御福木(陽)争奪戦【弐拾六】 〜なおも続く泥仕合〜 21:22:57
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撮影:和田義男 |
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御福木(陽)争奪戦【弐拾七】 〜力水を掛ける〜 21:23:54
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撮影:和田義男 |
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御福木(陽)争奪戦【弐拾八】 〜名誉の勲章〜 21:24:30
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撮影:吉田好幸 |
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御福木(陽)争奪戦【弐拾九】 〜泥まみれの戦い!〜 21:24:46
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撮影:和田義男 |
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神楽殿の前で、若い男性が倒れていた。将棋倒しで潰されたらしく、しばらく立ち上がれなかったので、どうしたものかと気を揉んでいると、消防団員がやってきた。それを見た若者は、直ぐに立ち上がり、大した怪我はないと説明した。右腕に血が滲んでいるが、揉み合いになれば、誰もが負うはだか祭の勲章である。 |
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ふゆのよの ふくとりかっせん どろまみれ |
Winter night, mud-caked men in the scramble for good fortune. |
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御福木(陽)争奪戦【参拾】 〜消防団の出動!(アニメーション)〜 21:25:14
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撮影:和田義男 |
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御福木(陽)争奪戦【参拾壱】 〜長期戦か・・・〜 21:25:20
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撮影:和田義男 |
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御福木が投下されて12分が経過し、長期戦かと思い始めた頃、アナウンスがあり、収得者が渦から抜けて審判に御福木が届けられたことが判明し、争奪戦が終わったことを知った。 |
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御福木(陽)争奪戦【参拾弐】 〜抜けた抜けた!〜 21:25:56
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撮影:和田義男 |
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外国人と日本人が白い御福布を分かちあっている姿が吉田さんのデジカメに記録されていた。一つのものを分かちあうことを英語でシェア
share
という。They are sharing a piece of white lucky cloth.
微笑ましい国際親善ではないか。 |
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御福木(陽)争奪戦【参拾参】 〜御福布のシェア(アニメーション)〜
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撮影:吉田好幸 |
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第二回餅まき |
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▼ 御福木(陽)争奪戦が終わると、合計800点の御福品が当たる二度目の餅まきが始まった。紅白の御福餅は、ビニール袋に入っているので、泥がついても大丈夫。 |
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第二回餅まき【壱】 〜紅白の富くじ入り御福餅〜 21:27
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撮影:和田義男 |
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第二回餅まき【弐】 〜大量の餅をばらまく氏子役員たち〜
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撮影:吉田好幸 |
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第二回餅まき【参】 〜宙を舞う御福餅〜 21:28
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撮影:和田義男 |
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ウォー・クライ War
Cry |
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▼ 神楽殿の前で、ウォー・クライを行う男たちがいた。ニュージーランドの民族舞踊 ハカ
Haka
の英語名がウォー・クライ(戦いの叫び、鬨の声ときのこえ)で、手を叩き足を踏み鳴らして叫び、自らの力を誇示し、相手を威嚇するもの。ラグビー・ニュージーランド代表のオール・ブラックスが試合前に行うことで、世界的に知られている。はだか祭にニュージーランドから参加した人がいたのだろうか。 |
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撮影:吉田好幸 |
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撮影:吉田好幸 |
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撮影:和田義男 |
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引き揚げる三原市消防団 21:31
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撮影:吉田好幸 |
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社務所に行くと、はだか祭の参加者たちが「御福餅
御福品授与所」で御福餅に入っていた引換券を渡して御福品をもらい、社務所窓口で参加賞を受け取る光景が見られた。 |
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社務所で御福品とはだか祭参加賞をもらう 21:31
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↓御福餅の御福品授与所 |
参加賞を受け取る社務所窓口↓ |
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撮影:和田義男 |
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透明のビニール袋に入っている参加賞は、参加章、厄除招福守、御神酒(300ml)の三点。参加章は、檜木で作られた御福木を模したもので、年月日と久井稲生神社はだか祭と書かれた檜木製で、ひとまわり小さいものの、なかなか立派なものである。神棚などに飾れば、御利益があるという。 |
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厄除招福守(やくよけしょうふくまもり)は、布製で鈴が付いた小さな御守。御神酒は、300mlのビン入りで、神社の祭礼には欠かせない一品。 |
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社務所で参加賞をもらってから引き揚げる 21:32
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撮影:和田義男 |
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▼ 社務所の窓口で、御福木(陽)の収得者が御福木を手にしてテレビ局のインタビューに応じていた。終わった後私の取材に快く応じてくれた。 |
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御福木(陰)の収得者は、地元三原市久井町江木の仁井大輔さん(23歳 自動車整備)。御福木(陽)の収得者は岡山県勝田郡勝央町から参加した写真下の山下秀樹さん(49歳 塗装業)。 |
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テレビ局のインタビューを受ける御福木収得者 21:32
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拡大写真(2000x1500)480KB
撮影:和田義男 |
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稲生神社御福木(陽)と収得者証を持つ山下秀樹さん(49歳) 21:33
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拡大写真(1400X2000)309KB
撮影:和田義男 |
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▲▼
御福木(陽)は、長さ7寸(23cm)幅1寸(3.3cm)の檜木の角材で、稲生神社御福木と書かれ、稲生神社と宮司の朱印が押されており、側面に(陽)の表示がある。御福木(陰)も側面に(陰)と表示されている以外は、全く同じもので、御利益も変わらない。 |
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収得者証は、「平成二十七年二月二十一日斎行 はだか祭 《陽》 御福木 収得者証 久井稲生神社 宮司 羽田浩彬」と書かれ、稲生神社と宮司の朱印が押されている。 |
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長さ7寸(23cm)幅1寸(3.3cm)の御福木(陽)と収得者証 21:34
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撮影:和田義男 |
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ちなみに、御福木(陰)の賞金は7万円で、(陽)の方は10万円と差がある理由を宮司にお聞きしたところ、両者の御利益は全く同じだが、最後まで争奪戦に参加してもらうために二回目の賞金を増額したとのこと。 |
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拡大写真(2000X1670)523KB 撮影:和田義男 |
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拡大写真(2400X1900)765KB
撮影:吉田好幸 |
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▲▼
収得者の晴れ姿を撮影するため拝殿前に移動し、山下さんに玄米の入った60kg
の米俵を担いでもらった。 |
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御福木(陰)を収得した地元の仁井さんは、既に引き揚げたらしく姿が見えず、撮影は叶わなかった。羽田宮司によると、彼は、後日、米俵を特別養護老人ホームに寄付したという。 |
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ふゆまつり たわらをかつぐ ふくおとこ |
Winter
festival, lucky man carrying a straw bag on his shoulder. |
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60kgの米俵を担ぐ山下秀樹さんの勇姿! 21:40
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拡大写真(2400X2050)587KB 撮影:和田義男 |
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撮 影
2015年2月21日
OLYMPUS E-5
E-30
12-60mm 9-18mm
1230万画素 950枚
2.3GB
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編集後記 |
● 2015年4月14日、今年の第6作となる感動大作「久井はだか祭」が完成した。去年取材する予定で、新幹線の切符や三原駅前のホテルまで手配していたが、大雪で新幹線が止まり、断念していたもので、二年越しに取材が叶い、感慨深いものがある。 |
去年の計画では、三原駅からバスで久井に行く予定にしていたが、帰りのバスがなく、久井にも宿がないので、苦慮していたところ、今年は吉田好幸さんのサポートを得て、吉田車で現地入りできたので、帰りの心配もなく、ゆっくりと取材することができた。 |
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久井はだか祭万歳! |
● このたびは、羽田浩彬(はだひろよし)宮司のご高配により、密着取材が叶い、しかも御福木を投下する櫓(やぐら)に上がり、宮司のそばで御福木争奪戦の渦を撮影することができ、素晴らしい画像を多数切り取ることができた。編集中も「これは凄い!」と自画自賛しながら、吉田さんの撮影した260枚960MBとあわせ、約1200枚3.3GBの原画から傑作を抽出する作業に没頭した。
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前半の結和会(ゆうわかい)の歴史ある樽神輿の密着取材は、久井中学校OBの方々の御好意により実現したもので、毎年、賑やかに町内を巡行して祭を盛り上げている様子を記録することができた。この作品は、「久井はだか祭」のバイブルとして、完成度の高い作品となったことを喜びたい。
久井はだか祭は、西大寺会陽に倣って大正8年(1919)に始まったもので、96年の歴史がある。地押しや四本柱など、西大寺会陽の文化が垣間見られるところもあるが、長い歴史を重ねて、独自の進化を遂げてきた。 お寺の会陽という裸祭を参考に、神社でも勇壮な裸祭をやろうと考えた大正時代は、血気盛んな若者が大勢いたに違いなく、現在も西大寺会陽と同じ日に催行されていることは、その意気込みが今も脈打っている。
一時は参加者が減り、開催が危ぶまれた時機もあったが、郷土愛に燃える久井中学校の卒業生たちが決起して結和会を立ち上げ、地元民と一体となって今日の隆盛につなげたことは、感動的である。
羽田宮司によると、久井町も少子高齢化の影響で、神職を神社に常駐させるための経済的基盤が脆弱になりつつあるという。 しかし、広島県最大のはだか祭という素晴らしい無形文化財を生かせば、創意工夫により郷土を活性化させることは、十分に可能だと思われる。Wa☆Daフォトギャラリーに「久井はだか祭」を発表したことで、全国的にその名が知られ、久井町の発展の一助となれば幸甚である。久井はだか祭万歳! |
謝 辞 |
● 羽田浩彬宮司様はじめ久井稲生神社の皆様、氏子長老役員の皆様、久井中学校の卒業生はじjめ参加者の皆様、その他この裸祭にご尽力された多くの皆様の御厚意とご支援のお陰で、ロマンと感動溢れる広島県最大の「久井はだか祭」を150枚もの高画質写真と正確な解説により全国に紹介することができましたことは、 今に息づく日本の裸褌文化を記録に残し、そのロマンと感動を世界に伝えることをライフワークとする私の大きな喜びであり、衷心より御礼申し上げます。
後日、感謝の気持ちを込めて、この作品をプリントできるスライドショーCDに取りまとめ、永久保存版として神社に奉納させて頂きます。先人の歴史をつなぎ重ねてゆく中の一瞬の記録ではありますが、後世に残す資料のひとつとしてお役に立てて頂ければ幸甚です。
これからもこの勇壮で美しい裸祭が更なる発展を遂げ、皆様方が末永くご活躍なされますよう祈念申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。有り難うございました。 〈 拝 〉 2015.4.14 和田義男 |
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日本の裸祭り〈 第190集 〉(101種)「久井はだか祭」 |
撮影:和田義男
吉田好幸 / 制作:和田義男 協力:久井稲生神社 氏子長老役員の皆さん |
平成27年(2015)4月14日 作品:第7作 画像:(大125+小22=147) 頁数:6 ファイル数:343 ファイル容量:98MB
平成12年(2000)〜平成27年(2015) 作品数:487 頁数:1,992 ファイル数:91,323 ファイル容量:19,025MB |
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拡大写真
「60kgの米俵を担ぐ山下秀樹さんの勇姿!」(2400X2050)587KB |
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