|
|
|
|
賀茂伝説 |
|
賀茂伝説によれば、賀茂氏の祖神(そじん)・建角身命(たけつのみ・の・みこと)の女(むすめ)・玉依姫命(たまよりひめ・のみこと)(ともに下鴨神社に奉祀)が瀬見(せみ)の小川(賀茂川)を流れ下る丹塗(にぬり)の矢に感じて、上賀茂神社祭神である別雷神(わけいかづちのかみ)(大自然を支配する神)を生んだという。 |
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x1150)439KB |
|
|
|
|
|
上賀茂神社の社殿 |
|
京都最古の上賀茂神社の社域は約76万m2(23万坪)。社殿は21年ごとに立て替える習わしであったが、中世以来中絶している。楼門の奥にある国宝の本殿は、流造神殿の典型で、国宝の権殿(ごんでん)とともに三間社造、桧皮葺(ひはだぶき)で文久3年(1863)の建築である。このほか、社域にある中門、弊殿など34棟の建物の多くは寛永5年(1628)の造替(つくりがえ)で国の重要文化財に指定されている。 |
|
|
|
|
楼門と本殿入口 |
|
パノラマ写真(2000x900)470KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
重陽神事は、9月9日の重陽の節句に国宝の本殿で菊花を献上し、無病息災を祈願する神事である。写真上の左側の建物の奥に本殿があるが、撮影禁止のため、重陽神事の様子は撮影できなかった。 |
|
|
|
|
細殿 |
に向かう宮司・ |
権宮司 |
以下の神官たち |
|
|
拡大写真(1220x1400)383KB |
|
|
|
|
|
|
子供たちが本殿に入ったのが午前10時10分、重陽神事が終わって宮司以下姿をあらわしたのが午前10時50分。その間、太陽の下で汗を流しながらひたすら待ち、一行が細殿(ほそどの)に向かう姿を撮影することができた。 |
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1130x1400)327KB |
|
|
|
|
|
|
石段の回りには、相撲童子たちの親族やアマチュア・カメラマンたちが待ちかまえ、裸の群像に向けたカメラの放列ができた。国の重要文化財である朱塗りの楼門のお陰で、どこから写しても絵になる景色である。 |
|
|
|
|
|
元気に飛び出してきた童子たち |
|
拡大写真(2200x1800)861KB |
|
|
楼門を通る子供たち |
|
拡大写真(2200x1850)828KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
裸の群れが通り過ぎた後、最後に神官に先導された斎王代が現れると、美しい顔立ちに艶やかな衣装で、急に場が明るくなった。40分間、場所取りをして待ったお陰で、ナイスショットをものにすることができた。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1290x1400)415KB |
|
|
艶やかな齋王代
|
|
|
拡大写真(1370x1400)650KB |
|
齋王代の後ろ姿
|
|
|
拡大写真(1400x1200)456KB |
|