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■ 10日目:
バルセロナ/終日観光(サグラダ・ファミリア、ピカソ美術館、カサ・ミラetc) 泊 ■ |
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▼ 10日目4月22日(日)は、
サグラダ・ファミリア、ピカソ美術館、カサ・ミラ、グエル公園など、終日バルセロナを観光し、連泊した。 |
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資料:クラブツーリズム |
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バルセロナ
Barcelona |
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人口160万人を超えるバルセロナは、スペインの首都マドリッドに次ぐ第二の都市である。スペイン北東部に位置するカタルーニャ州の州都で、バルセロナ県の県都でもある。 |
地中海沿岸に位置する港湾都市で、フランスとの国境があるピレネー山脈から160km南に位置する。1992年にはバルセロナ・オリンピックが開催されたことで知られる。 |
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資料:Google マップ |
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スペインには、地方ごとに4つの国があり、それぞれの国語(方言)がある。バルセロナを州都とするカタルーニャ地方もカタルーニャ語があり、独自の歴史文化を育んできた。 |
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この日の夜、カンプ・ノウのホームスタジアムでFCバルセロナ(愛称バルサ Barça
)とレアル・マドリッドとの一戦があり、さながら国と国との戦いのように地元民は熱中した。バルサは、エースナンバー10のメッシー
Messi の健闘空しく、1-0で敗れたため、この夜は、お通夜のように静かだった。 |
バルセロナ(カタルーニャ語)で闘牛が廃止されたのも、動物愛護精神だけでなく、マドリッド
(スペインの標準語語となっているカスティーリャ語)に対抗する狙いがあったと云われる。国として独立すべきと主張する県民感情も根強い。 |
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バルセロナ中心部のマップ
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資料:地球の歩き方 |
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イスラム教徒がイベリア半島を支配していた9世紀、カタルーニャはフランク王国の版図に組み入れられていたが、レコンキスタが成功した986年にバルセロナ伯国として独立。これが現在のカタルーニャの起源である。 |
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中世ヨーロッパの影響を受けつつ、イスラムの進んだ文化を取り入れたカタルーニャは、勢力を地中海に拡大し、約400年にわたって繁栄を謳歌した。 |
紆余曲折ののち、独裁者フランク死後の1977年に念願の自治権を獲得したカタルーニャは、フランコ時代に禁止されていたカタルーニャ語を公用語として復活した。昔から自由で新しい文化を取り入れ、ガウディなど数多くの芸術家を生み出してきたバルセロナは、21世紀に入り、スペインでも活気のある大都市として注目されている。 |
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資料:Google マップ |
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サグラダ・ファミリア
Temple
Expiatori de la Sagrada Família |
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▼ サグラダ・ファミリアは、聖家族贖罪教会
Temple Expiatori de la Sagrada Família
という正式名称を持つバルセロナにあるカトリック教会である。司教座を持つ大聖堂ではない。日本では単にサグラダ・ファミリアと呼ばれることが多い。 |
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朝日を受けるサグラダ・ファミリア聖堂
/ バルセロナ市内からの眺め 2012.04.22 08:43 |
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▲▼ サグラダ・ファミリアは、カタルーニャ・モダニズムの最も良く知られた作品例であり、今やバルセロナのシンボルとなっている。カタルーニャの建築家アントニ・ガウディの未完作品で、現在も故人の遺志を受け継いで建設が続けられている。 |
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サグラダ・ファミリア鳥瞰図 |
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ポインタで画像のどこかに触れると説明が現れます。
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資料:Google マップ |
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▲▼ 綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などは前例がなく、大胆な建築様式を誇っている。 |
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※黄色の線は推奨順路 |
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資料:現地パンフレットより抜粋 |
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▲▼ サグラダ・ファミリアは、サン・ホセ帰依者教会の本堂として1882年に着工。翌年には初代建築家ビラールからガウディに引き継がれ、晩年にキリスト教徒となったガウディは、この教会の建設に後半生を全て捧げた。 |
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サグラダ・ファミリアを中心とするガウディの作品群は、1984年に世界文化遺産に登録されたが、2005年にはカサ・バトリヨ(バトリヨ邸)が追加登録された。 |
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池に映ったガウディの傑作「サグラダ・ファミリア大聖堂」 2012.04.22 08:55 |
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がうでぃの いまものびゆく はるのそら |
the
Gaudi's growing to the spring sky even now. |
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▲▼
ガウディが完成させたのは、東側の「生誕のファザード」と4本の鐘楼。自然写実主義を徹底させ、キリスト降誕を描く彫刻は圧巻である。内戦でかなり損傷を受けたが、日本人彫刻家外尾悦郎などによって修復された。 |
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東側の「生誕のファサード」では、キリストの誕生から初めての説教を行うまでの逸話が彫刻によって表現されている。3つの門によって構成され、左門が父ヨセフ、中央門がイエス、右門が母マリアを象徴するという。 |
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サグラダ・ファミリア「生誕のファサード」 09:10 |
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▲▼ ファサードのキリスト生誕を見下ろす人物像を請け負ったのはコーヒーのCMで話題になった外尾悦郎だが、老女のような風貌が評判を損ね、以後の依頼はないという。 |
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コーヒーのCMで話題になった外尾悦郎も加わった「生誕のファサード」の彫刻 09:12
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▲▼
既に聖堂の内部は、完成しており、天空から光が差し込む明るい教会は、独特の雰囲気を醸し出している。 |
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▲▼
贖罪教会なので、財政は、全て喜捨(寄付)に頼っている。そのため、別々の箇所を同時に建設することが出来なかったが、1990年代以降は、作品の世評が一気に高まって世界中から観客が訪れ、入場料を徴収することにより財政状況が好転し、建築作業が著しく進捗(しんちょく)している。 |
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完成すれば正面玄関となる「主の祈りの門」 / 栄光のファサード 09:22
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幸運にも現地スペイン人ガイドが当日許可枠をゲットし、鐘楼に上ることができた。上りはエレベータを利用し、下りは螺旋階段を使った。 |
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鐘楼の展望台から東方の眺望 / バルセロナ 09:34
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♪ カマロン・デ・ラ・イスラ
Camarn
de la Isla |
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● BGMに流れる歌曲は、スペインの伝説の天才カンタオール カマロン・デ・ラ・イスラ(1950-1992)が歌うフラメンコ曲
'Nana Del Caballo Grande '- 'Amor De Conuco Rumba'-'El Pez Mas
Viejo Del Rio Fandangos'-'Luna Llena Bulerias'
の4曲。 |
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西側の「受難のファサード」には、イエスの最後の晩餐からキリストの磔刑、キリストの昇天までの場面が彫刻されている。東側とは全く異なり、現代彫刻でイエスの受難が表現されており、左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。 |
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全裸のキリスト像 / 受難のファザード 09:50
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▲ 驚いたことに、ここには全裸のキリスト像が飾られている。これまで数多くのキリスト像を撮影してきたが、必ず腰布や褌などで局所が隠されていたが、性器を露わにしたキリスト像は初めて見る光景で、問題ないのだろうか。 |
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アントニ・ガウディ Antoni
Plàcid Guillem Gaudí i Cornet |
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▼ アントニ・ガウディ(1852-1926)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア・グエル公園(1900-14)・ミラ邸(カサミラ、1906−10)をはじめとしたその作品は、アントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。 |
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2010年11月7日、
ローマ法王ベネディクト16世 (Benedict
XVI、83)は、アントニ・ガウディの代表作、サグラダ・ファミリア(Sagrada Familia)を正式に教会と認定する聖別のミサを行った。 |
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ローマ法王ベネディクトXVI世による聖別ミサ(2010年10月8日)
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写真:サグラダ・ファミリア資料館 |
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サグラダ・ファミリアの巨大な聖堂で神父や司教ら6500人が参列して行われた聖別ミサでは、800人の聖歌隊による歌声が響き渡るなか、法王が聖堂に聖水を注ぎ、同教会は着工から128年目にして法王庁が認定する上位の教会「バシリカ」となった。 |
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ローマ法王ベネディクト16世(Benedict XVI、83歳)
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写真:サグラダ・ファミリア資料館 |
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ガウディは仔細な設計図を残しておらず、大型模型や紐と錘を用いた実験道具を使って構造を検討し、作成されたミニチュア模型を元に建設が行われたという。 |
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かつては完成までに300年はかかると予想されていた工事だが、スペインの経済成長や入場料収入などに支えられて建設は加速しており、公式発表ではガウディ没後100周年目の2026年に完成するとされている。建設開始から長い年月が経っているため、建築と並行して修復も行われている。 |
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サグラダ・ファミリアの斬新な出口「受難のファサード」 10:18
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↓展望台のある鐘楼 |
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ピカソ美術館 Museu
Picasso |
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▼ バルセロナのピカソ美術館は、ゴシック地区にある美術館で、パブロ・ピカソの友人で秘書を務めたジャウメ・サバルテスの個人コレクションとバルセロナ市所蔵のピカソ作品を基礎に1963年に開館、のちに画家本人やその家族・友人からの寄贈を受け、コレクションを拡大した。ピカソの幼少期から「青の時代」の作品群、ディエゴ・ベラスケスの名作「ラス・メニーナス」を題材とした連作などがある。 |
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▲▼ 母親がピカソが幼少期に書き残した絵の殆どを保存していたお陰で、天才ピカソの幼少時以来の絵の遍歴がよく分かる。館内は撮影禁止なので、その雰囲気をお伝えできないが、地元の美術館ならではのコレクションが多く、展示を見て、ピカソに親しみを感じてしまったのは、筆者だけではあるまい。思っていたよりも格段に素晴らしい美術館である。 |
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ピカソ美術館の内部 |
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パブロ・ピカソ Pablo
Picasso |
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▼ パブロ・ピカソ(1881-1973)はスペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家として世界的に知られる。ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムを創始した。 |
生涯におよそ13,500点の油絵と素描、100,000点の版画、34,000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であるとギネスブックに記されている。 |
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フロントロビーに大きく掲げられたピカソの有名な顔写真 |
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▲▼ 初期のピカソは、ベラスケスのような古典的な油絵を描いていたが、普通の油絵なら誰でも書けることに気付き、独自の世界を模索して行くうちに、ピカソらしい抽象画の世界を生み出すに至った経緯がよく分かる。 |
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マネから「画家の中の画家」と讃えられたベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代であった17世紀を代表する巨匠であるが、ピカソは若くして彼を超えてしまい、まさに画壇におけるレオナルド・ダ・ヴィンチのような天才だった。 |
ピカソは、ベラスケスの傑作「ラス・メニーナス(女官たち)」に対し、「自分ならこう描く」とばかり、一連のラス・メニーナスを描いているが、写真下はそのうちの最もベラスケスの原作に忠実な作品である。上下に二人の作品を並べたので、読者はどのような感想を持たれるだろうか。(ちなみに、私は、ピカソの抽象画の良さを全く理解できない派に属している。) |
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ピカソのラス・メニーナス(女官たち)/1957年制作
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ラス・メニーナス(女官たち)
Las Meninas
ディエゴ・ベラスケス Diego Rodríguez de Silva y Velázquez 1656年 318×276cm プラド美術館
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▼ 当時のスペイン国王フェリペIV世の娘である皇女マルガリータを中心に、数人の女官たちを描いた集団肖像画は、スペインバロック絵画の巨匠ベラスケス Velázquez の不朽の名作である。
独自の陰影法による写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活の情景を見事に計算された構図でありありと表現した本作は、多くの批評家や美術愛好家が古典絵画の傑作として 高い評価を与えている。 |
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ラス・メニーナス(女官たち) / ベラスケス
1656年
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