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セビリア観光を終えた一行はツアーバスで高速道A-376に乗り、南東方130km約2時間のロンダに向かった。 |
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資料:Google マップ |
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ロンダ Ronda |
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約3万5千人が暮らす標高723mの高原に横たわるロンダは、ロンダ山地を流れるグアダレビン川の浸食によって生まれた峡谷を跨ぐように広がる町である。谷に架かるヌエボ橋(新橋)は、町のシンボルで、北側の新市街と南側の旧市街とを繋ぐ架け橋となっている。 |
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丘の上に広がるロンダの街/アンダルシア地方 15:04
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▲▼ ヌエボ橋のすぐ南にある展望台から東方を見下ろせば、遙か彼方までアンダルシアの原野が続く。また、ロンダは、近代闘牛術の創始者フランシスコ・ロメロが生まれた町として知られ、今もスペイン最古といわれる由緒あるロンダ闘牛場がある。 |
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ツアーバスは、ロンダの新市街にあるバスターミナルに停車し、そこから往復歩いて観光することになった。ロンダもかなり歩く必要があり、このあと、宿泊地グラナダまで更に東に180km3時間ドライブしないといけない。時差呆けが解消して心身共に快調で、佳境に入ったツアー5日目であるが、予想はしていたものの、やはり強行軍で、特に二刀流のカメラマンは、バス走行中も寝ないので、かなり体力を消耗した。 |
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資料:地球の歩き方 |
資料:Google マップ |
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歩いてロンダ闘牛場に向かう途中、ソコロ広場を通った。太陽の直射日光を浴びながら食事を楽しんでいる人たちがいた。日本人ならパラソルを要求するところだが、平気で食事をしているところは、文化の違いを感じる。 |
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日向で食事を楽しむ人々/ソコロ広場(ロンダ新市街) 15:32
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▼ ソコロ広場には、アンダルシア風の白壁が美しい教会が建っていた。カテドラルも良いが、庶民が親しむ小さな教会もまた心を惹かれる。広場の中央に噴水が設けられ、ライオン2頭を引き連れた褌一丁のターザンのような身なりをした銅像が立っていた。かつてこの町を拓いた英雄なのだろう。 |
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なつどなる ろんだきょうかい しろびかる |
Summer
coming soon, a church of Ronda shining white. |
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白壁のロンダ闘牛場に着いた。正面玄関に向かって右のスペースにオルドニアス・ファミリーの親子の銅像が飾られていた。ロンダの生んだロメーロ・ファミリーと肩を並べるロンダ二大闘牛士一族である。向かって左が父親のカジェターノ・オルドニアス、右が息子のアントニオ・オルドニアスである。 |
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息子アントニオは、作家のアーネスト・ヘミングウェイや映画監督で俳優のオーソン・ウェルズと親交が深かった。二人のアメリカ人は、ロンダ闘牛の大ファンで、しばしばロンダを訪問している。 |
アントニオの娘婿が若くして牛に刺されて亡くなったフランシスコ・バッキーリで、その子(アントニオの孫)がフランシスコ・リベラ・オルドニアスという1974年生まれのトップスター闘牛士だという。 |
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伝説の闘牛士オルドニアス親子の銅像/ロンダ闘牛場 15:40
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正面玄関 |
カジェターノ・オルドニアス(父)の像 |
アントニオ・オルドニアス(子)の像 |
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ロンダ闘牛場 Plaza
de Toros de Ronda |
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▼ 1785年に開設されたスペイン最古といわれる闘牛場は、アンダルシア地方の情緒溢れる美しい白壁のアリーナ(円形競技場)である。18世紀にこの町で生まれたフランシスコ・ロメーロ Francisco Romero は、これまで騎馬で行われていた闘牛を改良し、牛をけしかける赤い布ムレータを使って、人と牛とが戦う近代闘牛を確立した。 |
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観客席の下の空間を利用した博物館には、伝説的な英雄など、ロンダが輩出した闘牛士たちの肖像画をはじめ、闘牛に使われる道具類など、騎馬闘牛から近代徒手闘牛へと移り変わってきた歴史が説明されている。 |
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写真下は、ロンダ闘牛場の公式ホームページの画面。2010年で創立225年を迎えたので、225という数字が踊っている。毎年9月には、ゴヤ(1746-1828)の時代の衣装を身につけて行う闘牛祭が開催される。下の写真が長く髪を伸ばした創設当時の闘牛士の写真である。 |
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フランシスコ・ロメーロ Francisco
Romero |
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18世紀当時にスペインで行われていた闘牛は、馬に乗った闘士が牛を相手にするというスタイルであった。伝説によれば、ある日、ロンダで闘牛を行っていた貴族が落馬したところを大工のフランシスコ・ロメーロが帽子一つで救出。これが評判を呼び、現代に至る闘牛の原点が作られたという。 |
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フランシスコ・ロメーロの活動が契機となり、息子ペドロ・ロメーロ、孫のフアン・ロメーロも闘牛士として活躍。ロメーロファミリーの活躍により、徒手闘牛の文化がスペイン全土へ拡がることとなった。 |
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流暢な日本語で最初は馬上の闘牛だったことを説明する現地ガイドのアントニオ・ゴンザレスさん/闘牛博物館
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かつて行われていた騎馬闘牛は、日本の戦国武将が行っていた鷹狩りと同じく、西欧の騎士のたしなみのひとつであり、武術訓練であった。現在もこの騎馬闘牛を原点とするレホネオ
Rejoneo と呼ばれる騎馬闘牛が存在している。 |
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騎馬闘牛は、領主(貴族)階級のものであり、現在中心となっている闘牛士が徒手で行う闘牛は、牧童や使用人などから端を発した庶民階級による競技であり、娯楽として発展したものである。 |
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博物館には、槍のヴァラ Vara、銛(もり)のバンデリージャ Banderilla、短剣のバンチラ
Puntilla、真剣のエストーク Estoque
など、マドリッドの闘牛士が使っていたものと殆ど変わらない武器類が展示されていた。 |
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写真下は9月の闘牛祭のポスターである。2000年のポスター(左)は、徒手闘牛発祥の地ロンダにふさわしい構図である。2001年のポスターは、闘牛士の髷(まげ)を誇示している。 |
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▼ ペドロ・ロメーロ・マルティネス
(1754-1839)は、子供の頃、父フランシスコ・ロメーロと二度闘牛を行ったのをきっかけに1772年にセビリア、1775年にマドリッドで親子闘牛を行った後、翌年285頭の牛を殺して名声を博した。 |
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引退するまでに5,558頭の牛と戦い、一度も怪我を負ったことがないという。彼の優れていたところは、単に勇気を示すというだけでなく、芸術的動作 art form に重きを置いていた点であり、彼の流儀が今日の闘牛のバックボーンとなっている。80歳のとき、マドリッドで最後の闘牛を見せた。引退後、セビリアの闘牛学校の校長を務めるなど、後継者の育成に尽力した。 |
スペイン絵画の巨匠ゴヤがペドロ・ロメーロの肖像画を描いている。彼がスペインの英雄として高い評価を受けていることが分かる。近代徒手闘牛の創設期は、今と違って闘牛士は長髪を好んでいたようだ。それが邪魔になって髪を束ね、髷(まげ)となって定着した。日本の大相撲の力士のように、引退するときには、闘牛士のシンボルである髷を切り落とすという。 |
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ペドロ・ロメーロ Pedro Romero (1754-1839)の肖像画
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巨匠ゴヤが描いたもの |
博物館に飾られていたもの
(痛んでいたので修復した) |
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ラファエル・ペレス・デ・グズマン Rafael Perez de Guzman (1803-1838) も伝説の闘牛士として肖像画が残されている。彼は、セビリアの闘牛学校でペドロ・ロメーロの教えを受け、1831年にアランフェスでマタドールとしてデビューした。若くして活躍したが、36歳のとき、マドリッドの闘牛場に向かう途中、郵便馬車の盗賊に暗殺された。遺骨はセビリアのカンポ Campo 修道院に保存されている。 |
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ラファエル・ペレス・デ・グズマンRafael Perez de Guzman (1803-1838) の肖像画
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ヘミングウェイ
Hemingway |
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▼ アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway 1899-1961)は、アメリカの小説家・詩人。彼の生み出した独特でシンプルな文体は、冒険的な生活や一般的なイメージとともに、20世紀の文学界と人々のライフスタイルに多大な影響を与えた。ヘミングウェイはほとんどの作品を1920年代中期から1950年代中期に書き上げて、1954年にノーベル文学賞を受賞するにいたった。 |
彼は、大のロンダ闘牛のファンで、たびたびロンダに滞在している。彼の最初の長編小説で出世作となった「日はまた昇る The Sun Also Rises 」では、パリ在住の新聞記者であるアメリカ人がスペインのパンプローナへ祭を見物に行く物語である。そこでメイン・キャラクターのジェイク・バーネス Jake Barnes が登場すが、そのモデルは、闘牛士のペドロ・ロメーロだといわれている。 |
博物館には、ペドロ・ロメーロ生誕200年祭でマタドールの正装をしたヘミングウェイのハンサムな写真が飾られている。かなりの闘牛オタク(失礼)だったようである。(^^; |
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ペドロ・ロメロ生誕200年祭で正装したヘミングウェイ 1899-1961 (1954)
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オーソン・ウェルズ
Orson
Welles |
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▼ ジョージ・オーソン・ウェルズ(George Orson Welles 1915-1985)は、ハリウッドを代表する映画監督、脚本家、俳優である。身長190cm。ヘミングウェイとともにロンダ闘牛の大ファンだった。闘牛場入口の銅像になっているアントニオ・オルドニアス(子)は、二人のアメリカ人と親交が深く、写真下はそれを示している。 |
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ロンダ闘牛の大フアンだったヘミングウェイとオーソン・ウェルズ
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アントニオ・オルドニアス(子) |
オーソン・ウェルズ
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ヘミングウェイ |
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ロンダ闘牛場のすぐ隣りに、彼にちなんで名付けられたオーソン・ウェルズ通り
Paseo de Oason
Welles がある。 |
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博物館での見学のあと、はじめて闘牛場のアリーナ Arena
(砂場)に入った。200年以上も前から闘牛士たちが命がけで雄牛と戦ってきた円形競技場は、今も使用されており、闘牛が行われる日は、観客を夢の世界に誘ってくれる。 |
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はじめてアリーナ Arena (砂場)に入る!/ロンダ闘牛場 16:10
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♪ カルメン
Carmen |
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● BGMの第一曲は、ジョルジュ・ビゼーが作曲したオペラ「カルメン」の序曲 Overture である。第二曲は「カルメン」の中で歌われる「闘牛士の歌」。フランス語で書かれたオペラのため、歌詞はフランス語である。メロディーは既に序曲の中で登場している。スペインのセビリアが舞台なので、鼻にかかったようなフランス語の発音ではちょっと奇妙な気がするが、素晴らしい歌で、闘牛の雰囲気が彷彿としていて、けだし名作である! |
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▼ ロンダの現地ガイドは、日本語がペラペラのアントニオ・ゴンザレスさん。日本に留学中、日本の洋画家・東郷青児(1897-1978)の養子となり、東郷権(とうごう・ごん)という日本名を誇りにしている日本通である。ロンダ闘牛に詳しく、自らマタドールを実演してくれた。足の位置や身のこなし方など、聞いていてとても勉強になった。昔の写真を見せてくれたが、ハンサムでスマートだった若者も今はメタボなおじさんになった。 |
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マタドールを実演するゴンザレスさん 16:15 |
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▼ 闘牛場には、牛の攻撃から逃れるために避難壁(ブルラデロ Burladero
)が設けられている。随所に牛の角の跡が残っており、命がけの戦いであることが分かる。 |
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避難壁(ブルラデロ Burladero)に入ってみる
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陽気なゴンザレスサンとすっかり意気投合!添乗員の東ツアー・ディレクターにカメラを渡して記念写真を撮ってもらったが、とても良く撮れていた。 |
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▼ 楽しい思い出を沢山もらってロンダ闘牛場を後にし、200mほど南の渓谷に架かるヌエボ橋(新橋)に向かった。 |
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資料:Google マップ |
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▼ 写真下は、橋を渡った後旧市街からヌエボ橋(新橋)を撮影したもの。右の建物は、国営ホテルのパラドール。この橋は、18世紀に掛けられた石橋で、新橋という名は、そのときにつけられたもので、今では古い橋である。想像通り、更に古いビエホ橋と呼ばれる旧橋もあり、この二つの橋が新旧市街を結んでいる。 |
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新市街と旧市街を結ぶ「ヌエボ(新)橋」東面 16:50 |
新市街(北) |
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パラドールの右側には、アンダルシア風の白壁の建物が断崖の上に建っている。早春のロンダも徐々に緑が濃くなってきている。左下には、サボテンの群生が見られる。高原の町ではあるが、温暖な南スペインの雰囲気を醸し出している。 |
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断崖に立つ白い家/ロンダ新市街 |
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↓ヘミングが滞在した元別荘 |
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新市街の断崖に建つ一戸建ての家は、ヘミングウェイが滞在した元別荘である。眺望は最高で、ヘミングウェイお気に入りの場所だったに違いない。 |
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▼ ヘミングもロンダの人々たちに人気があり、ヘミングウェイ通り Paso de E. Hemingway までできてしまった。 |
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ヘミングウェイ通りの標識 |
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▼ 旧市街の断崖の先端に展望台が設けられており、多くの観光客で賑わっていた。その下には、サボテンが群生している。高原のサボテンとは、珍しい。 |
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断崖に立つ展望台/ロンダ旧市街 |
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▼ 断崖の展望台から東方を臨むと、アンダルシアの早春の荒野が遠くの山裾まで続いている。アンダルシア特有の白壁と褐色の屋根を持つ家がぽつりぽつりと建っている。一軒ずつ吟味してゆくのも楽しい。かつてヘミングウェイがロンダ滞在中、彼の別荘から毎日眺めていた景色である。日本の棚田のような段々畑もあるのが嬉しい。
〈 続く to be continued... 〉 |
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アンダルシア早春の荒野 |
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撮 影
2012年4月13-17日
OLYMPUS E-5 E-30
9-18mm 12-60mm
70-300mm
1230万画素 5,050枚 12.5GB
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本日5月15日(火)、今年の第11作「スペイン早春の旅・上」が完成した。帰国した日は、疲れて何もできず、翌日から荷物の整理をしながら編集に取りかかったが、歳のせいもあって時差ボケが直るまで一週間もかかり、作業は遅々として進まなかった。 |
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実質10日の観光で二刀流の撮影は8450枚21ギガに及んだが、メモリーを取り替える必要がなかったのはIT技術のお陰である。前半5日目までの5000枚は見るだけでも大変で、どれを選ぶかに時間がかかった。画像の調整をし、解説を加え、BGMを選ぶ。 |
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編集にあたっては、オリンパス機のビビッド・モードで撮影した鮮明で深みのある画像を生かし、 パノラマ写真を多用して、広大な景観を再現した。闘牛など動きのあるシーンでは、アニメーション・ジフという手法を使い、スライド写真のように複数の画像を切り替えて臨場感を高めた。ツアーバスの最前列から運転席の景色を撮影し、スペインの交通システムや道路状況を伝えるようにした。
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撮影は全てフルオートで行い、パソコン上で細部に手を加え、一枚一枚心を込めて仕上げた。途中から気合いが入り、編集中も時が経つのを忘れてしまうほど夢中になった。スペイン観光の決定版であり、長らくお待たせした多くの読者のご期待に添える作品になったものと自負している。後編も時間がかかりそうだが、前編に負けない内容なのでご期待いただきたい。 亭主敬白 2012.05.15 10:00 和田義男 |
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特集!旅紀行第108集 「スペイン早春の旅・上」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成24年(2012)05月15日 作品:第11作 画像:(大212+小44) 頁数:9 ファイル数:547 ファイル容量:242MB
平成12年(2000)〜平成24年(2012) 作品数:434 頁数:1,719 ファイル数:74,527 ファイル容量:12,958MB |
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