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4月12日(木)に松本市で一泊の後、翌朝9時過ぎの特急あずさ10号で茅野(ちの)まで戻り、茅野からJRバスで伊那(いな)市の高遠(たかとう)に午前11時頃到着。個人旅のお陰で、午後3時までゆったりと高遠城址公園の桜を満喫した。 |
桜雲橋(おううんきょう)の桜 / 高遠(たかとう)城址公園 2007.4.12 |
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天文(てんぶん)14年(1545)甲斐の武田信玄は領主・高遠頼継(たかとう・よりつぐ)を降伏させ、古くから伊那谷の要衝であった高遠城を奪った。その2年後、信玄は高遠城の大改修を命じ、この城を南信州の拠点とした。この大改修を取り仕切ったのが現在NHKの大河ドラマ「風林火山」の主人公・山本勘助といわれている。 |
その後、武田信玄の五男・仁科五郎盛信が織田信長の長男・信忠と戦い、壮絶な死を遂げて、戦乱の時代が終わった。徳川の時代になって280年余りが過ぎた明治4年(1871)に廃藩置県となり、城が取り壊された。翌年民間に払い下げられた城跡は、明治8年(1875)に公園となった。 |
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公園になってから高遠藩の旧藩士たちが「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では桜の日本三大名所の一つに数えられるようになった。本丸の老木はこの時植えられたもので、4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつける。 |
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高遠城址公園で可燐(かれん)な花を咲かせるこのコヒガンザクラは、「天下第一の桜」と賞され、長野県の天然記念物の指定を受け、日本さくらの会の「さくら名所百選」にも選ばれている。 |
白兎橋(はくときょう)から見た中央アルプス |
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高遠の桜といえばこの高遠城址公園の桜のことで、シーズンになると全国から観光バスやマイカーで花見客が押し寄せ、東京の千鳥ヶ淵の桜のようなラッシュとなるのは、地方ではこゝだけではないだろうか。桜雲橋(おううんきょう)や白兎橋(はくときょう)を渡るにも大変な人混みに揉まれなければならない。特に、写真上の白兎橋から中央アルプス(木曽山脈)がよく見えるため、アマチュア・カメラマンの撮影スポットとなっており、それが障害となってなかなか前に進めないほど。私もその障害物になってしまったが・・・(^^; |
一番良かったのは、写真下の南曲輪(みなみくるわ)から眺める中央アルプスで、最高峰の木曽駒ヶ岳(2956m)を中心とする連山がよく見えるのでお勧めのスポットである。ただ、限られた場所しか見えず、枝の張り具合で毎年変わると思われる。後日、「伊那・高遠の桜」として発表する予定であるので、乞うご期待! |
南曲輪(みなみぐるわ)から見た中央アルプスの勇姿! |
アルプス連山と手前の桜双方にピントが合っているのは、デジタルならではの技であり、ノウハウは秘密。(^^; |
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