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▲▼ 赤褌神輿2基は、御旅所の若宮八幡社を出発後、元来た道を引き返し、午後4時32分、桜通本町交差点に到着し、
アブセをしたまま、二度目の神輿練りを披露した。 |
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再び桜通本町交差点 2012.7.16 16:32
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▲▼
那古野神輿4基は、晴れ舞台の桜通本町交差点を二周し、京都銀行前でアブセののち小休止に入った。 |
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▲▼ 渡御に入ってから曇りがちとなり、直射日光が層雲に遮られて少しは凌ぎやすくなったものの、矢張り暑い。赤褌一丁になって歩道の石畳に座り込む人もいたのは頷ける。 |
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▼ しばらくして、那古野神社から子供神輿2基が還御行列に合流した。子供たちは、黄法被を着込んでおり、法被の色で役割が分かるように工夫されているのが良い。 |
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▼ 午後4時50分、赤褌神輿を先頭に三度(みたび)桜通本町交差点に進入した那古野神輿は、近代的なビルの谷間で、アブセをしたまま50m道路を二周して最後の神輿練りを披露した。 |
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ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点) 16:51
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なつまつり びるのたにまの あかふどし |
Summer festival, red
loincloth in the valley between tall buildings. |
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ビルの谷間の赤褌神輿/弐(桜通本町交差点) 16:52
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宮地宮司が嘆いていたように、かつては暴れ神輿といわれて名を馳せていた赤褌神輿だが、アブセをしたまま二周すると云うだけの大人しい神輿である。もっと神輿を揺らしたり、ぐるぐる旋回したり、落としそうになったり、歩道に寄せたりして威勢の良さをアピールすると良い。 |
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▲▼
それをするには習熟度が要求される。年に一度の寄せ集めの神輿集団では危険すぎるかもしれない。一案として、中神輿に熟練者を集め、暴れ神輿を再現するのもひとつの方策であろう。 |
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▲▼
担ぎ手たちの法被は汗で汚れ、最後の力を振り絞っての神輿練りだったが、海の日の祭日にもかかわらず観客はまばらで、かつて名古屋三大祭のひとつに数えられた祭にしては、知名度が低いのが残念である。今後、赤褌神輿として、大いにPRさせていただこう! |
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▼ 午後5時過ぎ、還御神輿の一行は、老舗の高級料亭「河文」の玄関に到着し、スタッフたちの接待を受けた。 |
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建物が国の重要文化財に指定されている河文は、400年前、名古屋城の築城とともに、鮮魚店の暖簾を掲げ、初代・河内屋文左衛門の食材の目利きが惚れ込まれ、名古屋城下へ料理を運ぶ「尾張徳川家御用達」のご馳走処となった。 |
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その後、名古屋最古の料亭として、明治以降は中日本随一の迎賓館として、国内外の要人たちに愛され、上流階級の社交場として発展してきたが、時代の趨勢と共に経営方針の変換を迫られつつある。 |
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河文 |
の玄関ギリギリに寄せた大神輿 17:02 |
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十三代当主、林左希也の決断は、これまでの閉ざされた料亭のあり方を、その文化的な流れを汲みつつも、もっと開かれたものにしていくということだった。名古屋の四季を舌で感じとれる会席のよさを若い大人たちにも味わってもらいながら、お座敷遊びといった日本の誇るべき文化を継承していきたいという。 |
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「・・・400年前、名古屋城築城の際に、名古屋の街の起点ともなったといわれている河文は、ある意味、新しいことを生み出していくことを使命としてもっています。今回のリニューアルを機に新たなスタイルをつくりあげ、心がよろこぶお店として、ゆくゆくは名古屋から世界へ飛び出していくような日本が誇れる文化を発信していきたい。」
(河文ホームページより引用) |
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▼ デジカメの時計で午後5時21分、赤褌神輿が那古野神社に還ってきた。参道入口の石鳥居を出発してから帰還するまでに要した時間は3時間32分。少ない人数でよく頑張ったと思う。 |
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▼ 大中神輿は、しきたりに従って参道を二往復し、アブセを行って出発前の位置に安置。舁手(かきて)たちが拝殿前に整列するのを待って、閉会式が行われた。 |
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▼ 最初に地元氏子役員の田中頭領がマイクを握り、「一人の脱落者も怪我人もなく済んだことを神の御加護と感謝したい」と挨拶した。 |
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▼ 続いて永田組矢沢組頭が挨拶を行ったあと「今日の佳き日を寿ぎて」と手締(てじめ)の木遣(きやり)を披露。最後に名古屋は三本〆ということで手締が行われたあと、場所を斎館前に移して、直会(なおらい)となった。 |
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▼ ビュッフェ・スタイルの直会は、酒食を分かち合いながら終始和やかな雰囲気で行われ、赤褌姿のままの担ぎ手たちは、大仕事をやり終えたという満足感が満面ににじみ出ていた。ちなみに、斎館には風呂はないということだった。このあと、受付係から記念の団扇を頂戴した。 |
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あかふんに うちわさしたる うじこかな |
The shrine
parishioner, holding a round fan in his red loincloth. |
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▲ 「赤褌に団扇さしたる氏子かな 北舟」は、江戸時代中期の俳人・与謝蕪村(よさぶそん)(1716-1784)が詠んだ「褌に団(うちは)さしたる亭主かな」(落日菴句集)を踏まえての褌句(ふんどしく)。 |
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舁手たちが腕に巻いていた参加章はハサミで切り取られ、中神輿をデザインした開運招福絵馬が渡された。 |
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住居: 愛知県豊川市 |
趣味: 音楽鑑賞、寺めぐり
スポーツ: スイミング、サイクリング |
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私は1946年生まれの66歳です。出身は愛知県で、タイ滞在は6年になりますが、平成20年(2008)に帰国しました。 |
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あとがき |
地元に住みながら、また一時那古野神社(丸の内)のすぐ近くの三の丸に通勤をしていましたが、朝から夜遅くまでの勤めで、近くを散策するなどできませんでしたので、初めて「那古野神社渡御」をみたような次第でした。
昔の名古屋城にあった那古野神社と若宮八幡社間の渡御でしたが、名古屋の街の政治経済の中心ともいえるところに、赤褌と法被で神輿を担いで練り歩くという祭りが今まで続いてきたことは、先人たちの涙ぐましいご尽力のお陰さまだと思いながら撮影してました。
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統領をお勤めになった方からお聞きしたのですが、町内の氏子だけでは、もう神輿は担げないということで、全国から神輿の担ぎ手を募集して参加してもらって、やっと渡御をしているとのことでしたが、時代の移り変わりを感じさせられ、これからもこういった伝統ある祭りが絶えることなく続いていって欲しいと願わずにはいられませんでした。
彫り物(刺青)の人は一人もいなかった中で、暑中、祭り参加の全員が力を合わせて渡御をしている姿に感動しながら那古野神社を後にしましたが、尊いものを見せていただいたという気持ちで一杯でした。
ただこの渡御とは関係ないのですが、祭りが行われたのは「海の日」という祝日であったのですが、道路を練っていく中で、国旗の掲揚がされていたのは、ある銀行の前だけで、後は一か所も見ることができなかったことは、非常に残念でした。
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★☆★彡 |
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日本の裸祭り<第94種・159集>感動写真集<第178集>「赤褌神輿」 |
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撮影・原作:宮嶋 茂 監修:和田義男 |
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平成24年(2012)08月10日
作品:第17作 画像:(大100+小29) 頁数:5 ファイル数:249 ファイル容量:101MB
平成12年(2000)〜平成24年(2012) 作品数:440 頁数:1,755 ファイル数:76,772 ファイル容量:13,931MB |
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あかふんの てんのうさいや みこしさし |
Tenno-sai Festival of red loincloth,
raising the portable shrine. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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平成24年(2012)
8月10日(月)、感動写真集同人・宮嶋茂さんの第11作「赤褌神輿」が完成した。初めての取材なので、裸祭シリーズは94種159集となった。以前から「赤褌で神輿渡御を行う裸祭が名古屋にある」という情報を得ていたので、今年の取材予定に入れていたところ、
野暮用で行けなくなってしまった。 |
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来年まで待つのは忍びないと思い、同じ愛知県の豊川市に住んでおられる宮嶋茂さんに取材をお願いしたところ、快諾していただき、本日、この素晴らしい裸祭を世に出すことができた。 |
宮嶋さんには、暑い夏場の取材にもかかわらず、何と4,500枚7.5GBもの大量の写真を撮影して頂いた。ファイルの数量を瞬時に計算するソフトの間違いではないかと思い、再計算したが、同じ数値だった。私でもこれだけの撮影は不可能なので、その御労苦に心より御礼申し上げたい。 |
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★☆★彡 |
那古野神社例大祭は、何と1100年の歴史ある夏祭で、江戸時代には、尾張徳川家の庇護の下で名古屋城三之丸天王祭として、名古屋三大祭のひとつに数えられる華やかな祭だった。当時は、車楽(だんじり)や見舞車が巡行する山車祭(だしまつり)だったが、明治時代から神輿渡御が行われるようになり、神輿祭へと変貌していった。 |
天下祭として名を馳せた江戸の祭も、明治以後、電線の敷設で山車が通れなくなったために、神輿祭へと変貌を遂げ、現在では神田祭や三社祭など大規模な神輿祭が盛大に行われている。 |
同じような歴史を踏まえながら、ここ名古屋では、都心のど真ん中で行われるのに、地元名古屋でも知られていないらしく、こんなにも観客が少ないことに正直いって驚いてしまった。 |
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なつまつり びるのたにまの あかふどし |
Summer festival, red
loincloth in the valley between tall buildings. |
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ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点) |
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現代の江戸では、褌がハンダコに取って代わられ、裸褌文化が大きく変質していることを残念に思っているが、名古屋では、昔ながらの赤褌神輿が健在で、裸褌文化が変質することなく存続していることに感動する。 |
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東京でも都心の空洞化が進み、地元の氏子だけでは神輿が上がらなくなり、部外者の力を借りて運営されており、名古屋と同じ状況にある。 |
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ここは、名古屋っ子の奮起のときで、赤褌神輿を前面にPRし、経済でそうだったように、神輿祭でも東京に負けない根性を見せてもらいたい。幸い、Wa☆Daフォトギャラリーに掲載されたことで、全国的に知られる裸祭となることが予想されるので、今が潮時だと思われる。 |
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今後魅力ある神輿祭として発展させるためには、永田組の力を借りて「赤褌神輿」「暴れ神輿」を前面に出したものであって欲しい。東京では、「担ぎ棒に上がってはいけない」など規制強化の方向にある事態が憂慮される。今こそ戦国・徳川時代にヒーローを多数輩出した名古屋っ子の出番である。これからも微力ながら応援させて頂きたい。頑張れ赤褌神輿!〈 完 〉 2012.08.10 監修 和田義男 |
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あかふんに うちわさしたる うじこかな |
The shrine
parishioner, holding a round fan in his red loincloth. |
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●傑作アニメーション●
拡大写真:直会での交歓/壱(那古野神社) |
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▼ 8月14日、700万画素の原画を収録したプリント出来るスライドショーCD「赤褌神輿」を作成し、
那古野神社宮地俊彦宮司や氏子総代役員、二番・永田組矢沢新吾組頭など例大祭の取材にご協力
頂いた方々にお送りした。 |
Wa☆Daフォトギャラリーの裸祭ファンの日頃のご声援にお応えして、スライドショーCD「赤褌神輿」を2000円でお分けします。
この1枚に135枚の画像が納められていますので、MS-Windows対応パソコンのCDドライブに挿入すると、BGMが流れるなか、5秒毎に画像がディスプレー一杯に映し出されるスライドショーを楽しむことができます。上映時間は約13分です。また、CDには最大1,230万画素の原画を同梱していますので、最大A2サイズまでプリントできます。個人で楽しむ限りは、自由にプリントアウトして構いません。
CDを希望される方は、Wa☆Daフォトギャラリー事務局
master@wadaphoto.jp
宛に送付先(郵便番号・住所・氏名)・CD名・枚数をお知らせ下さい。折り返し郵送させていただきます。 |
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りょくいんの あかふんみこし しろせんす |
A white folding fan, the
portable shrine of red loincloth in the shade of green trees. |
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取材協力者にお送りしたCD |
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