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■ 5日目:
コルドバ〜セビリア/観光〜 ロンダ/観光〜グラナダ 泊 ■ |
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▼ 5日目4月17日(火)は、コルドバから高速道E-5を西南西に約140km2時間走ってセビリアに入り、市内観光。午後、南東に約130km2時間走ってロンダにて市内観光。更に東北東に約180km3時間走ってグラナダに宿泊。バス走行が一番長い日で、強行軍だった。 |
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資料:クラブツーリズム |
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資料:Google マップ |
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長距離行軍のため、朝8時にホテルを出発。この日も快晴に恵まれ、美しい早春の風景を楽しんだ。車窓を流れる異国の風景は、変化に富んだもので、見ていて飽きることがない。 |
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セビリアに向かってのどかな田園地帯を西進する片側二車線の高速道E-5は、中央分離帯がたっぷり取られ、車もまばらで運転マナーも良い。ここに来てはじめて日本車が少ないことに気付いた。ヨーロッパ諸国では、どこでも日本車が多かったのに、なぜスペインは少ないのだろう。 |
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田園風景を楽しみながら高速道E-5を南下 09:10
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セビリア Sevilla |
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ビゼーのオペラ「セビリアの理髪師」や「カルメン」の舞台として知られるセビリアは、スペイン南部に広がるアンダルシア州の州都で、セビリア県の県都でもある。人口は70万人でスペイン第4位。セビリア都市圏の人口は130万人にのぼる。スペイン南部の政治、経済、文化の中心地であり、観光都市である。 |
最近は、現地の発音通りセビーリアと表記される例が増えているが、私のメンタリティとしては、「セビリアの理髪師」であって、「セビーリアの理髪師」ではなじめないので、旧来のままセビリアでゆく。マドリッドと一貫性を欠くが、お許し願いたい。(^^; |
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資料:Google マップ |
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▲▼ セビリアは、ローマ時代には属州ヒスパニア・バエティカの主要都市として栄え、西ゴート王国の首都となったあと、712年にジブラルタル海峡を渡ってきたモーロ人に征服され、500年以上もの間、イスラム世界として繁栄を続けたが、レコンキスタにより1070年にキリスト教徒に奪還された。 |
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大勢の観光客で賑わうスペイン広場/セビリア 09:58
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▲▼
13世紀の中頃にイスラム勢力が一掃された後、コロンブス(1451頃-1506)が活躍した大航海時代には、更に輝きを増す。コロンブスの棺がセビリアのカテドラルに安置されていることからも分かるように、セビリアとコロンブスとは深いつながりがあり、町の至る所にコロンブスの足跡が残されている。 |
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▲▼ 15世紀後半、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は、同世紀末にレコンキスタを完了させて新大陸へ船を進めた。イベリア半島西岸とグアダルキビル川で結ばれているセビリアは、コロンブスが西洋のキリスト世界の白人として最初にアメリカに到達してからアメリカとの貿易の独占港となって繁栄を誇った。16世紀から17世紀には、セビリアはスペインで最も人口の多い都市となり、1649年には13万人を数えた。 |
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バルセロナの王の広場でコロンブスがイサベル女王に拝謁する様子を描いたタイル画 / バルセロナ市出品の壁画
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セビリア大聖堂 Alcázar
and Archivo de Indias in Seville |
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スペイン最大のカテドラルといわれるセビリア大聖堂は、ローマのサン・ピエトロ寺院とロンドンのセント・ポール寺院に次ぐ世界第3位の大きさを誇る。1987年、「セビリアの大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
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スペイン最大のカテドラル「セビリア大聖堂」東面南部 11:05
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▲▼ 1401年、モスクの跡地に建設が始まり、約120年後の1519年に完成した。奥行116m・幅76mという幅広の形は、モスクの名残だという。市内のどこからでも見えるランドマークのヒラルダ(風見)の塔は、モスクのミナレットと鐘楼が融合した特異な形をしている。写真下は、現地ガイドが教えてくれた撮影ポイント。 |
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モスクのミナレットとキリスト教会の鐘楼が融合したヒラルダ(風見)の塔(97m)の絶景!
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カテドラルの平面図を見れば分かるように、オレンジの中庭(パティオ)やヒラルダの塔など、イスラムのモスクを基礎に建設されたことが容易に伺われる。コルドバのメスキータのようにイスラム建築を保存しなかったので、中に入れば、カトリック寺院そのものである。 |
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▼ 中に入ると、巨大なカテドラルの屋根を支えるための巨大な柱に圧倒される。精霊(フェアリー)の降臨を表すステンドグラスやアルフォンソV世の墓がある王室礼拝堂、15世紀の聖歌隊席、司教座、黄金に塗られた内陣など、スペインの最盛期を彷彿させる特徴を備えている。 |
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入口近くの翼廊下(よくろう)にコロンブスの墓が安置されている。コロンブスの棺を担ぐ四人は、当時スペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4人の王である。コロンブスも偉くなったものである。 |
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▼ いずれも若い顔をした四人のスペイン王のうち、十字架の付いた槍で石榴(ザクロ)を刺している王がいる。スペイン語で石榴は「グラナダ」というので、この王は、グラナダを陥落させたキリスト教国の王ということになる。 |
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クリストファー・コロンブス Cristoforo Colombo / Christopher Columbus
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▼ イタリアのジェノバ出身のクリストファー・コロンブス(1451頃-1506)は、イタリアの探検家・航海者・商人で、大航海時代において最初にアメリカ海域へ到達した西欧人として知られる。ジェノバには、コロンブスの生家があり、父親は、城壁の門番をしていたという話や、毛織物業者であったなど、諸説があり、良く分かっていない。 |
コロンブスが西洋人として初めてアメリカ大陸を発見し、帰ってきた祝典の席で、「誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。造作も無いことだ」などとコロンブスの成功を妬む人々に対し、コロンブスは「この卵を机に立ててもらえないか」と言い、誰も出来なかった後で、彼は卵の尻を軽く机に叩いてへこませてから立てた。 |
「そんな方法なら誰でも出来る」と言う人々に対し、コロンブスは「人のした後では造作もないことだ」と返した。これが「コロンブスの卵」の逸話であり、「誰でも出来る事でも、最初に実行するのは至難であり、柔軟な発想力が必要」「逆転の発想」という意の故事で、今日でも良く使われているが、逸話自体は、後世の創作であるという。 |
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クリストファー・コロンブス |
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資料:フリー百科事典ウィキペディア |
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新世界より戻ったクリストファー・コロンブス
Christophe Colomb au retour du Nouveau Monde
ウジェーヌ・ドラクロワ Ferdinand Victor Eugène Delacroix 1839年 85×116cm トリード美術館(オハイオ)
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▼ この作品は、フランスロマン主義の大画家ドラクロワを代表する歴史的主題作品のひとつで、新世界(アメリカ大陸)の発見から帰還したコロンブスが盛大な歓迎を受けながら、珍しい土産物を携え、スペイン国王夫妻(カスティーリャ国王夫妻)フェルナンドV世とイサベル I 世に拝謁している場面を描いている。 |
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新世界より戻ったクリストファー・コロンブス /
ドラクロア(仏) 1839年
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▲ 画面中央の宮殿入口とおぼしき階段には民族衣装を身に着けたコロンブスが配され、その後ろには新大陸で発見した偶像や黄金、毛皮など様々な珍品が描かれている。フランスの巨匠が想像で描くコロンブス謁見の図は、彼の業績が後の世でも海外から高く評価されていることを示している。 |
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イタリア人であったコロンブスは、自国のために働きたかったのだろうが、却下され、結局、先見の明のあるスペイン王室の援助を受けて成功し、スペインに未曽有の繁栄をもたらせた。人を見る目のない暗愚な王や社長は、国や会社を駄目にするという教訓は、何時の時代にもみられる。
閑話休題。 |
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▼ 高さ98mのヒラルダの塔は、12世紀の末、イスラム教徒のアルモアデ族により、モスクのミナレットとして建設されたが、16世紀、キリスト教徒により、プラテレスコ様式 Estilo Plateresco の鐘楼が付け加えられた。展望台のある高さ70mまでがほぼオリジナルのイスラム建築の塔である。 |
下から仰ぎ見れば小さく見える先端も、高さ4m、重さ1288kgもあり、風を受けると、ブロンズ像が回転して風向を示すことから、ヒラルダ(風見)の塔 La Giralda と呼ばれ、セビリアのシンボルであり、ランドマークとなっている。 |
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▼ ヒラルダの塔には、高さ70mの展望台まで馬で登れるように、天井の高い螺旋通路が設けられている。馬が楽に登れるよう、勾配がなだらかになっているが、その分、距離が長い。ツアー一同、徒歩で往復した。 |
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▼ ヒラルダの塔の展望台からは、全周を見渡すことができる。南方の小さなドームがあるところが王室礼拝堂で、現在は非公開となっている。その右に内陣や聖歌隊席のある建物が見える。 |
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写真下がヒラルダの塔展望台から西方を見たセビリアの景観。右下の繁みがオレンジの中庭で、イスラムのモスクだった時代の面影が残されている。左側の十字架を表す建物がカテドラルの内陣などの主要部。 |
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↓オレンジのパティオ(中庭) |
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▼ ヒラルダの塔展望台から北方には、セビリアの中心部が広がっている。左の風格あるビルがセビリア市庁舎。アンダルシア地方特有の白壁の建物が何処までも続いており、スペイン第四位の大都市は、明るく、美しい。 |
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スペイン最大の威容を誇るカテドラルの見学を終え、東側に出た。高く聳える東面北部のファサードとも思える入口を見上げると、その大きさが改めて分かる。この左奥にオレンジの中庭が広がっている。 |
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威厳のあるカテドラル東面北部 11:54 |
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▼ 東側北部の立派な門の左手には、ヒラルダの塔が聳えている。塔頂の像は、なるほど、風見鶏のように風が吹く方向に向くようになっている。大がかりな装置が必要だが、それがセビリア市民の自慢でもあるのだろう。 |
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その左に聳えるヒラルダ(風見)の塔 |
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▼ バスが待つ駐車場まで行く途中、カテドラル東方400mほどに位置するムリーリョ公園
Jardines de Murillo
を通った。この公園の北側は、迷路のように入り組んだユダヤ人街として知られるサンタ・クロス街が広がっている。 |
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椰子の木が生い茂る公園の中心にライオンを載せた二本柱のモニュメントが空高く建っており、その中ほどにコロンブスの乗った帆船サンタマリア号をかたどった像が取り付けられている。あたかも空に雄飛しているような勇ましいモニュメントだった。 |
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ころんぶす いまもしゅんてん とぶがごと |
Columbus, as
if flying in the spring sky even now. |
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コロンブスのサンタマリア号をあしらったモニュメント/ムリーリョ公園 12:09 |
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グアダキビル川のほとりに、断面が正十二角形の黄金の塔 Torre del Oro が建っている。13世紀のアラブ時代に建設された当時は、外壁全てにタイルが貼ってあり、そのタイルが太陽光を反射して黄金に見えたことから、黄金の塔と呼ばれた。 |
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当時は、対岸に要塞の塔 Torre de la Fortaleza があり、ペアーで入港監視塔の役割を担っていた。中世に入ると、牢獄に使われ、16世紀初頭には、スペイン無敵艦隊アルマーダ Grande y Felicísima Armada がアメリカから持ち帰った金銀が保管されたこともあったという。 |
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グアダルキビル川の
ほとりに建つ黄金の塔 |
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♪ セビリアの理髪師
Ii
Barbiere Di Siviglia |
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● BGMに流れる「セビリアの理髪師」は、フランスの劇作家カロン・ド・ボーマルシェの書いた風刺的な戯曲を題材にジョアキーノ・ロッシーニが作曲した2幕のオペラ・ブッファ(喜劇庶民版)である。1曲目の序曲の後、二十世紀最高のソプラノ歌手といわれたマリア・カラス Maria Callas
(1923-1977)による音域の豊かな素晴らしいソプラノに陶酔する。 |
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