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2010年11月28日改訂

今 日

昨 日

♪山伏/邦楽囃子

街道の裸踊りや秋の夜  北舟

拡大写真(2250X1500)681KB

Autumn night, bare-chested dance at the main road.

2000年7月16日開設

西中区と東中区の合流/見付宿場通り(旧東海道)鍋久食堂前 21:32
西中区と東中区の合流/見付宿場通り鍋久食堂前(静岡県磐田市)
2010年の日記   11
  10月 11月 12月

目次


 
2010年11月29日(月)晴
 
 
■■■     「アメリカ西部荒野の旅」 完成! ■■■
 
   昨日、今年第35作(通算第444作)目の作品をアップした。

                感動写真集 ・第146集 / 特集!旅紀行・第100集 「アメリカ西部荒野の旅」

                                                 
   撮影・原作:松井公代
 監修:和田義男
  
 
 

【編集子が選ぶ名作】

部屋から見えるビュートの絶景!/モニュメン・トバレー

部屋から見えるビュートの絶景! 17:17

拡大写真(2800x1650)718KB

 
 
  秋光の荒野に赤きビュートかな 北舟 

しゅうこうの こうやにあかき びゅーとかな

Autumnal sunlight, strange red buttes in the wilds.

 
 

クスコの松井公代

拡大写真(1400x1200)338KB
 
 
撮影 ・ 原作 : 
 

松井公代まつい きみよ

 
住居:愛知県刈谷市

現在の楽しみ:旅行・60の手習いで始めたパソコン・
         お友達とのちょっと贅沢なランチ

あとがき

 とにかく広大で、荒々しいアメリカの大自然を堪能した旅でした。特に、アーチーズ国立公園の「デリケート・アーチ」は、炎天下のなか、2時間ほど登って、、、その景色が目の前に現れたとき、想像を絶する奇岩、大きさ、すばらしさに、思わず歓声があがりました。あきらめないで、登ってよかった!!と。
 
 アメリカ映画によく出てくる「モニュメントバレー」も異次元の世界を思わせるような不思議な光景で、夕日に彩られた残丘「ビュート」の美しさは、本当に神々しく、絶景そのものでした。
 
 1600キロをバスで移動するという強行軍のツアーでしたので、参加しようか?すこし迷ったのですが、思い切って出掛けて、本当によかったと思っています。

★☆★彡

感動写真集 第146集 / 特集!旅紀行 第100集 「アメリカ西部荒野の旅」

撮影・原作: 松井公代    監修: 和田義男

 平成22年(2010)11月28日 作品:第35作 画像:(大81+小9)  頁数:5  ファイル数:205 ファイル容量:60MB
  平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:444 頁数:1,703 ファイル数:61,235 ファイル容量:9,141MB
 
 
  残丘の燃ゆるが如き秋の暮 北舟 

ざんきゅうの もゆるがごとき あきのくれ

Autumn dusk, the buttes look like burning flames.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

ビュートの夕焼け!/モニュメント・バレー

ビュートの夕焼け! 19:29

拡大写真(2000x930)185KB

 
 
懐かしの西部劇
 本日、感動写真集同人の松井公代さんの第6作となる「アメリカ西部荒野の旅」が完成した。編集を始めて1週間があっという間に過ぎ、その間、アメリカの西部劇の舞台となった壮大な荒野の景観を松井さんが感性豊かなカメラワークで切り取った名作をたっぷりと堪能させて頂いた。
 かつては、日本の映画館で多くの西部劇が上映され、遠い異国で繰り広げられる異文化を憧憬の思いで見守り、夢中になったファンは多い。
和田義男
 私もその中の一人で、BGMに流れるウエスタン・ミュージックは私の愛蔵するCDアルバムから取り出したものである。ジョン・ウェイン主演の西部劇も沢山見ている。
 駅馬車 Stagecoach (1939) 、荒野の決闘 Oh My Darling Clementine (1949)、黄色いリボン She Wore a Yellow Ribbon (1949)リオ・ブラボー Rio Bravo (1959)西部開拓史 How the West Was Won (1962) は、いずれもジョン・ウェイン主演の映画で、BGMに流している。また、シェーン Shane(1953)で、シェーンが去るときにジョーイ坊やが叫んだ「シェーン・カミ・バック!」の台詞は、未だに脳裏に刻まれており、BGMに追加した。
 敗戦国日本が戦後奇跡的な経済復興を遂げて世界の先進国の一つに数えられるようになって久しいが当時日本とは縁のない遠い世界だと思っていたアメリカ西部が、今は観光地の一つに過ぎず、多くの日本人が気軽に渡航し、壮大な景観を体験できる時代を迎えたことに、感無量である。
 円高ドル安が進み、今日のレートでは1米ドルを84円で買える。景気回復はなかなか進まないがこういうときにこそ、団塊の世代が大いに旅をして、世界経済の活性化に貢献するときである。来年も大いに海外に出掛けて、ロマンと感動を切り取ってゆきたい 。 松井さん、ありがとう! 〈 完 〉  2010.11.28  和田義男
 
 
  キャニオンの燃ゆる山々秋入日 北舟 

きゃにおんの もゆるやまやま あきいりひ

Autumn sunset, the burning mountains of canyon.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

茜色に染まる山々 18:39/グランド・キャニオン

茜色に染まる山々 18:39

拡大写真(1800x1200)267KB

 

 
2010年11月28日(日)晴
 
 

■■■ 相撲特集 ■■■
 
  ▼ 今朝の讀賣新聞の「気流」という投稿欄は、相撲特集で、色々な世代の方から相撲に寄せる思いが載せられていた。そのなかで、「白いふんどし」と題する90歳の長老の投稿があったので、ここに転載し、久しぶりに褌談義をさせて頂きたい。  

白いふんどし

無職 柳原米一 90 横浜市

郷里の鹿児島・奄美大島の習わしで、15歳の時、叔母から贈られた白地の木綿で作ったふんどしをまとい、広場で行われた相撲大会に初めて参加した。以来、相撲と共に人生を歩んできた。軍隊入りしてからは、祝賀行事の「軍旗祭」で、所属する隊の代表に選ばれて善戦した。朝鮮半島でも「草相撲」にかり出された。
 相手のふんどしをわしづかみにして、つり上げて倒すのが得意だった。骨折などの「名誉の負傷」も度々あった。今も大の相撲ファンで、妻とともに、テレビ観戦を楽しんでいる。(讀賣新聞 2010.11.28 朝刊第10面)
 90歳といえば、大正9年(1920)生まれで、波瀾万丈の昭和の時代を生き抜いてこられた方である。奄美大島では、白晒木綿のふんどしを締めて行う相撲大会があったということだが、今はどうなっているのだろうかと、「奄美大島 相撲大会」をキーワードにGoogle検索をすると、奄美大島瀬戸内町在住のNaoさんのブログ「シマだより(奄美大島瀬戸内町)」に掲載された次の記事が見つかった。
                     2009年 08月 16日 瀬戸内町みなと祭り/相撲大会
 8/16みなと祭り最後を飾る相撲大会が大湊公園相撲場で開催されました。団体戦と個人戦があるようですが、団体戦の小学校低学年の部から高校一般の部予選まで撮影しましたが、とにかく暑かったですね。
 記事のそばに正規の帆布製の相撲褌(まわし)を締めた力士の写真があり、「今年の全国わんぱく相撲大会小学校5年生の部で横綱になったT君」と説明されていたので、本格的な相撲大会に発展していることが分かり、とても嬉しかった。
 かつては、「相撲と共に人生を歩んできた」この90歳の長老のように、日本独特の裸文化である相撲は身近にあり、男子に生まれてくれば、誰もがふんどしを締めて相撲を取った時代があった。今年の秋は、奉納相撲の特集を企画し、関東の5箇所で行われている宮相撲を取材して発表したが、その過程で、多くの相撲大会が、過疎化や少子化の影響で、廃れてしまった現実があった。また、パンツの上に相撲褌(まわし)を締めておこなう宮相撲もみられ、伝統の裸褌文化の伝承が危機に瀕していることが分かった。都会ほど、その傾向が強く、地方に行けば行くほど、奄美大島のように、伝統文化が根付いているように思われる。
 サッカーや野球が子供たちの心を捉える一方で、相撲に人気がないのは、戦後、学校から土俵が消え去り、相撲が正課から外されてしまったことが大きいと思う。軍隊が相撲を奨励し、闘争心をかき立てたことが原因なのだろうか。
 ともあれ、戦後、大相撲が国技として復活し、現在もその頂点にあり、テレビ中継されていることが相撲文化の大きな拠り所となっている。しかし、その大相撲も、外国人の多くが上位を占め、人気に陰りが見えているのは、寂しい限りである。今一度、原点にたちかえって、江戸時代から続く伝統の相撲文化をどうしてゆくのか、みんなで考えて頂きたいものだと思う。

 
2010年11月19日(金)晴
 
 
■■■     日本の裸祭り第122集 「伊手熊野神社蘇民祭」 完成! ■■■
 
   本日、今年第33作(通算第442作)目の作品をアップした。

                感動写真集第145集 / 日本の裸祭り第122集 「伊手熊野神社蘇民祭」

                                                 
   撮影 ・原作:曽根由香
 監修:和田義男
  
 
 
 
曽根由香  そねゆか 
住居:埼玉県さいたま市(旧 大宮市)
趣味:写真撮影、MyCarスプリンターの 車内で生活する事
特技:何処でも寝れる事、運転免許第一種は制覇(第二種は普通二種と大型二種
    のみ取得)
 
 
 
   
 最近は急に寒くなってきました。これから冬の雪景色が楽しみな反面…怖いですね。
 
 岩手県の伊手熊野神社蘇民祭に、大阪から向かっていた時はちょうど北陸が大雪・吹雪の中で…命がけで現地到着した感じでした。大阪→岩手コースならば、関東首都圏を経由すれば、大雪・吹雪の中を通過しなくてもすんだのですが、関東首都圏を通過しないで行けば、高速代も安くすむため(金曜日→土曜日に行ったので)に北陸に向かい走行し、命がけのETC割引になってしまいました。
 
 大阪から…阪神道→名神道→中央道→上信越道→北陸道→磐越道→東北道で岩手県と移動しましたが、暗くなってから走行していた上、信越道・北陸道・磐越道は本当に大雪・吹雪で大変でした。妙高や磐梯山あたりは命の危険を感じました。
 
 高速走行してる車はほとんどありませんでしたが、スピンしてぶつかって動けなくなった車はいたるところにいて、上信越や北陸道は、私が通過したあとから、通過してきた場所は次々に通行止めになってました。(ハイウェイラジオより)雪で通行止め直前の高速道路は本当にやばいです。
 
 途中で家族に電話して“もしかしたら事故るかもしれない”と連絡した位ですから。何かある前に家族の声を聞いておこうと思い… 雪は綺麗ですが本当に怖いです。

 
はだか祭りに参加される方々も寒い雪の中ではだかで耐える精神は素晴らしいですね。風邪をひいたり、風邪をこじらせて肺炎になどなったりしない様に…頑張ってもらいたいです。

今年も冬の雪国を思い出しながら、11月末に冬タイヤ+冬ワイパーに交換します。
 
 
 
 
  小雪舞ふ柴燈木登や白ふどし 北舟 

こゆきまう ひたきのぼりや しろふどし

A light snowfall, white loincloth of climbers on the smoking piles of Hitaki lumber of holy fire.

 
 

編集子の選ぶ傑作

火たき登り(

柴燈木登ひたきのぼり

)の晴れ姿! 21:33

柴燈木登りの晴れ姿! 21:33

拡大写真(2352X1568)479KB

 
 

和田義男  
 本日、曽根由香さんの第4作「伊手熊野神社蘇民祭」が完成した。蘇民祭といえばセクハラポスター事件で全国的に知られた奥州市水沢区(旧水沢市)の黒石寺蘇民祭が有名だが、今回は、神社の蘇民祭を作品化することができた。
  保存会のパンフレットによると、岩手県では、かつては20を超える寺社で蘇民祭が行われていたが、時代の趨勢で廃絶するところが相次ぎ、現在では10箇所で蘇民祭が行われているという。そこで、internetで検索してみると、8箇所を確認することができた。
 このうち完全に古来の裸褌姿で行っているのは花巻市・胡四王(ごしおう)神社蘇民祭(1月2日)と岩手県胆沢郡金ヶ崎町の長岡蘇民祭(1月31日)だけだった。後者は、20年ほど前から始まった町おこしのイベントなので、古来の伝統を受け継ぐ裸祭りは、胡四王神社蘇民祭だけということになる。
 あとの4箇所は、ズボンと上半身裸が混じって行うところが2箇所、裸にならないところが2箇所と、すべて変質している。熊野神社蘇民祭保存会の佐藤由吉会長も、高齢化と参加者の減少で、この先どうなるか分からないという。黒石寺蘇民祭の山本グループのような都会に住む元気な青年たちが加勢すべきときにきているといえる。
                                             
〈 完 〉 2010.11.19 監修 和田義男

 謝 辞

 このたび、ウチノメ屋敷 レンズの目 を主催する及川寿郎さんから 2010奥州市伊手・熊野神社蘇民祭 に収録されている写真の中から7枚を使わせて頂いた。お陰様で、伊手熊野神社蘇民祭の全体像を再現することが出来、この作品に変化と奥行きが生まれたことに感謝申し上げたい。
 なお、奥州市にお住まいの及川さんが激写された東北の祭りは、
祭りアラカルト にあるので、 推奨させて頂く。

感動写真集第145集 / 日本の裸祭り第122集 「伊手熊野神社蘇民祭」

撮影 ・原作 :曽根由香 監修:和田義男

  平成22年(2010)11月15日 作品:第34作 画像:(大36+小1)  頁数:2  ファイル数:81  ファイル容量:17MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:443 頁数:1,698 ファイル数:60,886 ファイル容量:9,063MB
 

 
2010年11月15日(月)雨
 
 
■■■     日本の裸祭り第121集 「津屋崎祇園山笠」 完成! ■■■
 
   本日、今年第33作(通算第442作)目の作品をアップした。

                  感動写真集第144集 / 日本の裸祭り第121集 「津屋崎祇園山笠」

                                                    
   撮影 ・原作:曽根由香
 監修:和田義男
  
 
 
 
曽根由香  そねゆか 
住居:埼玉県さいたま市(旧 大宮市)
趣味:写真撮影、MyCarスプリンターの 車内で生活する事
特技:何処でも寝れる事、運転免許第一種は制覇(第二種は普通二種と大型二種
    のみ取得)
 
 
 
   
 津屋崎千軒のおもむきのある街並みの中での山笠という点にひかれて足を運びました。この日は暑くて、バテバテになりながら夢中で山笠を追いかけました。山笠を担ぐ活発な男の方達に力をもらいました。また機会があったら行きたいお祭りです。
 
 
 
 
  緑陰の赤手拭や褌衆 北舟 

りょくいんの あかてのごいや ふどししゅう

The shade of trees, the guys each wearing a string loincloth and a red towel band.

 
 

編集子の選ぶ傑作

境内を疾走する

岡流おかながれ

境内を疾走する岡流

拡大写真(2592X1728)1.34MB

 
 

和田義男  
 本日、曽根由香さんの第3作「津屋崎祇園祭」が完成した。祇園山笠といえば、水法被(みずはっぴ)に褌をきりりと締め込んだ男たちが山笠を担いで町内を駆け回る勇壮な博多山笠が定番だが、同時期に九州各地で山笠が行われており、津屋崎もそのひとつである。
  津屋崎祇園山笠の経緯を紐解くと、江戸時代に本家の博多から祇園の神を村の鎮守社に招いて合祀し、おらが町の夏祭りとして始まったことが分かった。男らしい勇壮な祭りをこの地でもやってみたいと、血気あふれる男たちの熱い思いがきっかけだったのだろう。
  江戸時代の山笠は、褌一本で行う裸祭りだったが、裸は野蛮だとする明治新政府の行き過ぎた文明開化政策のあおりを受けて、水法被を着込んで行うようになったのは残念である。津屋崎でも博多と歩調を合わせて同じ水法被を着込んでいるのは、当時の官僚による一律の指導なのだろう。
 しかし、細部を見ると、津屋崎らしい取組みが認められ、創意工夫を凝らしながら今日の山笠を完成させてきたことが伺われる。前垂れ式の褌は、博多と同じものだが、色物が多用され、流れの中でも統一されていない。紺色が主流になり、白が少数派になっている。中には紫という高貴な色の褌もあり、神事は白褌という一般常識に反するが、それほど華美でもなく、許容できる範囲内にあり、没個性よりは良いのかもしれない。
 水法被も三流(さんながれ)それぞれの工夫がある。同じ流れでありながら氏子町会ごとに異なる法被を着用しているのは変化があって好感が持てる。流れで法被を統一してしまうと、町会を識別する袖章などを付ける必要が出てくる。流れごとに鉢巻の色を統一しているので、どの流れの氏子なのか簡単に識別ができる 。博多では、鉢巻(手拭い)の色で役職を識別しているが、津屋崎では、襷(たすき)で識別している。
 ひとつだけ残念なことは、子供たちの装束である。ごく少数であるが、水法被に褌という伝統衣装をまといながら運動靴やサンダルを履いた子がいた。博多では、子供でも衣装違反者は一人もいない。津屋崎でも衣装点検を厳重にして、品位を落とさないように願いたい。 〈 完 〉 2010.11.15 監修 和田義男

感動写真集第144集 / 日本の裸祭り第121集 「津屋崎祗園山笠」

撮影 ・原作 :曽根由香 監修:和田義男

  平成22年(2010)11月15日 作品:第33作 画像:(大30+小3)  頁数:2  ファイル数:72  ファイル容量:34MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:442 頁数:1,696 ファイル数:60,805 ファイル容量:9,046MB
 

 
2010年11月14日(日)曇
 
 

 

■■■ 「奉納相撲」のジャンルを創設! ■■■
 
  ▼ 俳句で相撲は、秋の季語。今年は、江戸時代から存続する関東の奉納相撲を取材することにし、汗を流しながら密着取材を続けた結果、5箇所の奉納相撲を激写することができた。internetで検索すると、かつては、もっと多くの宮相撲があったが、過疎化などの理由で廃止になったり、パンツの上に相撲褌(まわし)を締めるようになって、伝統文化が著しく損なわれ、もはや取材に値しないものになってしまった例も多く、残念に思っている。  
 取材した5箇所の神社の氏子たちは、こうした厳しい中でも、先祖から受け継いだ伝統の裸文化を後世に伝えようと努力していることを知って、嬉しく思った。しかし、千葉県旭市に鎮座する太田神社の子供相撲では、数年前から上下の運動服の上に相撲褌(まわし)を締めるようになり、日本文化の西洋化という時代の流れに押し流されてゆく例があり、悲しく思った。主催者の袋区長(旭市袋地区の町内会長)に撮影した原画を収めたDVDを進呈するとともに、もとの相撲褌(まわし)一本に戻すよう、電話と手紙でお願いした。
 今回の集中取材で、奉納相撲は13集を数えたので、「日本の裸祭り」の中に「奉納相撲」の目次を設け、一覧できるようにした。全ての奉納相撲の作品からジャンプできるようにリンクを張ったので、Wa☆Daフォトギャラリーの相撲を取材した作品が一目で分かるようになった。同じ奉納相撲といっても、神社によって特徴があり、ひとつとして同じものはない。金子みすゞの詩のように、みんなちがってみんないい。洋風化が進む中で、伝統の裸褌文化を変質させることなく子々孫々にまで伝えたいという熱意は共通である。これからも微力ではあるが取材を続け、氏子たちの努力を全国に紹介し、応援させていただきたい。

 
2010年11月13日(土)晴
 
 

 

■■■ 「アマゾン」「楽天市場」のアフィリエイト広告を掲載! ■■■
 
  ▼ このたび、「アマゾン」と「楽天市場」のアフィリエイト広告を掲載した。いずれもインターネット通販大手のである。「アマゾン」は、ポータル(入口)のバナー広告で、ここから amazon.co.jp に入って商品を購入すれば、紹介料として3.5%が入る。  
 アマゾンは、低額商品でも配送料は一切かからないという特典を完全サービス化したので、お買い得感が高い。書籍からスタートしたネット通販だが、今では何でも取り扱っているので、探してみるのも面白い。
 
▼ 「楽天市場」は、商品別の広告で、今回はオリンパスから新発売されたフラッグシップ・モデルの OLYMPUS E-5と、2009年7月3日に発売されて大ブレークしたオリンパスペン・マイクロ一眼 E-P1の広告を出した。
  オリンパスペン E-P1は、日経トレンディ「2009年ヒット商品ベスト30」にランクインするとともに、「カメラグランプリ2010大賞」「あなたが選ぶベストカメラ大賞」「EISA AWARDヨーロピアンカメラ 2009-2010」を受賞し小型・軽量・高性能を実現した名機として定着している。
▲ 2010年10月29日に発売されたばかりのE-5はE-3の後継機で、品薄状態が続いているようで、上々の滑り出しを見せている。AF性能の向上や液晶モニターのスペックアップに加えて、新開発の「ファインディテール処理」の搭載で、画質が目に見えて向上した。また、新アートフィルターの「ドラマチックトーン」や、ライブビュー時のコントラストAF、HD動画機能といった新機能が盛り込まれた。めずらしくレンズ付きキットが用意されず、ボディのみの販売となる。大手量販店の店頭価格は19万9,800円だが、私が見つけた楽天の最安値店は、179,600円((税・送料込)で、お買い得。
  これまで、旅行関係の広告ばかりだったが、やっと筆者が愛用しているオリンパス・デジカメの広告を掲載することができたので、嬉しい。高価な商品なので、そんなに簡単には売れないと思うが、購入予定の方は、是非、ここから店に入っていただければ有り難い。

 
2010年11月11日(木)晴
 
 
■■■     日本の裸祭り第120集 「太田神社黒虎相撲」 完成! ■■■
 
   昨日、今年第32作(通算第441作)目の作品をアップした。

                         日本の裸祭り第120集 「太田神社黒虎相撲」

                                                    
      撮影・制作 : 和田義男
 
 
 
 

和田義男

  
撮 影

2010年11月3日


OLYMPUS E-30
 
 
12-60mm


1230万画素 1820枚 4.59GB
 

 前作の「和田乃神社奉納相撲」の結語で「汗だくで取材してきた奉納相撲シリーズは本日、最後の四作目が完成した。」と書いたが、その後、internetの検索で黒虎相撲を知り、本日、本当に最後となる五作目が完成した。
  朝4時に起床して、鈍行電車を乗り継ぎ、5時間後の9時前に太田神社にたどり着き、所期の密着取材を全うすることができた。
 よほどの変人か物好きでなければ、こんなきついことをする人はいないだろう。全国の裸祭りを高精細画像で網羅したいという使命感に燃えているからこそできることである。
 今から18年前の平成4年(1992)、地元篤志家による寄進により復活を遂げた黒虎相撲は、袋区青年団12人による古式にのっとった勇壮で美しい奉納相撲として受け継がれていることに感動した。相撲だけでなく、袋お囃子保存会の袋囃子の奉納や獅子舞の土俵入り婦人部の飲食の接待やくじ引きなど黒虎相撲を支える地域の方々の連帯と熱意を強く感じた。青年団の12人はいずれも若者ばかりなので黒虎相撲は盤石(ばんじゃく)の体勢にある。
  明智旭市長は、挨拶の中で、黒虎相撲を旭市の伝統の祭りとして位置づけ、バックアップする意向を示されたのは喜ばしい。本日発表にこぎ着けたこの作品により、全国区の仲間入りを果たした黒虎相撲の来年がどうなっているか、今から楽しみである。観客が増え、露店が立ち並び、賑やかな秋祭りへと発展することを願っている。

★☆★彡

黒虎くろこ 相撲・少年少女の部 平成17年(2005)11月3日

川柳と旅と写真のホームページ

黒虎相撲・少年少女の部 撮影:橋敬三
 
 良いことずくめではない。私がショックを受けたのは、今回、小学生男子の相撲が全員白の半袖シャツ・青の短パン(小学校の体操服)の上に相撲褌(まわし)を締めて行われていたことである。
川柳と旅と写真のホームページ を運営されている高橋敬三さんが5年前に撮影した写真には、小学生男子は青年団と同じように相撲褌(まわし)一本で相撲を取っている。 (写真上)
  数年前から現在の体操服になったそうだが、これは伝統の裸文化を著しく損なう行為であり、正視に耐えず、この作品には子供相撲の写真は一切掲載しなかった。裸になるのがいやな子は、無理に参加させなくても良いのではないか。参加者が少なくなっても仕方ないのではないだろうか。今回、「少年団三人抜き」で兄弟対決となり、お兄ちゃんが見事優勝して自転車を獲得したが、二人とも立派な体格をしており、正規の相撲褌(まわし)一本で相撲を取りたかったのではないだろうか。いやがる子にあわせて、全員一律に運動服を着せて相撲を取らせることは、日本の伝統文化を軽視した行為であり、私には良識を逸脱した判断に思える。
  アマチュア相撲を世界的に広めたいという思いから、日本相撲連盟は、パンツの上にまわしを締めても良いとしているのが、残念でたまらない。それでも相撲は裸で取るものであるという線は崩しておらず、上半身は裸で相撲を取らせている。しかし、黒虎相撲では、小学校の上下の運動服の上に相撲褌(まわし)を締めさせて相撲を取らせている。つまり、「相撲は土俵で裸で取る」という伝統を無視した行為である。私は、全国の奉納相撲を取材して廻っているが、運動服による相撲は初めて目にする行為である。
 土俵下に小学生たちの面倒を見ている先生がいたが、日本の伝統文化をどのように考えて教育しているのだろうか。今回は、単なる相撲競技ではなく、神事相撲であり、宮相撲なのである。江戸時代から続く伝統文化を完璧に踏襲した環境の中で、子供たちだけが洋服姿で相撲を取る違和感を感じないのだろうか。伝統文化を擁護することこそ教師の役割ではないだろうか。関係者の良識ある対応を求めたい。 〈 完 〉  2010.11.10 和田義男

日本の裸祭り第120集 「太田神社黒虎相撲」

撮影・制作 : 和田義男

  平成22年(2010)11月10日 作品:第32作 画像:(大66+小7)  頁数:3  ファイル数:152  ファイル容量:48MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:441 頁数:1,694 ファイル数:60,608 ファイル容量:9,060MB
 
 
  太陽を背に綱の土俵入  北舟 

たいようを そびらにつなの どひょういり

Sumo leg stomps of Yokozuna, carrying the sun on his back.

 
 

【編集子が選ぶ名作】

東の横綱・斉藤秀明青年団長の 土俵入り 10:37

東の横綱・斉藤秀明青年団長の土俵入り 10:37

拡大写真(1800X1400)698KB

 

 
2010年11月1日(月)曇
 
   
   昨日、今年第31作(通算第440作)目の作品をアップした。

                  特集!旅紀行第99集 《 ル・コルビュジエ「東方への旅」を旅する 》

                                                    
   撮影:
制作:和田義男  
 
 

パノラマ写真(2600X1350)298KB

2010年10月31日制作

大成建設ギャルリー・タイセイ

 ル・コルビュジエ

大成建設ギャルリー・タイセイ/横浜第二有楽ビル(神奈川県横浜市)
ル・コルビュジエ

 「東方への旅」を旅する

大成建設ル・コルビュジエ

 
 

和田義男

  
撮 影

2010年10月26日


OLYMPUS E-30
 
 
12-60mm


1230万画素 128枚 269MB
 

 私が勤める大成建設の社会貢献事業に一個人の道楽であるWa☆Daフォトギャラリーの作品が役立ったのは、とても光栄である。
  小林修さんや林美佐さんが私の趣味を知るよしもなく、このコラボが実現したのは、インド通で知られる感動写真集同人の丹下誠司さんによる仲介があったからである。
  今回の企画は、実際に現地を歩いて取材するのがベストだが、時間や費用の余裕はなく、旅行して来た人から写真を借りるのが現実的である。この話を耳にした丹下さんの機転で、このプロジェクトが完成した。
  私を小林さんや林さんに紹介して頂いた丹下さんには、心よりお礼申し上げる。そのお陰で、弊社に社会貢献推進室という組織があり、企業活動で得た果実の一部を社会に還元する文化活動を行っていることを知って嬉しく思った。
 また今まで知らなかったル・コルビュジエという近代建築の巨匠の足跡を辿ることが出来、大きく視野が広がった。これまでのように旅先で漠然と世界遺産を眺めて楽しむだけでなく、人生の目的や生き方にあった見方が必要であることを痛感した。ル・コルビュジエのように、「旅は人を変える」のである。
 「かわいい子には旅をさせよ」とはけだし名言である。世界の旅の写真館として、旅の喜びだけで満足せず、人生観や生き方が変わるほどのロマンと感動、そしてインスピレーションを得るための感受性を養いたいものだと思う。

                                                 〈 完 〉  2010.10.31  和田義男

特集!旅紀行第99集 《 ル・コルビュジエ「東方への旅」を旅する 》

撮影・制作 : 和田義男

  平成22年(2010)10月31日 作品:第31作 画像:(大25+小7)  頁数:2  ファイル数:67  ファイル容量:15MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 
作品数:440 頁数:1,691 ファイル数:60,536 ファイル容量:9,012MB
 

  10月 11月 12月

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