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午前11時50分ころ、全ての取組が終了し、観客の拍手に送られて烏相撲は閉幕した。相撲童子たちは、全員記念写真を撮るために土俵上に集合。どの子にも大役を果たしたという安堵の表情がみられた。 |
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土俵に集合した相撲童子たち |
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日焼けして逞しくなったちびっ子たち |
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烏相撲の記念撮影 |
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約1時間に及ぶ熱戦が終わった後、斎王代を中心に関係者と相撲童子たちとの記念撮影が行われた。子供たちにとっては一生で一度の晴れ舞台であり、終生忘れ得ぬ重陽の良き日となった。 |
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砂をはらって水浴場へ |
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正面から斎王代にカメラを向けると、私に注目してくれた爽やかな京美人の藤田菜奈子さん。君の瞳に乾杯! |
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最後に、相撲童子たちは、細殿のすぐ裏を流れる小川の水浴場に入り、砂と汗で汚れた身体を洗い清めた。 |
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この川は、賀茂川から流入して楼門の西側を流れ、細殿の裏(北東)で楼門の南東を流れる御物忌川(おものいがわ)と合流する。参詣に際して手を清めた川であったので御手洗川の名がある。 |
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はしゃぐ子供たち |
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水をかける |
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撮影:K. T. |
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川に横たわる |
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撮影:K. T. |
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水浴場から少し下流の奈良社付近から「ならの小川」と呼ばれる。平安の昔歌人藤原家隆(ふじわらのいえたか)が
「風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける」
と詠んだ。小倉一首の古歌で有名な「ならの小川」で、神職が禊ぎをしていた情景を詠ったものといわれる。 |
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藤原家隆の歌碑とならの小川 |
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歌碑のある付近は紅葉などが植えられており、藤原家隆も緑豊かなこの情景を愛でて歌にしたのだろう。近くの木陰で若いお母さんが幼児を遊ばせていた。小川のほとりは地元民が普段着で過ごせる憩いの場所であった。 |
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ならの小川で水遊び |
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保存会の人の指示により、児童たちは早々に水浴を切り上げ、濡れたまま、社務所に向かった。もっと水浴びをしたかった子が多かったが、神事とあっては仕方がない。 |
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ずぶ濡れのまま社務所に向かう |
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居残ったカメラマンたちが最後のチャンスとばかりカメラを向けたので、子供たちはブイサインで応えた。 |
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綺麗になった子供たち |
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社務所に到着した児童たちは、上がり口に用意された洗い桶で足を洗った後、廊下にあがり、保存会のおじさんたちに褌を外してもらってから畳の間に入り、私服に着替えた。 |
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足を洗って上がる |
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本日の主役を無事に果たした児童たちには、地元新聞社の協賛により、参加賞として学用品が配られたほか、三番勝抜いた子にはノートなどの賞品が渡された。 |
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1月1日の元旦、3月3日の桃の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕、9月9日の重陽の節句をあわせて5大節句という。重陽の節句は別名、菊の節句とも呼ばれ、日本では平安初期に宮中行事として、天皇が紫宸殿(ししんでん)に出御して下臣らと詩を詠んだり菊花酒を飲んでけがれを祓い、長寿を願った。
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菊の被綿(きせわた)といって、重陽の節句の前夜につぼみの菊の花に綿をかぶせて菊の香りと夜露をしみこませ、宮中の女官たちが身体を拭き浄める風習があり、枕草子や紫式部日記にも紹介されている。 |
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好青年による菊酒の振る舞い |
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境内では、重陽の節句にちなんで、無料の菊酒が振る舞われていたので、私もお相伴にあずかった。葵の文様が刻み込まれた酒器には、黄菊(きぎく)が漬け込まれた御神酒(おみき)が入っており、一人づつ両手に持った盃に若くてハンサムな神官が清酒を注いでくれた。口に含むと仄かな菊の香りがあり、秋の気配を感じた。 |
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Kamo shrine,
Faint scent
of chrysanthemum sake
in the air. |
きくざけの かおりほのかに かもじんじゃ |
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葵の文様の酒器 |
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OLYMPUS E-330 E-500
11-22mm
18-180mm
800万画素
1,280枚 2,045MB
撮影 2006年9月9日
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読者のリクエストにより、京都の烏相撲を取材したが、予想外に素晴らしい祭だった。 |
葵祭を執り行う由緒ある神社であってみれば当然かもしれないが、斎王代や神職はもとより、刀祢や行司、相撲童子などの衣装は平安の昔と寸分違わぬもので、これほどまでに完璧に伝統を継承していることに、深い感銘を受けた。 |
昔は男子が泳ぐときは水褌(すいこん)と呼ばれる六尺褌を締めたものだが、今は海水パンツに取って代わられた。特に六尺褌で相撲を取る光景は珍しく、貴重な記録となった。 |
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国技の相撲は何処へ |
校庭から土俵が消え、子供たちが褌(まわし)を締めて相撲を取ることが珍しくなった。烏相撲では前日に練習があるが、ほとんどの子供たちはそこで初めて裸になって土俵に立ち、相撲を取る経験をしたのだろう。褌を締めているのに、左右の横褌(よこみつ)を取ってがっぷり四つになった取り組みは一番もなかった。相撲経験のない子は、立ち会いで踏み込み、突っ張って押し出すか、まわしを取って技をかけるという基本動作を教わっていないから、パンツやタイツしかはいていないために上半身で組み合うしかないレスリング・スタイルになるのだろう。 |
現在、秋場所が行われているが、上位を占めているのは朝青龍や琴欧州など、外国勢が多く、日本人関取の不甲斐なさに落胆している人が多いのではないだろうか。その理由は、底辺を支える相撲人口が少ないためであることは明らかである。 |
子供たちはサッカーや野球といった華やかなスポーツにあこがれるからだといわれるが、相撲人口が少ないのは、戦後、学校に相撲を取る施設がなくなったためで、スタートから機会均等ではない。相撲が国技であるのなら、神社などに任せきりにするのではなく、行政当局や教育機関がもっと力を入れて普及を図るべきではないかと思う。若いときに心技体を鍛える素晴らしい挌技のひとつである国技を今一度見直してみては如何か。 |
和楽器のBGM |
今回、BGMに和楽器を使用した。横笛、太鼓、琴、尺八といった日本の伝統楽器の素晴らしさを十分に堪能して頂きたい。また、雅楽や宮司による祝詞(のりと)も収録し、多彩な内容になった。 |
曲目(掲載順):報鼓(ほうこ)・祝詞(のりと)、越天楽(えてんらく)、越天楽(唄)、小鼓「重陽」、箏曲「春の海」、一番太鼓(相撲ふれ太鼓)、御諏訪太鼓「雷(いかづち)」、島の祭、北海太鼓、海のアラベスク、箏曲:八千代獅子 |
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撮影奮闘記 |
細殿(ほそどの)の前は、土俵がある広場を囲んで、コの字型にテントが張られ、南側は招待席で、東西は一般客に開放されていた。烏相撲は午前11時から始まるにもかかわらず、午前8時頃には写真同好会などの場所取りが行われ、午前9時半に着いた時には席は完全に埋まっていた。普通にやってきた一般客はテントの間から立ったまま見るしかない。 |
テントがあるために、人垣のうしろから脚立の上に立って撮影するという手法が取れず、撮影場所に苦慮した。会場の出入口にカメラの放列ができていたが、土俵上の取組は写せるものの、全体を見渡すことが出来ないので、良い撮影場所とはいえない。 |
いずれにせよ、筆者一人であらゆるシーンを撮影するため、場所取りはできない。試行錯誤ののち、斎王代の鎮座する細殿が見える南側のテントの隙間の人垣のうしろから脚立に立ち、万歳スタイルで何とか撮影することができた。 |
後から割り込んできて頭越しに撮影する私に対して、前方に立つ人たちから満員電車の経験をしたことのない人の言い分と思える苦情が浴びせられ、「譲りあえばもっと多くの人が撮影できるのに・・・」と思いつつ、「すみません」を連発しながら、ひたすらシャッターを切った。 |
テントに挟まれた空所の奥にいるため、テントに左右の視界が制限されてパノラマ撮影ができなかったのは残念である。今回の撮影行で、一部の人たちの快適な空間を創造するために張り巡らされたテントがその他大勢の人たちの視界を奪い取る効用があることを初めて知った。 |
確保した位置から離れると撮影できなくなる可能性があるので、一点からだけの映像になったが、E-330の可動式背面液晶のお陰で、テントの屋根の高さから撮影できたので、子供たちと背景の見物客とが重ならず、深みのある画像が得られたのは怪我の功名である。 |
夏日となった重陽の直射日光の下、僅か2時間半の間に11-22mmのE-500と18-180mmのE-330の二刀流で全身滝のような汗をかきながら1,280枚・2,045MBという大量の画像を切り取った。裸の子供たちも汗を流して日焼けしたが、私も同じときを同じように分かち合った。新幹線の冷房車の中で、B席に座った汗くさい私に不快感を示さず、一緒に東京まで旅友(たびとも)となった隣席の旅客に感謝したい。 |
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謝 辞 |
「重陽の烏相撲」の制作にあたり、 K.T.さんから、前日の内取式や当日の取組などの写真11枚をご提供いただき、私の足らざるところを補っていただきました。特に相撲の取組みは、不自由な体勢で撮影せざるを得なかったためにズームアップ写真が少なく、迫力に欠けていた原作が、幅広いアングルから撮影した奥行きのある作品に変身し、烏相撲の決定版として自信を持って公開できるものとなりました。巻末ではありますが、心からお礼申し上げます。有り難うございました。 2006.9.22 〈 完 〉 |
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