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本日、本年第34集/通算第421集となる作品をアップした。
感動写真集〈 第168集 〉/日本の裸祭り〈
第94種146集 〉「小諸八朔相撲」
撮影・原作:Wa☆Daフォトギャラリー愛好者 監修: 和田義男
平成21年(2009)9月6日(日)、長野県小諸市(こもろし)八幡町(はちまんちょう)に鎮座する小諸八幡宮(こもろはちまんぐう)で八朔相撲(はっさくずもう)が奉納された。このほど、和田フォトギャラリー愛好者から、当日撮影した原画をお送り頂いたので、「小諸八朔相撲」としてアップした。
4頁82枚の中編である。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
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木漏日の相撲童や白ふどし 北舟 |
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White
loincloth of the children,
wrestling under the sun streaming through the leaves of trees. |
2011年11月22日制作
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● 平成23年(2011)11月22日(火)、Wa☆Daフォトギャラリー愛好者から提供して頂いた原画をもとに編集した「小諸八朔相撲」が完成した。この奉納相撲は初めての登場で、裸祭シリーズとしては94種目・第146集となった。 |
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小諸八朔相撲
四百年 |
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初代の小諸藩主・仙石秀久(せんごく・ひでひさ)は、よほど相撲好きだったらしく、子供たちを八朔の日に蛇の目の辻に集めて相撲を取らせたのが八朔相撲の起こりで、それが四百年近く経った現在も催行されていることに感動する。 |
栄枯盛衰、諸行無常の浮き世にあって、初代藩主は何と大きな文化遺産を残したことか。藩主が信長から使用を許されたという珍しい永楽銭紋の提灯が小諸八幡宮の拝殿に飾られていたが、
この永楽銭紋こそ、地元氏子たちの誇りを象徴するものであろう。 |
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解説を書くに当たって、八幡宮八朔相撲事務局 TEL 0267-22-0455
に電話したところ、土屋袈裟紀さんが事務局を担当されており、電話に出られた奥様にお話を伺った後、祭を代表する氏子総代長の小林忠昭さんの電話番号をお聞きし、電話取材したところ、懇切丁寧にご教授頂いた。お陰様で、正確な解説を加えることができた。お二方には、心より御礼申し上げたい。 |
小諸でも少子高齢化の波が押し寄せ、毎年、参加者を集めるのに苦労されておられるが、氏子総代長の土屋さんから「自分たちの代で400年の伝統を途絶えさせることはできない」と聞いたときには、胸に熱いものを感じ、伝統の重みを実感した。 |
★☆★彡 |
平成21年(2009)の参加者は19人だったが、平成23年(2011)は30数名のちびっ子が参加したという。減っているのかと思いきや、意外にも増えていたので、とても嬉しく思った。小組・中組・大組それぞれ10名ほど揃えないと見栄えの良い土俵入は出来ないそうで、今年は、目標を達成したことになる。 |
氏子総代長の小林さんによると、その秘訣は電話作戦だった。今までは、ビラを配ったりして参加者を募集していたが、殆ど効果がないことから、今年は個別に電話をかけて参加をお願いしたところ、「そういう事情がおありなら、うちの子を参加させましょう」といってくれる人が多く、目標を達成できたという。このような話を聞くと、日本もまだまだ捨てたものではないと嬉しく思う。 |
これからも、この美しくて勇ましい小諸八朔相撲を盛り上げていって頂きたい。「来年は、是非、見に来て下さい。」とは土屋さんの奥様のお言葉。この作品をご覧になった皆さん、平成24年(2012)9月2日(日)に開かれる400年の歴史を誇る八朔相撲を見に行きませんか。〈 完 〉 2011.11.22 監修 和田義男 |
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感動写真集〈 第168集 〉/日本の裸祭り〈 第94種146集 〉「
小諸八朔相撲」 |
撮影・原作:Wa☆Daフォトギャラリー愛好者 監修: 和田義男 |
平成23年(2011)11月22日 作品:第34作 画像:(大64+小18) 頁数:4 ファイル数:161 ファイル容量:49MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:422 頁数:1,662 ファイル数:70,707 ファイル容量:11,847MB |
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はっさくや
こどもよこづな どひょういり |
First of
August, sumo grand champions of children performing in the ring. |
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昨日、本年第33集/通算第421集となる作品をアップした。
感動写真集〈 第167集 〉/日本の裸祭り〈 第145集 〉「袖師少年奉納相撲」
撮影・原作:Wa☆Daフォトギャラリー愛好者 監修: 和田義男
平成23年(2011)8月1日(月)、静岡市清水区袖師町に鎮座する神明宮で少年相撲百周年記念大会が奉納された。神明宮では、毎年8月1日に袖師町自治会が興行主の「少年奉納相撲大会」が開催されており、このほど和田フォトギャラリー愛好者から2年前の平成21年(2009)に撮影した原画をお送り頂き、昨日、「袖師少年奉納相撲」としてアップした。
3頁47枚の中編である。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
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百年の白褌や宮相撲 北舟 |
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Sumo
wrestling at shrine, white fundoshi loincloth for a hundred
years. |
2011年11月16日制作
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土俵際の攻防/神明宮(静岡市清水区) |
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2011年11月16日(水)、Wa☆Daフォトギャラリー愛好者から提供して頂いた原画をもとに「袖師少年奉納相撲」が完成した。この奉納相撲は初めての登場で、裸祭シリーズとしては93種目・第145集となった。 |
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現在も変質することなく存続する伝統の裸褌文化を発掘することが私のライフワークのひとつであり、裸祭の取材中に知り合った多くの愛好者から色々と協力を頂いている。 |
今回は、その最大の支援である原画の提供を受けての発表で、私が直接取材に出かけなくとも撮影者からの情報と、電話取材による神明宮・小澤一徳(おざわかずのり)宮司の懇切丁寧な解説により、この作品が生まれたことに感謝申し上げたい。 |
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少子高齢化により、伝統の祭礼が催行できなくなる事態が全国の社寺を直撃しているが、ここ袖師町でも例外ではなく、明治後期に始まった奉納相撲は、平成23年(2011)8月1日で100回目を迎えたが、祭の中核だった青年団が高齢化し、相撲を取れなくなってしまったため、地元小学校に通う児童に未来を託すことになり、現在は、清水袖師小学生と嶺保育園児たちによる少年奉納相撲大会として催行されている。 |
次代を担う袖小の児童らが伝統の奉納相撲を支えることになったことは、逆に考えれば素晴らしいことであり、学校側としても総合教育の場に活用できるわけで、一石二鳥の対策だといえよう。 |
大勢の学童たちが褌一丁になって真摯に相撲を取り、郷土の相撲甚句を唄い、汗を流す姿は、誠に頼もしい。小澤宮司によると、野球チームの部員などが率先して参加し、相撲を奉納してくれるという。普段、褌など締めたことのない子供たちだが、褌を恥ずかしがる子はいない。溌剌とした少年たちが真剣に相撲をとる姿を見れば、袖師町の未来はとても明るい。奉納相撲関係者の御尽力に深謝申し上げたい。〈 完 〉 2011.11.16 監修 和田義男 |
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感動写真集〈 第167集 〉/日本の裸祭り〈 第93種145集 〉「
袖師少年奉納相撲」 |
撮影・原作:Wa☆Daフォトギャラリー愛好者 監修: 和田義男 |
平成23年(2011)11月16日 作品:第33作 画像:(大35+小14) 頁数:3 ファイル数:94 ファイル容量:28MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:421 頁数:1,658 ファイル数:70,546 ファイル容量:11,798MB |
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おさなごを かたてにいだき みやずもう |
Sumo
wrestling at shrine, holding a baby in his arm. |
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編集子の選ぶ傑作 |
幼児健康祈願の土俵入り / 亀甲山
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昨日、本年第32集/通算第420集となる作品をアップした。
感動写真集〈 第166集 〉/日本の裸祭り〈 第144集 〉「博多山笠寸描'11」
撮影・原作:辻 竜二 監修: 和田義男
平成23年(2011)7月1日(木)から15日(木)までの間、770年目となる博多祗園山笠が開催されたが、この作品は、辻さんの第三作で、休日を利用して福岡入りし、3日(日)と10日(日)の祭の様子を撮影した3頁82枚の中編で
ある。どうかお時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
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出生:昭和44年(1969)長崎県佐世保市 |
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住居:長崎県佐世保市 |
職業:水道工事 |
趣味:写真、車、野鳥(観察・撮影) |
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所 感 |
博多祇園山笠は、ちょうどカメラを始めた年に撮り始めたので今回で4年目となりますが、規模が大きいため何度通っても新しい部分を見つけることができます。今回は地元の方達にも顔見知りができて話を聞く機会がありましたが、全国的に有名なこの祭りでも実は後継者が減少しており、流によっては大学生の臨時メンバーを募ったりしているそうです。逆に、この期間だけ遠方から駆けつける人もかなりいるとか。 |
この祭りは、770年の歴史があるものの、時代の流れでいろいろな変化を余儀なくされた部分もあると聞きます。しかし、祭り期間中にあちこちで見かけることのできる「山のぼせ」という人種、この人たちが居る限り、山笠は、形を変えることはあっても、次の世代へ引き継がれていくものと思います。 |
休日カメラマンとして取材5年目の来年は、ついに15日の追い山が日曜日に当たり、今からどうしようかと考えているところです。祭は、撮影場所の確保が最大のポイント。休みと追い山が重なると、人出が凄いことになるんですよね。 |
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感動写真集〈 第166集 〉/日本の裸祭り〈 第144集 〉「博多山笠寸描'11」 |
撮影・原作:辻 竜二
監修: 和田義男 |
平成23年(2011)11月12日 作品:第32作 画像:(大74+小8) 頁数:3 ファイル数:78 ファイル容量:165MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:420 頁数:1,655 ファイル数:70,452 ファイル容量:11,770MB |
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ちからみず こどもやまかさ ぬれねずみ |
Children
carrying a Yamakasa wagon, Taking water like drowned rats! |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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本日11月12日(土)、久々の裸祭シリーズ〈 第144集
〉、辻竜二さんの第3作「博多山笠寸描'11」が完成した。このたびは、多くの出番待ちの作品があり、また、海外旅行などが入ったため、辻さんには三ヵ月ほどお待たせすることになり、大変申し訳なく思っている。 |
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急いで編集作業に入ると、お送りいただいた原画がフォルダー毎に細かく分類されており、解説文を読みながら非常にスムーズに編集が進んだので、大変有り難かった。しかも、とても良く撮れており、フォトショップでのレタッチは殆ど必要なかった。 |
博多祇園山笠は、ちばあきおさんや大庭靖雄さんの作品があり、また、辻さんにとっても二作目になるので、正直いって、マンネリを恐れていたが、それは杞憂であることが直ぐに分かった。 |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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子供 |
山笠 |
「 |
博多流 |
」に感動! |
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辻さんも所感で述べておられるように、博多山笠は、規模が大きく、毎回、新しい発見がある。今回のお手柄は博多小学校の子供山笠「博多流」の完全収録である。流によっては、子供山笠をやっていることは知っていたが、これほど規模が大きく、かつ、レベルの高いものが存在するとは聞いたことが無く、小学生たちのみで大人顔負けの舁き山が見られたのは初めてで、その真剣さと迫力あるパフォーマンスに、とても感動した! |
internetを検索しても、本作のように丸々1頁23枚の高精細画像を掲載して子供山笠を紹介しているサイトは見あたらない。この作品は、子供山笠「博多流」の決定版であり、多くの読者に感動を与え、全国に知られるようになるだろう。 |
女の子が締め込み(褌)をして男子と対等に裸祭に参加しているところは、博多以外には存在しない。こゝには、裸褌文化への憧れこそあれ、褌を恥ずかしいと思う子供は存在しない。 |
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博多では、次代を背負う子供たちが幼児の頃から褌を締め、自然に伝統の裸文化を身に付けて行く仕組みができあがっている。博多小学校の先生自身が褌を締めて子供たちにお手本を示す社会教育を行っているのは、何とも素晴らしい。 |
伝統の奉納相撲がパンツの上に褌を締めて行うように変質してしまった例を見るに付け、こゝ博多では、伝統の裸褌文化に誇りを持ち、忠実に次代に引き継いで行こうと考える地域の熱意が大きく花開き、巨大な力になっている。博多山笠万歳! 〈 完 〉 2011.11.12 監修 和田義男 |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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昨日、本年第31集/通算第419集となる作品をアップした。
感動写真集〈 第165集 〉/ 特集!旅紀行〈 第107集 〉 「英国への旅」
撮影・原作 : 小池淳二 監修:和田義男
この作品は、小池さんが2011年6月28日(火)から7月7日(木)にかけてご夫婦でイギリスを旅したときの記録で、小池さんの第8作である。
900枚を超える写真の中から厳選し、編集や解説に時間をかけたので、11頁250枚の感動巨編となり、イギリス旅行の決定版を完成させることができた。どうか時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
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住居:兵庫県明石市 |
昭和11年(1936)生まれ |
趣味:音楽鑑賞 旅行 ウォーキングなどの運動 |
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感動写真集〈 第165集 〉/
特集!旅紀行〈 第107集
〉 「英国への旅」 |
撮影・原作 :
小池淳二 監修:和田義男 |
平成23年(2011)11月8日 作品:第31作 画像:(大209+小41) 頁数:11 ファイル数:528 ファイル容量:191MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:419 頁数:1,652 ファイル数:70,287 ファイル容量:11,692MB |
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英国旅行の感想
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私ども夫婦が英国へ旅行するのは今回が2度目で、最初は15年前の秋でした。当時、英仏海峡の海底トンネルが出来て、まだ間もないころで、パリまで新しいユーロスターに乗ることも目的のひとつでした。
その時の観光先としてロンドンとウィンザー城は見ていたので、今回の英国旅行では、もっと広い範囲のイギリスを見たいと思い、ロンドンでの自由行動日は南イングランドなどへのオプショナル・ツアーに参加することにしました。
実は、このことが今回の旅の心残りになっているのです。そのうえ、パッキンガム宮殿の衛兵交代式もロンドン名物の交通渋滞のために遅刻し、式の終わり頃、遠くから観客の背後でカメラを持ち上げての撮影でした。
旅行後に旅の写真を見ていると肝心の首都ロンドンが手薄になっておりました。その代わり、カンタベリーなど素晴らしい場所もあるのですが、我儘でしょうか?それ以外は十分満足できる旅だったと思います。 |
☆★☆彡 |
今回の旅も出かける前から色々と準備がありました。旅先の歴史・文化などを調べるほかに、イギリス文学、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読みました。登場人物の名前がカタカナばかりで、その人間関係が判りにくいので、主な家の家系図を作り、それを見ながら読みました。おかげでブロンテ一家の故郷ハワーズ観光では、小説の中の雰囲気が分かりました。
そのほか、湖水地方の文学としては、ワーズワースの詩の「水仙」、「郭公」、「虹」や、ビアトリックス・ポターの絵本「ピーター・ラビット」や「あひるのジマイマ」などを読みました。
シェイクスピアは読みませんでしたが、ラジオの朗読で「ヴェニスの商人」を聞いていましたので、文豪の生家をストラトフォード・アポン・エイボンで見たときには、小説が書かれた時代を感じました。しかし、「カンタベリー物語」は読んでおらず、トマス・ハーディの「アリシャの日記」も読み返しておらず、若干準備不足でした。 |
☆★☆彡 |
やむを得ないことですが、観光時の光線の具合は、私の希望通どおりとは行かず、逆光で真っ黒になったりするので、忙しい中、走り回って良いアングルを捜したりしました。それでもダメな時が多く、撮影条件を多少いじったりしています。
テレビの天気予報は、毎日「クール&シャワー」と報じていましたが、こちらは幸運にも雨には殆どあいませんでした。
英国の印象ですが、ナショナル・トラスト運動で田舎の風景や民家を残すなど、至る所で英国らしさを感じました。広い牧場の中に設けられた旅行者用のフット・パスを歩く若者たちや自転車専用道を利用して旅をする人々、運河や河川で小さい舟を利用した家族の旅など、英国人の余裕を感じました。旅先でちょっと話した英国人たちは、幸せそうでした。
しかし、7月6日にロンドン・ヒースロー空港を離陸してから1箇月後の8月6日、ロンドンで若者たちによる暴動が発生し、私たちが訪問したバーミンガムなどへも飛び火しました。ちょっと見ただけでは中々その国の実情は判らないということでしょう。でも、私には人々は幸せに見えました。私たちも幸せな旅でした。
小池淳二 |
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【編集子が選ぶ名作】 |
美しいスワン・ホテルと庭園のそばを流れるコルン川 /
バイブリー |
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10月20日(木)丹下誠司さんの第11作「バリ島再訪!」に引き続き、11月8日(火)、
感動写真集同人・小池淳二さんの第8作となる「英国への旅」が完成した。
この間、一泊二日の熊本・阿蘇山の取材旅行を行ったので、それを差し引いても、完成までに17日間を要した感動大作となった。 |
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並みの作品であれば、普通、1週間くらいでできあがるのだが、お送り頂いた画像は、900枚を越え、良く撮れているものをあれもこれもと選んでいくうちに、11頁250枚という巨編になった。 |
歴史・文化が豊かな大国がテーマであるため、枚数が多いだけでなく、解説には正確を期し、話題を広く集めたことから、かなりの時間がかかった。internetを検索しても、質・量ともにこれほど充実した作品は見当たらないので、イギリス旅行の決定版となることは間違いない。 |
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編集に当たっては、観光地がどこにあるかを示すため、グーグル・アース
Google Earth を多用した。そのお陰で、実際に行ったことがなくても、地理だけでなく、建物の姿かたちまで分かるので、画像と照らし合わせることで、どこからどの方向に何を写したかまで知ることができた。グーグル・アースのお陰で、お送り頂いた解説文の中に方角が誤っている箇所があっても、被写体を確認しながら正確な解説を書くことができた。車1台をはっきりと識別できる航空写真が無料で使えるのだから、本当に有り難い世の中になったものである。 |
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【編集子が選ぶ名作】 |
国会議事堂とビッグ・ベン / ロンドン |
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拡大写真(2000x1350)506KB |
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日本では、明治維新以降、急速に西洋化が進んだが、皇太子徳仁親王(こうたいし
なるひとしんのう)がイギリスに留学されたことからも分かるように、皇室はイギリス式を導入し、海軍は当初からイギリスの軍制に倣(なら)った。現在も日本とイギリスとは親密な関係にあり、知らず知らずのうちに、イギリス文化が日本に浸透している。たとえば洋食のマナーで、日本人がフォークの背にご飯を載せて食べるのはイギリス式であり、フォークの腹に乗せるフランス式とは明らかに違っている。フランス人は、今もイギリス式マナーを受け入れない。 |
ライ Rye の旅籠(はたご)マーメイド・イン
Marmaid Inn の解説で、イギリスの海賊
pirate を紹介したが、現在では海賊行為
piracy
は野蛮な犯罪であるが、当時は、国益に叶う活動だった。 |
イギリスでは、現在もキャプテン
Captain
(船長)は、ひとつの称号として尊敬されている。南イングランド出身の海賊キャプテン・ドレーク
Captain Drake
が国を救い、日本よりも小さな島国を大国に発展させた功労者であったからだろう。 |
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日本の海賊といえば、国内の水軍を別にすれば、国外では13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部で活動した和冦(わこう)が有名だが、歴史的な評価は低い。日本は、基本的に稲作中心の農耕民族であり、長い鎖国状態にあった江戸時代に海外に雄飛する機運が削がれてしまったことが大きい。 |
明治維新以後、資源小国の日本は、イギリスに倣って商船隊を育成し、海外から原料を輸入し、魅力的な商品をつ
くり付加価値をつけて輸出する加工貿易で国を発展させてきた。イギリスのようにキャプテン(船長)が指揮するシーマン Seaman (船乗り)が国益を背負う檜舞台に立ったものの、海洋国日本とは掛け声だけで、イギリスほど大切にされていないのが現状である。 |
現在、日本では、慢性的な円高により、生産拠点が海外に移されて、国内の雇用機会が奪われつつあることに加え、海運の優遇策をとらない国策のために船籍を海外に移す便宜置籍船が増え、商船大学を卒業しても乗る船がないほど衰退した日本の商船隊の現状をみると残念でならない。(現在、日本の商船大学は、国立大学に吸収されて、消滅している。) |
イギリスでは、税制面などで商船を優遇する政策をとり、今やイギリスの国旗ユニオン・ジャック Union Jack を掲げた台湾などの外国船が世界の物流を担っている。海運立国イギリスの国策で、英国船籍船は、海賊に襲われないよう、イギリス海軍が守ってくれるという。日本は、船と船乗りを大事にするイギリスをもう少し見習ってみてはいかがだろうか。 〈 完 〉 2011.11.8 監修 和田義男 |
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