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城塞の入口・クラウンワーク門を入って左の壁にシェークスピアのレリーフがある。シェークスピアがこの地を訪れたとき、メモ魔で知られる彼は、種々のエピソードをメモし、やがてそれをヒントに四大悲劇の中でも特に優れた戯曲「ハムレット」を書いたという。 |
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AMLETHの文字が見えるシェークスピアのレリーフ
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ハムレットとアムレス HAMLET & AMLETH
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クロンボー城には、アムレス(アムレート) AMLETH という実在の王子がおり、シェークスピアは、最後の
H を最初に持ってきて
HAMLET という名の王子を創造したという。 |
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資料 |
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ウィリアム・シェークスピア
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William Shakespeare 1564-1616 |
ウィリアム・シェークスピア(シェイクスピア)は、イギリス(イングランド)の劇作家、詩人。ストラトフォード・アポン・エイボン Stratford-upon-Avon の生れ。 |
エリザベス朝演劇の代表的な作家で、最も優れた英文学の作家といわれる。 |
卓越した人間観察眼と内面の心理描写は、後の哲学や19〜20世紀の心理学や精神分析学を先取りしたものともいわれている。 |
1585年頃にロンドンに出たといわれ、1592年には新進の劇作家として活躍。1612年頃に引退するまでの約20年間に四大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」をはじめ、「ロミオ(ロメオ)とジュリエット」「ヴェニスの商人」「夏の夜の夢」「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した。 |
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ハムレットはシェークスピアの代表作ともいえる悲劇。全5幕で、1600年から1602年頃に書かれたという。 |
正式名称は、「デンマークの王子、ハムレットの悲劇」 'The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark ' 。4000行を超える大作で、シェークスピア作品中、最大規模の戯曲である。 |
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ハムレットは、同時代にトマス・キッドが「スペインの悲劇」という同様の物語を書いており、少なからずその影響を受けたといわれる。また、この話は北欧伝説が下敷きになっており、12世紀末にサクソ・グラマティクスが編纂した「デンマーク人の事績」 Gesta Danorum にモデルになったアムレート Amleth の武勇が伝えられている。 |
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シェークスピアの生誕地ストラトフォード・アポン・エイボン/イギリス 1997.9.20
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ハムレットのあらすじ |
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デンマーク王が急死する。王の弟クローディアスは王妃と結婚し、跡を継いでデンマーク王の座に就く。父王の死と母の早い再婚とで憂いに沈む王子ハムレットは、従臣から父の亡霊が夜な夜な城壁に現れることを聞かされる。亡霊に会ったハムレットは、実は父はクローディアスに毒殺されていたことを知る。 |
復讐を誓ったハムレットは狂気を装う。王と王妃はその変貌ぶりに憂慮するが、宰相ポローニアスは、その原因を娘オフィーリアへの実らぬ恋ゆえだと察する。父の命令で探りを入れるオフィーリアをハムレットは無下に扱う。 |
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ストラトフォードにあるシェークスピアの生家(両親の家) 1997.9.20
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やがて王が父を暗殺したという確かな証拠を掴んだハムレットだが、王と誤ってポローニアスを殺してしまう。オフィーリアは度重なる悲しみのあまり狂い、やがて溺死してしまう。ポローニアスの息子レアティーズは父と妹の仇をとろうと怒りを燃やす。 |
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ハムレットの存在に危険を感じた王は毒剣と毒入りの酒を用意してハムレットを剣術試合に招き、秘かに殺そうとする。しかし何も知らぬ王妃が毒入りの酒を飲んで死に、ハムレットとレアティーズ両者とも試合の最中に毒剣で傷を負ってしまう。死にゆくレアティーズから真相を聞かされたハムレットは、王を殺して復讐を果たした後、事の顛末を語り伝えてくれるよう親友ホレイショーに言い残して死んでいく。 |
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To be or Not to be |
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To be, or not to be: that is the question. (III.I line 56) は劇中の有名なセリフ。明治期に「ハムレット」が日本に紹介されて以来、この台詞は様々に訳されてきた。「ハムレット」は、読む者の視点によって多様に解釈できる戯曲だが、その特徴をこの言葉が端的に現している。 |
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初期の邦訳の代表的なものには、坪内逍遙の「存(ながら)ふるか、存(ながら)へぬか? それが疑問じゃ」(1926年)などがある。筆者は「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」と習った。 |
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このほかにもハムレットがオフィーリアに云った「尼寺に行け」 Get thee to a nunnery! が有名。詳細割愛。 |
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クロンボー城は、菱形の城で、北棟は王の住居、西棟は王妃の住居で、デンマーク・ルネサンス様式。東棟は王族の部屋や厨房、南棟は教会で、内装はフレデリクII世時代のもの。城内の各部屋やホールには、16世紀後半から18世紀初頭にかけて収集されたタペストリー、家具、絵画などが展示されている。 |
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王の間も見所の一つ。部屋の戸口は、大理石をはじめとする各種の石で造られ、一部に金箔が塗られている。クリスチャンIV世の頭文字もみえる。天井画も素晴らしい。写真上は現地ガイドの日本人女性・ステファン・ジュンコさん(こちらを向いている人)から説明を聞く我がツアーグループ。 |
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特に、王妃の間は興味深い。ダイニング・テーブルの直ぐそばの壁には大きなタペストリーがかけられている。この後ろに毒殺の犯人が隠れていたという。シェークスピアはこのエピソードを聞き、巧みに「ハムレット」の中に組み込んだといわれる。 |
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当時の様子が色濃く残る貴重な遺産であるが、 「ハムレット」に描かれたような陰謀のドラマもあったらしく、城の裏手にある階段には、それを物語る文字が刻まれているという。 |
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王妃の間だけあり、天井画は全て男性の裸体が描かれており、王は好ましく思っていなかったようだ。その中に、老人の姿をした悪魔が幼児に噛みついている絵があった。どのような理由で、このような痛ましい絵を描かせて天井に飾ったものだろうかと想像を巡らしてみるが、とても日本人の感覚では理解できないものである。 |
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騎士の間は、舞踏や宴会などに使われる広間であるが、62mx11mという北欧最大の広さがあり、1582年に完成した。現在は巨大な油絵が飾られ、当時の面影を伝えている。 |
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クロンボー城には、今のオランダのアントワープで織られた精緻で美しいタペストリーがある。一時スウェーデンに占領されたとき、多くは持ち去られたというが、それでも素晴らしいものが数多く残されている。 |
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騎士の間と同時に完成した礼拝堂は、豪華な彫り物や多彩色で飾られており、質素を旨とするプロテスタント教会にもかかわらず、フレデリクII世時代の絢爛豪華な面影を今に残している。 |
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ここでは牧師の立つ位置よりも王の位置が高くなっており、王の上にローマ法王が君臨しているカトリック教会と異なり、王の支配が明確に示されているのが興味深い。 |
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