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2005年9月1日改訂

今 日

昨 日

♪朱 TAM Music Factory

拡大写真(1200X900)153KB 日輪を掴みし神輿空に舞ふ  北舟

2000年7月31日開設

太陽を掴んだ神輿!

太陽を掴んだ神輿!(大原はだか祭り/千葉県夷隅郡大原町) 

2005年のお便り
8 月 〉

2005年8月31日(水)雨  S. M.   様より  日本文化いろは事典  株)四次元データ  ウェブコンテンツ制作部 

写真使用についての問い合わせ 
突然のメール失礼致します。 株式会社四次元データ(http://4dd.jp/ )S. M.と申します。 日本文化を取り上げているウェブサイト「日本文化いろは事典 -胸はって、ニッポン人!-」<http://iroha-japan.net/ >の運営を担当しております。

当サイトは日本文化に関するキーワード毎に、基本事項を画像付で解説したウェブサイトです。私どもでは現在「祭」のキーワードを取り上げて執筆活動およびサイト作成をしております。そこで突然のお願いなのですが、「旅の写真館」に掲載されている全国のお祭の写真を一部、転用させていただけないでしょうか?コピーライトの表示はもちろん可能ですし、サイト掲載目的以外には一切使用致しません。

偶然貴サイトを拝見いたしまして、写真素人な私ながらにも、今にも動き出しそうな生き生きとした躍動のある写真に感動致しまして、ぜひとも当サイトに転用させていただきたいと思い、突然メールさせていただきました。不躾なお願いとは存じますが、一度、ご検討いただけると幸いです。どうぞ宜しくお願い致します。では失礼致します。

お便り有り難うございました。日本文化の紹介を目指す総合ウェブサイト「日本文化いろは事典 -胸はって、ニッポン人!-」の素晴らしい企画に賛同し、ご協力させていただきます。使用される画像をその都度ご連絡いただき、画像のそばに「写真提供:Wa☆Daフォトギャラリー」と表示し、「Wa☆Daフォトギャラリー」に「http://wadaphoto.jp/」をリンク下さい。また、使用されたページのurlをお知らせ下さい。

なお、「衣」の中で、祭りや相撲、下着などに使用される褌(ふんどし、まわし、下帯、締め込み)が入っていません。褌は日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)を示す大事なアイテムですので、「胸はって、ニッポン人!」といえるよう、是非追加願います。

以上宜しくお願いします。有り難うございました。
 
お返事ありがとうございます。「日本文化いろは事典」の運営担当しております四次元データのM.です。突然のお願いにもかかわらず、当サイトの企画にご賛同いただき、ご協力いただけるという事で、本当にありがとうございます。コピーライトの表示、およびリンクの件はご指摘通りに対応させていただきます。今後、画像を使わせていただく都度、ご連絡させて頂きます。

またキーワード追加のご指摘ありがとうございます。追加する方向で検討させていただきます。実際のところ制作スタッフ全員、日本文化に関してはまだまだ素人で、一つ一つ手探りで調べながら制作している状態です。今後もお気づきの点がございましたら、どしどしご意見いただけると幸いです。

それでは今後ともどうぞ宜しくお願い致します。ご連絡ありがとうございました。失礼致します。

2005年8月31日(水)雨  wata_green   様より  I Love & Want You

画像掲載の件 
拝啓和田義男様。当方yahoo!ブログにて「I Love & Want You」と言うブログを運営しておりますwata_greenと申します。貴殿のサイト掲載の「城塞都市カルカソンヌ」の画像を記事に使用させて頂いております。

http://blogs.yahoo.co.jp/wata_green/9728935.html

事後報告となって大変申し訳ありません。御連絡方法が分からず、現在に至った次第です。当方のブログに画像を掲載させて頂くに当り、例に倣うと (1) 和田様のサイト提供である事の明記。(2) リンク添付 でよろしいのでしょうか。重ねて事後報告となってしまった事をお許しください。

おはようございます。お便り有り難うございました。画像使用の件了解しました。キャプションは「Wa☆Daフォトギャラリー」にトップページの「http://wadaphoto.jp/」をリンク下さい。カルカソンヌをご紹介いただくなら、上記に加えて「城塞都市カルカソンヌ」に「http://wadaphoto.jp/kikou/tokusyuu7.htm」をリンク下さい。新しいホームページに移っていますので、urlにご留意下さい。よろしくお願いします。有り難うございました。

2005年8月30日(火)曇のち雨  A. I.   様より  封書によるお便り

PC写真配信お礼 
前略 標記の通り、PC写真の件 お礼の言葉を一筆書きたくて、突然、お手紙を差し上げた事を、お許し下さい。7年前御社の近くで、乗用車を運転中(有料駐車場)脳出血をし、東京国際医療センターで手術し早めのリハビリの為か、言語障害と右半身がやや不自由の程度まで回復し、先日電話帳で調べた、御社の厚木支店を訪ね、和田義男 理事様の、お勤め場所をお聞きしました。現在個人の情報は他人に漏らさない様に、持って出向き、会社に居た方に、無理矢理お願いし、お聞きした事実ですので悪しからず。

何時もPCの前に座り、インターネットで貴殿のWa☆Daフォトギャラリーの素敵な画像を見ております。私のカテゴリは (1) 山や風景の写真 (2) 飛行機 (3) 海 (4) 船舶 (5) 花等 です。他の人の数多い画像を拝見する中で、飛行機や船舶の例を取ると、右下に撮影日時や、アドレスが掲載されて、見る側にとって、気になる写真の一枚です。飛行機の離発着、船舶の航行場所が掲載されていないし、撮った自分の説明が無い画像が多い中で、和田氏の写真は大きく各地で撮った写真は素晴らしく、我々写真好きな人々を、楽しませてくれます。

今後も、よりよい写真を撮り続け、ネット利用者を喜ばせて下さい。有り難う御座います。身体に充分気を付けて下さい。・・・あまり大きな事は言えませんが・・・ 早々

前略 お便り有り難うございました。I.さんからのお手紙が今日8月30日の昼休みにオフィスに届きました。送付先を尋ねるためにわざわざ弊社の事務所までご足労を賜り、大変恐縮しております。お手紙を二度三度読み返し、I.さんのお人柄など想像させて頂きながら、返信をしたためております。

 I.さんが7年前の生死をさまよう大変な事故から見事に立ち直られましたこと、まずはお喜び申し上げます。現在、外出もされ、お宅ではパソコンを駆使されてinternetを楽しまれておられる由、何よりですね。

 私のサイトをI.さんに気に入っていただき、また過分なるお褒めのお言葉を賜り、大変嬉しく思います。ご指摘いただいたとおり、私はご覧いただく方の立場に立って編集しております。写真を貼り付けたとき、これを見た読者の方は何が知りたいだろうかと考え、長からず短からずの解説文を挿入します。また、その文字も特に固有名詞などは書いた本人が読めないのに読者が読めるわけがないと考え、必ず読み仮名を振ります。正確な解説文の推敲やBGMを選ぶ労力は、写真以上かも知れません。大変手間暇かかりますが、作品がやっと完成したときの喜びは喩えようもありません。スコッチ・ウィスキーを傾けながら、これから多くの読者に見て頂くであろうことを想像しながら画面を何度もスクロールして作品を楽しむのですが、あっというまに時が流れ、いつも深夜になってしまいます。こうして自分が十分に楽しむことができたことを踏まえて、アップロードさせて頂いております。

 今年の6月7日、五年かかってミリオンサイトの仲間入りを果たすことができましたのも、I.さんのような多くのリピーターがおられるからこそと、心より感謝しております。このような封書によるお便りを頂いたのは初めてのことで、本当に作者冥利に尽きます。これからも気力・体力の続く限り、読者の皆様と共にロマンと感動を求めて世界の旅を続け、Wa☆Daフォトギャラリーを運営して参りたいと思います。今後とも倍旧のご声援をどうか宜しくお願いします。 草々

2005年8月30日(火)曇  S. T.   様より  メキシコからのお便り

学内新聞への写真の掲載について 
はじめてメールいたします。私は、中南米メキシコの学校で教師をしているものです。学内の壁新聞のために、秋の風物詩・紅葉の写真を探していて、和田様のHPにたどり着きました。他にも、写真がたくさん載っているHPはありますが、こんな美しいページは初めてみました。

和田様の方で不都合がなければ、学内の壁新聞、雑誌などに写真を使わせていただきたいのですが、いかがでしょうか?HP内で、注意書き等を探したのですが、見つからず、直接メールで問い合わさせていただきました。これらの新聞、雑誌は商用ではなく、生徒や保護者の方に無料で配られるものです。では、お返事をお待ちしています。

今晩は。日本時間の00:05です。寝ようと思ったらお便りが届きました。メキシコからのはじめてのお便りです。私のホームページをお褒め頂き、嬉しく思います。私のサイトの写真、どうぞお使い下さい。私の趣味の写真をメキシコの学校で活用して頂ければ、ささやかな社会貢献になりますので、大変光栄に思います。資料を作られるときに、写真のそばに「提供:Wa☆Daフォトギャラリー」とキャプションを表示頂ければ更に嬉しいです。スペースがなければ結構です。よろしくお願いします。T.様の益々のご活躍とご多幸を祈念しております。有り難うございました。

2005年8月29日(月)晴  いしのっち   様より  nottie-style 

サイト紹介させていただきました。 
こんにちわ。こちらのサイトを私のサイトで紹介させていただきました。(これまでに何回かメールを送ってきましたがやっときちんとした形でアップロードできましたので...(*^_^*)) http://nottie-style.daa.jp です。それではWada★Galleryの更新、とっても楽しみにしていますね。

今晩は。お便り有り難うございました。身に余る紹介文とともに私のサイトをリンク集に掲載いただき、有り難うございました。いしのっちさんのホームページは、女性らしい雰囲気のウェブグラッフィクなど、心が和みます。これからのご発展が楽しみです。どうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2005年8月27日(土)曇 くろちゃん   様より

いつも感激 
丹下様 毎回楽しみにしています 混乱とIT大国この矛盾した世界インド ここに日本企業とそれを形成する日本人が大工事を成し遂げつつあるなんて何か不思議な感じがします 健康に気を付け全てに頑張って下さい

くろちゃん様 お便り、ありがとうございます。インドでの仕事は、確かに、現実には、そんな楽には進めませんが、それは、海外工事には、付き物の話で、インドだから、特別ということはないかもしれません。また、インド人も、キャラが強烈な人もいますが、そうでもない人も居ますので、まあ、10億8千万人の勢いというか、単純には、日本の10倍、強烈な人が居るのでぶち当たる確率が大きいという程度でしょうか(^^;。しかし、仕事も生活も、ほんと、面白い国ですよ!(笑)。  丹下拝 8月29日(月) 0100

2005年8月27日(土)曇  Y. O.   様より  静岡県総合教育センター 研修研究部

旅の写真館 ホームページへのリンク依頼について 
こちらは静岡県で中学校の教員をしておりますY. O.と申します。今、静岡県教育委員会の依頼を受けて、社会科に関するWEB教材の開発を行っているのですが、その中で貴ホームページへのリンクをはらさせていただきたいと思います。ご了解いただけるようお願いいたします。

リンクをはる予定のWEB教材は中学校の歴史に関する自習教材で、一問一答式の絶対王政 に関する問題の解説に深化・補充としてはらしていただきます。また、本来ならば貴ホームページのトップページにリンクをはるのがマナーであるのは充分承知しておりますが、こちらのWEB教材の内容を考慮してベルサイユ宮殿のページに直接リンクをはらしていただきたいと思います。

 完成は平成18年2月頃を予定していますが、完成した物は「あすなろ学習室」(http://gakushu.shizuoka-c.ed.jp/ )の一部として公開されます。 リンクについて、不都合がある場合、あるいは条件等がある場合には静岡県教育委員会の下記担当者までメールにてお知らせください。

今晩は。お便り有り難うございました。中学校の歴史に関する自習教材として活用されるWEB教材に当サイトのベルサイユ宮殿の作品をリンクする件につきましては、了解しました。私の趣味のサイトが教育の場で活用されることを大変光栄に思います。どうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2005年8月27日(土)晴  T.   様より  (株)日本ライブラリー

溢れる臨場感の感動! 
初めてのメールをさせて頂いています。臨場感溢れる画像の数々で、私自身が世界中をまさに旅をしている感覚を味合わせて頂いています。ありがとうございます。

 私、幼児から高校生までの感性溢れる子供たちがスポーツに、趣味の世界へと時間を有効に活用出来ていなくて、無駄な学習時間を費やしている現状を残念に感じている一人です。現在仕事で教科書完全準拠による学習教材を製作中であります。例えば、生徒本人が通う学校で使用する教科書の完全準拠学習が、家庭で予習が出来れば、本人だけが分かりにくい部分を事前に発見できて、学校の授業で本当に必要な質問が出来るのです。素晴らしいと思いませんか?思いっきり自由な時間が出来てしまいます。

そんな教材の中で紹介する世界中の学習場面の中で、和田様の画像を活用させていただきたいと思うに至りキーをたたいています。海外の日本人学校の子供たち、国内の学校の子供たち、塾へ通う子供たち、自宅で一人で学習する子供たち向けにと活用される作品です。宜しくお願いいたします。

こんにちは。お便り有り難うございました。私のサイトを高く評価いただき、大変光栄に思います。教科書完全準拠による学習教材を作成されておられるとのこと、素晴らしい着想だと思います。当サイトの画像の利用につきましては、若干のお願いがあります。宜しくご検討下さい。有り難うございました。

2005年8月26日(金)晴  大森保武   様より  つれづれなるままに 

夏の叡山延暦寺拝見しました 
11号台風、風のほうは如何でしたか? 何時も通り素晴らしい作品ばかりですね 是非行ってみたい所です と言いますのは、昨朝スポニチで『比叡山は秋の気配』と言う記事を読み、夕方テレビを見ていると、比叡山が終戦直前は特攻基地だったと大僧正が縷々説明され、後世に伝えたいと説法にも取り入れているテレビ画面も見ました そして夕食後パソコンを開いたら貴兄の『夏の叡山延暦寺』、こんなことってあるんですね(三題噺みたいです・・・) 9月4日から一週間シルクロードへ行ってきます 

『よさこい祭り』アップしました 赤い色が出すぎ、少しボケ気味ですが、ご覧になって下さい (望遠で、フラッシュも使えず、明暗の照明だけの連射をうまく撮る方法を教えて下さい)  ではまた  

今晩は。お便り有り難うございました。比叡山三題噺、偶然の一致とはいえ、不思議なことがあるものですね。(^^; 

よさこい祭、見せていただきました。熱気溢れるショットですね。照明が暗いとブレルのは仕方ありません。ISOの感度を上げて、高速シャッターで撮影するしかないでしょう。露出不足でも階調が出ていれば、フォトショップで増感現像ができますので、とにかく、ぶれないように写してくることがポイントです。夜景などはそれこそフラッシュが届きませんから、ぶれないように取ることが一番大事です。私の函館の夜景は、三脚が短くて夜景が手すりに隠れて見えませんでしたので、手すりにカメラを押しつけて、フリーハンドで撮影しました。それでも上手く撮れていました。

絲綢之路の旅、感動的な写真を沢山撮ってきて下さい。感動写真集に発表頂ければ幸いです。無事に帰国されることを祈念しています。有り難うございました。

2005年8月25日(木)雨  ちばあきお   様より  ちば☆フォトギャラリー 

Re: 夏の叡山延暦寺
 
和田さん、今晩は。いつも作品を拝見しています。夏の叡山延暦寺も拝見しました。堂塔伽藍についての詳しい解説文は、さぞかし調べるのが大変だったことでしょうね。そのパワーにいつも敬服しています。

千日回峰行はよくマスコミで取り上げられているので厳しい行であることは知っていました。7年間で千日かけて満行を達成し、阿闍梨が誕生するとのこと。そのことを興味深く読みました。戦後で12人ほどしかいないということだけで、まさに命をかけた荒行であることが分かりました。シャトルバスでの移動もお疲れ様でした。お陰で静寂な比叡の大自然の中に包まれた釈迦堂なども拝見できて、心が癒されました。次回の作品も楽しみにしています。有難うございました。

(P.S)昨日のTV(高田屋嘉兵衛)は見逃してしまいました。(^ ^

ちばさん、お便り有り難うございました。四年前の写真と今の写真を比べると、デジカメの進歩に今更ながら驚きます。1200年の歴史のある比叡山は全く変わりません。スローライフの阿闍梨と何事にもせっかちな現代人の、どちらが幸せかと考えます。藤波阿闍梨のインタビューを読むと、偉業を達成して生き仏と崇められる境遇になっても決して傲らず、それなりに悩みがあり、人間らしさがあって好感を持ちました。

解説文は、延暦寺で購入した「比叡山を歩く」という本を参考にしていますが、簡明直裁にまとめるのに大変苦労し、3〜4日要しました。音楽を決めるのも時間がかかりました。結局完成するまでに二週間かかりました。大変でしたが、それだけに大作を一つ仕上げたという満足感があります。

そのとき歴史は動いた!の高田屋嘉兵衛は映像的には大したことはなく、解説者のコメントも菜の花の沖に書かれている内容を超えるようなものはなく、分かっていることばかりを仰々しく放映した感じがしました。矢張り、司馬遼太郎は偉大な作家だったんですね。(^^

2005年8月22日(月)晴   N.   様より

堺筋倶楽部のN.と申します
 
先日はご来店いただきまして、有難うございました。その際に、お話されておりました和田様のホームページを拝見させて頂き大変感銘を受けました。和田様がお話されていた通り、すばらしい出来栄えのホームページで、プロが作ったのではと正直思ってしまったくらいです。早速、私のお気に入りに追加をし、それ以後毎日、営業終了後に拝見させていただいております。様々な空間と時間に逃避行でき、仕事の疲れも和らぎます。本当にすばらしい、ホームページでした。また、大阪にお越しの際には、是非、お話を聞かせて下さい。楽しみにしております。

N. 様 お便り有り難うございました。お陰様で癒し系サイトとしてミリオンサイトの仲間入りをしました。これからも宜しくお願いします。お知り合いの方にもお勧めください。有り難うございました。

2005年8月22日(月)晴  匿名   様より

至急 
和田さんいつも楽しく貴兄のホームページを拝見しております。今日、パソコンをつけてお便りを読んだところ○○神社の秋祭りについて記載がありました。素っ裸が残存する祭としては、ほとんど地元の人にしか知られていない祭のようです。私も、M.さんという裸祭に詳しい方にそのような祭があると聞いておりましたが、あまり知られていない祭だと言うことも聞いています。そこで、お願いなのですが、ぜひともこのお便りの記載で、○○神社の祭の部分を伏字か何かにしてはもらえないでしょうか?

和田さんは、このサイト(略)をご覧になったことはあったでしょうか?このサイトを開設されている方は、全国各地の裸祭特に全裸になる祭に出かけていき、素っ裸で参加する若者達の脇にぴったりと張り付いて、ビデオ撮影をしているそうです。しかも、股間のみに焦点をあてて撮影するケースが多いようです。

M.さんとも話していたのですが、全国にわずかに残された全裸になる祭が、一部の人たちの手によって、愛知県美浜の裸まいりのようになるのはさびしい限りです。どうかその旨ご理解いただけないでしょうか?

お便り有り難うございます。ご指摘の件を了承し、訂正しました。ご確認下さい。その理由は、この全裸シーンが衆目の前で行われないことを前提としていると推測されるためです。ただ、この祭りは、既に他のホームページに紹介されているところです。

危惧されておられる全裸シーンの撮影ですが、その画像を掲載して公序良俗に反するサイトと認定されれば、サーバーの管理者などから削除されたり、プロバイダによるアクセス禁止措置が執られることになると思われますので、長い目でみれば、いずれ悪貨は駆逐されていくと思います。ご紹介いただいた裸祭りのサイトは、検索すると出てくるサイトですので、存じています。ただ、未だに存続しているということは、問題のない内容だからだと推測されます。

当サイトでは黒石寺蘇民祭、宗像大社・神の島の祭り、国崎二船祭りなどに全裸シーンがあります。私のサイトは、衆目に触れることを前提とした全裸の祭りを取り上げていますが、その文化価値に着目し、日本古来の裸文化を記録・保存することを主眼としていますので、これからもその方針を変えずにゆきたいと思います。有り難うございました。

2005年8月20日(土)  タケシ   様より  秋祭りの取材依頼

秋祭り 
和田様 徳島県T神社の秋祭りをご存知でしょうか。ぜひ取材して感動画像ライブラリーにて拝見させていただきたく、お知らせ致します。

●T神社の秋祭り 毎年11月に行われる秋祭りでは、白装束に身を包んだ男達が神輿をかつぎ、 神社の細くて急な石段を一気に駆け下り、轟の滝の滝壷へと入る「神輿の滝渡御」が行われる。 担ぎ手は祭りの前夜、神社の宿坊に泊り込み、2時間ごとに川に下り草履だけの素っ裸で禊を行う慣わしとか。 左右の岸壁が狭まっているので、神輿は立てて滝壷へと入れ、背の立たない所は立ち泳ぎで担ぎ、揉むのだそうだ。「人々の念仏を唱える声と滝の音が相響き、まさに竜神が滝を上る観ありと人はいう」

お便り有り難うございました。夜の禊ぎが草履だけの素裸というのは、地方の古き伝統を守った秋祭りのようですね。私は高知県須崎市で育ったのですが、子供時代、真っ昼間に河原に着物を脱ぎ、素裸で新庄川で禊ぎを取っている男性を見かけました。巡礼の途中かも知れませんが、もともと禊ぎは身に何も纏わないものですし、ふんどしを締めたままだと、あとで乾かさなければなりませんので、全裸の方が良いのでしょう。そばで遊んでいる子供たちがいても、別に気にする様子もありませんでした。高温多湿の日本ならではの裸文化です。

ご紹介頂いたお祭りの本番は、法被・ハンダコ姿で神輿を担ぎ、滝壺に入るというお祭のようですね。水を被ったり、海や川に入る祭りはありますが、滝壺に入るというのは山の中のお祭りらしいですね。今後の取材の参考にさせていただきます。貴重な情報、有り難うございました。

2005年8月20日(土)  松本浩文   様より  鯨を追う男たち

はこだて 
おはようございます。先日はお手数をお掛けしました。昨日帰宅し、こんな時間からミリオンサイトにおじゃましています。「函館初夏の旅」を興味深く拝見しました。函館には何回か行っていますが、初めて知る事も多く、キレイな写真と詳しい解説文に見入ってしまいました。この夜景の輝きも高田屋嘉兵衛の存在なくして語れませんね。

いま、土方歳三が登場する司馬遼太郎の「燃えよ剣」を読んでいます。「菜の花の沖」は既に読んでいますが、せめて大学生の時、これらの本を読んでいたら、もっと見聞が広がっただろうと思います。別航海で津軽海峡を通峡して花咲港に向かいましたが、まさに嘉兵衛の強い思いを感じることができたかも知れません。

個人的な意見ですが、函館のお土産と言えば「トラピスチヌ修道院」のバター飴が一番に浮かびます。

こんにちは。お便り有り難うございました。司馬遼太郎の名作は、何度読んでも新しい発見があります。海事従事者としては、江戸時代以降の漁業・海運・海商・社会の発展を知るのに最良の教科書でしょうね。修道女手作りのバター飴は今でも人気がありますが、売店を撮影したら撮影禁止だと言われ、発表できないのが残念です。タクシーの運転手も修道院の奥に広がる酪農地なども見せればもっと喜ばれるのにと言っていました。信仰と観光との塩梅が難しいところでしょうね。

2005年8月20日(土)晴  三田明夫   様より

ホームページみました 
和田様 はじめまして!! 私、川崎に住む三田と申します。8月14日は、46番福住のみこしを担いでいました。前回と違い好天に恵まれ、又、水もかぶらずさぞ大変だったと思います。私は、深川焼けと言うのでしょうか、胸のあたりからVの字型に、足ははんだこ下から足袋まで綺麗に焼けました。

駒番四十六:福住の神輿差し/深川祭

駒番四十六:福住の神輿差し/深川祭

撮影:三田明夫さん

私も、稚拙な写真ですが、撮影してみましたのでお送りさせていただきます。ちょうど、箱崎のあたりで撮ったものですが・・・ 

こんにちは。お便り有り難うございました。真夏の太陽の下で一日中町内を練り歩くのは、水を被ったとしても本当に大変だったでしょうね。ご苦労様でした。深川焼けですか・・・ まさしく日焼けはその勲章といったところでしょう。貴重な写真をお送り頂き、有り難うございました。早速紹介させていただきます。

2005年8月18日(木)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ 

お便りありがとうございました 
蓮の花の綺麗な姿を拝見させていただきました。蓮は仏教の教えと共にありますので、どこか清清しさと神々しい感じもいたします。それが和田様の澄み切ったカメラアイで見事に表現されていると思いました。タイは仏教国と呼ばれていますので、ここでも蓮は大切な花です。寺巡りでも蓮の花はよく見ますし、民家に植えられているのもよく見ます。またタンブンで仏前に供えられる佛花には、蓮の花びらが綺麗に織り込んで使われています。

説明の中にもありましたが、蓮の花の命は実にはかないですね。ああっ!蓮の花が咲いているなと思って、翌日にカメラを持って出掛けますと、もう散っていたということがよくあります。今日は、隣の青年の誕生日で、一緒にバンコクの寺巡りのタンブンをしてきたのですが、和田様の作品を拝見して、また清清しい気持ちにさせていただきました。お知らせありがとうございました。

タイの佛花・蓮の花

 

タンブン(喜捨)の蓮の花

タイの佛花・蓮の花   タンブン(喜捨)の蓮の花

拡大写真(1280X96)187KB

 

拡大写真(1280X96)153KB

蓮の花の写真を添付いたしますので、お時間がありましたらご覧下さい。これは入安居(カーオ・パンサー)の時(7月22日)に、サイアム(バンコクの中心地)にあるワット・パトムワンナラームで撮影したものです。

おはようございます。タイから貴重な蓮の花の写真をお送り頂き、有り難うございました。仏教国・タイでは、佛花として日本以上に蓮の花が庶民に親しまれているのですね。日本の蓮と比べると姿・形が多少違うようです。早速、ご紹介させていただきます。有り難うございました。

2005年8月16日(火)曇  Y. K.   様より  名古屋在住 褌のお便り

突然失礼します 
祭りの素晴らしい写真の数々にいつも見とれております。小生は昭和30年、高知・室戸の生まれですが、中学3年の時に大阪へ転校し、その後京都、東京、京都、東京、広島、名古屋と転々としております。ちょうど、南国土佐をあとにして35年になりますね。さて、祭りと褌について3点ばかりお便りいたします。

1 担ぎ手が足りないという新聞記事を目にして、名古屋・那古野(なこの)神社の「夏の例大祭(何とか天王祭)」の神輿渡御に2年前から参加しております。ここは赤の六尺褌に足袋、法被、鉢巻で担ぎます。参加してみて分かったのは、なぜ六尺なのかということです。腹をギュッと締めるとものすごく力が入るのです。たぶん、陸上の投擲競技や重量挙げのベルトと同じ理屈じゃないかと考えます。今じゃ全然有名ではない祭りですが、由緒正しい素朴な、名古屋の誇るべき祭りだと思います。毎年7月16日にありますので、ぜひご参加下さい。

2 「わっしょい」か「せいや」―小生もわっしょいがピンときます。ところが、那古野神社の神輿では「えっち、えっち」と掛け声を掛けるのです。初めて聞きました。神社の方に聞くと、「えっちら、こっちら」からきているのではないかとのこと。

3 5年前から越中褌を愛用しております。金沢での単身赴任時代、バイクで奥飛騨温泉へよく出かけましたが、ある年配のライダーが越中を締めているの見て「かっこいいな」と興味を持ち、高知・赤岡の「はきものや ましろ」(間城綾江さん経営)に越中を注文したのが褌との付き合いの始まりです。

 突然失礼しました。今後とも祭りの写真に期待し、そして楽しみにしております。

今晩は。久しぶりに褌のお便り、興味深く拝読させていただきました。ご紹介いただいた赤褌着用の祭をinternetで検索すると、名古屋の那古野神社例大祭(天王祭)ですね。正式には「なごやじんじゃ」と読むようですが、「なごの」と読む人が多く、宮司さんも根負けしているようです。(^^; 「赤褌の暴れ神輿」ということで、写真集を見てみますと、確かに全員赤の前垂れ式六尺褌を締めています。

那古野神社例大祭 http://www.geocities.jp/sdyys385/newpage25.htm

人集めに苦労されているとのことですので、できれば来年取材し、当サイトで発表すれば、全国の裸祭りファンが応援に駆けつけてくれるかもしれませんね。なんとかお役に立てるよう頑張りたいと思います。若い人も参加しているようですので、これからも廃れることのないよう、地元の人には特に頑張って貰いたいものです。

おっしゃるように六尺褌をきつく締めると、下腹に力が入って、自然とファイトが湧いてくるのでしょうね。「えっち、えっち」という掛け声は珍しいですね。はじめて聞きました。労働がきつくなれば、声を出すのも辛くなり、「えっちら」が「えっち」になるのでしょうね。

下着に越中褌を愛用されるようになったとのこと。夏の暑い季節には特に重宝ですね。最近、褌屋が盛況のようで、注文してもかなり待たないと届かないとか。若い人にも是非締めて貰いたいものですね。有り難うございました。
 
さっそくの返信、ありがとうございます。 「那古野」の読みについて、小生も混乱してきました。那古野はたぶん、名古屋の古名「名護屋」からきているのではないかと思います。たしかに、地元の人たちは西区那古野を「なごの」と呼んでおります。それで、小生も神社の方に尋ねると「濁りません。なこのです」と言われ、そのまま信じておりました。しかし、和田さんが聞いたところでは「なごや」ですし。分からなくなってきました。

 「えっち」に関する和田さんの推測はなるほどと思いました。人間、寒くなったり、しんどくなったりすると口数が減りますから。和田さんですらご存じないとなれば、「えっち」という掛け声はやはり珍しいのですね。 天王祭、ぜひ一度お出かけ下さい。和田さんの写真に出ている(江ノ島のほうの祭り)方の中にも、昨年、一昨年と見かけたことがある方がおられます。そういや、岐阜・池ノ上のみそぎでも会いました。

小生はたかだか何回かの祭りへの参加しか経験がありませんが、褌といい、神輿といい、温泉といい、どうしてもっと若い時に興味を持たなかったのかと後悔しております。私ども親たちの世代の責任かも知れません。そういう意味では、和田さんのサイトはとても貴重だと思っている次第です。失礼しました。
 
重ね重ねのお便り、有り難うございました。那古野神社の読み方ですが、提灯に「なごや」とふりがなが出ている写真があります。「今週のアングルNo.10」 http://www.owarino.jp/sub/angle/angle05/an0510.htm 那古野小学校は「なごのしょうがっこう」というんですね。

裸祭りファンが既に那古野神社例大祭に出場されているようですね。私も取材を通じて多くの方を知っています。名前は分かりませんが、顔を覚えています。声を掛けて頂く人もあり、嬉しいですね。

年を取ると日本人としてのアイデンティティについて、感じることがあるのではないでしょうか。回帰現象というのでしょうか、私もあと2年で還暦を迎えます。童心に還るといわれますが、人生を振り返ってみると、日本古来の伝統の良さが分かってくるのではないでしょうか。

2005年8月15日(月)雨  丹下誠司   様より  インド通信 

Re: わっしょい!深川祭(速報版) 
昨夕、うちの村のフォワードブロックの党幹部が、党事務所(先日の画像にあります)で、ピストルで、頭一発で、射殺され、犯人逃走のため、今日は独立記念日でしたが、警察の厳戒態勢となり、私も犯行現場を見て来たりしましたが、確かに、この国は、暗殺が多い国だ(ガンジー、インディラ、ラジブ)と再認識しました。

このワダ☆フォトギャラリーのお陰で、私も知人との世界が広がるというか、和田さんのご努力に便乗させて頂いて、インドを紹介出来、メール通信の何倍もの効果があると思っています。和田さんの2GB、1600枚、4時間は、私の世界ではありません(笑)。私は、今回、替バッテリーも1個持って行きますが、400枚・個ですから、途中で、チャージしながらになると思います。高校時代の友人で、東京で、絵本作家が居て、今、描いている絵本の一部で、アジャンタ・エローラ遺跡も使いたいとのことで、原画を送ることになっており、今回は、任務重要です。

日本も、お盆らしい週で、暑さもあるでしょうが、また、のんびりとされたりもしているのではないでしょうか? 休憩が、次のダッシュには、必要なことは、どんなスポーツマンも知っています。和田さんも、6日、日頃の凝りを落として、また、盆明けから、再ダッシュを! 丹下拝 8月15日(月) 1750

今晩は。インドも物騒なところですね。セキュリティには十分にお気を付けて下さい。

E-1もE-300もバッテリーは長持ちしますので、2ギガでもバッテリー交換は不要です。最近は当たり前の状況になっていますので、有り難いですね。でも必ず予備バッテリーを持参します。昨日はCFの予備を持って行かなかったのが失敗でした。まさか1600枚を超えることはないと思っていたのですが、暑さをこらえて無心に被写体を追っかけているうちに、4時間で写し切ってしまいました。かならず予備を持つという教訓をもう一度反芻しています。知っていることとできるということは別のことで、私も師匠を名乗ってはいるもののまだまだ未熟です。(^^;

9連休中に立山黒部アルペンルートに一泊二日で旅行します。写真のストックが溜まるばかりですが、気力体力のある限り、旅を続けたいと思います。家内も旅行を楽しみにしており、数少ない話題を共有できるので、旅行は我が家のビタミン剤(カンフル剤?)として欠かせません。秋には箱根やカナダ行きも予定しており、結構ハードスケジュールですが、そのような境遇に身を置くことで、人生の彩りが増すものと信じております。

2005年8月15日(月)雨   重松信子   様より  岐阜在住74歳

小倉城拝見しました 
和田様 はじめまして。岐阜市在住の重松信子(74才)です。和田様のHPを久しぶりで訪問しました。目が点になりました。小倉城が載っています。胸キュン、ドキドキで、まだ興奮状態です。小倉出身です、昭和36年夫の転勤で小倉を離れました。小倉駅前、京町に実家がありましたので、八坂神社は、祇園祭に揃いの浴衣で、「やっさやれやれ」や「小倉の祇園は太鼓の祇園」などのかけ声で(山車)を曳いて行きました。長女のお宮参りにも行きました。懐かしいです。

故郷は遠きにありて・・ではなく、“故郷はWada.フォトギャラリー にありて・・”です。楽しみが出来ました。嬉しくてお便りさせていただきました。

重松 様 今晩は。お便り有り難うございました。私のホームページをご覧いただき、嬉しく思います。ご高齢にもかかわらず、インターネットを駆使されて、メールまでお送り頂くとは、家族も凄いおばあちゃんだと驚いています。太鼓祇園の思い出話し、嬉しく拝読させて頂きました。

私の趣味のサイトを重松様のようなご高齢の方にもご覧いただいていることを大変光栄に思います。私のサイトは、日本の伝統文化を追求するというコンセプトもあり、多面的なサイト作りに挑戦しています。これからも気力体力の続く限り、世界を旅して、ロマンと感動の写真を沢山アップしたいと思いますので、どうかご期待下さい。暑い中、ご自愛下さい。有り難うございました。
 
和田様 こんにちは。重松信子です。ご丁寧にお返事を頂きまして有り難うございました。“和田様のHP”を横浜の妹に知らせました、彼女からの返信です。

「素晴らしいHPを紹介していただいて有り難うございました。溢れるほどの写真、毎日毎日楽しみに見て行こうと思います。小倉城の写真のページは嬉しいですね。故郷は遠きにありて・・・にはうってつけのページですね。」
 
お返事のお礼に、姉妹で感動を共有しています事を添えました。  ☆・:*:・: 重松信子 :・:*:・☆
 
おはようございます。重ねてお便りをいただき、光栄です。また、ご姉妹が感動を共有されたとのこと、心から嬉しく思います。このような励ましのお言葉は、私にとっては何よりのビタミン剤で、とても元気が出ます。これからもどうか宜しくお願いします。有り難うございました。

2005年8月15日(月)雨   西浅草・志村   様より

Re: わっしょい!深川祭(速報版) 
和田さん こんにちは わっしょい!深川祭(速報版)をご案内いただきありがとうございました。私は、昨日は牡丹二三で、朝早くからの連合渡御、引き続いて町内渡御、夜7時過ぎまで水かけ祭りに酔いしれていました。まだまだ昨日の余韻と興奮、そして疲れが残る中で、速報版の迫力ある画像にあらためて祭り時がよみがえります。三年後が待ち遠しくなります。

私たちも自然と掛け声は「わっしょい・わっしょい」となります。この掛け声と気合がなければ、連合の距離を乗り切れないのだと思います。掛け声の諸説教えていただき、とても興味深いものがあります。それにしても、暑さ中の神輿渡御で水を浴びると、すごく気持ちいいものです。快感です。完成版を楽しみにしております。

お便り有り難うございました。昨日は一日中、真っ黒になって深川祭に参加されておられたんですね。牡丹二三ですか。駒番五十一ですね。私は、八幡前で撮影していたのですが、2ギガのCFで1600枚を写し切ってしまい、40番ほどのところで帰ってしまいました。皆さん、濡れ鼠状態で神輿を担いでいましたが、見ている方が暑くて、カメラがなければ、放水の中に突入したことでしょうね。(^^; 見ていると、担ぎ手たちも掛けてくれと催促していましたから・・・。完成版は当分先ですが、そのときはまたご案内させていただきます。有り難うございました。
 
和田様 返信ありがとうございました。私たちは水をかけられる度に気合が入りますが、写真を撮られている方たちは、炎天下で、しかも、水濡れとの攻防で大変だったのでしょうね。いつもは、神輿に入ったり出たりしてのデジカメ撮影ですが、富岡は全身ずぶ濡れなのでそうはいきません。知り合いにデジカメを任せましたが、永代橋で大トリの「深濱」駒番56番は自分で撮りました。牡丹二三は51番なので、永代橋で神輿から抜け出して、待ち構えました。
 

永代橋を渡る大トリ神輿 駒番五十六:深濱

永代橋を渡る大トリ神輿 駒番五十六:深濱

拡大写真(1400X1000)328KB    撮影:志村清貴さん

和田さんは、40番の佐賀までは、激写されていたのですね。残念です。「牡丹二三」の神輿は、神社型の神輿で2尺8寸、大正15年行徳・後藤作だそうです。とても風格があります。永代橋での牡丹二三と深濱の神輿画像を添付します。ご笑納ください。完成版を心待ちにしています。失礼します。

志村 様 おはようございます。追加のお便り、有り難うございました。また、私が撮れなかった写真をお送り頂き、光栄です。志村さんがお撮りになった大漁旗をなびかせた大トリの深濱の写真、「撮影:西浅草 志村 さん」とキャプション入りで使わせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。有り難うございました。

2005年8月15日(月)曇  S. K.  様より

暑い名古屋から・・・ 
益々、HP充実ですね。留まるところを知らずといった感じです・・・ 脱帽です。

函館は本当に良いところです。以前、青森へ里帰りした際、家族で函館へ行きました。家族は「青森はいやだけど、函館なら住んでも良い」と言いました。両親は「青森に住むなら応援するけれども、よそへ住むなら勝手にしなさい!」とプンプンでした。現在、息子が中1、娘が小5、名古屋3年目、家族は暑い名古屋が気に入っている様子。いろいろ迷うところですが、次の人事異動が出てから考えます。

名古屋港に展示されている元南極観測船ふじ

名古屋港に展示されている元南極観測船ふじ

今後とも、よろしくお願い申し上げます。HPの配信、今後も継続してください。和田様も、お体には気をつけられてください。

お便りと名古屋港の写真、有り難うございました。名古屋は夏は暑いと聞いていますので、どうか無理をしないよう、ご自愛下さい。

函館は良いところですね。南の青森の方が雪が多く寒いのは何故か分かりませんが、事実のようですね。家を何処に建てるのかは、なかなか難しい問題ですので、じっくりと検討されて、結論が出てからでも遅くありません。それまでは官舎か借家住まいで良いと思います。

私は、ミリオンサイトになり、これからもこのホームページを大事に育てて行くつもりでいます。無理をしがちになっているのですが、自戒しつつ走っております。(^^;

2005年8月15日(月)晴   村野公一   様より  墨江町囃子連

Re: わっしょい!深川祭(速報版) 
和田さま こんばんは、村野です。今日(14日)は予定通り、深川祭りに行かれたのですね。さぞ、暑かったことでしょう(^_^;)。お疲れ様です。こちらも予定通り、川越まで行って、静御前の人形と仲町囃子連の実演をみてきました。

自分の町、青梅の人形のことをいうのもなんですが、静御前はやはり、名品ですね。なんといっても、美人さんです(^_^)。それに、仲町囃子連も、この間の市民会館での発表会のステージを経て、さらにいいお囃子を聞かせるようになってきていて、頼もしくも嬉しい限りです。おまけに、これを機会に、川越のお歴々の方々とも親交を深めてくれたようで、これもまた、嬉しいところです。

さて、お祭り帰りの即日に「速報版」のアップとは、和田さんの相変わらずのバイタリティに脱帽です。特に、 “神輿深川、山車神田、だだっぴろいは山王様” あるいは、“祭りの掛け声は「ワッショイ!」だと思っていたが、東京の祭りは「セイヤッ」に変質してしまっている。嬉しいことに、この深川祭だけは日本伝統の掛け声「ワッショイ!」を守っている” といったコメントが実に当を得ています。全く、東京の祭りときたら、山車をなくしてしまったばかりでなく、どうして「わっしょい」のかけ声までやめてしまったのでしょうね。

江戸三大祭りの一つといわれた富岡八幡宮の祭り、昔いうところの富ヶ岡八幡様の祭礼は、なんといっても、「紀文」こと紀伊国屋文左衛門が奉納したといわれる豪華な宮神輿が有名だったとか。しかし、明治の頃までは、その神輿とともに、台数こそ少ないものの、神田や山王に引けをとらない立派な山車も曳き出されていました(特に、大きな茶筅を仕立てた山車は有名でした)。

村野の仮説では(前にもお話ししたかも知れませんが)、鳶と辰巳芸者との関係などを考えると、芸者衆が男装するという手古舞の装束は、富ヶ岡八幡様の祭礼こそが嚆矢で、まずは深川で生まれ、育まれたスタイルが、そのあとになって、天下祭りなどに採り入れられたのではないかと思っています。また、いわゆる江戸の祭り囃子についても同様に、立地的な条件などからして、天下祭りの山車上において脚光を浴びる以前から、深川の祭りには、お目見えしていたのではないかと思っています。

そうしたところは、いずれそのうち、あちこち取材などしてから、活字にしてみたいところではありますが、とりあえずは、和田さんの写真を見ながら、江戸の祭り気分に浸らせていただくことにいたします。(^_^) 取材、お疲れ様でした&速報版のご連絡、ありがとうございました。

村野 様 おはようございます。早々に深川祭の速報版をご覧いただき、また、貴重なコメントをお寄せ頂き、有り難うございました。完成版を作成の折は、ご紹介頂いた話題にも言及させて頂きたいと思います。

祭りは「わっしょい」だと強く主張されたのは、今年の5月97歳で帰幽された鐵砲洲稲荷神社の中川正光名誉宮司でした。同社のホームページに 「和し背負へ(ワッショイ)」 という見出しで紹介されています。ところが残念なことに、歌舞伎座前の神輿練りで知られる鐵砲洲稲荷神社の例大祭では、氏子の皆さんは「セイヤッ」という掛け声で、「ワッショイ」は聞かれませんでした。本当に残念に思っていましたので、深川祭で隅田川に架かる永代橋の上で「ワッショイ」の声が鳴り響いたのには感激しました!
 

永代橋で神輿を差す石島

 

力水の降り注ぐ中を東陽二

永代橋で神輿を差す石島   力水の降り注ぐ中を東陽二

拡大写真(1400X1050)395KB

 

拡大写真(1400X1050)418KB

川越のまつり会館での山車人形の展示とお囃子の実演、ご苦労様でした。5月に取材した青梅の山車人形の作品は未だにできていません。季節の話題性のある作品を優先的に編集してしまうためです。まだ、沢山出番を待つ作品を抱えています。いずれ時期をみてアップしたいと思っていますので、いましばらくお待ち下さい。有り難うございました。
 

こんばんは、村野です。メールのお返事、ありがとうございます。もう少し、オマケ情報を…。(^^ゞ

明治六年生まれの新聞記者で、作家の山本笑月氏は、明治の世相に関するショートエッセイを書き連ねたその著書「明治世相百話」の中で、次のような文章を書き残しています。

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大江戸豪華の名残 鍾馗の山車が現した奇異

 大江戸の豪華を誇った祭礼の山車も、明治の中期を最後として全くみられなくなった。麹町山王、深川八幡、神田明神、いわゆる江戸の三祭りにはことに名代の鉾山車もそろって、景気のいいことお
びただしい。山車に囃子の音、花笠の警固や芸者の手古舞、何十本もそろって練り込む有様は全く壮観。−中略−
 八月の深川祭りは山車も一番少なかったが、霊岸島の茶筅の山車がふるっていた。茶柄杓のぶっ違いの中央に、一丈ばかりの銀色の大茶筅、紅白の吹き流しで風流なところが妙。−以下略−

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斎藤月岑の「東都歳時記」によれば、江戸期にはざっと、12〜13台の山車や練り物が曳き出されていたようです。また、大正生まれの新聞記者・作家の槌田満文氏の編纂による「明治東京歳時記」には、次のように記されています。

深川八幡宮祭礼

 八月十四日から十六日にかけて各所の八幡神社の大祭。もっとも盛なのは深川富岡八幡で、次いで市ヶ谷亀岡八幡、牛込高田穴八幡、若宮町若宮八幡、芝西大久保八幡、浅草今戸八幡などが賑やかだった。
 深川公園にある深川富岡八幡の祭礼は八月十五日。昔から幟祭りといわれ、氏子の町々は幟を立て、軒燈を掲げた。深川一円、京橋の霊岸島付近、日本橋の北新堀、箱崎町などが氏子で、前日から神輿、山車が町内をめぐった。
 氏子中の意気込みが盛んで山王祭、神田祭を凌駕するほど。三木露風は「白き手の猟人」(大正二年)に納められた詩「祭」に「八月十四、十五両日は深川大祭なり。八十あまりの神輿と数台の山車出づ。担う者一万余人、牡牛数匹、手古舞などを持って数ふ。今年大正二年の祭りは就中(なかんづく)豪華を極めたりき」という註を付けている。

 「山車にきらめく花たばは、
  聖きおごりの供物なり。
  僕(しもべ)となれど、身も足らはず
  牛は、おづおづ曳きめぐる。……」

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山車と神輿の両方が繰りだし、豪勢を誇った富賀岡八幡様のお祭りも、このあたりが一つのピークだったようで、「紀文」こと、紀伊国屋文左衛門(何代目かはわかりません)が奉納した総金張りの三
基の神輿も、関東大震災で消失してしまったそうです。

ちなみに、現在の宮神輿は一ノ宮と二ノ宮の二基あって、いずれも、おそらくは日本一の豪華さです。共に鳳凰の目にはダイヤ(それぞれ4カラットと2.5カラット)が埋め込まれ、一の宮神輿についてはさらに、狛犬、隅木、小鳥の目もダイヤになっている上に、鳳凰の鶏冠にはルビーが2010個使用されているとのこと。また、その重さは4.5トンで、屋根は純金を24kgも使用しているといいいますから、大変なものですね。
 

富岡八幡宮祭禮(東都歳時記)

富岡八幡宮例祭(東都歳時記)

拡大写真(1064X779)349KB

なお、添付の画像は、斎藤月岑著/長谷川雪旦画による「東都歳時記」に掲載されているものです。この絵に描かれている三基の神輿が、紀文が奉納した黄金の神輿なのでしょうね。

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東京の神輿祭りを古くからみている人たちの中には、「わっしょい」でやって欲しいという人が少なくありませんね。時代の流れの中、なにかしらの理由やきっかけがあって、「そいや・せいや」に変わってきたのでしょうけど、でも、故中川正光名誉宮司のおっしゃる言葉は、祭りをする者にとっては、とても深く響くものがあるのではないかと思います。

ところで、手古舞の装束についてですが、僕は、深川の辰巳芸者の風俗は当時、江戸の中にあって、ファッションリーダー的な位置にあったこと、また、火消し職へと変貌を遂げていった鳶の者たちは、向こう見ずではありながらも、その義侠ぶりから、町の中で男からは信頼され、女からはあこがれられる存在であり、かつ、祭りの采配に大きく関わっていたこと、さらには、歌舞伎の演目などにみられるように、吉原とは違って庶民色があふれていた深川の地における芸者と鳶とのつながり…、といったことを考えると、どうしても、あの粋な装束を着こなす手古舞の姿は、深川の祭りが発信源であったのではないかと考えてしまうところです。

おはようございます。貴重な画像と情報、有り難うございました。江戸時代の深川八幡の祭礼は本当に豪華ですね。当時の8月15日は旧暦ですので、新暦では9月中旬になります。だから衣装も涼しげなんですね。現在は正月が旧正月ではないために、祭りも8月14日という暑い最中にやるようになったんでしょうね。有り難うございました。

2005年8月15日(月)晴  丹下誠司   様より  インド通信 

Re: わっしょい!深川祭(速報版) 
インド時間2145(日本時間15日、0115)に21番で入りました。全画像11枚のダウンロードに、5分かかりましたが全部見れました。いち力の奥さんに聞いてイメージしていた以上の人出で、驚きました。やはり、お江戸は、人が多い(笑)!水がかからないようにしての撮影だったと思います。お疲れ様でした。
丹下拝 8月14日(日) 2155

お便り有り難うございました。また、恩師の娘さんからのお手紙、楽しく拝読しました。先生も博多山笠を楽しんでおられるんですね。地元に素晴らしいお祭りがある方は羨ましいですね。

水がかかるというので防水対策がしっかりしているE-1を持って行きました。でも、思ったほどではなく、問題ありませんでした。むしろ、水を掛けて欲しいほど暑くて大変でした。(^^; 500万画素なので、2ギガ1600枚で大丈夫だろうと、予備のCFを持って行かなかったのが大失敗で、4時間で撮し切り、後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。お陰で、ダウンしなくて済んだのかも知れません。欲張りは禁物ですね。(^^;

2005年8月15日(月)晴   T. M.の娘   様より

T. M.の娘です。! 
丹下さん 初めまして。いつも素晴しいインド通信、我が家に送って頂き家族全員で楽しませて頂いています。ありがとうございます。さて、パソコンには縁の無い生活をしていた我が実家に、遅ればせながらインターネットを導入いたしました。高校卒業以来ほとんど実家で過ごす事が無かった私ですが、先日福岡に戻り、早速ネットを引っぱった、というわけです。

ネット世界には、特に祖母がびっくりしている様子。丹下さんのヘルメットお姿など、次から次に出てくる画像に「へ〜!!!すごいのねえ、インターネットって、、、。」の連続です。父はパソコン画面を「動かす」と、どうしても目がちらちらとするらしく、「ちょっと動かさんどって!!」と私に言いながら(カーソルを動かすのは私なのです。)ゆっくりゆっくり通信を読んでおります。→ただいま本人入浴中。

私はといいますと、どの映像も懐かしく、一人ニヤニヤしています。大好きな大好きな国ですから!カルカッタにも2ヶ月ほどいたので、子供の笑顔や町の空気やにおいを思い出します。市場、屋台のチャイ、揚げパン、、、。私も色々なミニ神像を集めていました。こんな感じでインドに体半分ワープしながら、一章から見ている、、、途中です ^^ メール送信後、引き続き楽しもうと思います。

以下父から、、、。  元気にしとうね? 4回目の山笠、無事に終わったバイ!インド通信、すごかあ! 会いたいね! 一緒に飯ば食いたか〜! by T

又私が代理でメールさせていただきます。よろしくお願いいたします。暑い毎日かと思います。どうぞくれぐれもお体にはお気をつけください。それでは失礼いたします。

え〜、M 先生に、お嬢さんが居たのですかあ〜〜〜・・・というのは、嘘で、よく、凡で、先生から、お噂(・・自慢話(^^)は聞いておりました。Tさんが、インドに旅するというお話も聞いていました(2001年頃の旅ではなかったでしょうか?)

カメラも、昔は、ソニーのマビカという下川端再開発で使っていたデジタルカメラで、インド通信を出していましたが、一年半ほど前に、キャノンのイオスキスを買い、今は、これを、愛用しています。うちの会社に、和田理事という、仕事師&写真家&コンピューターのプロの方が居られ、インド通信を、ご自分のワダ☆フォトギャラリーで、ご紹介して下さることになり、インド通信の発表の機会も拡がっています(メールだけですと、600本ぐらいですが、インターネットですと、どなたもアクセス出来ますので)。

イオスは、原画で、3MBぐらいで写せますので、なかなか面白いです。私も、今日で丁度インド4年1ヶ月となり、現場も、83%の出来高となりまして、年内には9割を超えますので、来月ぐらいに、お役御免で、帰任になる予定です。また、日本に戻りましたら、福岡に飛ぶ機会もあると思いますので、先生には、突然訪ねていくので、元気で、商売繁盛で、凡をやってて下さいな!とお伝え下さい。

バグムンディは、雨季入りして、昼間も32℃ですから、快適です(暑季は50℃になりますから、身体がすっかり、高温に慣れてしまっています(^^;)。平和な村だったのですが、昨日は、党幹部の射殺事件があり、今日は、戒厳令が敷かれています。インド通信は、メールでも、送っておりますので、Tさんのこのアドレスを登録させて頂きます。来月の廃刊まで、配信しますね。私は、今週は、お盆休みを貰って、18日から、アジャンタ・エローラ遺跡に飛び、撮影して来ます。また、インド通信やワダ☆フォトギャラリーでご紹介しますので、楽しみにしていて下さいね。 プルリア丹下拝

2005年8月14日(日)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ 

お知らせありがとうございました 
「函館初夏の旅」のお知らせをいただき、ありがとうございました。早速拝見させていただきましたが、見ていますとなにかヨーロッパの町をみているような錯覚に陥りました。北海道は意外と「ハイカラ」なのですね。やはりどこか内地とは違うと感じましたが、函館の模様が実によく捉えられてた傑作だと思いました。

こちらも緑が実に多いのですが、町並みはどこか汚く、排気ガス規制が緩いため空気は綺麗ではありません。その点実に清清しい感じで、北海道って綺麗だなって感じた次第です。では、どうもありがとうございました。

追伸:いつも素晴らしい写真を提供してくださり、まことにありがとうございます。一つ教えて欲しいことがあります。まだ買えるかどうか分かりませんが、オリンパスEー300で一日写真撮影をした場合に、電池は何個ぐらい必要でしょうか。お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

今晩は。今日は江戸三大祭りの一つで、三年に一度の本祭に当たる深川祭りを激写し、先ほど汗だくで帰ってきました。シャワーを浴び、今、やっと生きた心地がしています。タイのソンクラーンと同じで、みんな全身濡れ鼠で神輿を担いでいました。東京の他の祭はみな「セイヤーッ」ですが、ここだけは昔懐かしい「ワッショイ!」なので、それだけで感激です。でも、ふんどし姿は殆どなく、寂しい限りです。町内の殆どが禁止しているという状態のようです。

函館は異国情緒豊かで、大好きな街です。冬も青森の方が雪が多くて寒いので、北海道の人は函館に住みたいという方が大勢います。温泉が出るのが良いですね。(^^;

E-300ですが、専用の電池1個で一日持ちます。1000〜1500枚ほど撮影できます。E-20は電池が切れて困ったことがありましたが、E-300は安心です。でも、万一を考えて予備の電池を購入し、備えておくことをお薦めします。カメラを収めるときにスイッチが入ってしまっていたなどという失敗例があり、フルチャージではなくなっているときがあり得ますので・・・。

2005年8月13日(土)曇  丹下 誠司   様より  インド通信 

Re: 函館初夏の旅 
残館の配信、ありがとうございました。昨晩の夜行で、カルカッタに降りてますので(2時間半遅れで乗りましたが、考えて見れば、西の砂漠地帯のグジャラート州のアメダバードからの列車ですから、約1500キロを2時間半の遅れなら、実は大したものなんです)、全部の画面に比較的楽に入れました。

夜景はもちろん見事でしたが、青空の青が素晴らしく(イオスで、あの色が出るか?)、また、五稜郭のページは、土方歳三の最後の地なので、特に興味を持って見れました。私は仙台で学生時代を送りましたが、3つ下の弟が、札幌で学生でしたので、行く機会は、無いことは無かったのですが、出不精で、北海道に行く機会を逃したまま、今に至っています。仙台も、卒業して、もう23年行ってませんから、本質的に、なまくらな人間だと思います(^^;。  丹下拝 於 カルカッタ   8月13日(土) 0945

カルカッタで早々に函館初夏の旅をご覧いただき、有り難うございました。初日は曇天でどうなるかと思いましたが、徐々に天気は回復し、素晴らしい夜景を撮影できたうえに最後の修道院は快晴になりました。全て予定のスポットを撮り終わることができました。これも天の恵みなのでしょう。おっしゃるように、コダック・ブルーの深い青空がとても印象的でした。終わりよければ全てよしですね。(^^
 
青という色は、ほんと、気持ちを、清々させますよね。このお盆は、溜まっていた未発表作品の整理と編集に入られるのだと思います。目に余りご負担のないようにお願いします。(今年は、サイトで、目の事故あり、また、先輩が網膜はく離の手術とかで、目の災難が今年は特に多いので)

昨日、列車の電光掲示板(ヒンディー語と英語で繰り返し表示されます)で、上りがUP、下りがDOWNの2つの英語を覚えて、得した気になっています。私の英語のレベルがわかりますね(笑)。  丹下拝 8月13日(土) 1045

2005年8月13日(土)曇  津田 勝久   様より

残暑お見舞い 
残暑お見舞い申し上げます。津田です。いつも素晴らしい感動写真を配信いただき、ありがとうございます。今朝は起きぬけに「函館初夏の旅」を拝見しております。赤レンガの町並み、朝市、函館山からの夜景など、どれを取っても北国の夏のすがすがしさを感じました。名古屋の蒸し暑い夏には閉口しておりますが、元気に過ごしております。ありがとうございました。

おはようございます。お久しぶりです。お便り有り難うございました。私の大好きだった函館の街をやっとご紹介することができました。製作にはいつもの倍の時間がかかりましたが、それだけ思い入れが強く、一枚一枚の画像に手を入れて調製し、やっと完成しました。私の自信作の一つとなりましたので、ごゆっくりお楽しみ下さい。今後も出番を待つ作品を5つほど抱えており、夏休みはエアコンの効いた我が家で作品の製作に勤しみたいと思います。

厳しい残暑の中、どうかご自愛下さい。有り難うございました。

2005年8月12日(金)  市川 寧   様より  小さな小さな野草園 

蓮が開くと心が開く 
月遅れのお盆がやってきました。帰省される方、ご自宅でご先祖様をお迎えになられる方、そして、ゆったりのんびりお盆休みを過ごされる方、人それぞれでしょう。蓮の花は浄土に咲く花、お盆にふさわしい花と言えましょう。蓮が開くと心が開く。蓮の花のお届けです。

市川寧さんの蓮の花/鎌倉

市川寧さんの蓮の花

いつもすばらしい映像を楽しませていただいています。和田さんならではの感性と対象のとらえ方には毎回敬服しています。お盆にちなんで蓮五態をお届けいたします。ご笑覧ください。相変わらず昔のカメラまかせで撮っています。(HPやブログ上に紹介済みのものもあります)

市川様 残暑お見舞い申し上げます。素晴らしい蓮の花をお送りいただき、有り難うございました。いずれも心が洗われるような極楽浄土の花ですね。早速、一番気に入ったものをお便りコーナーに紹介させていただきました。

私も先日、一番電車で鎌倉に行き、鶴岡八幡宮と光明寺の蓮の花を激写してきました。お盆の期間中に発表できるよう編集を急ぎたいと思います。有り難うございました。

2005年8月10日(水)  大森保武   様より  つれづれなるままに 

高知よさこい祭り 
昨夜遅く帰ってきました 800枚ほど撮りました パソコンには取り込んだのですが・・・ 三脚を使わず、撮ったので満足いくものが撮れたかどうか 最初のチームの3枚添付します ではまた  

高知よさこい祭り

高知よさこい祭り
おはようございます。よさこい祭りの素晴らしい写真をお送り頂き、有り難うございました。早速、お便りコーナーに紹介させて頂きます。

2005年8月8日(月)晴  宮嶋 茂   様より  タイの仏教文化シリーズ 

お便りありがとうございました 
丹下様のインド通信のお知らせをいただきありがとうございました。早速拝見したしました。今回インドの洪水のことが報道されていますが、ここタイは水不足のようですが、「いや、大丈夫」説や、「足りないらしい」説とありまして、いかにも当地らしいです。

ダムにも大分水が溜まってきましたね。感慨深いものがあると思います。また今回は、日本とも馴染みのあるチャンドラ・ボースで、こちらでも王様の銅像をよく見掛けたり、子供も多くとても素直ですので、やはりどこか似通ったところがあるように思います。

さて、次回はいよいよアジャンタ・エローラ遺跡だそうですね。待ちに待っておりました。こちらからも日本人相手のツアーがあるにはあるのですが、半年分ぐらいの生活費に相当する費用ですので、丹下様のお写真を拝見するしか手はないようです。

では、次回を心待ちにしています。お知らせありがとうございました。お元気で。

おはようございます。お便り有り難うございました。東京も毎日暑い日が続いており、その中で夏祭りが目白押しです。ソンクラーンのように水を掛けるのは、冷却しないと熱射病で倒れるからでしょうね。先週末の佃祭りや次の週末に予定されている深川祭りは、いずれも水掛祭りとして知られています。深川祭りは三年に一度の本祭りなので是非とも取材したいと思っているのですが、暑さ対策とカメラの防水をどうしようかと悩んでいます。

チャンドラ・ボース将軍のことは、初めて知りました。ガンジーよりもこの方の銅像が多いのは、実質的にインド独立に献身された人だからなのでしょう。風貌も何か親しみ深いですね。丹下さんも4年を超えるインド在勤に終止符を打たれ、9月には帰国されます。そのときはインド通信も終焉を迎える訳で、とても残念に思いますが、やむを得ません。それまでに懸案の世界遺産の取材をしていただけるとのことで、期待が膨らみます。インドは雨季ですので、撮影が少し心配です。また、暑さで倒れないことを祈っています。

2005年8月4日(木)  松本浩文   様より  鯨を追う男たち

初夏の小倉城 
お早うございます。いつも素晴らしい作品を有難うございます。昨日帰宅し、さっそく「初夏の小倉城」を拝見しました。市民ですので小倉城は身近ですが、改めて和田フォトは写真のみならず、詳しい的を得た解説文の存在も大きいと思いました。それと、作品に仕上げるテクニックなるものを学んだ気がします。

松本清張記念館は行かれましたか。代表作の「点と線」からヒントを得てバレーボールの「時間差攻撃」が誕生したと聞いたことがありますが定かではありません。それと、城近くに大きな複合施設ができましたが、どうもミスマッチで景観を損ねている気がしてなりません。

次の作品は函館ですか?函館山の夜景は綺麗ですね!(これも手持ちのPですか?) 練習船で函館、香港に寄港し、函館山とビクトリアピークに登りましたが、ビクトリアピークはビル群が目立ち、どちらかと言うと、私は函館山の夜景が好きです。

おはようございます。お便り有り難うございました。厳しい夏の航海、ご苦労様でした。「初夏の小倉城」の感想文、嬉しく拝読しました。ご指摘のように、どういう順番に写真を並べるかということと、読者を飽きさせない解説文をどう書くかによって、作品の善し悪しが決まります。構想がまとまるまで、試行錯誤の連続です。これで行こう!となると、あとは一直線で楽しい編集作業になります。解説文は簡明直裁、長からず短からず、無駄な修飾語を省くのが和田流です。ミズスマシなどの道草は、いつもの野次馬根性(知的好奇心)です。(^^; 閑話休題で気分転換ができます。

また、おっしゃるように小倉城近くの大きな建物はアンバランスで、景観を損ねます。あえて、画面に入れないようにしたのですが、自然流を標榜する私としては、作為的で、冷や汗ものです。でも、巨大な複合施設を写さなかったことで、作品の価値が高まっているものと自画自賛しています。(^^; 松本清張記念館は、時間がなくて立ち寄れませんでした。次の機会に残しておきたいと思います。

現在、函館紀行を編集中です。夜景だけは三脚・マニュアル撮影でないと撮れませんが、函館山の展望台の手すりが高く、旅行用の軽量三脚では届かず、手すりにカメラを保持して、手持ちで撮りました。露出はデジカメの特技で、写り具合を確かめながら最適値を決めました。沢山撮ったので、何とか鑑賞に堪えるものがありました。ご期待下さい。

2005年8月3日(水)晴  K.   様より  広報システム研究所 

画像借受願い 
突然の連絡で失礼いたします。当社では下記の出版物を編集するにあたり、貴殿のサイトで使用されている画像をぜひ使用させていただきたいと思い、連絡いたしました。

急な話で申しわけございませんが、貴殿のホームページの画像<http://wadaphoto.jp/japan/images/tojin09l.jpg >をお借りすることはできないでしょうか?もし条件等がございましたら、お申し付け下さい。勝手なことでございますが、至急ご返答いただけるようお願い申し上げます。

概要

媒体名:「ゆとり旅 日本の文化遺産」(仮)
版元:(株)JAF出版社
版型:A4版 総ページ数528P
(以下略)

K. 様 お便り有り難うございました。東尋坊の写真 tojin09l.jpg 使用の件、了解しました。当サイトの写真のビジネス使用につきましては、別添のお願いをしております。ご了解頂ければ、原画(500万又は800万画素)をメールに添付してお送りします。以上、宜しくご検討下さい。有り難うございました。 別添(略)

2005年8月3日(水)晴  Y.   様より

 インド通信 路上にて編(オールド・デリー) 
丹下様、 帰着と同時にインド通信有難う御座います。世界遺産も大変結構でした。6ヶ国会議も纏まらず、宇宙では修理に苦戦し、ムンバイ豪雨では千人近く死者が出たとの事、この先?せめて手の内からコツコツと路上の人々の生活環境を造っていくしかありません。前回の昼寝、靴磨きは「頭上注意!」の表示が必要と思われます。元気で働けるよう祈願いたします。

お便り、ありがとうございます。ムンバイは、今日も雨らしく、今日のBBCでも、もう900名超えの死者と言ってましたね。

私も、だんだん帰任が近づいて来たようで、今月下旬には、ちょっとお休みを貰い、6つの世界遺産を、カメラに収めて来る予定ですので、また、ワダ☆フォトギャラリーで、ご紹介しますので、楽しみにしていて下さいね。

2005年8月3日(水)晴  K. I.   様より

 ホームページのお写真拝見しました! 
丹下様、今日は、はじめまして。私は現在日本でインドネシア、ジャワ島の踊りを教えていますK. I.と申します。丹下さんの写真をヒットしたきっかけは、ジャスミン(アラビアン)でした。

ご存知の通り、ジャワの踊りにはお花が欠かせないのにもかかわらず、日本ではなかなか手に入らないので、それでは栽培しようと思い立ち、栽培を始めました。でも今年の日本は(関東地方は)晴れの日が少なく、つぼみがあまりつかず、おまけに葉の裏に(葉脈にそって)毛(?)が生えてきたので、ネットで調べていたところです。ジャスミンの花の写真はとてもきれいでしたが、そのほかのインドの写真にも見入ってしまいました。あまりにもたくさんあるので、少しづつ、ゆっくり拝見させていただきたいと思います。私はプルリアのチョーという踊りが大好きです。あまり地元でも上演することが少なくなってきたと聞きましたが、丹下さんはご覧になったことはありますか?

ところでジャワのどちらに住んでいらっしゃいましたか?ダムといったら私はウォノギリを思い出してしまいます(私はソロにすんでいたもので)。それとも東ジャワのマランの方ですか?そちらのダムも見に行ったことがあります。

イカットのコレクションをお持ちとのこと。私もバティック、イカットは大好きです。いつかコレクションを拝見したいです。インドの暑さは半端ではないですよね。お仕事しながら、たくさんの写真をお撮りになれる丹下さんはかなりの超人ではないか、と感心しています。それではお体にお気をつけください。

お便り、ありがとうございます。プルリアのチョーダンスをご存知とは、また、マイナーな話題で(笑)。この辺の村の長老の話では、チョーダンスの舞踏団が、日本にも、公演で行ったことがあるんだと、聞いたことがあります。舞踏の好きな村毎で、チョーダンスのチームがあるんだそうですよ。うちの下ダムの辺りに、この地区では有名なシバ神の寺院があり、そこで、年に一度の、ベンガル正月に、上演されるのが、チョーダンスです。5万人以上の人が、毎年集まって来ます。

あのジャスミンは、私の宿舎の部屋の前で、咲いたものを撮影しましたが、ジャスミンにもいろいろあるようで、私の部屋の前のには、裏に軟毛がありません。 ものの本(西岡直樹さんのインドの樹とか)には、ジャスミンの葉には、裏に毛がと書かれていて、逆に、私が、画像で、紹介する際に、不安になったぐらいです。香りは、インターネットでお届けできませんが、もちろん、ジャスミンの香りです。 飯島さんは、毛があるようですから、ジャスミンだと思いますが、気長に育てて下さい。

おまけの話ですが、ジャスミン=茉莉花のインド通信には、お孫さんの3姉妹の名前に、この一字ずつ、「茉」「莉」「花」を、使っているという方からも、掲載当時、お便りメールを頂いたことがあります。

ジャワは、バンドンから、西に2時間の地点で、ダム工事でした。チラタダムと言います。

ソロは、一度だけ、もう20年前に行きました。 元王宮を利用したホテル(クスマサヒッド?)のプールで、雨の空を見あげながら泳いだことを覚えています。ソロは、静かで、落ち着いた、大好きな街です。この現場にも、ソロから、ハリヤンタ君と、インドラ君の二人が、今、工事技師として参加して呉れていますので、私も、インドネシア語で、彼らとは話すようにしています。とても穏やかな二人です。ジャワ人、顔に出して、怒りませんもんね(笑)。

ジャワのあとは、東カリマンタンのボンタンでLPGガスのプラント工事、その後、バリ島の滑走路の建設で3年半居りましたので、クタの華僑のイカット商と、仲良くなり、絣の収集に、はまりました。 当時(90〜93年頃)は、手軽な値段で、イカットの良品が買えてましたので、結構、イカットは、自慢です。バティックは、すでに人気で、値が上がっており、手が出ませんでした。このイカット商はもう亡くなりましたが、奥さんが、今も、時々、自分のコレクションを、流して呉れるので、それを、時々、購入するのが、私の今の趣味になっています。それほど、イカットの出物が無くなっているということです。 イカットのスカートなんかではなく、ジーンズなんだそうです、最近は(奥さん談)。 イカットオタクの話になって来ました。

インドも、西のグジャラート州が、インドネシアのイカットのパパトラ花文様などの、源流地なのだそうですが、私は、残念ながら、そこまでは、まだ辿れておりません。

ベンガルは、6月までは暑かったのですが、今は、雨季で、今日は、朝から雨で、今も、28℃で、とても快適です。寒いぐらいです(笑)。
では、また、お時間あります際に、インド通信を覗いてやって下さい。 ワダ☆フォトギャラリーの一連の作品群も、主催の和田さんの作品始め、素晴らしい作品揃いですので、ぜひ、どうぞ!  プルリア丹下拝 8月3日(水) 1700

2005年8月3日(水)晴  K. T.   様より

ふんどし談義 
始めまして。いつも楽しく拝見させていただいています。特に地元の"灘のけんかまつり"は何回見ても楽しいです。それと"ふんどし談義"も改訂していないかチェックしています。本日久々に"ふんどし談義"を見ていたところ、大変なものを発見しました。なんと私が書いた記事がありました。(いままで見落としていました) "播州秋祭 ふんどし談義"の3/4の最後のS社、社内広報の特集記事 『30年』 です。

   祭りといったら「灘のけんか祭り」。高一で初めてまわしをしてヤッサ(屋台)を担いで30年。
   一時期、怪我をしてやめていたが、今も現役で担いでいる。
   今、住んでいる所も"灘の七村"であるが、担ぐのは生まれ育った村のヤッサ。
   子供の頃からヤッサを担ぐ親の姿を見て育った村が一番である。
   普段は近すぎて帰らないが、祭りは朝から帰って兄や仲間と酒をのみ、一緒に「出立ち」をする。
   祭りは最高である。今年もそろそろ太鼓の練習の音が聞こえ出す。
   だんだんと気分が盛り上がり、わくわくしてくる。10月14日、15日が待ち遠しい。

ちょっと嬉しくてメールさせていただきました。

お便り有り難うございました。いつもWa☆Daフォトギャラリーをご覧いただき嬉しく思います。S社の社内報に「30年」を投稿されたのがT. さんでしたか。簡潔にして明瞭、灘のけんか祭りに寄せる熱い思いが伝わる名文ですね。T. さんにとってこの祭りは日本人として今に生きる原点なのでしょう。

私も5年前に灘のけんか祭りを見て感動し、裸祭りシリーズをはじめましたので、私にとってもこの祭りは原点です。練子全員がふんどし(泥まわし)を締め込み、神輿や屋台を担ぐ姿に魅了され、ふんどしについて思いを巡らすうちに、ふんどしこそ日本人男性のアイデンティティだと考えるようになり、ふんどし談義をはじめるきっかけにもなりました。今年もあと2ヶ月半でお祭りです。どうか怪我をしないよう十分にご注意されて、男らしい伝統の裸祭りを堪能して下さい。有り難うございました。

2005年8月2日(火)  南光 優   様より  感動写真集

暑中お見舞い申し上げます 
暑中お見舞い申し上げます。初夏の小倉城拝見いたしました。こんな名城があることを知りませんでした。お蔭様で勉強になりました。

イブキジャコウソウ

拡大写真(1024x766)84KB

イブキジャコウソウ(伊吹麝香草): 花径5〜8o、高さ2〜10cmの越冬性の矮性低木。茎は地表を這って伸びる。低地〜高山帯 の岩場や乾いた草地に生える。和名は伊吹山に多く、麝香(じゃこう)のような香りがすることからつけられた。(和田調べ)

当方は先週北アルプスの双六岳に登ってきました。台風一過の後好天を期待いたしましたが、曇り空で景色は今一でしたが深緑や花の撮影には最適でした。添付の写真は登山道の端の目立たないところに咲いていたイブキジャコウソウの小さな一輪で、花には朝露もついており、偶然レンズも曇っていた状態で撮ることが出来ました。 

おはようございます。暑中見舞いと美しい写真をお送り頂き、有り難うございました。

小倉城は、お城のシリーズに加えたいと思い、出張の帰りに取材したものですが、予想外に素晴らしい城でした。日本の城は、日本人のアイデンティティを感じるものとして、とても気に入っており、これからも取材を続けたいと思っています。国宝の城は長野県の松本城のみを残して全てアップを完了しています。松本城は、今年の春、ツアーを申し込んでいたのですが、最少催行人員に達せず、流れてしまいました。またの機会を探っています。

水滴を蓄えた可憐なイブキジャコウソウの写真、とても涼しげですね。有り難うございました。本格的な夏になりましたが、ご自愛下さい。奥様に宜しくお伝え下さい。有り難うございました。

2005年8月1日(月)晴  F. H.   様より  少年社 

写真掲載についてのお願い 
ホームページ「WA☆DA旅ギャラリー」を拝見し、はじめてメール致します。
私は、(株)東京美術発行の「すぐわかる日本の神々」という本を編集制作しております少年社のF. H.と申します。今回は、同書にて掲載する資料参考図版を探しておりましたところ、たまたま貴HPの素晴らしいお写真を拝見し、ぜひ写真を掲載使用したく考えました次第です。つきましては、下記要項をご覧いただいた上で、写真の掲載及び借用にご協力のご許可を賜りたく考えております。よろしくご賢察のほど、お願い申し上げます。

●掲載誌について
『すぐわかる日本の神々』東京美術発行
 平成17年9月発行予定、A5判、180ページ、予価1,500円(本体)

●掲載を希望する写真
1「千葉・大原はだか祭」  http://wadaphoto.jp/maturi/images/ohara13l.jpg
(以下略)

おはようございます。お便り有り難うございました。「すぐわかる日本の神々」に当サイトの写真を掲載する件、条件など全て了解しました。原版をメールに添付してお送りしたいと思います。宜しくお願いします。有り難うございました。

おことわり

 私宛の e-mail をこのページに掲載することについては、お便りをお出しいただいた方々に事前のご了解をいただいていませんが、ホームページを通じて多くの方々と素晴らしい出会いや交流が生まれたことをお伝えしたいために、問題のない方法で掲載させていただいています。 もし問題の箇所があればお知らせ下さい。直ちに訂正させて頂きます。どうかよろしくお願いします。
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