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▼ 那古野神社の神輿渡御で、赤褌以外にもうひとつユニークな点は、狩衣(かりぎぬ)姿で雅楽を吹鳴する楽人(らくじん)と呼ばれる楽士たちが神輿を先導することである。神輿の出発前に拝殿で雅楽を奉納する姿が見られた。 |
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龍笛(りゅうてき) |
篳篥(ひちりき) |
笙(しょう) |
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▲▼ 最初に氏子長老など例大祭役員らが拝殿に参集して神事が行われたが、斎館控室と拝殿神事は、取材が認められなかったので、撮影できなかった。大神輿の前で行われた神事
「神輿渡御式」は撮影できたが、ほかの祭礼と変わるところはなかった。 |
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宮神輿に向かって宮地俊彦宮司の |
祝詞奏上 |
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神輿神事の後、場所を拝殿前に移して渡御行列の出発式が行われ、裃姿の氏子総代の挨拶などがあった。 |
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▼ 大神輿の頭領に続いて那古野神社祭礼奉仕会役員の挨拶があった。帯付青法被・白晒腹巻・赤褌姿で白扇子(しろせんす)を持つこの人は、二番・永田組(にばん・ながたぐみ)( 080-3039-7243 yazawa_niban@yahoo.co.jp )四代目組頭(くみがしら)矢沢新吾さん(47歳)で、大神輿の現場指揮者である。二番は屋号なので、現地では永田組と呼ばれている。 |
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矢沢さんからメールで送られてきた資料によると、永田組は、名古屋市東区に本拠を置くプロの山車楫方組(だしかじかたぐみ)で、組員は15人。楫方(かじかた)(山車を操作する技術者)だけでは生計を維持できないので、それぞれに職業を持つ。 |
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▲ 明治中期に初代組頭永田鉦次郎(鳶の棟梁)が興して以来、大曽根祭・胡蝶車(こちょうしゃ)、東照宮祭・中市場町(なかいちばちょう)の石橋車(しゃっきょうしゃ)、若宮祭・門前町の陵王車(りょうおうしゃ)の楫方を務めた。 |
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二代目組頭は、初代の甥
・永田政勝(大工棟梁)が継いだ。戦後、筒井町の神皇車と湯取車の楫取を務めた。三代目組頭を受け継いだのは、新出来町西之切の落合健次(公務員)。廣井神明社祭・内屋敷町の唐子車の楫取、那古野神社の神輿舁を務めた。平成16年2月に四代目組頭として現職の矢沢新吾(自営業)が就任した。 |
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現四代目は、三代目より引き継いだ那古野神社の神輿舁を始め、若宮祭の福禄寿車の楫方、岐阜祭の清影車(せいえいしゃ)の楫取、岩倉祭の大上市場町(おおかみいちばちょう)の楫方と囃子方、常滑市西之口祭の雷神車の楫方・囃子方、大垣祭の本町の囃子方、同中町の手古(てこ)(楫方)・囃子方などを手がけている。 |
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永田組は、名古屋で唯一の楫方のプロ集団。当代になってからは、楫方以外にも囃子方や人形操作、山車の分解・組立など、山車祭の際に必要な業務を幅広く行っているほか、那古野神社の神輿舁も手がけ、活動範囲を岐阜・静岡など県外に広げるなど、日本古来の祭文化を継承する活動を行っており、誠に頼もしい存在である。 |
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▼ 神輿渡御式で御神酒を飲み干した担ぎ手たちは、大神輿と中神輿の二手に分かれて配置に付き、午後1時45分、神輿庫前の神輿が舁手たちによって担ぎ上げられ、出発の合図である扇子が組頭の頭上に翳(かざ)された。 |
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りょくいんの あかふんみこし しろせんす |
A white folding fan, the
portable shrine of red loincloth in the shade of green trees. |
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拝殿前の参道を進む |
赤褌 |
神輿 13:48 |
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宮地宮司は、AICHI TOYOTA
と表示されたオープンカーの後部座席にパレード風に腰掛け、渡御行列の最後尾に付いた。 |
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▲▼
那古野神社の境内は桜の名所で、四月には多くの見物人で賑わうという。夏は青(緑)葉が生い茂って緑陰を提供してくれる優れもので、木漏れ日の緑の参道が美しい。 |
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那古野神社から御旅所の若宮八幡宮に向かう大神輿 13:49
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▲
白扇子を持って大神輿を指揮する矢沢組頭の褌姿が板についている。聞くと、祭に参加するときは、常に褌を締めるという。和服となれば褌に決まっているので、野暮な質問だった。(^^; |
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裃 |
・一文字笠の長老が渡御行列を先導 13:50 |
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笙(しょう) |
篳篥(ひちりき) |
楽太鼓(がくだいこ) |
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大神輿の |
采配 |
を |
揮 |
う頭領 13:52 |
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▲▼
神輿の掛け声は「ワッショイ、ワッショイ」ではなく、「エッチ、エッチ」という独特のもの。これは、当初「えっちら、こっちら」と云っていたのが、長すぎるために短くなったものといわれている。 |
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「エッチ、エッチ!」の掛け声を上げて大通りを進む大神輿 13:53
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▲▼
担ぎ手をよく観察すると、白晒の腹巻をしている人とそうでない人がいる。腹巻姿は、先棒に多く見られる。外来者には、腹巻が供与されていないので、腹巻姿の担ぎ手は、地元氏子か永田組関係者ということになる。外来者にとって、先棒(さきぼう)や棒鼻(ぼうばな)といった神輿の重要な位置につくのは、難しいことだろう。 |
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▼ 那古野神輿2基の後に女神輿(ギャル神輿)2基が続き、その後方に宮地宮司が乗るオープンカーが見える。 |
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アブセ |
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晴れ舞台となる桜通本町交差点の神輿練りのほか、目的地に到着したときと休憩する前に神輿を高く差し上げる神輿差しは、ここでは「アブセ」と云い、神輿を左右に揺らして持ち上げるのが習わしとなっている。 |
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▲ 組頭によると、神輿を2回高く持ち上げ、最後の時は地上すれすれまで落として、落ちる直前にまた持ち上げるという
のが本来のアブセだが、今は練習する暇もなく、危険な技なので、披露できないのが残念だという。宮地宮司が言っていた暴れ神輿の名残なのだろう。 |
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