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ツアー9日目は、モンテネグロの世界遺産コトルに行った。かつてのガイドブックには「コトルは大いなる秘密である・・・」と書かれていた。南ヨーロッパで最も深い入り江の奥に位置し、背後を険しい山に守られたこの街はあまり知られていないので、そう書かれたのも無理はないだろう。 |
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コトル湾の眺望/モンテネグロ |
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撮影:南光桂子 |
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コトル湾の暗礁の上に聖マリア教会がある。地元の漁師が暗礁で聖母マリアの絵を見つけたので、そこに教会を建てて祀ったというエピソードが残されている。漁師が隅田川で観音像を拾って祀ったという浅草寺の観音堂とよく似た話である。 |
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コトル湾の暗礁の上に建てられた聖マリア教会 |
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撮影:松井公代
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浅草寺と違うのは、ボートでしか教会に行けないことで、天候が悪いとツアーは中止されてしまう。教会は今も厳しい環境に置かれており、信仰の偉大さを肌で感じる。 |
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漁師が拾ったマリアの絵 |
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撮影:松井公代
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フィヨルドのコトル湾最奥部にある人口19,000人余りの港町コトルは、高度な航海技術を誇り、スラヴ諸国で最初の航海士学校が創立されるなどの歴史がある町である。 |
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世界遺産コトルの市街地門 |
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防壁に囲まれた町は、海上交易の拠点として発展。大聖堂や宮殿、広場など中世の面影を残す歴史的建造物が数多く残っているが、1979年の大地震と1990年代の内戦により甚大な被害を受けた。 |
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カトリックの聖トリフォン大聖堂 |
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世界遺産コトルのあるモンテネグロは、ヨーロッパ南東部、バルカン半島に位置する国。セルビア・モンテネグロ(旧ユーゴスラビア連邦共和国)を構成する二つの共和国のうちのひとつだったが、2006年6月3日に独立を宣言した新しい国で、日本の福島県に相当する面積に60万人余りの人々が暮らしている。 |
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聖トリフォン大聖堂の内部 |
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撮影:松井公代
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自国では「黒い山」を意味するツルナ・ゴーラ Crna Gora と呼ぶ。モンテネグロ Montenegro とはイタリア語ヴェネツィア方言あるいはヴェネト語による名称で、意味は同じく「黒い山」である。 |
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1979年の地震で現れた15世紀のフレスコ画 |
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撮影:松井公代
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コトルには9世紀から19世紀にかけて建てられた古い歴史的建造物が数多く残されているが、街自体はそんなに広くはないので、1時間余りで見て回ることができる。 |
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土曜日は結婚式のラッシュ! |
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聖ニコラ教会 |
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撮影:松井公代
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旧市街の路地 |
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撮影:南光桂子 |
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なつのかぜ じょうへきたかき いしのまち |
Summer mountain path, Kotor the town along an inlet.
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湾奥から見たコトル湾 |
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スヴェティ・ステファン島はコトルからアドリア海岸沿いを南に30kmほど下ったところにある小さな島。現在は一本の道路で結ばれている。ここはかつて近隣の人々がリタイアした後に住んでいたが、第二次世界大戦後は過疎化が進み、最後の居住者がこの地を去った後の1960年に古い建物をそのまま利用して島全体をホテルとしてオープンした。 |
周囲を海に囲まれているため、常にパパラッチの目にさらされる有名人にとっては魅力的な島で、ソフィア・ローレンやシルベスタ・スタローンといった世界のセレブリティたちが休暇を過ごす場所としても知られている。かつて昭和天皇も宿泊されたことがあったという。 |
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スヴェティ・ステファン島 |
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撮影:南光桂子 |
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ツアー10日目は早朝ドブロヴニク空港からクロアチアの首都ザグレブに飛び、最初にチトー元ユーゴスラビア大統領の生家のあるクムロベツを観光した。 |
クムロベツは19世紀のザガリエ地方の家々が遺された民族村で、クロアチア版明治村といったところ。村の中には、故・チトー大統領の生家があり、その横には彼の銅像が建っている。家屋の2階に干してあるのは、家畜用の飼料に使われるとうもろこし。 |
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クムロベツにある故・チトー大統領の生家 |
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ザグレブはクロアチアの首都で、人口97万人余りの同国最大の都市。メドヴェドニツァ山の南斜面とサヴァ川の北岸に挟まれたところにある。海面からの標高は120m。 |
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クロアチアの首都ザグレブの旧市街 |
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路面電車のトラムは、ザグレブ市街を中心に16の路線がある。都心のイェラチッチ広場の周辺を通る路線は7系統あり、一番多い。停留所には路線番号が表示され、路線網も単純なので、旅行者でも分かりやすい。 |
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ザグレブの都心を走るトラム |
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国際列車は、全てザグレブ中央駅に発着する。駅からザグレブの中心であるイェラチッチ広場まで徒歩15分ほどで行けるが、駅前にはタクシー乗り場もある。 |
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ザグレブ駅 |
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国会議事堂 |
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13世紀から18世紀にかけて建てられたザグレブのシンボルにふさわしい大聖堂。カプトル地区に建つこのカテドラルは、高さ100mを超える尖塔がふたつあり、ランドマークとして市内のどこからでも見える。現在の外観は、1880年の大地震の後に修復されたもので、ネオゴシック様式である。 |
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聖母被昇天大聖堂 |
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撮影:松井公代
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内部には、ルネッサンス様式の祭壇やバロック様式の説教檀、16世紀にオスマン朝の軍隊がザグレブに侵攻してきたときに戦ったクロアチアの勇者の墓石などがある。 |
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大聖堂の内部 |
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撮影:松井公代
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聖マルコ教会はその美しい屋根が特徴。群青色と赤茶色のタイルを使い、大きく二つの紋章がデザインされている。向かって左はクロアチア王国・ダルマチア地方・スラヴォニア地方を現す紋章、右側はザグレブ市の紋章で、1880年に改築工事を行った際に新たに加えられたという。 |
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タイル屋根の美しい聖マルコ教会 |
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撮影:松井公代
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新市街にあるチトー広場 trg maršsala Tita に面して建つ。1894年、ウィーン出身のヘルメルとフェルネルという二人の建築家によって建てられた劇場で、黄一色の外観が華やかさを醸し出している。 |
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クロアチア国立劇場/チトー広場 |
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撮影:松井公代
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