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本日、今年第7作(通算第416作)目の作品をアップした。
感動写真集第135集「カルカソンヌの結婚式」
撮影・原作:山崎貴暁 監修:和田義男 |
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出生:昭和50年(1975)長崎市 |
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住居:福岡市 |
職業:大成建設(株)勤務 |
趣味:一人旅 |
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大成建設入社後、宮城県仙台市で4年、青森県むつ市に1年作業所勤務後、海外へ。未だにむつでの海の幸山の幸の味を忘れることが出来ません。その後、短期間のUAE、トルコ勤務後、2004年7月にチュニジアへ。5年後の2009年帰国。現在九州支店勤務。 |
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感動写真集第135集 「カルカソンヌの結婚式」 |
平成22年(2010)2月14日 作品:第7作 画像:(大34+小13) 頁数:3 ファイル数:101 ファイル容量:24.7MB
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:416 頁数:1,559 ファイル数:55,450 ファイル容量:7,913MB |
あとがき
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日本人女性とフランス人男性の結婚。新婦新郎ともによく知っている私には、とてもお似合いの二人で、突然二人が交際をはじめ、チュニジア・フランスという遠距離恋愛を克服し、1年間で結婚までいたったそのスピードにはさらに驚いた。 |
国際結婚の難しさは、配偶者が育った文化・環境がまったく異なることにあり、言葉が通じるからその壁を簡単に乗り越えられるものではなく、結婚まで至ったのは二人の愛の力が強かったからであり、今後も二人の努力が必要なことはいうまでもない。 |
海外で仕事や生活をしてみて感じたことは、まさに育った文化や環境の違いを乗り越えることが出来る関係を築き上げることの難しさである。 |
お互い慣れないチュニジアという異国の地で出会った二人であるが、幸子さんからの近況によると、現在は彼の母国であるフランスのリヨンに新居を構え、フランス語学校に通い、語学習得にがんばる一方で、彼との新婚生活を満喫しているようだ。二人の友人として、末永い幸せを祈っている。 |
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とつぐひや かるかそんぬの なつこばな |
The wedding day, small summer flowers at Carcassone. |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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カルカソンヌの花嫁 |
このたび、山崎貴暁さんの「チュニジアサハラ砂漠」に続く第二弾「カルカソンヌの結婚式」が完成した。彼は、去年、チュニジアでの橋梁建設プロジェクトを終え、既に帰国している。新しい福岡の職場に馴染んで余力ができた頃合いを見計らって、かねてから約束していたこのカルカソンヌの写真と原案をお送り頂いた。既に年末には私の手にあったが、予想外に冬の裸祭りシリーズが充実し、そちらに力を割いていたために、本日になってしまい、山崎さん初め、海外編を心待ちにされている読者の皆様には大変申し訳なく思っている。 |
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山崎さんのチュニジア時代の交流がフランスまで及んでいたことは本当に素晴らしく、また、幸子さんにカメラマンとして期待されただけあり、とても良く撮れている。最初、「カルカソンヌの花嫁」にしようかと迷ったが、エマニュエル家の結婚式を紹介する内容なので、公平に「カルカソンヌの結婚式」というタイトルにした。 |
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エマニュエル君のお爺ちゃんの優しさは、長年海外で牧師として育んで来られた慈悲からくるもので、素晴らしいお爺ちゃんの印象からBGMにアメイジンググレイスを選んだ。 |
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このたびの結婚式は、いわゆる人前結婚式に当たるもので、チャペルでの挙式は行わなかった。キリスト教の牧師だったお爺ちゃんの立場を考えると、教会での挙式が望ましいように思われるが、あえて、宗教色を排除したのは、お爺ちゃんの慈悲ではないだろうか。昨今の日本人の華美な結婚式と比べると、とても質素であるが、虚飾に走らず、心から祝福できる人々だけが集まって、二人の門出を祝う心温まる結婚式だった。 |
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りょくいんの うんがをめぐる ひろうえん |
A wedding celebration, cruising a canal in the shade of trees. |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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日本・チュニジア友好の架け橋 「ラデス−ラグレット橋」 |
▼ ラデス−ラグレット橋は、チュニジアの大チュニス圏を南北に繋ぐ首都環状道路のチュニス湖の運河を跨ぐ重要部分として、日本政府から84億円の円借款の供与を受けて建設された。大成建設・鹿島建設・日本工営の日本企業3社が建設事業を受注し、平成21年(2009)3月21日に開通した。
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▼ ラデス−ラグレット橋は、チュニジア首都圏の渋滞緩和に貢献し、チュニジア政府から大変感謝していただいているが、新しく発行された50チュニジア・ディナール札の図案にも採用されている。
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また、この頁で紹介したように、記念切手と記念絵葉書も発行されており、チュニジアの方々に大変喜んで頂いていることを知ってとても嬉しく思う。エマニュエル君と幸子さんは、山崎さんとともにこの橋梁建設プロジェクトに参画した縁で愛が芽生え、めでたくゴールインされたわけで、本当に嬉しく思う。 |
エマニュエル Emmanuelle 君は、現在、MENARD という会社で、Civil engineer として活躍しておられる。この会社は、Soletanche-Freyssinet group, Vinci construction という会社に属しており、Vinci は海外に展開する建設業を含むフランスのグループ会社ということで日本でもよく知られている。その中でも MENARD は、地盤工事に特化した会社である。エマニュエル君の今後のご発展とお二人の永久の幸あらんことを心より祈念したい。
平成22年(2010)2月14日 和田義男 |
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本日、今年第6作(通算第415作)目の作品をアップした。
感動写真集第134集「木古内寒中みそぎ祭」
撮影・原作:上平 明 監修:和田義男 |
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住居:北海道函館市 |
趣味:パソコン(インターネット)、温泉巡り、スキー |
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感 想 |
2009年4月に第2の人生を故郷函館でスタートし、改めて郷土の歴史的建造物と伝統芸能にスポットをあて、全国の和田フォトファンの皆様に紹介したいと意気込んでいましたが、なかなか写真を撮るまでの余裕が持てずにいたところでした。
そんな中、以前から興味のあった木古内町の「寒中みそぎ祭り」を取材することができました。この「寒中みそぎ祭り」は、厳寒期における北限の「みそぎ」として道内はもとより国内に広く知られているところですが、TVニュースで放映される映像は、行修者が勢いよく海に飛び込んでいく最終日のものがほとんどであり、その全容はあまり知られていませんでした。
最終日に行われる「海中みそぎ」は、もちろん迫力満点ではありますが、本番の前に行う一連の鍛錬こそ、本当に辛く厳しいものでありました。行修者は、3日間で数百回の冷水をかぶりますが、特に夜間の冷え込みが一段と厳しく、見ている方が震える中で行われる水ごりは圧巻で、まさに命をかけて行う神事です。
また、寒風の中、冷水をかぶった後の濡れた体のままで他者の水ごりを仁王立ちで見守ることや、行修者の水ごりが一巡した後、ゆっくりと階段を上り、神殿に入れてもらえず戻ってきてはまた水ごりを行う姿には感動を禁じ得ません。
参拝者は、このような若者たちの厳しい修行に対する真摯な姿から多くの感動を貰い、神社境内には彼らを称える惜しみない拍手が響き渡っていました。
取材にあたり寒さ対策は十分したつもりでしたが、手袋はカメラ操作のため指先の出るものを使用せざるをえず、指先が北海道弁でいう「なまらしばれる」感覚となりましたが、他の参拝者同様、私も彼らから寒さを吹き飛ばすような素晴らしい感動をもらい、新年早々本当に清々しい気持ちになりました。
「寒中みそぎ祭り」には、多くの年少者が様々な形で携わっていますので、これからも良き伝統を守り受け継がれていくことを確信した3日間でした。 |
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謝 辞
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最後に、佐女川神社野村広章宮司様、木古内町観光協会伊藤光雄様、多田賢淳様はじめ、「寒中みそぎ祭り」を支えておられる皆様方のご協力を得て、この作品が完結したことを心から御礼申し上げます。有り難うございました。 |
【取材】木古内町観光協会 【参考資料文献】 図説函館・渡島・檜山の歴史(株式会社 郷土出版社)、まつりと民俗芸能(北の生活文庫企画編集会議編 北海道新聞社)、フリー百科事典ウキペディア |
★☆★彡 |
感動写真集〈 第134集 〉「木古内寒中みそぎ祭」 |
撮影・原作:上平 明 監修: 和田義男 |
平成22年(2010)2月10日 作品:第6作 画像:(大69+小13) 頁数:5 ファイル数:166 ファイル容量:36.9MB
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:415 頁数:1,556 ファイル数:55,349 ファイル容量:7,889MB |
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さんろうの いろりをかこむ よんぎょうじゃ |
Four ascetics confining in a shrine, sitting around the fireplace. |
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【編集子が選ぶ名作】 |
囲炉裏の炭火で暖を取る4人の |
行修者 |
たち |
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感動写真集同人の上平明さんは、2007年9月に「日向の師走祭」を発表後、しばらく沈黙されていたが、2009年4月、函館に本拠を構えられて間もなくニコンD300を購入され、本日、2年半ぶり第6作となる感動大作「木古内寒中みそぎ祭」が完成した。 |
筆者は2009年7月の銀座講演会で「写真はカメラが写すもの」と云ったが、最新技術により完成した1220万画素のデジカメは、画面の隅々までシャープに描写しており、上平さんの感性とあいまって、internetの常識を破る巨大な写真を多用した「木古内寒中みそぎ祭」の決定版を創ることができた。上平さんの前作とはまるで印象が違う画期的な作品で、読者の皆様に心ゆくまで美しい画像を堪能して頂けると思う。今回、BGMの「みそぎ太鼓」を主催者の木古内町観光協会から提供して頂き、臨場感あふれる作品ができあがったことも特筆したい。 |
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木古内町の「寒中みそぎ祭」は、知る人ぞ知る有名な裸祭で、何とか取材できないものかと長い間温めていたテーマだったが、このたび、上平さんが佐女川神社と木古内町観光協会の全面的な支援のもとに3日間に及ぶ密着取材を敢行され、遂にその全貌を発表することが出来たことは、大変光栄に思う。九州支店長の清原浩さんに続き、上平さんには、北海道支店長をお願いし、これを嚆矢としてWa☆Daフォトギャラリーから北海道の醍醐味を全世界に発信して頂きたい。 |
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かんみそぎ しぶきにしむる しろふどし |
Midwinter ablutions, the
white
loincloth being frozen by the splash. |
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【編集子が選ぶ名作】 二回目のみそぎ |
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極寒北限の寒中禊 |
「木古内寒中みそぎ祭」は、僅か4人の若者が3日間寒中禊を行い、最終日に津軽海峡で海中禊をするというとても簡素で小さな神事が、180年という歴史の重みと、木古内町上げての取組みにより、見る者誰しもが感動を禁じ得ない素晴らしい冬祭であり、その完成度の高さは、驚くほどである。 |
七福神の中でただ一人女性の神である弁財天(べざいてん)を務めた行修者は、初心者で普通の高校生であることに驚く。筆者も東京都中央区の鉄砲洲稲荷神社で寒中水浴を経験しているが、水の冷たさには思わず顔をしかめてしまうものだが、新人とは思えないほど立派な態度だった。1月の極寒の北海道で4人の若者が平然と冷水を被り、終始仏のような穏やかな表情を浮かべ、まるでプロの修業僧のように粛々と寒中みそぎを完遂する姿は、未だに信じられないほど素晴らしく、見る人全てに元気と感動を分け与えてくれた。 |
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彼らの衣装も申し分ない。みそぎ褌は、白の前袋式六尺褌(水褌)であるが、何枚も重ね締めをして衣装の乱れを防いでおり、締め方も基本に忠実で美しい。読者は、神社境内での「みそぎ」では、鼻緒が紅白の草履を使用していたが、みそぎ浜での本番は、白い鼻緒の草履だったことにお気付きだろうか。このようなきめ細やかなこだわりは、180年の伝統の重みであると同時に、先祖から受け継いだ文化を変質させることなく受け継いでゆこうとする決意の表れであり、そのセンスの良さが光っている。長老たちの一文字笠、裃、雪下駄も素晴ら |
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しい文化で、江戸時代から抜け出して来たような光景が現出された。 |
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「木古内寒中みそぎ祭」は、木古内町の無形民俗文化財に指定されているが、道や国レベルの文化財としての価値が十分にあると思われる。是非、申請して認定を得て欲しいと思う。 |
なお、「伝統の神事が町おこしのための観光資源として、見せ物になっている」との指摘があることについては、筆者は、無形文化財が変質することなく存続できるのであれば、これを歓迎する立場にあることを付記したい。 |
平成22年(2010)2月10日 監修 和田義男 |
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ゆきげたや みそぎぎょうれつ いちもんじ |
Snow geta clogs, a procession for ablutions making a bee line together. |
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【編集子が選ぶ名作】 みそぎ行列を出迎えるかわいい町民たち |
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本日、今年第5作(通算第414作)目の作品をアップした。
日本の裸祭り第106集 「玉前神社大寒禊」 撮影・制作:和田義男 |
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撮 影
2010年1月24日
OLYMPUS E-30
12-60mm
1230万画素 1,070枚 2.62GB
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昼食会のホストは、栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司が自ら担当され、食事を頂きながら最後まで歓談させて頂いた。気さくな方で、私が会話を独占しないようにしたが、結局、水浴和田グループとの歓談が主となってしまって、反省している。写真上は、最長老76歳で参加された羽場さんと宮司との歓談風景である。 |
記念すべき第一回大寒禊の道彦をつとめられた君津市・人見神社禰宜の宮嵜慎(みやざきひろし)さんは、スーツ姿で宮司の隣に正座され、終始歓談に耳を傾けておられたが、奥ゆかしくも逞しい好青年で、来年以降も道彦を続けてゆかれれば、大寒禊の顔となるだろう。 |
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今回新たに大寒禊を始められた理由を宮司にお聞きしたところ、1年4ヵ月ほど前に着任されたときから町興しのことを考えておられ、夏に行っていた禊を冬もやろうということで始められたそうである。栗原宮司の素晴らしいアイデアで、この大寒禊が生まれ、やがて伝統となって次代に引き継がれていくことを想像すると、とても感動的で、上総一ノ宮の新たな歴史の1頁に記録される記念行事に参画できたことを嬉しく、また、光栄に思った。 |
今回の禊には保険がかけられており、宮司の細やかな配慮に感服した。来年も必ず取材して、この新事業がどのように展開してゆくのかをフォローしてゆきたい。私の作品を見た人が全国から多数参加して、大きく発展してゆくことを祈念しながら神社を後にし、水行和田グループ4人は徒歩で上総一ノ宮駅に向かった。 |
謝 辞 |
このたびは、栗原宮司はじめ玉前神社の皆様と道彦の宮嵜様には、新たな歴史の一頁を飾る記念すべき貴重な神事に、快く密着取材させて頂いたことを衷心より御礼申し上げます。今後ともどうか宜しくお願いします。貴社の今後益々のご発展を祈念しております。有り難うございました。〈 拝 〉 2010.2.5 和田義男 |
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日本の裸祭り第106集 「玉前神社大寒禊」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成22年(2010)2月5日 作品:第5作 画像:(大53+小13) 頁数:4 ファイル数:134 ファイル容量:35.2MB
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:414 頁数:1,551 ファイル数:55,185 ファイル容量:7,852MB |
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うなばらの だいかんみそぎ くじゅうくり |
Kujyukuri, purification of the coldest season in the ocean. |
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編集子の選ぶ傑作 |
砕けた磯波!
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