|
|
|
|
■■■ 「 |
玉前 |
神社大寒禊」速報! ■■■ |
|
|
|
▼ 平成22年(2010)1月24日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国(かずさのくに)一ノ宮「玉前(たまさき)神社」の大寒禊が九十九里浜一ノ宮海岸で初めて行われたので、鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会和田グループ一期生の3人と共に参加し、密着取材することができた。
玉前神社公式ホームページ |
|
|
【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
|
|
資料:玉前神社社務所 |
|
▲▼ 大寒禊の会場は、JR外房線・上総一ノ宮駅から東方の一ノ宮海岸の地引網小屋のそばで、タクシーで5分ほどで行ける。集合時間の午前10時より小一時間ほど早く着いたため、まだ、テントが張られていなかったので、組立を手伝ったりして、神社関係者と交流することができた。 |
大寒禊の受付/九十九里浜一ノ宮海岸(千葉県千葉県長生郡一宮町) 2010.1.24 09:44
|
|
|
▲ 受付のあるテントで1000円を払って参加を申し込むと、越中褌、鉢巻、大祓詞(おおはらえ・ことば)、使捨てカイロの4品が手渡された。越中褌と鉢巻は、あとで回収されたので、貸与品だということが分かった。初回だったので、新品を使えたが、来年から使いまわすのだとすれば、モノがモノだけに抵抗を感じる人がいた。 |
テント小屋で貸与された褌・鉢巻に更衣 2010.1.24 10:26
|
|
拡大写真(1400X900)163KB |
|
▲ 受付のテントの隣に白地のキャンバスで囲まれたテント小屋があり、男女2室の更衣室となっており、安心して着替えることができた。ちなみに、茨城県鹿嶋市に鎮座する 鹿島神宮の大寒禊 では、更衣室が用意されず、御手洗池(みたらしいけ)のそばの露天で衆目に晒されながら着替えなければいけないので、玉前神社の細やかな配慮は、とても有り難い。
越中褌の締め方を指導しなかったので、褌を締めたことがない人は、どうしたらよいのか分からず、まごつく人が散見された。今回、アメリカ人が一人参加していたが、彼も初めてなので戸惑っており、居合わせた参加者が指導していた。 |
大祓詞 |
を持って海に向かう参加者たち 10:43 |
|
|
拡大写真(2000X1400)353KB |
|
▲▼ 道彦(みちひこ)を勤めるのは、千葉県君津市に鎮座する人見(ひとみ)神社の宮嵜慎(みやざき・ひろし)禰宜(ねぎ)で、禊の要領は鹿島神宮の大寒禊とほぼ同じだった。最初に、挨拶があったあと、服を着たまま川面流(かわづらりゅう)の鳥船などの準備運動の指導があり、全員水行衣に着替えたあと、砂浜で軽くランニングを行い、本番の鳥船などで十分にウォームアップし、午前10時45分ころ海に入り、道彦と共に大祓詞(おおはらえ・ことば)を斉唱(せいしょう)する大寒禊が始まった。 |
太平洋に向かって |
大祓詞 |
を斉唱 10:45 |
|
|
拡大写真(2000X1450)461KB |
|
▼▲ この日は殆ど風もなく、穏やかな冬晴れとなり、絶好の水行日和だったが、太平洋の冬の荒波が押し寄せる厳しい海象だったため、何回かに1回現れる大きな磯波に戸惑う参加者もみられた。 |
|
|
拡大写真(2000X1450)424KB |
|
▲▼ 参加者たちは、大きな波が来襲する度に、波に流されないよう、足を踏ん張り、波を乗り越えながら斉唱していた。 |
|
|
拡大写真(2000X1050)351KB |
|
▲▼ 大祓詞は、A4用紙に印刷されているだけなので、海水に浸かって破けたり、流出したりした。禊は、鐵砲洲方式のように、「祓戸の大~(はらえどのおおかみ)・・・」と唱えながら振魂(ふりたま)をするだけにすれば、波に煩わされることはないと思われる。波が砕ける前の海域まで行ってやればどうかという意見もあったが、写真で見てのとおり、100mほど沖合まで行く必要があり、危険が伴うことなので、実行に適さないだろう。 |
|
|
拡大写真(2500X1900)641KB |
|
|
うなばらの だいかんみそぎ くじゅうくり |
Kujyukuri, purification of the coldest season in the ocean. |
|
波に翻弄されながらのダイナミックな禊! |
|
拡大写真(2000X1450)551KB |
|
▲▼ 細かな点では、問題があったが、来年以降、改善されていくことと思われる。ともあれ、何処までも続く大海原に浸かりながら禊をするのは、とても晴れやかで、清々しく、心が広くなる。私も途中で海に入りたい衝動に駆られたほどだった。
禊の時間帯は、太陽が南にあるので、太陽を背にして北側の防波堤に向けて撮影せざるを得なかったが、写真下のように南を向くと、九十九里浜が遠くまで続くダイナミックな景観となっており、素晴らしい環境での禊である。太平洋での禊は、今後は毎年夏と冬の2回行われるので、是非、参加することをお勧めする。 |
大海原から引き揚げる行者たち |
|
拡大写真(2000X1500)689KB |
|
▲▼ 鹿島神宮の大寒禊 は、何度も復唱するので、禊の時間がかなり長いが、今回は、波が荒かったためか、7〜8分くらいで禊が終わり、再びテントのそばの砂浜で円陣を組み、鳥船などの整理運動が行われた。 |
輪になって鳥船の整理運動 10:51 |
|
拡大写真(2400X1600)587KB |
|
海辺の鳥船 10:53 |
|
拡大写真(2000X1500)689KB |
|
▼ 全ての行事が終了した後、太平洋の大海原を背に道彦を囲んで全員の記念写真を撮らせて頂いた。記念すべき初回の大寒禊に参加し、実際に禊を行った人は、18人だった。うち、女性が3人、アメリカ人が1人いた。可愛い女の子は、家族で参加された権禰宜・久松広樹さんの愛娘である。アメリカ人は、デビッドさんといい、大学を卒業した5年ほど前に来日し、千葉県茂原市で働いているという。アメリカにいるときから日本語を学び、今はペラペラで、大祓詞もすらすらと読んでいたので、感心した。 |
第一回玉前神社大寒禊で海に入った18人の行者たち |
道彦の宮嵜慎さん(君津市・人見神社禰宜)↓ |
←和田グループ3人→ |
|
拡大写真(2000X850)319KB |
|
▼ 全ての行事が終わると、お湯を積んだ給水車で、お湯を被り、身体を温めながら塩抜きをした。これも神社側の細やかな配慮で、参加者は大喜びだった。みんな控え目に利用したため、お湯が余って捨てていたので、来年は、もっと使っても大丈夫だろう。和田グループの羽場さん、新尺さん、松本さんとも鐵砲洲の方が厳しかったとの感想。気分爽快なので、来年も是非参加したいとのことだった。 |
給水車によるお湯の出前で塩抜き 11:00 |
|
拡大写真(1600X1300)417KB |
|
▼ 大寒禊が終わったあと、11時半までに神社に集合とのことだったので、再度タクシーに乗り、駅の西にある玉前神社に行った。間もなく、拝殿でお祓いをうけ、道彦が代表で玉串奉奠(たまぐしほうてん)を行った。そのあと、御神酒を頂き、拝殿を後にした。 |
玉前神社拝殿にて参拝 11:44 |
|
拡大写真(2000X1100)388KB |
|
▼ 大寒禊一行は、斎殿(さいでん)に移動し、昼食会となった。最初に甘酒が振る舞われたあと、寒鰤や海老などの魚類や野菜がタップリ入った海鮮鍋とおにぎり、ソーセージ、鏡餅を砕いて炒ったと思われる霰(あられ)が出され、受付をされていたお二人に給仕して頂いた。私もご相伴にあずかったが、身体が温まり、美味しく頂けた。
昼食会のホストは、栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司が自ら担当され、食事を頂きながら最後まで歓談させて頂いた。気さくな方で、私が会話を独占しないようにしたが、結局、水浴和田グループとの歓談が主となってしまって、反省している。写真下は、最長老76歳で参加された羽場さんと宮司との歓談風景である。
記念すべき第一回大寒禊の道彦をつとめられた君津市・人見神社禰宜の宮嵜慎(みやざきひろし)さんは、ネクタイ・スーツ姿で宮司の隣に正座され、終始歓談に耳を傾けておられたが、奥ゆかしくも逞しい好青年で、来年以降も道彦を続けてゆかれれば、大寒禊の顔となるだろう。
今回新たに大寒禊を始められた理由を宮司にお聞きしたところ、1年4ヵ月ほど前に着任されたときから町興しのことを考えておられ、夏に行っていた禊を冬もやろうということで始められたそうである。栗原宮司の素晴らしいアイデアで、この大寒禊が生まれ、やがて伝統となって次代に引き継がれていくことを想像すると、とても感動的で、上総一ノ宮の新たな歴史の1頁に記録される記念行事に参画できたことを嬉しく、また、光栄に思った。
今回の禊には保険がかけられており、宮司の細やかな配慮に感服した。来年も必ず取材して、この新事業がどのように展開してゆくのかをフォローしてゆきたい。私の作品を見た人が全国から多数参加して、大きく発展してゆくことを祈念しながら神社を後にし、水行和田グループ4人は徒歩で上総一ノ宮駅に向かった。 |
栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで和気藹々の昼食会/斎館 12:14 |
|
拡大写真(1600X1200)360KB |
|
今回、愛機オリンパスE-30で1230万画素1070枚2.62GBを撮影した。後日、「玉前神社大寒禊」として完全版を作成し、原画を含め、すべての記録を玉前神社に奉納することにしている。
謝 辞
栗原宮司はじめ玉前神社の皆様には、新たな歴史の一頁を飾る記念すべき貴重な神事に、快く密着取材させて頂いたことを心から感謝申し上げます。今後ともどうか宜しくお願いします。有り難うございました。〈 拝 〉 2010.1.25 和田義男 |
|
参加者の感想文 |
2010年1月26日(火)晴 松本高明 様より
玉前神社大寒禊の感想 松本です。玉前神社の大寒禊に参加できて、とても良かったです。ありがとうございました。澄み渡った青空の下、太平洋を前にしての禊。海水の冷たさは心配していたほどではなく、晴天に恵まれたこともあって、とても爽快な気分でした。雄健では、水平線まで届け!とばかりに大声を出せたと思います。終了後のタンク車による「湯」のサービスは嬉しいですね。そのあとは神社に参拝して食事しておしまいと思っていましたが、お祓いまでしていただけたのはとてもありがたいと思いました。
今回は、海ならではの試練?がありました。傾斜のある砂浜での褌ランニングと鳥船〜氣吹は、何度も砂に足をとられそうになり、姿勢をうまく保てず、ちょっと大変でした。海に入ってからは、ある程度の深さまでたどり着く前に、次々と押し寄せる波で何度もよろけ、立ち上がろうとしても岸から戻る海水の流れに足をとられてなかなか立ち上がれず、大祓詞の書かれた紙は破れ、いつの間にか波にさらわれてしまいました。文字通り、波に揉まれている間に禊が終わってしまった、という感じでした。朝、浜辺に着いたときは「波は穏やかだな」と思ったのですが、考えてみれば、サーファーが集まっている海の波が穏やかなはずがありませんよね。私は何を勘違いしていたのでしょう…。
褌と鉢巻が回収というのはちょっと残念でしたね。鉢巻は神社の名前が入っていましたので良い記念になる、と思っていたのですが。実は、受付のとき、私は褌を2枚もらっていました。何も説明がなかったので、受付の人が間違って2枚とってしまったのかも知れません。最初はまったくわからなかったのですが、褌一丁になる前にふと手元を見ると、あれ?紐が4本あるぞ?と気付き、2枚あることがわかったのです。そのうち1枚を締め、もう1枚はバッグの中に入れたままだったので、結果としてそのまま持ち帰ってくることになってしまいました。家に帰って寸法を測ってみたところ、褌の長さ115cm、幅33.5cm、紐の長さ145cmで、柔らかくて肌触りも良いな、と感じました。晒の一端に真田紐を縫い付けただけの簡素なものでしたが、もしかしたら、神社での手作りだったのでしょうか?褌鉢巻の回収も「持って帰りたい」という人がいることを想定していなかったのかもしれませんね。年配の人でも越中褌の締め方を知らない人がいたくらいですから「持って帰れ」と言っても参加者は困るだろうから回収しよう、と決めたのかな?と思いました。
慣れていない砂浜と海中での足の踏ん張りのせいか、その日のうちに筋肉痛が現れました。今回は、恥ずかしながら、波を受けるので精いっぱいでしたので、これから何回か海に通い、浸かり、砂浜歩きと波の勢いに慣れなきゃ、と思いました。鐵砲洲に続き、参加を続けたい行事がまたひとつ増えました。ありがとうございました。
おはようございます。日曜日は、お疲れ様でした。長文の感想文、有り難うございます。初めての太平洋での大寒禊でしたが、気に入って頂けたようで、光栄です。宮司主宰の昼食会まで用意されており、至れり尽くせりでした。
海に入るとき、我先に走っていった若者たちがいましたが、道彦はゆっくりと歩いて海に入りました。参加者たちは、道彦の後に続いて、整然と海に入るべきで、道彦の説明が足りませんでした。若者たちは、元気が良いのはいいとして、興味本位ではしゃいでおり、最初に、神事であることを説明し、マナーについてキチッと指導すべきでしょう。松本さんは走る必要はなかったのですが、走られたのですね。
貸与された越中褌は、デパートなどで販売されている廉価品のように、布テープの紐を縫いつけ、前垂れの先端を縫っただけで、病院の売店で売られている使い捨てのT字帯と同じものでした。鐵砲洲の方もデパートなどで販売されているものですが、木綿の袋縫いの紐でしたので、下着として使えます。袋に入っておらず、そのまま手渡されましたので、二枚がだぶっていたようです。袋入りを渡すとゴミになるので、わざわざ袋から出していたとすれば、細かな心配りだと思います。一枚記念に持ち帰れて良かったですね。
来年もご一緒したいと思いますので、宜しくお願いします。有り難うございました。
2010年1月27日(水)晴 松本高明 様より
大寒禊の補足 松本です。早速のお返事、ありがとうございます。ランニングの件について、補足させていただきます。
鐵砲洲で神社周辺の公道ランニングがあったように、先日の玉前神社大寒禊でも、最初の鳥船の前に、砂浜に立てられた看板(鳥船の中で唱和?する和歌の書かれた看板)の周りを2周する、道彦主導のランニングがありました。先日のメールに書いた「褌ランニング」は、この準備運動的なランニングのことです。言葉が足らず、申し訳ありません。現在の私の足の状態では、押し寄せる波に駆け足で挑むことなど、とても無理です…。
ランニングの途中、何回か足が砂の中に「ズボッ」と入ることがありました。その際、つま先に無理な力がかかったのか、帰宅して靴下を脱いだら、右足の親指の付け根の周辺が内出血していまして、2日経ってもまだ引いていません。ですが、痛みや歩行への支障はありませんので、大丈夫です。次回の禊のために、少しでも砂浜に慣れておこうと思います。
おはようございます。補足説明、有り難うございました。最初にランニングがあり、和歌の看板を2周されたんですね。そのときは、ギャラリーが多く、どのようにして撮影すべきか考え中で、見ていたにもかかわらず記憶にありませんでした。(^^;
乾燥した砂浜を裸足で駆けるのは不安定で、足の局所に負担がかかりますので、松本さんのように親指に内出血するアクシデントが生まれたんですね。むしろ波打ち際の砂浜は、波に洗われて平坦になっていて、海水に濡れて締まっていますので、走っても大丈夫です。来年からは、乾いてでこぼこの砂浜は、走らない方が良いでしょう。無理をしない方が賢明です。貴重な教訓、有り難うございました。 |
|
|
|
|
2010年1月26日(火)晴 羽場左近 様より
「玉前神社大寒禊」深謝。 この度の玉前神社大寒禊、大変お世話様になりました。行事へのお誘い、往復のご同行、タクシ−手配等々有り難う御座いました。お蔭様で、初めての海での行に安心して参加専念できました。また、新尺様 松本様もご一緒で大変心強く、何かとお力添え頂きました。和田様 さぞ、お疲れだったことでしょう。
以下に気付いたことを認めます。御嶽神社、鉄砲洲稲荷神社、今回と参加してみましたが、禊の方法は異るものの、本質は、当然のことながら同じですね。神への感謝を通して自身を省み、新たな出発点とすること、でしょうか…。初回で事故も無く、非常に有意義な禊だったと思います。
道彦も慣れた方々で、指導も大変よかったと思います。ただ、大波に対峙しての大祓詞の斉唱は、祈りへの集中心を削ぎました。無我夢中で所要時間も非常に短かく感じました。諳んじているなら兎も角、「祓戸大神」と連呼しながらの合掌で充分です。隣の外国人青年の流暢な日本語での朗読に驚き、わが身を恥じました。祝詞は、準備運動の前にやればよいでしょう。
事後の社務所での神事・鍋会の参加者の半減は、主催者にお気の毒でした。現地の交通事情、指示の不徹底で多くが、其の儘帰ったものと思われます。鍋会は、甘酒・ぶり煮込鍋・お握り等々美味しく量も充分でした。関係者の方々のご苦労が偲ばれ、感謝の念にかられました。会食中、参加最高齢者とのことで、朝日新聞のインタビユ-を受けました。身に余る光栄と快諾致しました。後日、送付下さる由、さて、如何なる記事か楽しみです。
健康に留意し、次回も是非参加したいと思っております。なにとぞ、宜しくお願い致します。遅ればせながら、御礼申し上げます。厳寒のみぎり、ご自愛下さい。
≪追伸≫ 先刻電送頂きました当日の記録写真、楽しみに鑑賞させて頂きます。重ねて御礼申し上げます。ロ頑張ってダイエットしようと思っています。しかし、本日新聞の発送が完了したので、夕飯は鍋で祝杯をあげてしまいました。
おはようございます。先日はお疲れ様でした。長文の感想文、有り難うございました。玉前神社にとっては初めての寒中禊だったので、説明不足などがありましたが、来年は改善されていかれることと思います。みなさん、真摯に取り組んでおられ、とても好感が持てました。海中禊のそばにはサーフライダーたちが波乗りを楽しむ姿があり、違和感がありました。禊場をもう少し南にすれば、サーフィンに煩わされることがないのではないかと思われました。
朝日新聞の記事が送られてきましたら、お知らせ下さい。羽馬さんは理想的な体格ですので、ダイエットは不要ではないでしょうか。(^^ これからも宜しくお願いします。今年のご発展、ご健勝を祈念しております。有り難うございました。 |
|
|
2010年1月27日(水)晴 新尺俊勝 様より
上総一ノ宮大寒禊 いつもお世話になっております。群馬の新尺です。 連絡遅くなりました。当日は羽場様と共に千葉駅からご同席、ありがとうございました。
当日は快晴の九十九里。真っ青い空に彼方まで続く白い浜は言葉にならない開放感がありました。禊ぎ神事は鳥舟、雄健、雄詰、息吹行事と進んだ後、いよいよ寒禊ぎ・海へ。波打ち際は以外と波の力が強く、しっかり立っていないと波頭に押し返されるのですが、道彦の先生が居られるあたりは胸までの深さがあり、以外としっかり立っていることができました。ただ先生に会わせて大祓詞を最後までしっかりと唱えることができなかったのが残念でした。来年は暗記する程度まで練習しておく必要がありますね。
終わった後は、潮を拭き取るのに水を用意していたのですが、タンク車のお湯が準備してあるとはとてもありがたかったです。まるで銭湯にでも入っているかのよう。浜で銭湯とは、準備された方々一人一人にお礼を言いたいほど感激でした。その後の神事・直来では、やはり直接帰られた方がおられたのは残念でした。海鮮鍋はとても美味だったのにもったいないですね。
ところで、玉前神社の宮司さんはもしかしたらすごい方かなと思います。宮司さんは「玉前神社の神様はいつもお考えをイメージで伝えてこられるんです。私の体調がすぐれなくてはっきり言葉でわからないのが口惜しい...」とのこと。いつも神社・神と氏子や上総一ノ宮の街のことを第一考えておられる、そして何度も脳内出血ぎりぎりの生死の境?を経験された人だけが経験できることなのでしょう。本当に頭が下がります。
それともう一つびっくりしたのは、御神体の鏡の台になっている波の彫り物。南総には江戸時代「波の伊八」と呼ばれる有名な彫刻師がいたと聞いています。もしかしたら本人か、またはその一門が彫ったものではないでしょうか?
今回の禊ぎは、自分の心身の鍛練など、比べにならないほどとても大切なものを見つけた神事でした。和田様、本当にありがとうございました。
おはようございます。お便り有り難うございました。日曜日は、ご苦労様でした。素晴らしい感想文、じっくりと読ませて頂きました。海浜禊のポイントは、なるべく沖に行き、砕け波を受けない場所を見つけることでしょうね。波に備えて身体を踏ん張ったりする必要があり、斉唱に専念できなかったというのが、共通の感想のようです。しかし、爽快感も共通の感想なので、素晴らしい大寒禊であったことは間違いありませんね。来年も大いに期待したいと思います。
栗原宮司は、とても気さくな方で、普通、挨拶程度で終わるのですが、昼食会のホスト役を買って出られたことに驚きました。最後まで、話が弾み、鍋物を頂きながらの歓談を楽しませていただきました。おっしゃるように、神の啓示でしょうか、夢告というのでしょうか、インスピレーションを感じた体験談をお話頂きました。オルレアンの少女ジャンヌダルクが神のお告げを聞き、フランスを救ったという実話を思い出しましたが、何かのきっかけで新しい歴史が生まれるのは、素晴らしいことですね。
拝殿の鏡台の彫り物は、素晴らしいですね。玉前神社の名品といえるものではないでしょうか。来歴を調べ、宣伝すれば、参拝者も喜ばれることでしょう。
旅に出れば、必ず出会いや浪漫、感動がありますね。今回、4人で参加して本当に良かったですね。来年も宜しくお願いします。有り難うございました。 |
|
|
|
|
|
|
■■■ 「 |
木古内 |
寒中みそぎ」速報! ■■■ |
|
|
|
▼ 平成22年(2010)1月15日(金)、北海道函館市の西方約40kmの津軽海峡・木古内湾(きこないわん)に面した木古内町(きこないちょう)「みそぎ浜」において若者4人の行修者(ぎょうしゅうしゃ)が極寒の海に飛び込み、「海中みそぎ」を行って御神体を潔(きよ)める「木古内町寒中みそぎ祭り」が開催され、感動写真集同人の上平明さんが一部始終を激写し、メールで写真をお送り頂いたので、速報版として以下にとりまとめた。今後、原画の到着を待って「木古内寒中みそぎ」として作品化したい。 |
|
|
【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示 |
雪中の |
佐女川 |
神社(北海道木古内町) 2010.1.14 |
|
|
拡大写真(1600X1063)315KB |
|
▲▼ この祭礼は、北海道上磯郡木古内町(かみいそぐん・きこないちょう)に鎮座する佐女川(さめがわ)神社による神事で、毎年行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる若者4人が1月13日から佐女川神社本殿にこもり、極寒の中、昼夜の別なく数時間おきに水垢離(みずごり)を取り、15日に「みそぎ浜」にてご神体を潔め、1年の豊漁豊作などを祈願するもので、天保2年(1831)から催行されており、今年は第180回の記念すべき年であった。 |
深夜の水垢離/ |
佐女川 |
神社 2010.1.13 |
|
|
拡大写真(1600X1063)285KB |
|
▲ 初日(参籠報告祭)となる13日には、神社の境内で褌一丁の4名の行修者が木製の桶で真水の冷水を浴びせられる水垢離が行われ、行修者たちは立ち膝で腕組みをし、背中に打ちつけられる冷水を耐え忍んだ。 |
|
|
拡大写真(1063X1600)297KB |
|
▲▼ 4人の行修者は、心身ともに壮健で穢れのない氏子男子から毎年1名ずつが選ばれ、最初の年は「弁財天」を担い、次の年から「山の神」、「稲荷」、そして4年目は最高位の「別当」の役を務めて終わる。行修者にとっては、北の大地で極寒の一月に、4年連続3日間昼夜の別なく水ごりを行う命がけの苦行であるが、これまでの長い歴史の中で1人の離脱者も出ていないという。 |
|
|
拡大写真(1600X1063)305KB |
|
▼ 15日には神社から「みそぎ浜」まで4名の行修者と共に関係者が参列する「みそぎ行列」が執り行われ、海上には数隻の船が浮かんだ。4名の行修者は白い装束に包まれた御神体を1体ずつ抱いたまま津軽海峡の木古内湾に入り、海水を掛け合って御神体潔め(ごしんたいきよめ)を行った。 |
寒中海に入って御神体を前に合掌する裸の若者たち/津軽海峡 |
木古内湾 |
|
2010.1.15 |
|
|
拡大写真(1600X1063)211KB |
|
|
かんごりや よにんぎょうじゃの こんのしろ |
Winter water ablution, white of the loincloths of four ascetics. |
|
▲▼ 北海道の厳寒の海で行われる裸形の若者たちによる神事は、神々しく、多くの参拝者の心を打った。海中禊が終わると、行修者は行列に参列した一行とともに神社に戻り、無事に御神体を潔め終えたことを祭神に報告し、これを「本祭」として祭りを終えた。 |
御神体潔め/津軽海峡木古内湾 |
|
拡大写真(1600X1152)257KB |
|
日本の冬は、本格的な裸祭のシーズンである。Wa☆Daフォトギャラリーの100編を超える裸祭りシリーズに北海道の冬祭りが登場するのは、2月の立春の夜に行われる 登別湯かけ合戦 があるが、伝統と格式ある神事として行われるのは、この「木古内寒中みそぎ」が初めてである。寒さをものともせず、先祖伝来の神事に臨む道産子たちのひたむきな態度や逞しさを存分に切り取った完成版をご期待頂きたい。〈 完 〉 |
|