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 旅紀行日本の裸祭り

2011年11月22日改訂

♪小鼓「重陽」

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立砂や相撲童子の白褌  北舟

2006年9月18日制作

艶やかな齋王代

艶やかな齋王代(京都・上賀茂神社)

 

賀茂葵の神紋上賀茂神社

重陽の烏相撲

 

楼門

 

賀茂伝説

 賀茂伝説によれば、賀茂氏の祖神(そじん)・建角身命(たけつのみ・の・みこと)の女(むすめ)・玉依姫命(たまよりひめ・のみこと)(ともに下鴨神社に奉祀)が瀬見(せみ)の小川(賀茂川)を流れ下る丹塗(にぬり)の矢に感じて、上賀茂神社祭神である別雷神(わけいかづちのかみ)(大自然を支配する神)を生んだという。
楼門の前を流れる清流・

御物忌川おものいがわ

楼門の前を流れる清流・御物忌川(おものいがわ)

拡大写真(1400x1150)439KB

 

上賀茂神社の社殿

 京都最古の上賀茂神社の社域は約76万m2(23万坪)。社殿は21年ごとに立て替える習わしであったが、中世以来中絶している。楼門の奥にある国宝の本殿は、流造神殿の典型で、国宝の権殿(ごんでん)とともに三間社造、桧皮葺(ひはだぶき)で文久3年(1863)の建築である。このほか、社域にある中門、弊殿など34棟の建物の多くは寛永5年(1628)の造替(つくりがえ)で国の重要文化財に指定されている。

楼門と本殿入口

楼門と本殿入口

パノラマ写真(2000x900)470KB

 
重陽神事ちょうようしんじ
 重陽神事は、9月9日の重陽の節句に国宝の本殿で菊花を献上し、無病息災を祈願する神事である。写真上の左側の建物の奥に本殿があるが、撮影禁止のため、重陽神事の様子は撮影できなかった。

細殿ほそどの

に向かう宮司・ 権宮司ごんぐうじ

以下の神官たち

細殿に向かう宮司・権宮司以下の神官たち

拡大写真(1220x1400)383KB

   子供たちが本殿に入ったのが午前10時10分、重陽神事が終わって宮司以下姿をあらわしたのが午前10時50分。その間、太陽の下で汗を流しながらひたすら待ち、一行が細殿(ほそどの)に向かう姿を撮影することができた。

からす

神事を奉納する二人の 刀祢とね

烏(からす)神事を奉納する二人の刀祢(とね)

拡大写真(1130x1400)327KB

   石段の回りには、相撲童子たちの親族やアマチュア・カメラマンたちが待ちかまえ、裸の群像に向けたカメラの放列ができた。国の重要文化財である朱塗りの楼門のお陰で、どこから写しても絵になる景色である。

元気に飛び出してきた童子たち

元気に飛び出してきた童子たち

拡大写真(2200x1800)861KB

楼門を通る子供たち

楼門を通る子供たち

拡大写真(2200x1850)828KB

 
美しい 斎王代さいおうだい
 裸の群れが通り過ぎた後、最後に神官に先導された斎王代が現れると、美しい顔立ちに艶やかな衣装で、急に場が明るくなった。40分間、場所取りをして待ったお陰で、ナイスショットをものにすることができた。

殿しんがり

齋王代さいおうだい

殿(しんがり)は齋王代

拡大写真(1290x1400)415KB

艶やかな齋王代

艶やかな齋王代

拡大写真(1370x1400)650KB

齋王代の後ろ姿

齋王代の後ろ姿

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