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日本には、古来より、満60歳の還暦*を迎えた人に還暦祝いとして赤い頭巾やチャンチャンコなど赤色の衣服を贈る風習がある。かつては魔除けのために赤子の産着(うぶぎ)に赤色が使われていたため、赤子と同じ赤い装束を身に着けて生まれ変わった気持ちで長寿を全うしてほしいとの願いが込められている。 |
赤い褌(ふんどし)を「あかふん」と呼ぶが、丹後地方などでは42歳の厄年に着物の下に赤褌を締めて神社参りをする風習があり、「赤褌(あかふん)行事」と呼ばれている。また、全国的には60歳の還暦祝いに赤褌が贈られ、赤褌を締めて禊をし、厄落としをする風習がある。
高良大社へこかき祭 は、還暦に赤褌で水浴する神事である。私もこの伝統に従い、中川宮司のご高配により、神事の寒中水浴に続いて赤褌を締めて還暦記念水浴を行った。 |
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*還暦(かんれき):干支**(えと)が60年で一巡し、生まれた年の暦(こよみ)に戻ること。本卦還り(ほんけがえり)ともいう。
**干支(えと):俗に十二支のことをいうが、本来、十干十二支(じっかん・じゅうにし)のことで、十干を甲乙(こうおつ)、丙丁(へいてい)、戊己(ぼき)、庚辛(こうしん)、壬癸(じんき)の五行に分けて十二支と組み合わせ、60通りとしたもので、平成20年(2008)は、25番目の戊子(つちのえね)の年に当たる。 |
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「還暦記念の赤褌水浴」が掲載された「いやおひ第26号」 |
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私が寒中水浴をするについては、以前から再三にわたって石川幹事長や三木さんから誘われていたが、これまで撮影を理由に断ってきた。しかし還暦の節目を迎え、人生の大きな区切りを記念する意味で、2008年の寒中水浴大会に同い年の三木さんとともに参加することにした。 |
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このことを前作「鐵砲洲寒中水浴'07」の編集後記に「還暦記念の赤褌水浴」と題して披露したところ、弥生会・広報誌担当の高橋健男さんのお目に止まり、弥生会の機関紙「いやおひ」に掲載された。 |
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撮影:小林豊一 |
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いよいよ本番を迎えたところ、社務所の控え室で地元の平野五雄さんも還暦だと知り、急遽3人で水浴することにして宮司の了解を得た。平野さんの赤褌は三木さんが2本持っていたので間に合った。赤褌は浅草仲見世の「かづさや」で700円で購入したもので、「いなせな男の クラシックパンツ 越中褌」と表示されていた。 |
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撮影:小林豊一 |
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赤鉢巻も準備していたが、宮司に相談すると、赤褌でも鉢巻は白のままが良いとのことで、白鉢巻・赤褌というスタイルとなった。介添役の長谷川昇司・石川辰夫両氏はじめ約20人の方々が一緒に参列水浴して下さり、とても嬉しかった。この場をお借りして、御礼申し上げます。 |
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事前の計画では、世界平和や日本の繁栄、会社の無事故・発展、家族の幸福など、色々と祈願することにしていたが、寒さと戦うために祓戸大神(はらいどのおおかみ)を繰り返し唱えながら、振魂(ふりたま)をして体温を上げることに専念していたので、その余裕はなかった。 |
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1997年のハリウッド映画「タイタニック」で、主演のディカプリオ扮するジャックがローズを残して水没して行くシーンや冬山遭難のことなどが頭をよぎり、凍死していった遭難者の気持ちを多少なりとも体感することができた。 |
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みんなが待ってくれていたので、二回目の水浴は、急いで赤褌に締め替えてすぐに始めた。写真の記録は11時41分開始。長い時間と戦ったように思ったが、終わってみれば約70秒の水浴だった。 |
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水を出ると足に感覚が無く、突っ張ってしまって思うように歩けなかった。みんな身体が真っ赤になっていた。水から上がると風があり、水中にいるよりも寒くなると聞いていたが、外の方が楽で、裸でいても皮膚がチクチクする程度で、辛さは和らいだ。 |
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還暦記念水浴を果たした3人(左から三木芳樹さん・筆者・平野五雄さん)
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今年は入船湯で暖を取ったが、浴槽の湯は熱すぎでとても入れず、温(ぬる)めのシャワーで身体を慣らして最後に湯に浸かった。やがてしびれが切れていたのが直るように、手足がジンジンしながら感覚が戻ってくると、浴槽も温めの湯だったことが分かった。冬になると野生の猿が温泉に浸かりに来るが、極楽とはこのことだと思った。 |
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銭湯で生き返った後、12時半頃から外来者の昼食会が開かれた。皮肉なことに午後からは天気が良くなり、眩しいばかりの陽光が差し込む社務所二階で、初春の爽やかな気分のなか、弁当と豚汁に舌鼓を打った。 |
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外来の方々と楽しく交歓することができ、新しい人たちと知り合うことが出来た。共に寒さと戦った体験は、戦友の気分に近いもので、初対面でも親しみが湧いてくる。 |
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午後1時過ぎから、同じ社務所二階で、青柳会長の挨拶と乾杯を皮切りに、弥生会の直会(なおらい)が開かれた。 |
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青柳会長のあと、還暦記念水浴の御礼をいう機会が与えられた。弥生会の皆さんと知り合うことがなければ、一生に一度のこの機会を得ることができなかったわけで、心の広い江戸っ子の皆様方に心から御礼申し上げ、これからも、気力体力の続く限り、新春の寒中水浴を続けたいと話した。 |
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光栄にも青柳会長のご指名で、〆の三本締めは、筆者が音頭を取ることになった。皆様方の今年一年のご健勝とご発展を祈念して、威勢良く手拍子が打ち鳴らされ、神社境内に響き渡った。 |
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青柳会長によると、江戸っ子の正しい〆のやり方は、座布団を外し、両手を広げるのではなく、手を合わせてから勢いよく拍手するのだという。とても勉強になった。 |
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社務所の後かたづけが終わった後、去年同様、神社のすぐそばにある石川邸に招待され、元気で88歳の米寿を迎えられたお母さんはじめ皆さんの歓待を受けた。 |
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