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地形も変化に富み、富山湾に刻まれた水深約3,000mの富山深海長谷(とやましんかいちょうこく)から北アルプスに位置する標高2,986mの水晶岳(すいしょうだけ)まで様々な動植物が生息し、ホタルイカや雷鳥などが観光資源化されている。方言は富山弁と呼ばれる。 |
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資料:Google Earth |
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▲ 北陸新幹線の開通に向けて工事中の富山駅の変則的な通路を通り、富山駅南口に出ると、最初に楽天トラベルで予約した駅前のアパホテルに荷物を預けた。このホテルは便利で、
かつ、温泉・サウナ付きで、山王祭期間中の週末にもかかわらず、素泊まり4300円というキャンペーン価格で申し込むことができた。 |
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▲▼ 祭会場の平和通り歩行者天国は、「富山駅前」から「南富山駅前」行き市電(200円均一)に乗ると「西町(にしちょう)」に10分ほどで到着する。会場は目の前で、下車して前方の交差点を右に渡れば良い。 |
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松 川 |
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▼ 東京を早めに出発したため、時間に余裕があったので、土地勘を養うために徒歩で移動することにし、最初に駅前から歩いて約15分の富山城址公園に行った。 |
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途中で、富山城址公園のすぐ北を流れる松川(まつかわ)を渡った。小さな川だが、遊覧船が繋留してあった。有名な神通川(じんづうがわ)は、現在、公園の西約1kmを富山湾に向かって流れる一級河川だが、松川は、かつては神通川の本流だったという。 |
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富山城址公園 |
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▼ 富山は、北陸街道と飛騨街道が交わる越中中央の要衝であり、富山城は、16世紀中ごろ越中東部への進出を図る神保長職(じんぼう・ながもと)により築かれたといわれている。 |
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拡大写真(2400X1800)1.33MB |
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総欅造りの千歳御門(ちとせごもん)は、嘉永2年(1849)、千歳御殿の正門として建てられた富山城唯一の現存建築遺構。創建当初のものではなく、安政2年(1855)の大火で焼失後の再築との説もある。 |
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門形式は三間薬医門(さんげんやくいもん)といわれる格式の高い城門建築で、現存する同形式の門は、東大の赤門(旧
加賀屋敷御守殿門)だけという。 |
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拡大写真(2400X16200)665KB |
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戦国時代には佐々成政の居城であり、江戸時代には富山前田家の居城として、富山藩政の中心であった富山城だが、この城跡が「富山城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっている。 |
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拡大写真(2150X2600)860KB |
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▲▼ 天然の要害である神通川を北面の守りとし、本丸、二ノ丸、三ノ丸を段下がりに構成する梯郭式(ていかくしき)平城(ひらじろ)は、四周を水濠(すいごう)と河川とで二重に囲まれた大規模な構えで、加賀100万石の支藩である富山10万石の大名としては、かなり立派な城であった。 |
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パノラマ写真(2600X2400)972KB |
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▲▼
岐阜県高山市の川上岳(かおれだけ)に源を発する神通川(じんづうがわ)の流れを城の防御に利用したため、富山城は水に浮いたように見え、「浮城」の異名をとった。当時の神通川は富山城の辺りで東に大きく蛇行しており、その南岸に富山城が築かれていた。 |
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うきしろの みどりのすいごう なつこだち |
Summer
trees, the green mort of the floating castle. |
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拡大写真(2600X2000)767KB |
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▲▼ 戦後、建設された天守閣の中は、「富山市郷土博物館」となっており、400年以上にわたる富山城の歴史を紹介しているが、撮影禁止となっているのが残念。園内には、東洋の古美術を中心に展示する「佐藤記念美術館」がある。 |
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▼ 天守閣からの雄大な眺望を楽しみに階段を上ったが、残念なことに、全周に金網が張られており、動物園の檻の中にいるようだった。帰りに受付嬢に
「せめて撮影出来る穴を設けて欲しい」と伝えた。 |
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富山城址公園の一角に越中富山藩の第二代藩主前田正甫(まえだ・まさとし)の銅像がある。慶安2年
(1649)、初代藩主・前田利次の次男として生まれ、延宝2年(1674)、父の死去により家督を継いで藩主となっ
た。 |
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父の方針を受け継いで藩制の確立に努め、文武を奨励して多くの有能な人材を招聘(しょうへい)。但馬(たじ
ま)からタタラ技術を導入して製鉄業を創始し、新田開発、治水工事、産業奨励などを積極的に行なった。 |
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製薬業に興味を持ち、江戸城腹痛事件*で名をあげた胃痛・腹痛などに効能がある反魂丹(はんごんたん)を
製薬して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。 |
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*江戸城腹痛事件:元禄3年(1690)、江戸城で腹痛を起こした陸奥国(むつのくに)三春藩主の秋田輝季(あきた・てるすえ)に正甫(まさとし)が反魂丹を服用させたところ、劇的に腹痛がおさまり、大評判となった。 |
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拡大写真(1950X2600)1.34MB |
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