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■ 7日目:
グラナダ〜カンポ・デ・クリプターナ/白い風車(ラ・マンチャ)〜クエンカ 泊 ■ |
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▼ 7日目4月19日(木)は、長丁場のため、朝8時半にグラナダのホテルを出発し、高速道E-5を北方のマドリッド方面に向けて320km4時間半ほど走ってラ・マンチャ地方に入り、昼食後、カンポ・デ・クリプターナの白い風車を見学。更に200km約3時間北方に走ってクエンカに入り、憧れの国営ホテル(パラドール)に宿泊した。 |
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資料:クラブツーリズム |
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資料:Google マップ |
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ラ・マンチャ
La
Mancha |
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スペインの首都マドリッドの南に広がる赤茶けた大地ラ・マンチャは、アラビア語の 〈 乾いた土地 Manxa 〉に由来するという。トレド県を中心に、クエンカ、シウダッド・レアル、アルバセテの4県にまたがる大平原地区を指し、8万Km2という広範囲を占める。セルバンテスの
「ドン・キホーテ」の舞台で、日本では、松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」で知られる。 |
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この広大な平原に白壁の村落が点在し、ラ・マンチャ特有の風車が立つ。農業中心のこの地方では、サフラン、ブドウ、オリーブ、小麦が栽培される。国内市場向けワインの第一の生産地で、マンチェガと呼ばれるチーズも生産されている。 |
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高速道E-5マドリッド方面に北上する 2012.04.19 11:58
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ドン・キホーテ
Don
Quixote |
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ドン・キホーテは、スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテス(1547-1616)の小説。スペインでは、ドンは呼び掛けの称号のため「ドン・キホーテ」では通じないことが多く、定冠詞を付けて「エル・キホーテ
el Quijote 」と呼ばれる。 |
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白い風車が見えた!/ ラ・マンチャ地方 12:10
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当時ヨーロッパで流行していた騎士道物語を読み過ぎて妄想に陥った下級貴族の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿)と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれて遍歴の旅に出かける物語である。 |
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ドン・キホーテをモチーフにしたレストラン「ラ・ブランクィーリア La Blanquilla 」 12:16
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旧態依然としたスペインなどへの批判精神に富んだ作品で、風車に突進する有名なシーンは、スペインを象徴する騎士姿のドン・キホーテがオランダを象徴する風車に負けるという、オランダ独立の将来を暗示するメタファー(隠喩いんゆ)であったとする説もある。 |
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実在の騎士道小説や牧人小説などが作中に多く登場し、書物の良し悪しについて登場人物がさかんに議論する場面もあり、17世紀のヨーロッパ文学についての文学史上の資料的価値も高い。 |
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ドン・キホーテとサンチョ・パンサ(ギュスターヴ・ドレによる挿絵)
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資料:フリー百科事典ウィキペディア |
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主人公の自意識や人間的な成長などの「個」の視点を盛り込むなど、それまでの物語とは大きく異なる技法や視点が導入されていることから、最初の近代小説ともいわれる。年老いてからも夢や希望、正義を胸に遍歴の旅を続ける姿が多くの人の感動を呼んでいる。 |
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聖書の次に世界的に出版されており、ベストセラー小説・ロングセラー小説でもある。2002年5月8日にノーベル研究所と愛書家団体が発表した世界54か国の著名な文学者100人の投票による「史上最高の文学百選」で第一位に輝いている。 |
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カンポ・デ・クリプターナ Campo
de Criptana |
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スペインの首都マドリッドの南方約120kmに位置するカスティーリャ=ラ・マンチャ州の町。セルバンテスの小説「ドン=キホーテ」の舞台になったラ・マンチャ地方独特の白壁の家や風車の点在する風景がみられる。 |
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葡萄畑に囲まれたカンポ・デ・クリプターナの町 / ラ・マンチャ 14:22
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ドン・キホーテのあらすじ:ときは16世紀末〜17世紀初頭、ところは乾いた大地が広がるラ・マンチャ。50歳になろうとする郷士(下級貴族)キハーノは、現実にはもはや廃れてしまっている騎士道物語のファンで、読みすぎるうちに現実と妄想の区別がつかなくなり、自らを遍歴の騎士ドン・キホーテと思い込むようになる。 |
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やがて時代遅れの甲冑を身につけて、颯爽と痩せ馬ロシナンテにまたがり、近所の農夫、太っちょのサンチョ・パンサを伴って、弥次喜多道中のごとく旅に出る。心に抱く恋の相手はドゥルシネア姫といい、実際は隣村に住む田舎臭い女性である。 |
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ドン・キホーテの中で最も有名なシーンが風車との対決。二度目の旅に出た主従は、大地に数多くの風車が並ぶのに出くわす。サンチョ・パンサが「あれは風車だ」と止めるのも聞かずに、騎士道精神に溢れるドン・キホーテは「巨人の群れだ!」と勇ましく突っ込み、槍を風車の羽根に突き立てる。しかしその瞬間、無情にも風が吹きはじめ、ドン・キホーテは、回転しはじめた羽根に槍を折られ、地面に叩きつけられるが、それでこそカバジェロ(騎士)で、不屈の精神を胸に、ドン・キホーテの旅は、更に続く・・・。 |
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▼ カンポ・デ・クリプターナは、ラ・マンチャ地方の何の変哲もない寒村に過ぎないが、小高い丘に立つ観光用の風車のお陰で有名になり、世界中から観光客が押し寄せるようになった。 |
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ドン・キホーテゆかりの村々は、ほとんどが400年前のセルバンテスの生きていた時代のままで、小さく、ひっそりとしている。彼がこの地でドン・キホーテを書かなかったら、訪れる人もいない静かな村であったことだろう。 |
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♪ パコ・デ・ルシア Paco
De Lucía |
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● BGMのギター曲は、スペインのギタリスト パコ・デ・ルシア(Paco De Lucía、本名Francisco Sánchez
Gomes、1947-)の演奏するフラメンコ曲 'Patio Custodio (Buleria)
'-'Cositas Buenas (Tangos)'-'Antonia (Buleria
Por Solea)' の3曲。筆者と同い年の65歳でなお現役で活躍中とはうらやましい。 |
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▲▼ ここは、飾り物の風車小屋ばかりで、風が吹いても風車は動かない。日本であれば、デモ用に少なくとも一台は動かし、粉を搗(つ)いてみせるところだが、そのような努力はしない。この日は、運悪く、資料館も閉まっていた。 |
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▲▼
日本なら、世界中から観光客が訪れる観光シーズンに資料館を締めるような野暮なことはしない。そこがスペインの田舎らしいところなのかも知れない。ただ、風車の外観を見てまわるだけの観光とは! |
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▲▼
しかし、写真的には、どこから撮影しても絵になってしまうのだから大したものである。風車と白壁の家と赤い屋根。それだけ写っていれば、たちどころにラ・マンチャの風景になってしまう
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らまんちゃの しろきふうしゃや はるのそら |
The sky of
spring, the white windmills of La Mancha. |
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白い風車を観光後、ツアーバスは、約200km3時間北上した場所にあるクエンカを目指して、高速道を走った。途中、緑の絨毯を敷いたような麦畑や牧草地が見えた。 |
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人口約5万を擁するクエンカは、スペイン中央部にある標高約950mの高原都市で、カスティーリャ=ラ・マンチャ州クエンカ県の県都である。スペインの県都の中では、最も高いところに位置している。 |
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カーソルで画像のどこかに触れると説明が表示されます。 |
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▼ 「クエンカ」という名は、「川の盆地」を意味するラテン語の「conca」から来ており、フカール川とウエカル川の峡谷を指しているといわれる。廃墟となったアラブ人の城「クンカ」から来ているという説もある。 |
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クエンカのパラドール Parador de Cuenca / サン・パブロ橋 17:30
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クエンカは美しい古都で、「歴史的城壁都市クエンカ」としてユネスコの世界遺産に登録されている。とりわけ、ウエカル川の断崖の上に建てられている「宙吊りの家 casas colgantes 」が有名で、トレドなどのような印象的な建物はないものの、自然と人工物のユニークな組み合わせが見られる。 |
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ウエカル川の断崖に建つ元修道院のパラドール/サン・パブロ橋
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この日は、ウエカル川の断崖に建つ修道院を改装した国営ホテル「クエンカのパラドールParador de Cuenc a」
の駐車場にツアーバスを乗り入れ、憧れのパラドールに一泊した。 |
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パラドールの正面玄関 |
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スペインのパラドールは、景勝地にある古城や宮殿、修道院、貴族の館などを改装して営業する国営ホテルである。フリー百科事典には、「比較的高級な半官半民の宿泊施設」だと解説されているが、現地のガイドからは、国営ホテルだとの説明を受けている。その証(あかし)は、写真下のエンブレムである。 |
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1928年創業の風格あるエンブレム |
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現国王の祖父にあたるベガ・インクラン伯爵がアルフォンソXIII世に提唱して自分の所有するグレードスの狩猟用の山荘を改装し、1928年にパラドールとして公開したのが第一号で、その後、貴族制度が崩壊して荒れ果てていた古城や宮殿、修道院といった歴史的文化財を国家で買い受けたり借り受けたりして修復し、ホテルとして活用することに成功し、現在、90箇所ほどが営業しているという。 |
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修道院の転用のためか簡素なフロント |
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パラドールというビジネス・モデルは、スペイン当局にとっては文化財の保存費用を生み出し、宿泊客からは一級の設備の整ったホテルでありながら、実在の歴史上の人物がかかわった城や宮殿に実際に触れ、中世の旅が味わえるという一石二鳥の効果があり、世界中の旅行客から人気を集めている。 |
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質素な回廊兼フロントロビー |
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パラドールは、観光客を招致して地域を活性化する経済効果もあるので、一石三鳥の妙案である。特に有名なパラドールがアルハンブラ宮殿の敷地内にある「パラドール・デ・グラナダ」で、とても人気があるという。 |
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パラドールの糸杉の中庭(パティオ) |
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▲▼ 我々が一泊した「パラドール・デ・クエンカ」は、五つ星ホテルの格付けを受けた国営ホテルで、素晴らしい景観と中世の修道院という歴史的遺産を楽しむことができる
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パラドール・デ・クエンカの食堂 |
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▲▼ ディナー・タイムには、ドレス・コードこそないが、男性はノーネクタイながらジャケット着用ということで、少しだけゴージャスな雰囲気を味わった。 |
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特別のテーブル・セッティングでジャケット着用の夕食 20:42 |
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▲▼ この日のメイン・ディッシュは、地中海クロマグロのステーキ。山奥のホテルで海の幸を提供するというのは、パラドールにとっては豪華なメニューなのだろう。 |
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メインディッシュは地中海クロマグロのステーキ 21:10 |
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