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■ 8日目:
クエンカ/観光 〜 バレンシア/観光 泊 ■ |
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▼ 8日目4月20日(金)は、午前中、パラドールから歩いてクエンカの旧市街を観光。その後、北東方約200km3時間走ってバレンシアに到着。昼食後、市内を観光し、宿泊。 |
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資料:クラブツーリズム |
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資料:Google マップ |
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フカール川とウエカル川が大地を浸蝕してできた巨大な断崖の上に立つ城塞都市クエンカは、中世においてはいかなる敵の侵入をも許さない防御力を有していた。背後の山々にも奇岩が連なり、その不思議な景観から「魔法にかけられた町」と呼ばれていた。 |
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●
カーソルで画像のどこかに触れると説明が表示されます。 |
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資料:Google マップ |
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パラドールから見たクエンカ旧市街 2012.04.20 08:54
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サン・パブロ橋 |
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↓宙吊りの家 |
↓カテドラル |
クエンカ旧市街 |
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▲▼
クエンカの見所は、どのガイドブックにも「宙吊りの家」だと説明されている。例えば、リクルートの海外検索サイトAB-ROAD(エイビーロード)では、「クエンカ旅行の楽しみ方」というタイトルで、「マドリッドとバレンシアのほぼ中間に位置する、カスティーリャ・ラ・マンチャ州のクエンカ。その石灰岩が風化して形成された絶壁と、そこに広がる旧市街が非常に特徴的で、なかでもウエカル川の断崖に建てられている今にも崩れ落ちそうな宙吊りの家(不安定な家)はこの町のシンボル的存在。「歴史的城壁都市クエンカ」として世界遺産にも登録されている。観光名所はほとんど旧市街にあり、サン・パブロ橋からの「宙吊りの家」の景色がおすすめ。」と紹介されている。これを読めば誰もが期待に胸が膨らむのではないだろうか。 |
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クエンカ新市街 |
宙吊りの家 |
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▲▼ 実際に見てみると、断崖の上に建てられた家には違いないが、今にも崩れそうではないし、どこが宙吊りなのだろうか。世界三大ガッカリではないが、これは過大広告である。単にバルコニーが絶壁の垂直面より前に出ているだけの家で、日本にもバルコニーが壁から突き出ている家は、何処にでも見られる。 |
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▲▼
現地ガイドにその点を指摘すると、いつも質問されるらしく、「オーバーハンギング・ハウスを宙吊りの家と誤訳されたもの」だという。このあと、旧市街に入ると、殆どの家がこのようなバルコニーをつけている。土地が狭いところでよく見られる壁付きバルコニーに過ぎない。 |
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オーバーハンギング・ハウスを宙吊りの家と誤訳された普通の家
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狭い丘陵の旧市街地に肩を寄り添うようにのっぽ住宅が建ち、宙吊りの家と似たようなオーバーハンギング・バルコニーが設けられている。外から見ると7〜8階建ての家だが、奥の路上から見ると、2〜3階建てである。崖に沿って建てられているためで、私にとってはこちらの家の方がよほど面白い。 |
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狭い丘陵の旧市街地に建つのっぽ住宅 09:12 |
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この地に最初に居住したのは、イスラム教徒だという。彼らは、9世紀頃にこの地に居住し、要塞を築いた。天然の要害ともいえるこの地に石を積み上げ、難攻不落の要塞
kunka をつくりあげた。 |
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しかし、カスティーリャ王アルフォンソVIII世が1177年にレコンキスタを成功させ、クエンカを奪回した。9ヵ月に及ぶ包囲により、籠城した居住者たちは飢えに耐えかね、自ら城門を開いたという。 |
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最初にレコンキスタに成功してクエンカを奪還したアルフォンソVIII世の銅像 09:24
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▲▼アルフォンソVIII世は、彼の軍隊を後にサン・フアン門と呼ばれるようになった城門から入城させ、クエンカはカスティりャ王国の支配下に入り、キリスト教国の都市へと生まれ変わった。 |
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▲▼ アルフォンソVIII世は、イスラム教徒たちが作った城砦跡にキリスト教の建物を次々に建てていった。モスクはゴシック様式のカテドラルに造り変えられ、キリスト教の神の栄光を称える教会や修道院が誕生した。 |
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市役所が城門となっているクエンカの旧市街 09:26
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▲▼
クエンカの旧市街の中心地であるマヨール広場を守るように、その北側に城門があり、その上が市庁舎となっている。この門が閉められれば、敵はこれ以上奥に進むことができない。そして、マヨール広場の東側に城塞のようなカテドラルが建っている。キリスト教徒たちは、以前にも増して難攻不落のクエンカを造り上げた。 |
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マヨール広場の東側に建つ城塞のようなカテドラル 09:30
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♪ カマロン・デ・ラ・イスラ Camarn
de la Isla |
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● BGMに流れる歌曲は、スペインの伝説の天才カンタオール カマロン・デ・ラ・イスラ(1950-1992)が歌うフラメンコ曲 'Soy Gitano Tangos'-'Casida De Las Palomas Oscuras Alegrias'-'Thamar Y Amnon Bulerias' の3曲。カマロンは、フラメンコファンで知らない人はいないという人気歌手だが42歳で死去。 |
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最初の曲 'Soy Gitano' は、ソイ・ヒターノと発音し、「私はジプシー」という歌である。フラメンコ史上最大のヒット曲となったもの。BGMは、カマロン/「ソイ・ヒターノ」 Camaron
/ Soy gitano というアルバム
(中央のジャケット)をインターネットで購入したもの。英語による解説の翻訳は、次のとおり。 |
【カマロン/「ソイ・ヒターノ」】 リリース:1989年
音質を向上させた リ・マスター盤。フラメンコ史上最高のヒットを記録した作品。トマティートの伴奏でロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共にロンドンで収録。ギタリストのビセンテ・アミーゴをはじめ、ライムンド・アマドール、カルレス・ベナベン、ティノ・ディ・ヘラルド、マヌエル・ソレルといったミュージシャンが共演している。 |
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くえんかの ひすいのかわや めぶきそむ |
Trees
budding, the jade green river of Cuenca. |
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クエンカ旧市街を流れる早春のフカール川 09:45
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旧市街のちょうどパラドールの対岸に当たるところから昨夜一泊したパラドールの西面が見えた。よく見ると、屋根の上にヘルメットを被った土木作業員が3人いて、屋根瓦を葺き替えていた。 |
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断崖に建つクエンカのパラドール Paradol de Cuenca 09:57
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▲▼
この修道院がパラドールとして活用されたお陰で、この歴史的建造物は修復され保守されてゆく。我々観光客もスペインの文化財保護に一役買っているのである。 |
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パラドールと旧市街の間を流れる小川/ウエカル川 10:05
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パラドールからサン・パブロ橋を渡ってクエンカ旧市街を往復する早春の徒歩観光を終えた一行は、ツアーバスに乗り、高速道E-901を東に200km約3時間走ってバレンシアに向かった。 |
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バレンシアは、バレンシア州の州都で、バレンシア県の県都でもある。人口は約80万人で、マドリッド、バルセロナに次ぐスペイン第3位。バレンシア都市圏の人口は173万人に上る大都市である。 |
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地中海に面し、温暖な地中海性気候で雨量も少ない。観光地としては世界遺産に登録されているラ・ロンハや国立陶器博物館、カテドラルなどがあり、3月に開催される巨大な人形を炊きあげる火祭りは良く知られる。 |
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資料:地球の歩き方 |
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この地は紀元前137年にローマ人によって建設され、ワレンティア( Valentia 強さ・活力の意)と名付けられた。その後、バレンシアは西ゴート王国、次いで
イスラム教徒に支配された。 |
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資料:Google マップ |
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1094年、レコンキスタの英雄として知られるカスティーリャ王国の貴族エル・シド El Cid
により、国土奪回が果たされたが、彼が死ぬと、再びイスラムのムラービト朝に奪回された。1238年、アラゴン王ハイメ I
世がこの地を征服し、以降はキリスト教国の領土となった。ハイメ I 世が建てたバレンシア王国は、アラゴン王国の一部となった。 |
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ブルゴス Burgos にあるエル・シド
El Cid の騎馬像
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資料:フリー百科事典ウィキペディア |
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芸術科学都市
Ciudad
de las Artes y las Ciencias |
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バレンシアで最初に訪れたところは、超先端を行く斬新なデザインの芸術科学都市で、バレンシアの科学教育と芸術のための施設の複合体である。1957年に大洪水を起こしたために付け替えられて1980年に公園となったトゥリア川の旧川床に5つの印象的な現代建築群が連なっている。 |
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斬新なデザインの芸術科学都市 /
バレンシア 10:01
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散策路ルンブラクレ |
オペラハウス |
レミスフェリック |
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設計者はバレンシア生まれの建築家・構造技術者サンティアゴ・カラトラバと、マドリッド生まれのメキシコの建築家フェリックス・キャンデラ。1998年4月16日にプラネタリウム・IMAXシアターのレミスフェリック
L'Hemisfèric が開館し、2005年10月9日にオペラハウスなどのソフィア王妃芸術宮殿
El Palau de les Arts Reina Sofía
が一般公開され、すべての施設が完成した。 |
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フェリペ王子科学博物館 |
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散策路ルンブラクレ |
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ツアーバスの車窓からバレンシアの国鉄ノルド駅が見えた。大都市の駅舎は、どこも風格ある建物で、歴史を偲ばせてくれる。プラットホームは
カマボコ型の屋根で覆われ、風雨にさらされないようになっているのは、日本のJRには見られない特徴である。 |
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セラーノスの塔
Torre
de Serranos |
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カテドラルの北方400mほどに位置するセラーノスの塔は、14世紀後半に建てられたゴシック様式の要塞を兼ねた門で、中世の時代、防壁に囲まれていたバレンシアの町への出入口だった。一時は監獄として使われたこともあるという。また、凱旋門として、今もなお、火祭りの開幕宣言クリダ
Crida は、ここを舞台に行われる。 |
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▲▼ 表と裏のデザインが全く異なるのも大きな特徴で、上下の写真が同一の建物とは思えない。写真上が外敵に備える要塞の姿であるが、写真下は、バレンシアの町で暮らす人々への優しさをあらわす姿で、何とも洒落たデザインである。 |
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ビルヘン広場
Plaza
de la Virgen |
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カテドラルの北方にバレンシアの守護聖母ビルヘン・デ・ロス・デサンパラードスに捧げるビルヘン広場があり、潤沢な水が湧き出す噴水がある。人々にとって水は生きて行くための貴重な神の恵みであり、噴水は幸せのシンボルである。 |
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ビルヘン広場の噴水 15:48 |
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カテドラル
Catedral |
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ビルヘン広場の一角にカテドラルがある。13世紀半ばのレコンキスタののち、モスク跡に建設が始まり、14世紀末に完成した大聖堂である。17〜18世紀にも改修されているため、ゴシック様式のほかバロックや新古典様式などが混在する建物となっている。 |
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バレンシアのカテドラル 15:50 |
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▲▼ 付属の美術館には、イエス・キリストが最後の晩餐で使ったとされる聖杯カリスが飾られている。南西角に立つ八角形のミゲレテの塔
Torre del Miguelete に上れば、バレンシア市街を一望することができる。 |
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ミゲレテの塔 Torre del
Miguelete とカテドラルの入口 |
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カテドラルの内部 16:05 |
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中央市場 Mercado
Central |
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世界遺産ラ・ロンハの向かい側にバレンシアの中央市場がある。この建物は、1928年に建設されたガラスドーム型の立派な建物で風格がある。市場の前はメルカ
ード(商業広場)
Plaza del Mercado となっていて、市民の憩いの場所である。 |
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中央市場の立派な建物 |
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中央市場の面積は、約8,000m2もあり、ヨーロッパ最大規模。商品の品ぞろいは多く、鮮度も良く安くて清潔な市場は
、市民の誇りともなっている。この日は休みのため、中には入れなかったが、広場でくつろぐ市民の姿が見られた。 |
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オウムの風見鶏 |
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