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アルテミス神殿跡 Artemis Tapnağı |
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▼ エフェソスでは、古くから多くの乳房をもつ母神アルテミスの崇拝が盛んで、紀元前6世紀中ごろには大規模なイオニア式二重周柱のアルテミス神殿 Artemis が建てられた。大理石の円柱127本の費用は、リュディア王クロイソスが寄進したといわれる。紀元前356年ヘロストラトスの放火によって神殿は焼失したが、焼失前と同等の新神殿が再建され、その規模と壮麗さから世界の七不思議*の一つに数えられた。 |
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*世界の七不思議:古典古代(古代ギリシャ・古代ローマ時代)における7つの注目すべき建造物のこと。紀元前2世紀にビザンチウムのフィロンの書いた「Επτά θαύματα του αρχαίου κόσμου (世界の七つの景観)」の中で選ばれた古代の地中海地方に存在していた7つの巨大建造物。日本語では英訳からの孫訳のため 景観 wonder が不思議と訳されたが、不思議というニュアンスは存在しない。具体的には、ギザの大ピラミッド・バビロンの空中庭園・エフェソスのアルテミス神殿・オリンピアのゼウス像・ハリカルナッソスのマウソロス霊廟・ロードス島の巨像・アレクサンドリアの大灯台をいう。 |
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世界の七不思議のひとつに数えられたアルテミス神殿の遺跡 2010.5.15 12:10
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▲▼ ギリシャの歴史家ストラボンによれば、アルテミス神殿は、7回破壊され7回再建されたという。最盛期には直径1.2m、高さ19mの大理石の円柱127本が使われ、アテネのパルテノン神殿よりも大きな建物で、中には黄金や宝石に覆われた高さ15mのアルテミス像が置かれていた。 |
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▲▼ 262年にゴート族により破壊され、放置されていたが、6世紀に教会やモスクを建てるために石材が持ち出され、イスタンブールのアヤソフィアにも一部使われているという。19世紀に発掘された埋蔵文化財はロンドンの大英博物館に収蔵されている。現在では復元された柱が1本立っているだけで、その頂上がコウノトリの巣となっているのが悲しい。 |
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アヤスルク城砦(奥)とイサベイモスク |
聖ヨハネ教会 |
コウノトリの巣 |
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なのはなの とりのすばしら あるてみす |
Artemis, the bird's nest on the column of rape blossoms. |
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▲ 写真上の背景に聖ヨハネ教会とアヤスルク城砦が見える。その手前がイサベイモスクである。エルサレムを追われたヨハネは聖母マリアとともにエフェソスを訪れ、ヨハネもこの地で没し、アヤスルクの丘に埋葬された。4世紀に教会が建てられ、6世紀にユスティニアヌス I 世によってバシリカが建てられた。現在は廃墟となっているが、内部には白大理石に囲まれた聖ヨハネの墓所が現存している。時間がなく、見学できなかったのが残念である。 |
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アヤスルク城砦は、5世紀にエフェソスの商業が衰退したときに周辺の住民たちがここに移り住み、強固な城砦を築いた名残である。セルジュク・トルコ時代の1375年には、この地を占領したトルコ人が丘の上にイサベイモスクを建てた。このとき使われた石材は、エフェソスの遺跡から運ばれてきたものという。 |
アルテミス神殿跡から東方1kmほどにセルジュク・トルコ時代に栄えたセルチュクの町があり、エフェス考古学博物館が建っている。時間がある人は、是非ここにも足をのばして頂きたい。 |
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菜の花畑とパムッカレの綿の城 2010.4.15 16:20
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▲▼ 栄枯盛衰の悲哀を感しながら、バスは東方へ3時間ほど走って、世界複合遺産のパムッカレに到着した。 |
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ヒエラポリス-パムッカレ Hierapolis-Pamukkale |
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▲▼ 「ヒエラポリス-パムッカレ」は、トルコ西部・デニズリ県にある自然と文化が融合したユネスコの世界複合遺産の登録名である。石灰岩大地から湧き上がる温泉水は、美しい石灰棚の丘を誕生させた。パムッカレは、白い丘陵地の名称で、トルコ語で「綿の城」という意味である。 |
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▲▼ 綿とあるのは、昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地であることによる。私のイメージでは、万年雪の山「白山」を連想する。2世紀頃、この丘の上には、ヒエラポリスというローマ帝国の都市が建設され、繁栄を極めたが、現在は古代ローマ遺跡として公開されている。 |
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▲▼ 純白の石灰棚は、朝には綿雲のような湯気を上げ、昼には青く輝き、日没時には夕焼けに染まるという。その絶景に魅了された古代ローマ人は、温泉の湧く石灰棚の丘に「ヒエラポリス」という名の古代都市を築いた。 |
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「聖なる都市」という意味のヒエラポリスは、紀元前190年に建設が始まった殖民都市で、ペルガモン王のエウメネス II 世によってパムッカレの丘の後背地に建設された。この時代の殖民都市としてはかなり内陸部にあり、その点から見ても珍しいものだったという。 |
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▲▼ この都市はヘレニズム時代からローマ時代、ビザンティン時代を通じて温泉保養地として繁栄した。サウナ付きの大浴場や劇場、上下水道も整備された、まさに「美と健康の都」で、歴代のローマ皇帝も好んでこの温泉郷に足を運んだが、エジプトのクレオパトラも訪れたことがあるという。 |
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▲▼ しかし、この古代都市は何度も大地震に襲われ、ローマ帝国時代にも地震で破壊されたが、その後復興した。しかし、1354年の大地震で完全に廃墟と化し、破壊された神殿は温泉に沈み、現在は、ローマ劇場の遺跡や古代プールなどが公開され、観光名所となっている。 |
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南入口から入場すると、更に石のゲートがあり、そこを通過すると「聖なる都市」ヒエラポリスの遺跡に入る。 |
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パムッカレ・アンティーク・プール(古代プール)の入口
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▲▼ 最初にパムッカレの後背地にある古代ローマで使われた石柱などが沈むアンティーク・プール(古代プール)に行った。見学するだけなら無料で入場できるが、プールで泳ぐには、2時間20TL(トルコリラ 1300円)が必要。 |
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▲▼ ここはプールの底に本物のローマ時代の遺跡がゴロゴロしている珍しい温泉で、水着を着用して入浴する。水温は35℃前後と高くないが、水が澄んでいて、底に沈んでいる大理石の石柱や礎石などがよく見える。源泉の湧き出し口では、泡と共に湯が湧き出しているのが観察できる。 |
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 |
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▲▼ 古代プールからは、その東方にヒエラポリス遺跡最大の構築物である円形ローマ劇場がよく見える。この劇場は勾配がきつく、席数は15,000を超える大規模なもので、比較的保存状態も良く、行ってみたかった遺跡の一つである。 |
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 |
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▲▼ パムッカレでは、二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が台地を覆う石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウムを溶かした地下水となる。その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となり、その温水に含まれる炭酸カルシウム(石灰)が沈着・沈殿して、純白の棚田のような景観が生まれた。 |
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▲▼ 棚田の畦(あぜ)の部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長して行った。これは温水が畦を越流するときに石灰分の沈積が化学的に加速するためでもあるという。 |
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このような景観が約200mの高さにわたって形成されているのが綿の城パムッカレの特徴で、美しいターコイズ・ブルー(トルコ石のブルー)の石灰華*段丘(せっかいかだんきゅう)(石灰棚)が目を楽しませてくれる。 |
*石灰華:温泉や鉱泉の湧出口などに沈殿した円錐状・階段状の炭酸カルシウム。 |
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 |
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▼ パムッカレの西端に立つと、石灰華(せっかいか)の流れが長い年月を経て氷河のように村に向かって流れ出て行く様子がよく見える。場所によっては、日本の秋芳洞の千枚皿のような棚田状の段丘が形成されている。 |
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
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