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▼ 朝食が遅かったので、昼食も遅くなり、午後1時半ころ「ウラノス・サリカヤ Uranos Sarikaya 」という洞窟レストランで昼食を取った。 |
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▼ レストランの中に入ると、中は完全な洞窟で、中央に円形の広いフロアーがあり、それを囲むようにいくつもの部屋があった。ツアー一行は、そのひとつに案内され、穴蔵(あなぐら)のような部屋で、食事を取った。 |
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▲▼ 円形の広場では、踊りなどのショーが披露され、それを見て食事するのも良い趣向である。このときは、その中央に小型の琴のようなトルコの民俗楽器 サントール santoor の奏者がいて、美しい音色を聞かせてくれた。ウスクダラを頼むと、弾き語りで聞かせてくれた。 |
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▼ 洞窟の中の食事は、トルコの豆料理で、民族衣装のウエイターがテーブルをまわり、美しいターコイ・ブルーの化粧皿の上で味わう料理は、異国情緒満点だった。 |
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地下都市カイマクル Kaymaklı Yeraltı Şehri |
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▼ 昼食後、最初に訪れた地下都市カイマクルは、ウチヒサルから南方17kmほどのところにある。カッパドキアの地下都市は、紀元前400年頃の記録に現れており、古くからあるものだが、その一つが紀元6〜10世紀頃に築造されたカイマクルである。 |
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資料 |
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▼ 観光客が沢山集まるため、門前町のように土産物店が並んでいる。石畳の道を歩いて行くと、入口に至る。 |
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▼ カイマクルの地下都市は、延べ2.5km2もの広さがあり、最盛期には2万人が暮らしていたというから凄い。内部は、蟻の巣のようにトンネルが掘られ、何層にもわたって部屋が立体的につながっている。現在は、地下5階まで一般公開されている。 |
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▼ アラブ諸国の攻撃に耐えるため、完璧な防御システムが施されているのが特徴で、内部には大小様々な部屋があり、教会やワイン醸造所、倉庫、井戸、トイレ、キッチン、通風孔などが設けられている。 |
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▼ 外敵進入防止策として考えられた迷路のような通路は、狭いうえに急傾斜で天井が低く、万一敵が侵入してきても、奥深くまでは侵攻できないような構造になっている。 |
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狭い階段を下る |
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ガイドのオカンさんの先導で教会に入る |
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▼ 通路のあちこちに丸い石が置かれ、襲われたときには石を動かして通路を遮断するようになっている。また、いざというときのために、矢を射る小窓や煮えたぎった油を上から浴びせかける穴もあり、籠城戦を想定して建設されているため、生活の場でありながら、シェルターとして、また、地下要塞としての機能を備えている。 |
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地下都市カイマクルの教会 |
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▲▼ これだけの空間に運命共同体として大勢の人々が暮らすには、信仰の力が必要だと思われ、教会やキリストの血である赤ワインを醸造する施設などがあちこちに作られており、敬虔で質素なキリスト教徒たちの生活が想像される。日常のトラブルは、聖職者により、神の名において裁かれ、秩序が保たれていたのだろう。 |
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ワイン醸造所 |
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▼ カイマクルの地下都市の見学を終えて駐車場に引き揚げる途中、駱駝の親子がいたので激写したが、子供の駱駝が白い色をしているのを初めて知った。 |
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愛の谷 Love Valley |
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▼ カイマクル地下都市の見学の後、早朝、熱気球で上空から見たウチヒサルの北方に延びる愛の谷(ラヴバレー)に行き、しばしハイキングを楽しんだ。 |
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ウチヒサル北方に延びる愛の谷(ラヴ・バレー)/熱気球空中遊覧 07:44
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↓ウチヒサル |
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▼ 少し雲が出て来たが、雨は降らず、涼しい中を歩くことができたので、快適だった。長くて寒いカッパドキアでは新芽が芽吹きはじめ、遅い春がやっと訪れたという感じである。internetを検索すると、雪の積もったカッパドキアの写真がかなりアップされており、秋に旅行した人は、早い冬の訪れに戸惑っている様子もうかがわれる。4月初めまでは、まだ、残雪があったのではないだろうか。 |
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あいのたに おとぎのくにの そうしゅんふ |
Love Valley, a poem of early spring in a fairyland. |
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▲▼ ちなみに、なぜここが愛の谷と呼ばれるようになったのかは、ガイドのオカンさんは説明しなかったが、この奇岩を眺めていると、男性の逞しいものを想像し、愛の営みを連想した人がいたのではないだろうか。 |
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ギョレメ野外博物館 Göreme Açik Hava Müsesi |
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▼ 朝の熱気球による空中遊覧で見たように、ウチヒサルの東方3kmほどのギョレメ谷にギョレメ野外博物館がある。30を超える岩窟教会があり、地上の教会と同じような十字平面の教会や丸天井の教会もある。1985年、ギョレメ国立公園 Göreme Milli Parklar とカッパドキアの岩石遺跡群がユネスコの世界遺産(複合遺産)に指定されたが、ここはその中心地である。 |
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▲▼ 先住民だったキリスト教徒たちが退散した後、トルコ人たちは、この地を「ギョレメ=見てはならないもの」と呼び、その名が現在の村の名前になっている。 残された教会には、壁画や洞窟の特徴をあらわすトルコ語の呼び名が付けられ、観光客は、保存状態の良好な教会に入って壁や天井に描かれたフレスコ画を見ることができる。 |
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ユランル・キリセ(蛇の教会) Yılanlı Kilise |
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▼ 蛇の教会という意味のユランル・キリセ Yılanlı Kilise は、小さな岩山をくり抜いて作られた洞窟教会である。 |
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▲▼ 蒲鉾型の室内の天井には、聖ジョージによる蛇退治をあらわす素朴なフレスコ画が残されており、白馬にまたがった聖人の足下にニシキヘビを思わせる大蛇が横たわっていることから、蛇の教会と名付けられた。 |
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カランルク・キリセ(暗闇の教会) Karanlık Kilise |
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▼ 暗闇の教会という意味のカランルク・キリセはかなり大がかりな洞窟教会で、二階に上がらなければならない。 |
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▲▼ 中に入ると、鮮やかなフレスコ画が残っており、かなり腕の立つ画家が描いたと思われる宗教画が天井や柱、壁面などを埋め尽くしている。ガイドのオカンさんによると、草木染めで描かれているため、トルコ絨毯のように褪色しないのだという。 |
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カランルク・キリセの鮮やかな壁画 1/2 |
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▲▼ 教会の内部は、フラッシュ撮影だけが禁止されているので、手振れ防止機構を持つ愛機のお陰で、鮮明な画像を切り取ることができた。残された絵は、キリスト像や受胎告知、ベツレヘムへの旅、洗礼、最後の晩餐など定番のシーンで埋め尽くされている。 |
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カランルク・キリセの鮮やかな壁画 2/2 |
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