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スペインの大聖堂は、いずれも中央に聖歌隊席が設けられているのが特徴である。トレド大聖堂では、その入口にトレドの守護神「白い聖母」が飾られていた。幼少のキリストを抱く聖母マリアの微笑みが素晴らしい。 |
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トレドの守護神「白い聖母」 / カテドラル聖歌隊席(トレド) 2012.04.14 11:27
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▼ 聖歌隊席の三面に上下二段の椅子席が設けられており、見事な彫刻に目を奪われる。下段の
椅子54席は、グラナダ王国の再征服 レコンキスタを記念して制作されたもので、城攻めで入城するキリスト教徒がモチーフになっている。上段には
、16世紀に作られたルネサンス様式の椅子70席がある。 |
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▼ 内陣の南に位置する聖具室は、さながら教会の美術館である。天井には、イタリアの画家ルッカ・ジョルダーノ(17世紀)のフレスコ画が描かれている。「LULU」という記号が描かれているのに気付くが、これは神 GOD を表す記号だという。神の偶像や描写は禁止されているため、抽象的な記号で神を表しているという。 |
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▲▼ 聖具室の正面には、1577-79年に描かれたエル・グレコの名作「聖衣剥奪」が飾られている。37歳の時に大聖堂からの発注で、新約聖書からキリストが十字架かけられる直前に衣服を剥がれる姿を主題に制作したものである。(写真下はノーフラッシュ撮影) |
新約聖書の原典はギリシャ語で書かれており、同国の出身であるエル・グレコは、原文をより深く理解し、数々の宗教画を残しているが、この「聖衣剥奪」は外套を当時卑しいとされた赤色で描いており、これまで誰も描かなかった色を使った斬新なものである。 |
エル・グレコは、キリストの手指を中指と薬指をくっつけ、他の指を開いて描いている。彼の他の絵画にも見られる特徴で、仏の手印に似ているともいえなくはない。このサインは、父なる神 GOD との交信なのか、それとも敬虔なクリスチャンに送る合図なのか。 |
【答】 エル・グレコが信奉するイエズス会の創始者イグナティウス・デ・ロヨラの著書「心霊修養」の一節に、「手の指を開き、中指と薬指だけ閉じなさい。困難に出会ったとき。絶望の淵に立たされたとき。その手を痛み続ける胸に当てなさい。」とある。そうすれば神に救われるということであろう。彼はその教えを絵に書き残したのである。 |
「聖衣剥奪」の完成後、教会側は、左下にマリアが三人もいることやキリストの頭より群衆の位置が高く描かれていることにクレームをつけ、報酬の支払いを拒否したため、裁判沙汰となり、結局、彼の報酬は、3分の1程度に減額されてしまったという。
今となってみれば、教会もケチなことをしたものである。 |
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聖衣剥奪 Expolio /
エル・グレコ 1577-79年 285×173cm トレド大聖堂
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▼ エル・グレコ(El Greco 1541-)は、現ギリシャ領のクレタ島、イラクリオン出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロス(Δομήνικος Θεοτοκόπουλος、ラテン文字:Doménikos Theotokópoulos)で、一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称である。マドリッドにあるプラド美術館には、彼の作品が多数展示されている。 |
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エル・グレコ El Greco
1541 - 1614.4.7
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資料:フリー百科事典ウィキペディア |
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オルガス伯の埋葬 El
entierro del Conde de Orgaz
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「オルガス伯の埋葬」は、スペイン・ルネサンス期のギリシャ人画家エル・グレコが1586年から1588年にかけて描いたトレドのサント・トメ教会 Iglesia de Santo Tome が所蔵する絵画である。エル・グレコの最高傑作といわれているもので、カテドラルに入る前に見学したが、小さな教会にこのような大作が描かれているのに感動した。 |
当時、荒れ果てていたサント・トメ教会の再建に尽力し、1323年に没したオルガス伯爵(ゴンサロ・ルイス・デ・トレド)の逸話を題材に描いた本作は、画面上下でイエスに導かれ天上へと昇華してゆくオルガス伯の魂の昇天と、当時の知識人や有力者に囲まれながら執り行われる肉体の埋葬という二つのシーンを同時に描いている。 |
父なる神の威光を受けて光り輝くイエス・キリストのまわりには、聖母マリアや洗礼者・聖ヨハネをはじめとする諸聖人や天使たちが描かれているほか、サント・トメ教会の司祭や当時の知識人有力者たちに囲まれながら埋葬されるオルガス伯の周囲には、エル・グレコ自身の姿(写真右)も描かれている。 |
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オルガス伯の埋葬 El entierro del Conde de Orgaz /
エル・グレコ
1586-1588年 460×360cm サント・トメ教会(トレド)
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▼ トランスバレンテ Transparente は、内陣(大礼拝堂)の後方(東)にある天井につくられた大きな明かり取りの窓で、彫刻に縁取られ、内側にはフレスコ画が描かれている。この窓の正面にあるトランスパレンテ祭壇に光を取り入れる目的で18世紀に造られた。建造後のリフォームで屋根に穴を開けるという工事は、大変苦労したという。 |
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エル・トランスバレンテの祭壇
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▲ この明かり取りの窓のお陰で、トランスバレンテの祭壇に太陽光が差し込み、大理石やアラバスタなどで造られた聖母像や天使の群像が明るく浮き上がって見える。 |
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聖人の眠る棺
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城壁の北方に広がるトレド新市街 11:54
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▼ トレド名物は、生後2週間までの子豚をオーブンで焼く「子豚の丸焼き」。魚の干物のように腹開きで顔がそのままの子豚がトレーに載せられている。食べるときは、全員にこのトレーを披露したあと、皿に切り分けてくれる。切り分けた皿には顔が分からないようになっているのでご安心を。 |
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トレド名物「子豚の丸焼き」
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トレドで昼食を取ったのち、ツアーバスは、トレド東方約45kmに位置するアランフェスに向かった。午後から天気は徐々に回復し、早春の新緑がやさしく目を慰めてくれた。 |
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麦畑のそばを走る電車 14:42
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▼ 約5万人が暮らすアランフェス Aranjuez
は、スペイン中央のマドリード州南部に位置する都市で、首都マドリッドから南に約50kmのタホ川沿いにある。 |
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スペイン王室の宮殿と庭園を含む風景は、2001年、「アランフェスの文化的景観」としてユネスコの世界文化遺産に登録された。また、ロドリーゴの楽曲「アランフェス協奏曲」でもその名を知られる。 |
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アランフェスに到着 15:03
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あらんふぇす しんりょくもゆる なみきみち |
Aranjuez,
a tree-lined road with new green leaves. |
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資料:地球の歩き方 |
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1085年にアルフォンソIV世がトレドを征服した後も、アランフエスはカスティーリャ王国とイスラム諸国の間で争奪が行われた。1178年に最終的にレコンキスタが完成し、アランフエスはサンティアゴ騎士団に与えられたが、15世紀末には、カトリック両王(アラゴン王フェルナンド
II 世とカスティーリャ女王イサベル
I 世)によって王室の土地とされた。 |
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アランフェス王宮の鳥瞰図
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資料:Googleマップ |
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カトリック両王
Reyes
Católicos |
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▼ カトリック両王 Reyes Católicos は、アラゴン王フェルナンド II
世 Fernando el Católico (1479-1516)とカスティーリャ女王イサベル
I 世 Isabel la Católica (1451-1504)を指す。彼らは1469年に結婚し、後に彼らの子孫の下で同君連合国家としてのスペイン王国が成立する。カトリック王の称号は、ローマ教皇アレクサンデルIV世によって授けられた。 |
両王の統治時代はレコンキスタの末期であり、また二人が出資したクリストファー・コロンブスの西半球、新世界の発見により、その統治は更に強固になった。 |
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カトリック両王 /
アラゴン王フェルナンド II
世とカスティーリャ女王イサベル I 世
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資料:フリー百科事典ウィキペディア |
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アランフェス王宮
Palacio Real de Aranjuez |
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アランフェス王宮は、王家の春と秋の別荘として16世紀にフェリぺ
II 世が建築を命じ、代々の王を経て、18世紀の後半カルロスIII世の時代に完成した。
フェリぺ II 世は、スペインが西ヨーロッパで最も強力で広大だった時代の王として知られる。
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アランフェス王宮全景 /
アランフェス 15:05
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フェリペ
II
世 Felipe
II |
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フェリぺ II 世(1527-1598)は、ハプスブルク家のカスティーリャ王国・アラゴン王国(=スペイン)の国王(在位:1556-1598)。1580年からはフィリペ
I 世 Filipe
I としてポルトガル国王も兼ねた。スペイン帝国・スペイン黄金世紀最盛期の国王で、絶対主義の代表的君主の一人とされている。 |
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スペイン最盛期の国王 フェリペII世
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資料:フリー百科事典ウィキペディア |
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石と煉瓦で作られたこの宮殿は、典型的なスペイン建築で、内装は19世紀のまま保存されている。広大な庭園に向かって建つファサード(建物正面)は、本館が正面玄関を囲み、両サイドに円蓋(えんがい)がある。
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▼ 正面玄関はイタリアのジャコモ・ボナヴィアが18世紀に建築したもの。ロココ様式(オーストリア建築様式)の王座は、後にカルロスIV世の戴冠式が行われたという。
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のどかなる おうきゅういまに あらんふぇす |
Aranjuez,
the palace is peaceful now. |
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♪アランフェス協奏曲
Concerto
de Aranjuez |
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Rodrigo
in 1992 |
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ホアキン・ロドリーゴ
Joaquin
Rodrigo
1901-1999 |
アランフェス協奏曲で世界的に知られる盲目のスペイン学派の大家ホアキン・ロドリーゴは、1999年、98歳で他界した。 |
彼は3歳で失明したものの、パリのスコラ・カントルムに留学し、クラシック音楽の作曲家ポール・デュカス
Paul
Dukas
の愛弟子として薫陶を受けた。 |
簡潔で近代的な音楽様式は、先行するファリャやトゥリーナ等の新古典的民族的スタイルを継承していると評され、スペインの偉大な作曲家として人気が高い。 |
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王宮→ |
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この地を新婚旅行で訪れたロドリーゴは、河畔の自然の中を新妻と連れ添って歩くうちに、あのロマンチックな第2楽章の楽想を得た。このため、彼はこの曲の第2楽章から書き始めたという。 |
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アランフェス協奏曲は1939年に完成し、翌年初演され、高い評価を受けた。その後、クラシック部門にとどまらず、ポピュラーやジャズなど様々なジャンルを横断して愛奏されており、それ自体、普遍的な名曲であることを物語っている。
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プラタナス(篠懸の木)の新芽が美しいイスラ庭園(島の庭園) 16:28
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彼はギター協奏曲という一旦廃れていた形態を復活させ、ギター再興に大きな役割を果たした。この曲はアランフェスの住民にとっても大きな誇りで、1986年、ロドリーゴの記念像が建てられた。 |
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▲▼ 王宮からタホ川に沿って広がる庭園は、森や庭からなり、多くの泉や像で飾られている。王宮正面の「パルテレ庭園」、タホ川と人工の川に囲まれた「イスラ庭園(島の庭園)」、タホ川に沿って延びる150haの「王子の庭園」などがある。かつては王室の農業試験場でもあり、スペイン黄金時代に世界から集めた植物が栽培されていたという。 |
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■ 3日目:
マドリッド〜アビラ/観光〜セゴビア/観光〜マドリッド/闘牛観戦 泊 ■ |
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▼ 3日目4月15日(日)は、マドリッドから日帰りできる距離にあるアビラとセゴビアの観光を楽しんだ。ツアーバスは、09:00にホテルを出発、マドリッドから西北西に走り、途中の峠越えで降雪の洗礼を受けながら最高120km/hの高速道路A-51を快走し、約115km先のアビラに向かった。 |
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資料:クラブツーリズム |
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雪の峠を越えてアビラに到着 2012.04.15 10:25
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▼▲ 人口約6万を擁するアビラ Ávila は、カスティーリャ・イ・レオン州アビラ県の県都で、マドリッドから直線距離で西北西に約87kmの位置にある。 |
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アビラは海抜1,117mの高さにあり、スペインの県都で最も標高が高い。荒野の中に唐突にそびえている岩山の平らな頂上に建てられている。岩山は茶色で乾燥した禿山で、大きな灰色の丸石がころがり、急峻な山地に囲まれている。 |
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資料:Google マップ |
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グレドス山脈の北に位置するアビラは、冬には雪が降り、夏でも朝晩は涼しくなる。旧市街全体を城壁が取り囲む「石の町」として知られ、中世の城郭都市の佇まいを今に伝えている。
アビラは「アビラ旧市街と市壁外の教会群」として、1985年に世界文化遺産に登録された。 |
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資料:地球の歩き方 |
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アビラは、聖女テレサ・デ・ヘススが生まれ育った街として、カトリック教徒にとってはなじみが深い。城壁の内外には、聖女ゆかりの教会や修道院が点在する。 |
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インフォメーション・センターのエスカレーター
に乗って旧市街へ 10:32
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▲▼ 駐車場が無いため、インフォメーション・センターの前の道路で下車し、同所のエスカレーターを経由して、サン・ビセンテ門の前に至る。徒歩で見学するのは、バスを乗り入れられない旧市街観光の定めなので、足の悪い人には、スペイン観光は向かない。 |
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▲▼ アビラの見所は巨大な城壁 Las Murallas に尽きる。レコンキスタの成果により、11世紀にイスラム教徒から街を取り戻したアルフォンソIV世の娘婿のライムンド伯爵が1090年から9年の年月をかけて、防備のために築いたのがこの巨大な城壁である。全長2.5km、幅約3m、高さは平均12mあり、88塔と9つの門を持つ。中でもサン・ビンセンテ門とアルカサル門は、重厚で、城壁の入口にふさわしい。 |
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サン・ビセンテ門を発着するミニ観光列車トレン・トゥリスコ
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サン・ビセンテ門の前からは、ミニ観光列車「トレン・トゥリスコ」が出ている。城壁内の狭い道を走り、サンタ・テレサ修道院の前を廻ってから、城外に出、裸足のテレサで有名な「エンカルナシオン修道院」の前を通って、最初のサン・ビセンテ門に戻ってくる。時間があれば是非乗ってみたい。 |
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カテドラル(アビラ大聖堂) Catedral de
Ávila
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アビラのカテドラルは、11〜16世紀のロマネスクからゴシックへの過渡期に建てられた大聖堂で、要塞化された教会としての典型がある。最も古い部分である後陣は市壁(城壁)と重なり、その巨大な塔は同時に見張り台の役も果たしている。 |
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▲▼ 時間がないため、外観のみの見学に終わってしまったが、聖堂内部には様々な美術品が所蔵されており、余裕があれば、入場してみたいスポットである。 |
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サンタ・テレサ修道院 Convento
de Santa Teresa
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▼ 17世紀に建造されたバロック様式の修道院。修道会カルメル会の改革を進め、「裸足のカルメル会」を創立した聖女テレサ・デ・へススの生家跡に建てられた。1985年「アビラの旧市街と城壁外の教会群」の名で世界文化遺産に登録された。 |
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▲▼ テレサ・デ・ヘスス Teresa de Jesús (1515-1582)は、その功績により1622年に聖者のひとりに加えられた。この修道院の祭壇には、彼女が息を引き取ったときに抱きしめていた十字架が置かれているほか、彼女にまつわる品々が展示されている博物館がある。 |
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聖女テレサはキリスト教徒の貴族の家に生まれ、18歳でカルメル会の修道女となった。キリスト教徒として清貧
・苦行・祈りを旨に改革を進め、47歳のときに「裸足のカルメル会」を創設し、厳冬のアビラで靴下もはかずにサンダルだけで過ごした。 |
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