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サンタ・テレサ修道院の見学のあとは、一旦、城壁の外に出て、南東部の城壁に沿って遊歩道を散策した。 |
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アビラ観光マップ 2012.04.15
11:11
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アビラの市壁(城壁)は褐色の花崗岩で作られており、上に胸壁が並んでいる。アビラにはイスラム教徒による城(アルカサル)もあり、軍の宿営地、孤児院、病院、軍学校、師範学校などに使われてきた。1482年から1807年には大学も置かれていたという。 |
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♪ フラメンコ(歌)
Cante
Flamenco |
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● BGMに流れるヴォーカル4曲は、スペインのフラメンコ民謡である。これらの曲が入ったCDは、4日目4月16日(月)のアンダルシア観光の際、ガイドの紹介によりコルドバのメスキータそばの土産店で購入した。 |
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フラメンコは、18世紀末にスペイン南部のアンダルシア地方で生まれた芸能で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となった民俗舞踊である。それがスペイン全土に広まり、やがて世界中に受け入れられていった。フラメンコの歴史と発展には、ヒターノと呼ばれるスペイン・ジプシーが重要な役割を果たしている。さらにさかのぼると、ムーア人の影響もみられるという。 |
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カンテ Cante
とは「歌」のこと。社会の底辺にあって、抑圧されてきた人々たちの魂の奥底から響く深い声(カンテ・ホンド)こそがフラメンコの真髄なので、とくと観賞願いたい。 |
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▼ 我々は、アルカサル門から再び入場し、城壁南東角のアルカサル門付近の城壁に上り、つかの間の城壁ウォークを楽しんだ。 |
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城壁ウォーク(南東角のアルカサル門付近)/ アビラ
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資料:Google マップ |
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カテドラルのほか、民家の屋根や煙突の至る所にコウノトリの巣があり、「あそこにも、ここにもいる!」と珍しがって騒いでいるのは、我々日本人観光客だけだった。(^^; |
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▼ 城壁の外は、褐色の屋根に統一された美しい新市街が広がっている。その南方には、雪を被ったグレドス山脈が姿を見せ、冬の寒さを予感させた。 |
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クアトロ・ポステス(四本柱) Cuatro
Postes
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▼ アビラの城壁西端から西方約500mの国道筋に展望台 クアトロ・ポステス Cuatro Postes (四本柱)があり、城壁に囲まれたアビラ旧市街を一望できる。 |
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←北
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城壁に囲まれたアビラ旧市街西面 / クアトロ・ポステスからの眺望 |
南→ |
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はるめくや せいじょのじょうへき ぴんくいろ |
Getting
more like
spring, pink wall of the fort of holy woman. |
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アビラに足跡を印す 12:15
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▼ アビラの観光を満喫した一行は、自動車道N-110を東に約85km、1時間15分ほど走って、セゴビアに着いた。 |
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N-110に入ってセゴビアに向かう 12:58
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▼人口5万5千人を擁するセゴビアは、カスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県の県都で、マドリッドの北方、直線距離で約90kmの標高1,002mの高地に築かれた城砦都市である。15世紀には、カスティーリャ王国の中心地として栄えた。 |
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資料:Google マップ |
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カスティーリャ地方には、至る所に古城や廃墟が残っているが、セゴビアには、ディズニー映画「白雪姫」に登場する城のモデルになったアルカサルがある。また、古代ローマ人が築いた巨大な水道橋が市内を横切っており、この二つが主な観光名所となっている。 |
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資料:地球の歩き方 |
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▲▼ セゴビアのローマ水道橋は、南フランスの水道橋ポン・デュ・ガール Pont du Gard と違って、下に川が流れているわけではなく、セゴビアの町中を通っている。町中に残された水道橋は、極めて珍しく、「セゴビア旧市街とローマ水道 ( Old Town of Segovia and its Aqueduct )」として、1985年に世界文化遺産に登録された。 |
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セゴビアの市内を走る水道橋 14:07
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▲▼
この巨大な水道橋は、15km以上も離れたアセベダ川の水を町まで引くため、ローマ人によって紀元1世紀前後に建設された。
全長は728mに及び、最も高いところはアソゲホ広場付近で、約29mに達する。アーチの数は全部で167個。そのうち36個は、1072年にアル・マ・ムン(トレドのアラブ王)に破壊され、15世紀にオヒバと呼ばれる尖方形アーチに整えられた。
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←北
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町中に架けられたローマ水道橋(西面) |
南→ |
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▲▼
この水道橋を築いている各石の間には全く接合剤は使われておらず、水は1884年まで上部を通ってセゴビアの町に供給されていたという。石は、滑車とロープで吊り上げられて築かれたようで、建設してから2000年後の今日でもビクともせず、石吊り金具を引っ掛けた窪みがそのまま残されているのに感動する。 |
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悪魔の水道橋 |
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▲▼
伝説によると、水汲みのために毎日街に降りてきていた女が、そのきつい作業から逃れたいために、「私の家に水が届いたら、悪魔に魂を売り渡しても構わない。ただし、明日の夜が明けるまでに水が届かなければ、魂は渡さない。」と言ったところ、悪魔が水道橋を造り始めた。しかし、女は、この悪魔との契約は神に対する冒涜であることに気付き、許しを乞うため祈り続けたところ、悪魔が最後の石を積む前に、いつもより早く夜が明けて命拾いをしたという。この伝説から、この橋は別名「悪魔の水道橋」と呼ばれている。 |
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ローマ水道橋の東側にロータリーがあり、そのそばに駐車場がある。道路の交差点にロータリーを設ければ、車は停止することなく左回りに進み、目的の道路に進入することができる。信号機が不要で、ゴーストップのない理想的な交通システムだが、広いスペースを必要とするのが難点である。パリの凱旋門のロータリーが有名。 |
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↓ロータリー |
ローマ水道橋(東面) |
↑南 |
西→ |
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ローマ水道橋の東側に1974年に建てられたローマ・セゴビア水道橋2000年記念碑がある。オオカミの乳を飲む二人の男児は、有名なロムルス(Romulus) とレムス (Remus) で、ローマの建国神話に登場する双子の兄弟である。ローマ市は、紀元前753年4月21日にこの双子の兄弟によって建設されたと伝えられている。 |
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ローマの起源にまつわる「カピトリーニの雌狼」伝説は、ギリシャ神話のアガメムノンで知られるトロイア戦争の時代にまで遡る。乳を飲む双子は、王位争いの結果、川に捨てられたロムルスとレムスで、それを雌オオカミが育てたという。成長した2人は王国を築き、ロムルスの名が後のローマの由来になった。銅像のオリジナルは、ローマのカピトリーニ美術館に展示されている。 |
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ローマ・セゴビア水道橋2000年記念碑(1974年)
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▼ ローマ水道橋の見学のあと、セゴビア市内を西に散策し、アルカサルに向かった。途中、12世紀にアラゴン王アルフォンソ I 世によって建てられたロマネスク様式のサン・ミリャン教会 Iglesia de San Millán のそばを通った。 |
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教会そばのサン・マルティン広場に、右手で旗を掲げ、左手に刀剣を持った男性のブロンズ像が建っている。都市の自由を求めて戦ったコムネロスの乱の英雄ファン・ブラボの像である。 |
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16世紀、カスティーリャ、レオン、トレド、アンダルシアなどの都市で、スペイン王カルロス
I
世の独裁に対して、都市の自治を求める運動が勃発した。最後は鎮圧されたものの、ファン・ブラボは、セゴビアのリーダーとして勇敢に戦
った英雄として賞賛され、1921年にこの銅像が建てられた。 |
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コムネロスの乱の英雄フアン・ブラボ像 / サン・マルティン広場
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カテドラル(セゴビア大聖堂)は、1525年に建設が始まり、1768年に完成した。ゴシック様式の大聖堂としてはスペインで最も新しく、その優雅な佇まいから「カテドラルの貴婦人」と呼ばれる。 |
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「カテドラルの貴婦人」と呼ばれるセゴビア大聖堂 14:42
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アルカサルに向かう途中、石畳が道路工事で掘り返されている現場に出くわした。現地ガイドから暗渠があることを教えられて、撮影した。この暗渠は、ローマ水道橋からアルカサルに水を届けるために建設されたもので、今も当時のまま残されている。 |
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石畳の下をアルカサルまで引かれている水道 14:50
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▼ セゴビアの旧市街は、ベージュ色に統一された家並みが続いており、歴史の古さを感じさせる通りが美しい。 |
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