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▼ マタドールとは闘牛で牛にとどめを刺す闘牛士のこと。 動詞の「殺す マタール matar 」からきている。 マタール
Matar は、試合の最終場面。闘牛士が剣によって雄牛を殺す場面。真実の瞬間
la hora de la verdad ともいう。マタドールの真剣(エストーク Estoque)が急所に深く刺さったので、手に返り血がついてしまった。 |
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第一試合の最終場面・マタール(Matar)の瞬間 18:22
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▲▼ かわし技の終わりとなる真剣によるとどめの一突き(エストカダ Estocada )といわれるフィナーレでは、ムレータによるかわし演技が美しく、とどめの一突きが雄牛に美しい死を与えることが出来たときに限り、観客は総立ちとなり、一斉に白いハンカチを振り上げ、闘牛士に褒美となる「闘牛の耳」を与えるよう、主催者長に対し要求する。闘牛士のランキングは、出場回数と獲得した耳の数をもとに集計されている。 |
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今回は、約1分後に牛は倒れ、ひと突きで雄牛を倒したことに対して、マドリッド州(Comunidad de Madrid)役員席から拍手が送られたが、常連客のみならず、一般の観客からのスタンディング・オベーションはなかった。 |
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短剣(バンチラ Puntilla)を持つトレロ↓ |
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もし、観客席からアピールがあった場合、主催者は振られているハンカチの量により、褒美の耳が1枚か2枚かを決定する。それ以上の褒美となるのが牛のしっぽで、観客が最高に満足した闘牛ショーの証(あかし)となる。 |
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耳を2枚獲得した闘牛士は、肩車にて正面門から退場する名誉が与えられるが、この日は、4回戦まで観戦したものの、1回戦以外は、ひと突きで闘牛を倒すことができず、観客の反応はクールだった。 |
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短剣(バンチラ Puntilla)でとどめを刺し、真剣(エストーク Estoque)を抜き取る 18:23
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▲▼ 第一試合は、短剣(バンチラ Puntilla)で闘牛の脳天にとどめを刺し、真剣(エストーク Estoque)を抜き取った後、屠られた雄牛は、三頭の馬に引かれて闘牛の門から退場した。この牛はこのあと解体され、食用に供される。 |
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その間、青い上衣を着た清掃員たちが流れた血を砂にしみ込ませ、すくい取って麻袋に取り除き、砂を撒き、レイキでアリーナをならして、第二試合に備えた。 |
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第二試合・二人目の闘牛士マタドールは、スペイン中央部に位置する古都トレド市出身、1992年1月8日生まれ(20歳)のラウル・リヴェラ Raul
Rivera。ピカドール(槍方)のデビューは、2009年5月31日イジェスカス(トレド)。ラス
・ベンタス闘牛場での初登場は、2011年4月3日。 後頭部の小さな髷(まげ)が誇らしい。 |
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第二試合・二人目の闘牛士ラウル・リヴェラ 18:34
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スペインの闘牛は、牧畜農業の豊穣を祈願して、神に雄牛の死をささげる生け贄の供養がその起源といわれているが、詳しいことは分からない。しかし、米穀を主食とする農耕民族の日本人と違って、肉食の狩猟民族であればこその文化である。internetで検索すると、種々の文献があるが、闘牛小史
が比較的よく纏められている。 |
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スペインの闘牛は、マタドールたちにとっては、華やかではあるものの、命がけの職業である。過去には死亡したり、失明などの重大事故が起きているが、比較的新しいものとしては、2010年5月22日、体勢を崩した瞬間に牛のひと突きを受けて角が顎の下から口を貫通する事故があった。今もYouTubeでそのときの生々しい映像を見ることができる。 マドリッドで闘牛士の事故 |
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ラウル・リヴェラのマタール(Matar) 18:40
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第三試合・三人目の闘牛士マタドールは、スペイン南東部ムルシア市出身、1991年3月11日生まれ(21歳)のコンチ・リオス Conchi
Rios。ピカドール(槍方)
のデビューは、2009年6月8日グラナダ市。ラス・ベンタス闘牛場での初登場は、2011年7月10日。女性闘牛士は、極めて珍しい。 |
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第三試合・三人目の闘牛士コンチ・リオス 19:06
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ポルトガルの闘牛は、牛を殺さない。しかし、退場後、処分されるのはスペインと変わらない。ポルトガルは騎馬闘牛で、馬上の騎士が牛に銛を打って弱らせ、とどめを刺すことなく退場する。代わりに8人の屈強な男たちが登場し、牛と向き合うように縦一列に並ぶ。一番前の男が身をかがめて「さあ来い」という素振りを見せる。向かってきた牛を受け止めると、残りの男たちが牛を抱え込む。一人がしっぽをつかみ、牛を3回転させて終わる。牛を上手に受け止めた男はヒーローとなり、闘牛士よりはるかに大きな喝采を浴びる。 |
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♪ 闘牛士の歌
Votre
toast, je peux vous le rendre |
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● BGMの第一曲は闘牛士の歌。歌劇「カルメン」で歌われるジョルジュ・ビゼー作曲のアリアで、フランス語で歌われる。「闘牛士の歌」は通称で、冒頭の歌詞
"Votre toast, je peux vous le rendre"「あなたがた(兵士たち)に私は乾杯を捧げることができる」で知られる。第二幕でエスカミーリョ(バリトン)が歌い、酒場の客たちの男声合唱が加わる。この曲は、学校の音楽の時間に習うので、誰もが知っているカルメンの曲である。 |
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コンチ・リオスのマタール(Matar) 19:06
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▼ 第四試合は、再びアルベルト・デュランが登場。第一試合同様、人と雄牛の優雅な舞いを披露してくれたが、フィナーレのマタールでは、一度で倒すことができず、今ひとつ、悔いが残った。 |
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とうぎゅうの あかきけーぷや はるうごく |
Dynamic
spring, the red cape of bullfiighting. |
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人と牛とが美しく舞う国技 /
第四試合アルベルト・デュラン二度目の闘牛 19:24
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▼ アルベルト・デュランがどうにか闘牛を倒した後、我々は一斉に闘牛場から引き揚げ、本日の観光を終えた。 |
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ラス・ベンタス闘牛場を最後に3日目の観光を終える 19:38
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■ 4日目:
マドリッド/観光(プラド美術館 etc.)〜スペイン新幹線AVE〜コルドバ/観光 泊 ■ |
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4日目4月16日(月)は、午前中、マドリッド
のプラド美術館とソフィア王妃芸術センターを見学。午後、三連泊したマドリッドを後にしてスペイン新幹線AVE(アヴェ)でコルドバに行き、メスキータを観光した。 |
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資料:クラブツーリズム |
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プラド美術館 Museo
del Prado |
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プラド美術館は、マドリッドにある世界でも有数の規模と内容をもつ美術館。15世紀以来の歴代スペイン王家のコレクションを展示する美術館である。地元では、パリのルーブル美術館とサンクトペテルブルクのアルミタージュ美術館と共に世界三大美術館のひとつだと自慢している。 |
館内は撮影禁止となっていたが、実物を観賞できた意義は大きい。既に絵の著作権は切れているので、internet
や絵葉書を購入して入手した画像を掲載して、直接目にした代表作を紹介したい。 |
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プラド美術館とソフィア王妃芸術センターの位置
/ マドリッド 2012.04.16
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資料:Google マップ |
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▼ プラド美術館のコレクションは、スペインの黄金時代を過ごしたフェリペII世とフェリペIV世がその基礎を築いた。
1819年に「王立美術館」として開館。1868年の革命後「プラド美術館」と改称された。現在は、文化省所管の国立美術館である。 |
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ベラスケス、ゴヤなどのスペイン絵画が質量ともに充実しているほか、フランドル*、イタリアなどの外国絵画も多い。それはスペイン王室のコレクションにフランドル絵画が多数加えられた16世紀から17世紀にかけて、フランドルはスペイン王室の領土だったためで、たとえばルーベンスが仕えたのもハプスブルク家のネーデルラント総督であったスペイン王女イサベル(スペイン王フェリペII世の娘)だった。 |
*フランドル:旧フランドル伯領を中心とするオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域。中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。 |
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世界三大美術館のひとつ・プラド美術館 /
マドリッド 2012.04.16 09:50
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三美神
Los tres Gracias / The Three Graces
ピーテル・パウル・ルーベンス Peter Paul Rubens 1638年 211×181cm プラド美術館
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▼ バロック期のフランドルの画家ルーベンスRubens (1577-1640)が描く裸婦像の代表的作品のひとつがこの「三美神」。主題は、ルネサンスの巨匠ラファエロやボッティチェリの「春(ラ・プリマベーラ)」でも描かれた美と優雅の女神たちであるタレイア(花のさかり)、エウプロシュネ(喜び)、アグライア(輝く女)の三美神。
ルーベンスの裸婦像の大きな特徴である豊満な肉体表現と輝く肌の質感は、この古典的主題においても如何なく発揮されている。ルーベンスは、本作を生涯手放さず、没後の競売で、当時のスペイン国王フェリペIV世によって購入され、現在はプラド美術館の所蔵となっている。 |
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三美神 / ルーベンス 1630年代中頃 |
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ラス・メニーナス(女官たち)
Las Meninas
ディエゴ・ベラスケス Diego Rodríguez de Silva y Velázquez 1656年 318×276cm プラド美術館
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▼ 当時のスペイン国王フェリペIV世の娘である皇女マルガリータを中心に、数人の女官たちを描いた集団肖像画は、スペインバロック絵画の巨匠ベラスケス Velázquez の不朽の名作である。
独自の陰影法による写実性豊かな描写手法を用いながら、当時の王室の生活の情景を見事に計算された構図でありありと表現した本作は、多くの批評家や美術愛好家が古典絵画の傑作として 高い評価を与えている。 |
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ラス・メニーナス(女官たち) / ベラスケス
1656年
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裸のマハ
La Maja desnuda
フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes 1798-1800年 97×190cm プラド美術館
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▼ 「裸のマハ」は、スペインの画家ゴヤ Goya (1746-1828)によって描かれた油絵である。同時にゴヤは、多少ポーズを変えて衣服を着せた「着衣のマハ」も描いている。
「裸のマハ」は、西洋美術で初めて実在の女性の陰毛を描いた作品といわれている。そのため、当時のスペインでは問題になった。この絵が誰の依頼によって描かれたかを明らかにするため、ゴヤは何度か裁判所に呼ばれたが、結局、ゴヤが口を割ることはなかった。 |
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「裸のマハ」「着衣のマハ」の2点ともに首相であったマヌエル・デ・ゴドイの邸宅から見つかっている。そのため、ゴドイの依頼を受けて描かれたものといわれている。裁判の後、絵は100年弱の間、プラド美術館の地下にしまわれた。公開されたのは、1901年のことであった。 |
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モデルの女性についてもゴヤは明らかにしていない。マハ maja とは、「小粋な女 /
小粋なマドリッド娘」という意味のスペイン語であり、人名ではない。彼女らは、この地方独特の歯切れの良い言い回しで、若い男と戯れ、ときには自由奔放な生活を楽しんだという。 |
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カルロスIV世とその家族 Familia de Carlos IV
フランシスコ・デ・ゴヤ Francisco José de Goya y Lucientes 1800-1801年 280×336cm プラド美術館
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▼ この絵は、18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍したスペイン絵画巨匠ゴヤの代表作である。画面中央には、実質的な支配者であった王妃(パルマ公フィリポの娘)マリア・ルイサ・デ・パルマと、その両脇に幼い二人の子供ドーニャ・マリア・イザベル(左)と赤い服を着たフランシスコ・デ・パウラが彼女に寄り添っている姿が描かれている。幼いパウラの隣に愚鈍とも揶揄された国王カルロスIV世が配されている。
画面の左奥には、陰影に包まれたゴヤ自身の姿が描き込まれているが、傲慢ともいえる行為である。王妃マリア・ルイサは、絵の出来栄えに大変満足したと伝えられているが、国王を侮辱する絵とも受け取られており、さまざまな論評がなされている。 |
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ソフィア王妃芸術センター
Museo
Nacional Centro de Arte Reina Sofia (MNCARS) |
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▼ ソフィア王妃芸術センターは、スペインの首都マドリッドにある美術館。現国王フアン・カルロス I
世の王妃ソフィアにちなんで名付けられた。20世紀の近現代美術を中心に展示されている。 |
パブロ・ピカソやサルバドール・ダリ、ジョアン・ミロなどの展示品が豊富。ピカソの代表作「ゲルニカ」はフランコ政権崩壊後スペインに里帰りし、プラド美術館に展示されていたが、のちに当所に移管されてから入場客が激増した。こちらも撮影禁止だったが、実物のゲルニカを観賞できたので、次に紹介したい。 |
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ゲルニカ Guernika
パブロ・ピカソ Pablo Picasso 1937年 349×776cm ソフィア王妃芸術センター |
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この作品は、スペインの画家パブロ・ピカソ(1881-1973)の代表作で、スペイン内戦中に空爆を受けた町ゲルニカを主題に描いた絵画である。
スペイン内戦最中の1937年4月26日、スペイン北部・バスク州の小都市ゲルニカがフランコ将軍を支援するナチスによって空爆を受けた。史上初めての都市無差別空爆といわれる。滞在中のパリでこの報を聞いたピカソは、かねて人民戦線政府より依頼されていた同年のパリ万国博覧会スペイン館の壁画として急遽ゲルニカを題にこの作品に取り組み、6月4日に完成させた。 |
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縦3.5m、横7.8mの巨大なキャンバスに工業用ペンキによって描かれた。これが後に絵画としての傷みの要因となるが、大作にもかかわらず約1ヵ月の短時間で描ききれたのは、油彩よりも乾きが速く、作業効率も高い上にコストも安かったからである。当時の絵画としては珍しくモノクロで描かれている。あえて血の色を見せなかったことが格別の効果を与えているという。 |
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死んだ子を抱き、泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、狂ったようにいななく馬などが戦争の悲惨さを訴えている。全体の構成はキリストの磔刑図をイメージさせる。人間の目をした牛の顔や窓から室内に首を突き出す人物など奇妙な像もあり、さまざまに解釈されている。 |
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ピカソは大戦後これと同じ図柄のタペストリー(壁掛け)を三つ制作しており、そのひとつは、ニューヨークにある国際連合本部の安全保障理事会議場前に展示されている。 |
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ツアー一行は、マドリッドの美術館巡りを楽しんだ後、スペイン最大のアトーチャ駅に行き、新幹線AVE(アヴェ)に乗り、コルドバに向かった。 |
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資料:フリー百科事典 ウィキペディア |
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アトーチャ駅 Estación
de Atocha |
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▲▼ アトーチャ駅は、スペイン・マドリッド中心部のアルガンスエラ区
distrito de Arganzuelaにあり、スペイン国鉄RENFE(レンフェ Red Nacional de los
Ferrocarriles Espan~oles )が運営するスペイン最大の鉄道駅である。 |
マドリッドとセビリア、リェイダを結ぶ高速鉄道(AVE)とカスティーリャ=ラ・マンチャ州、エストレマドゥーラ州を経由してポルトガルのリスボンにいたる長距離路線の起点であり、マドリッド都市圏を結ぶ近郊路線のターミナル駅でもある。 |
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AVE(アヴェ) Alta
Velocidad Española |
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▼ スペインの新幹線AVE(アヴェ)は、スペイン国鉄(RENFE レンフェ)が運行する高速鉄道システムの名称である。AVEは
"Alta Velocidad Española"(スペインの高速)の略称であると同時に、スペイン語で鳥の意味で、翼を広げた鳥が列車のシンボルマークになっている。 |
車両は最初に開通したマドリードとセビリア間の高速新線ではフランスのTGVの技術供与を受けて造られたものが運用されているが、軌道・信号システムはドイツの高速新線用のもの
(LZB) が導入されている。 |
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新幹線AVE(アヴェ)のプラットフォーム 15:48
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▲▼ 専用軌道上の設計最高速度は300 km/hだが、2006年現在の営業速度は270
km/hとなっている。将来の延伸時、フランスのTGVをはじめとするヨーロッパ各国の高速鉄道網へ接続することを考慮し、スペインの他の広軌ネットワーク(レール幅1,668
mm)と異なり、標準軌(レール幅1,435 mm)を採用している。 |
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