなく雪渓の残るノルウェー西部の上空を通過し、しばらくして緑の平野が現れた。 |
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スウェーデンの緑の平野
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スウェーデン王国 |
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Konungariket Sverige ( Kingdom of Sweden )
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スウェーデン王国、通称スウェーデンは、北欧のスカンディナヴィア半島にあり、スウェーデン語ではSverige(スヴェーリエ)といい、スヴェーア族の国の意。西にノルウェー、北東にフィンランド、南西にカテガット海峡を挟んでデンマーク、東から南にはバルト海が広がる。現王家はベルナドッテ家。スウェーデン・アカデミーによるノーベル賞は世界的権威がある。 |
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歴代国王は王位につく際に、自分の統治のモットーを表明する習慣になっている。現国王カール16世グスタフの標語は「スウェーデンのために、時代と共に」である。 |
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国の標語 : För Sverige i tiden
(スウェーデンのために、時代と共に)
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古代はスウェーデン・ヴァイキングとして主に東方で活動。ヨーロッパ文化やキリスト教も受容し、13世紀頃にはフォルクンガ朝が現在のフィンランドを含む地域を統一。1397年にデンマーク・ノルウェーとカルマル同盟を結んで同君連合となる。 |
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1523年カルマル同盟から離脱し王政となる(ヴァーサ朝)。16世紀の宗教改革ではプロテスタントを受容し、バルト海地域へ進出。17世紀、グスタフ2世アドルフ(獅子王)の時代にバルト帝国を建国。新大陸にも植民地を築き、王国は最盛期を迎える。 |
18世紀初頭にカール12世はバルト海の覇権を争い、大北方戦争でピョートル1世のロシア帝国と戦って敗れ、沿岸の領土を失って一時没落。18世紀後半にホルシュタイン=ゴットルプ朝の名君・グスタフ3世が中興させたが、ナポレオン戦争によって、フィンランドを失った。 |
1809年の革命で立憲君主制が成立、1814年にキール条約でノルウェーを併合。1818年よりフランス人ベルナドット元帥(カール14世ヨハン)が国王に即位し、ベルナドッテ朝が始まる。 |
ウィーン体制ではノルウェーと同君連合(1814年-1905年)を結ぶが、1905年ノルウェーが独立。19世紀半ばにスウェーデン王の推奨した汎スカンディナヴィア主義が頓挫し、北欧は小国化に向かう。 |
1932年に社会民主労働党政権となり、以後スウェーデンは福祉国家路線を進み、武装中立政策を取って第一次・第二次世界大戦に参加しなかったが、デンマーク、ノルウェー、フィンランドの反ナチス・レジスタンスを支援し、ユダヤ人を保護した。 |
東西冷戦中は、ノルディック・バランスを構築し、アメリカ寄りの政策と中立主義政策を行き来したが、冷戦終結後、中立主義を放棄し、1995年に欧州連合 (EU) に加盟した。 |
★☆★彡 |
約45万km2の国土は、2700kmの海岸線が続き、905万人が住む。約半分が森林で、9万以上の湖が点在する。南部のヴェーネルン湖は北欧最大を誇る。南部のスコーネ地方だけが豊かな穀倉地帯となっている。 |
北緯66.6度(66度33分)以北の北極圏では、夏の一定時間太陽が1日中沈まない白夜(びゃくや)となり、冬は逆に日が一日中昇らない極夜(きょくや)となる。 |
スウェーデンでは、船は身近で便利な交通機関で、近隣諸国への国際航路をはじめ、点在する何千もの島々と本土を結ぶ定期船が住民や旅行者を運んでいる。 |
先の大戦には戦災に遭わず、歴史的建造物が多く保存されており、北欧の中で最も中世ヨーロッパを感じさせてくれる国である。 |
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森と湖に囲まれたストックホルム
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ストックホルム Stockholm |
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スウェーデンの首都ストックホルムは約76万人が暮らすスウェーデン最大の都市で、北緯 59度20分、東経 18度3分に位置する。「水の都」、「北欧のヴェネツィア」ともいわれる水上都市で、北欧で最大の人口を誇る。 |
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ストックホルムの航空図
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マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。
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13世紀中頃、スウェーデン東部のメーラレン湖の東にあるスタツホルメン島に砦が築かれたのが始まりで、戦闘に備えて島を囲むように丸太の柵が巡らされていたために、丸太(ストック)の小島(ホルム)を意味する「ストックホルム」と呼ばれるようになったという。 |
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都市の始まりとして築かれたスタツホルメン島は、現在はガムラ・スタン(旧市街)と呼ばれ、王宮や教会など、中世に建てられた歴史的建造物が建ち並んでいる。 |
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ストックホルム市庁舎 Stadshuset |
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1時間15分ほどのフライトで、午後2時頃ストックホルム空港に到着。出迎えの専用バスに乗って、早速市内観光となった。最初に訪れたところは、ノーベル賞の受賞祝賀会が開かれるストックホルム市庁舎。 |
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ストックホルム市庁舎
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デンマークはコペンハーゲンの市庁舎と同様、市庁舎のそばに自転車道路があり、スウェーデンでも自転車がポピュラーであることが分かる。自転車道路は車道と歩道の間にあるため、バスの乗り降りには横断しなければならい。馴れない日本人は自転車の接近に気づかず、ぶつかりそうになるのは毎度のことである。 |
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市庁舎と自転車道路
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市庁舎は、ガムラ・スタン(旧市街)の西に位置するクングスホルメン島の東端、メーラレン湖の湖畔に建つ。20世紀初頭を代表するスウェーデン・ロマンティシズムの最高傑作といわれる建物で、ストックホルム中央駅からだと、西方に歩いて5分ほどの距離にある。 |
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スウェーデン人建築家ラグナル・オストベリ(1866-1945)の設計で、1911年から1923年にかけて建てられた北欧中世風の堅牢豪華なデザインで、宮殿や城塞を思わせる。 |
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アーチ状の正門から入場すると、広い中庭(センターコート)があり、赤煉瓦を使った重厚な建物に圧倒される。 |
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入口から中庭に入る
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入口の部分にだけ見事な蔦(つた)が壁面に絡まっており、その上部に冠を持つ聖女の像があった。公的施設は宗教色が排除されている日本とは異なり、キリスト教を思わせる作品である。 |
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冠を持つ聖女(中庭入口上部)
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左側の塔は高さが106mもあり、上に上がって周囲を展望することができる。赤煉瓦のシックな質感やゴシック風の窓、ビザンチン様式の輝かしい金色の飾りなど、様々な様式を取り入れながら、見事な調和を見せている。 |
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巨大な市庁舎のセンターヤード(中庭)
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市庁舎のバックヤード(裏庭)
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メーラレン湖 |
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バックヤード(裏庭)に出ると、メーラレン湖の水面が広々とした空間を提供しており、市民の憩いの場となっている。左(東)にはガムラ・スタン(旧市街)があり、その西に隣接するリッダーホルメン島に建つリッダーホルム教会の尖塔が威容を誇っている。 |
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城塞のような市庁舎
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バックヤードの裸のブロンズ像
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ガムラ・スタン(旧市街) |
リッダーホルム教会 |
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