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▼ 「アヴェ(AVE)は定刻数分前にドアが閉まり、発車ベルも鳴らずに出発するので、乗り遅れないように」との注意を添乗員から受けた。これは面白いと思い、ドアのそばで観察していたところ、ドアは発車ぎりぎりまで開いており、発車ベルが鳴った後締められて定刻に発車した。日本の新幹線とまったく同じなので、ガッカリした。(^^ |
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また、
アヴェでは、30分以上の延着で料金の100%払い戻し、15分から30分以内の遅延で料金の50%払い戻しの制度があることがわかった。日本のJRでは、2時間以上の延着で急行券や特急券の払い戻しがあるが、新幹線も一般の急行や特急と同じ扱いで、しかも乗車券の払い戻しはないので、スペイン国鉄RENFE(レンフェ)に比べて見劣りがする。JRもRENFEを見習って欲しい。 |
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▲
アヴェ二等車の座席は片側二列だが、リクライニングできず、前後のスペースも日本の新幹線よりも狭い。しかし、トランクなどを収容する荷物室があり、バスからトランクを駅まで運べば、赤帽に頼んで、預かってもらえる。赤帽は、目的地でホームに降ろしてくれるので、ホームからツアーバスまでは自分で運ぶことになる。折角赤帽がいるのだから、バスまで運んでくれれば良さそうなものだが、そこが国鉄らしいところだ。 |
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スペインでは、時刻通りに始まるのは、サッカーと闘牛とアヴェだけだという話は有名で、そのとおり、アヴェはダイヤ通りに発車し、予定通りコルドバに到着した。赤帽(赤い帽子をかぶっているわけではない)の若者が荷物室からトランクをホームに降ろしてくれたので、自分の荷物を押して、バスに向かう。 |
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資料:クラブツーリズム |
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コルドバ Córdoba |
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▼ 人口約32万を擁するコルドバは、スペイン南部、アンダルシア地方のコルドバ県の県都で、グアダルキビール川に面する。
ローマ帝国時代からの歴史が幾重にも積み重なった街で、ローマ帝国の衰退後、6世紀にはキリスト教国の支配下におかれ、8世紀になるとイスラム教徒ム−ア人が築いた後ウマイヤ朝
(756-1031) の首都となり、全盛期を迎えた。 |
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資料:Google マップ |
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▲▼ 当時、コルドバは、コンスタンティノープルやダマスカスとその壮麗さを競い、「西方の宝石」と呼ばれる美しい都となった。旧市街には迷路のように入り組んだ路地や白い壁に囲まれたパティオと呼ばれる中庭など、イスラムの街のたたずまいが今も残されている。コルドバ歴史地区は、1984年に世界文化遺産に登録され、1994年にはその範囲が更に広がった。 |
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資料:Google マップ |
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▲▼
後ウマイヤ朝の首都コルドバの中心には壮大なモスク(メスキータ)が建てられ、10世紀にはアブド・アッラフマーンIII世とハカムII世の下で繁栄をとげ、大図書館が建てられて多くの学者が活躍した。トレドと並んで西方イスラム文化の中心地として発展し、10世紀には世界最大の人口を持つ都市となった。一説には100万都市といわれているが、少なくとも50万人はいただろうといわれている。 |
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資料:地球の歩き方 |
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メスキータの北方には、かつてのイスラム経済を支えたユダヤ人たちが築いた迷路のように道が入り組んだユダヤ人街があり、白壁に花を飾る独特の風景が美しい。各家には、アンダルシアの暑い夏を快適に過ごすために噴水のある中庭パティオが設けられている。 |
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もともとこの地には西ゴート王国 (415-711)
時代に建設されたカトリック教会の聖ビセンテ教会があった。その後、イスラム勢力が北アフリカからイベリア半島に侵入し、後ウマイヤ朝を建国すると、この聖ビセンテ教会はイスラム教のモスクとして使用されるようになった。 |
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ポインタで画像のどこかに触れると説明が現れます。
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資料:Google マップ |
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▲▼ 更に8世紀末にはイスラム教徒がキリスト教徒から聖ビセンテ教会を完全に買い取り、新たにモスクの建造を開始した。このときに建造されたモスクは、現在でもカテドラル
(聖マリア大聖堂)の一部として使用されているという。 |
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資料:日本語パンフレット |
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▲▼
コルドバのモスクは、10世紀末に拡張工事が行われ、2万5千人を収容することが出来る巨大モスク(メスキータ)が完成した。「円柱の森」と呼ばれる大広間は、ローマ帝国時代の古い建物の柱が再利用され、それが支える二重のアーチにもローマ人の技術が活用されているといわれている。 |
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カテドラルの鐘楼として使われているミナレット/メスキータ
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▲▼
しかし13世紀、キリスト教勢力によるレコンキスタの進展により、1236年6月29日、コルドバはカスティーリャ王国のフェルナンドIII世に
奪還された。 |
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ミナレット下部の「免罪の門」から「オレンジのパティオ(中庭)」へ 18:20
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▲▼
15世紀末、レコンキスタが完了すると、イスラム勢力がイベリア半島から追放され、メスキータの中心部にカトリック教会が建設された。16世紀には、ゴシック様式の祭壇を持つカテドラル「聖マリア大聖堂」が建てられた。 |
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↓キリスト教のカテドラル「聖マリア大聖堂」のドーム |
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▲▼ その過程で「円柱の森」は壊されそうになったが、コルドバの人々の反対で残され、その結果、キリスト教の大聖堂の中にイスラムの雰囲気を色濃く残した空間があるという、世界でも稀な建造物となり、一般にメスキータと呼ばれるようになった。 |
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「礼拝の間」入口の「シュロ(栄光)の門」から見上げるミナレットの絶景! 18:23
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▲▼ イスラムのモスク時代に建てられた礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔ミナレットは、カトリックの鐘楼に改造された。塔頂には、守護聖人サン・ミゲル(聖ミカエル)の像が置かれた。 |
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コルドバ最盛期のイスラム教の信者たちは、免罪の門を抜け、オレンジの木が植えられた中庭(パティオ)に入り、アルマンソールの泉で沐浴し、シュロ(栄光)の門からモスクに入った。内部は、石灰岩と煉瓦を交互に組み合わせたアーチが限りなく広がり、大理石の円柱が森のように林立し、人々の目を眩ませた。 |
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二重アーチの柱が林立する広大な「祈りの間(円柱の森)」
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▲▼
本来、モスクの内部は、明るかったのだが、コルドバを再征服したカトリック教徒による改造で、入口は五つの門を残して全て塞がれてしまい、今のように薄暗い空間となってしまった。現地ガイドの指導により、この薄暗い雰囲気を忠実に再現するために、フラッシュは使用しなかった。 |
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▲▼ 最盛期のモスク(メスキータ)は、大きく3つの構成要素からなる。ミナレットと呼ばれるイスラム寺院の「塔」と、現在はオレンジのパティオと呼ばれ、礼拝者が体を清めるための沐浴を行う清めの「庭」。そして無数の柱が森のように広がる祈りの場「礼拝の間」である。 |
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▲▼ モスクは、「すべての人は神の前で平等である」というイスラムの教義にもとづき、聖地メッカのカーバ神殿の方向に一人一人が祈りをささげる場所である。「礼拝の間」は、この教義をそのまま形にしたといえる。多数の柱によって支えられた空間は、無限に連続してゆく祈りのための均質な広がりとなっている。 |
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▼ 礼拝の間の正面最奥には、キブリ壁 muro
Kibli といわれるメッカのカーバ Kabah 神殿の方向を指し示す壁があり、目印となるミフラーブ
Mihrab と呼ばれる窪みが設けられている。その前のマクスーラ(貴賓席)で、イスラムの指導者カリフたちがアラーに祈りを捧げた光景が目に浮かぶ。 |
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アラベスク模様やモザイクで装飾された豪華なミフラーブ
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▲▼ メスキータの「礼拝の間」の床は、当初は漆喰であった。今は大理石が敷き詰められている。天井もゴシック様式が取り入れられ、イスラム文化とキリスト文化が融合した世にも珍しい建物が現出した。 |
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しかし、評価の高い二重アーチを細かく観察すると、後世の改修部分で手抜きが見られる。当初の石灰石と煉瓦の組み合わせは、手間と費用がかかるため、赤い塗料で模様を描くということが行われている。写真下中央のアーチ部分は、赤い塗料でごまかした部分である。 |
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メスキータ最奥のミフラーブを見た後、円柱の森の中央にもどると、
天に向かってそそり立つカトリック教会のカテドラル「聖マリア大聖堂」が二重アーチに囲まれてその威容を誇っていた。 |
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メスキータ中央に建てられたカテドラル「聖マリア大聖堂」の翼廊
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▼ カテドラルの中央礼拝堂には、司教座の大きなテーブルと椅子が据えられ、大司教の威厳を誇示している。カトリック教会の権威主義がイスラム文化の中に持ち込まれたこの奇妙な空間。先ほどは異文化の融合という言葉を使ったが、このカテドラルを見て、混在という言葉に訂正しよう。 |
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カテドラルの中央礼拝堂 |
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▲▼ イスラムの偶像崇拝のないシンプルな造りに比べ、偶像や肖像を連ね、贅を尽くした装飾で彩られたカテドラルを見ると、プロテスタントの質素な教会を想い出した。なるほど、この実感がドイツ人マルティン・ルターの宗教改革の動機だったのではないか。 |
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カテドラルのドーム(丸屋根/クーポラ) |
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メスキータの見学を終えて、再びユダヤ人街へ。有名な花の小道は、予想以上に狭かったが、奥のパティオから振り向くと、路地の向こうに今は鐘楼として使われているミナレットが見えた。観光客が多いので、なかなか良い写真が撮れない。 |
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ミナレットが見える花の小道/ユダヤ人街 19:04
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ユダヤ人街を出て、メスキータの北壁から西壁にそって南下し、グアダルキビル川に向かう。市立図書館の立派な建物の前で、白馬に赤いワゴンの洒落た観光馬車が客を待っていた。馭者(ぎょしゃ)が中世の格好良いスタイルならピカイチの絵になるのに・・・。 |
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市立図書館 |
メスキータ西壁 |
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♪ アンダルシアのセレナード Serenata
Andaluza |
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● BGMに流れる「アンダルシアのセレナード」は、共にスペインの作曲家であるファリャとモンサルバーチェの共作によるアンダルシアをイメージした美しい夜想曲である。 |
同じ曲が2曲続くが、最初の緩やかな方は、今世紀を代表するスペインのピアニストであるラローチャ(アリシア・デ・ラローチャ
Alicia de Larrocha
)の演奏。ピアノの女王といわれるように、彼女の音楽は躍動感に満ちあふれたダイナミズムと親しみやすさ、多彩な表現と優れた感性を兼ね備え、聴衆を陶酔させる。 |
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▲▼ コルドバのかつての玄関口であるローマ橋 Puente Romano を渡り、振り返ると、新緑の萌えいずるグアダルキビル川の
対岸にメスキータの中央に聳えるカテドラル(聖母大聖堂)が見えた。日はようやく西に傾き、夕日に映えたローマ橋のアーチが美しかった。 |
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おそきひに はしのひかりて めすきーた |
Mezquita, a bridge shining in the long days of spring. |
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