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  Wa☆Daフォトギャラリー 特集!旅紀行Q

2010年6月14日改訂

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medley 'Dargeçit'-'Hatirla Sevgili'-'Gece ve Rüzgar'
 'Üsküdara'-'Soyleyin Yildizlar'-'Isyankar'-'Ceddin Deden'

春の潮渦湧き昇るボスポラス   北舟

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Spring tide, an eddy welling up in Bosporus.

2010年6月8日制作

ボスポラス海峡の渦潮 10:10

 

ボスポラス海峡の渦潮/イスタンブール(トルコ)

世界遺産

 トルコ感動の旅・下

トルコ国旗

ボスポラス

■ 9日目:ボスポラス海峡クルーズ グランド・バザール アタチュルク空港 〜 (機内泊


▼ 9日目の4月19日(月)は、朝9時半にチュラン・パレス・ホテルを出発、ホテル前の岸壁から遊覧船に乗船してボスポラス海峡クルーズを楽しんだあと、旧市街に行ってチャイハネを経験し、グランド・バザールを見学した。
チュラン・パレス・ホテル前の岸壁から借り切った遊覧船に乗船 2010.4.19 09:34

チュラン・パレス・ホテル前の岸壁から借り切った遊覧船に乗船 2010.4.19 09:34

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ボスポラス海峡 Boğaziçi / Bosporus

 
▲▼ ボスポラス海峡はトルコのヨーロッパ部分(オチデント:Occident)とアジア部分(オリエント:Orient)を隔てる海峡で、南北に細長く北の黒海と南のマルマラ海を結んでおりマルマラ海とエーゲ海を繋ぐダーダネルス海峡とあわせて黒海と地中海を結ぶ海上交通の要衝をなす。長さは南北約30km幅は最も広い地点で3,700m、最も狭い地点でわずか800mほど。水深は36m〜124m。両岸の全域はイスタンブール市の行政区域に含まれる。  
ボスポラス海峡の衛星写真

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

ボスポラス海峡の衛星写真

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資料:Google Earth

▲▼ イスタンブール市民の足として両岸の各所に定期船の船着場があるほか1973年にイギリスの企業グループが建設した第一ボスポラス大橋(別名ボアズィチ大橋 Boğaziçi Köprüsü、全長1,074m、以下「第一架橋」)と1988年に日本の企業グループが建設したファーティフ・スルタン・メフメト橋(Fatih Sultan Mehmet Köprüsü、全長1,090m通称第二ボスポラス橋、以下「第二架橋」)が架けられている。また現在、2004年5月24日着工2012年開通予定の日本の大成建設グループによる全長13.7kmの海底鉄道トンネルの建設が進められている。  
日本の東大に相当するガラタサライ大学/ボスポラス海峡ヨーロッパ側
ヨーロッパ側 ボスポラス海峡大橋(第一架橋)  

日本の東大に相当するガラタサライ大学

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ガラタサライ Galatasaray

 
▲ 第一架橋の手前(南)にあるのが日本の東京大学に相当する最難関の「ガラタサライ大学」である。この大学のサッカークラブがガラタサライで、現在は、プロ集団となり、フェネルバフチェSK、ベシクタシュJKと並びトルコサッカー界を代表するチームとなっている。トルコリーグ初の日本人プレーヤー・稲本潤一選手が2006-07シーズンに所属していたチームとしても知られている。

オルタキョイ・モスク(ジャーミィ) Ortaköy Camii

▼ 昨夜、ライトアップされていたオルタキョイ・モスクは、最もヴィヴィッドなオルタキョイ地区に建つ。この地区には、イスラム教のモスクやユダヤ教のシナゴグ、ギリシャ正教の教会が共存し、イスタンブールの宗教的寛容さを象徴する場所である。
 このモスクは、1875年に第33代スルタン・アブデュルアジズ(在位1861-1876)がバルヤンに命じて建設したもので、対岸のベイレルベイ宮殿を住まいとするスルタンは、小舟に乗って、このモスクに礼拝にやってきたという。
第一架橋のたもとにあるオルタキョイ・モスク/ヨーロッパ側

第一架橋のたもとにあるオルタキョイ・モスク/ヨーロッパ側

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ボスポラス大橋 Boğaziçi Köprüsü

 
▼ 1973年10月29日のトルコ共和国建国50周年記念日に完成したボスポラス大橋(第一架橋、別名アタチュルク大橋)は、イギリスとドイツの企業グループが受注したもの。全長1,569m幅33m高さ165m橋脚間距離1,074m水面からの高さ64m。毎日20万台の車両とそれによって運ばれる60万人の人々が欧亜大陸間の移動に利用している。吊り橋の長さでは、ヨーロッパ第4位、世界第7位という。有料・歩行禁止。  
第一架橋を通過 09:43
アジア側 マルマラ海↑

 

第一架橋を通過 09:43

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 ボスポラスとは「牝牛の渡渉」という意味でギリシャ神話の中でゼウスが妻ヘラを欺くため、不倫相手のイオを牝牛の姿に変えるがヘラはそれを見破り、恐ろしい(あぶ)を放った。そのためイオは世界中を逃げ回ることになり、牛の姿のままこの海峡を泳いで渡ったという。  
第一架橋 かつて要人を運んだ政府公船/ヨーロッパ側  

かつて要人を運んだ政府公船/ヨーロッパ側

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 ボスポラス海峡はトルコ語では「海峡の内」を意味するボアズィチ Boğaziçi という名で呼ばれる。イスタンブール海峡としても知られる。紀元前数千年前に地中海の海面上昇で黒海とつながったとされるが、科学的に解明されてはいないという。  

トルコの航路標識(灯標)/ヨーロッパ側

トルコの航路標識(灯標)/ヨーロッパ側

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ファーティフ・スルタン・メフメト橋 Fatih Sultan Mehmet Köprüsü

 
海峡最狭ポイントに架かる第二架橋はファーティフ・スルタン・メフメト橋(征服王メフメット大橋、第二ボスポラス大橋)と呼ばれ、日本のIHIグループが完成させている。開通式は、オスマンの都市征服533年目に当たる1988年5月29日に行われ、橋の名もそれに由来している。全長1,510m、幅39m、橋脚間距離1,090m水面からの高さ64m。有料・歩行禁止。  
 写真下のように交通渋滞が日常化しているため、トルコ運輸相は、2010年4月29日、第三架橋を建設する方針を発表している。また、シールド工法による海底車道トンネルの計画も検討されているという。
ヨーロッパ側 ルーメリ要塞 ボスポラス海峡第二架橋   アジア側

ボスポラス海峡第二架橋

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ルーメリ要塞 Rumeli Hisarı

 
▲▼ コンスタンチノープル征服のためにはドナウ川〜黒海〜ボスポラス海峡を経てビザンチン帝国の心臓部に送られる物資の輸送経路を絶つことが先決と考えたオスマンの若き征服王スルタン・メフメットは、1452年僅か4ヵ月という短期間でルーメリ要塞を完成させこれを足がかりとしてコンスタンチノープルを陥落させ、オスマン帝国の礎を築いた。  
第一架橋の北側にあるルーメリ要塞/ヨーロッパ側

第一架橋の北側にあるルーメリ要塞/ヨーロッパ側

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▲▼ ルーメリ要塞の三箇所の監視塔とそれらを結ぶ城壁は、頑強そのものである。海峡側に立つハリル・パシャの塔は12角柱で、向かって右手に高さ24m、直径33mの円筒形のサルジャ・パシャの塔が立つ。左手のザーノス・パシャの塔は海抜57mあるという。  
 城砦の内部には大砲が並べられ、一般公開されており、夏には、星空の下でコンサートが催される。第二架橋とともに広がる景観は、海峡一の絶景となっている。
ボスポラス海峡の渦潮 10:10
↓マルマラ海 ルーメリ要塞 ↓黒海からマルマラ海への海流  

← 海峡ビューの豪華マンション →

ヨーロッパ側

ボスポラス海峡の渦潮 10:10

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  春の潮渦湧き昇るボスポラス  北舟 

はるのしお うずわきのぼる ぼすぽらす

Spring tide, an eddy welling up in Bosporus.

遊覧船がルーメリ要塞を過ぎ、ボスポラス海峡の最狭部に架かる第二架橋に差し掛かったところで、日本の鳴門海峡のように渦ができているのを発見。貴重な光景を写し撮ることができた。  
←マルマラ海 第二架橋と豪華マンション/ヨーロッパ側 黒海→  

第二架橋と豪華マンション/ヨーロッパ側

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▼ トルコの人々の夢は、ボスポラス海峡を臨むウォーターフロントに木の家を建てて住むことなのだという。そういって説明してくれたオカンさんの言葉通り、海峡の両岸には木造の豪邸が建ち並んでいた。それが観光名所にもなっている。  
←黒海 富豪の木造マンション/アジア側  

マルマラ海→

富豪の木造マンション/アジア側

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▼ ボスポラス海峡は、地中海と黒海をつなぐ国際海峡であり、大型船の通行も見られる。写真下はスパー・オリオン SPAR ORION という鉱石運搬船で、空船だったので、黒海の港で鉱石を積み込む予定なのだろう。  
 船尾の国旗が旗竿にからまって国籍を確認することができなかった。心がけの悪い船長のようだが、国際海峡を航行するときには、国際法に従い、クレームを受けないよう十分にチェックして航行しなければならない。
ルーメリ要塞 黒海方面に向かう鉱石運搬船 SPAR ORION /ヨーロッパ側 第二架橋 黒海→  

黒海方面に向かう鉱石運搬船 SPAR ORION /ヨーロッパ側

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遊覧船を1隻丸ごとチャーターしたが、23人が乗るには大きすぎて、閑散としている。出発時は向かい風のために寒くてキャビンの上に座る人が少なかったが、第二架橋を通過したあとに反転してからは、フォローの風となり、寒くなくなったので、オープンデッキで気持ちよくクルージングを楽しむことができた。  

ヨーロッパ側

ゆったりとしたオープンデッキで海峡ツアーの後半を楽しむ
アジア側

ゆったりとしたオープンデッキで海峡ツアーの後半を楽しむ

日本映画のハマちゃん、スーさんでお馴染みの釣りバカ日誌は「20ファイナル」でシリーズを終えたが、トルコにも太公望が沢山いて金閣湾に架かる橋の上では昼間から釣り糸を垂れる市民が大勢見られた。更に凝った人は、月曜日にもかかわらず、昼間からボスポラス海峡に船を浮かべて、船釣りを楽しんでいた。  

ボスポラス海峡で船釣りを楽しむ人たち/ヨーロッパ側

←マルマラ海 第一架橋 黒海→  

ボスポラス海峡で船釣りを楽しむ人たち/ヨーロッパ側

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近づいて見ると疑似餌による一本釣りで、上手い具合に鯵(あじ)を釣り上げたところを写し撮ることができた。この人は、釣りバカのハマちゃんみたいに勤務時間中に釣りをしているが、会社は大丈夫?  

(アジ)が釣れた! 10:40

鯵(アジ)が釣れた! 10:40

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午後11時頃1時間半のボスポラス海峡遊覧を終えた一行は旧市街のグランド・バザール近くでチャイハネを楽しんだ。チャイハネは元はペルシャ語で喫茶店という意味。  
チャイハネを楽しむ 11:35

チャイハネを楽しむ 11:35

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チャイハネはトルコ男性の特権らしく女性の姿は全く見えない。男女平等を推進するトルコ政府ではあるがイスラム社会の慣行は、一朝一夕には変えられないようである。  
チャイハネを楽しむトルコの男性たち

チャイハネを楽しむトルコの男性たち

いつもは比較的ラフなスタイルだった現地ガイドのオカンさんは、この日はスーツ姿だった。8日間一緒に過ごしたツアー客をアタチュルク空港で見送るための気配りだと思われる。  
 オカンさんには大変お世話になった。トルコ石や絨毯の店では、かなり高額のため、我々の値引き交渉に加わってくれた。値引きが低いと、相場を知っているオカンさんのつけた価格を提示し、「オカンさんはこう言った」というと、その価格まで下がった。何でも相談すると、全て期待以上の情報が提供され、単なる観光ガイド以上の働きをして頂いた。
スーツ姿のオカンさん

スーツ姿のオカンさん

▲ 去年のギリシャ旅行では、同行したツアーバスの運転手が出発時間に戻ってこなかったり、トイレ休憩中に望遠レンズを取るためにバスのドアを開けて欲しいと頼んでも、知人との雑談を優先して待たされたためシャッターチャンスを逃したりと、信じられない経験をした。今年と同じクラブツーリズムの男性添乗員は、郷に入っては郷に従えと云い、彼にクレームを付けなかったのが不満だったので、帰国時のアンケートで、このダメ運転手を首にせよと書いてやった。このこともあって、今年のトルコのオカンさんの働きは特に目立ち、仕事ができるかどうかは国民性ではなく、人によるものだということが良く分かった。  
 現在、EUや世界経済の足を引っ張っているギリシャの金融破綻はこのダメ運転手に象徴されるように勤勉でないギリシャ人が招いたもので、ソクラテスやアリストテレスは、草葉の陰で泣いていることだろう。ギリシャにとっては自業自得だが、そのような国をEUに加盟することを認めたドイツやフランスなどは、これほどいい加減な国だとは思っていなかったようで、高いつけと反省を強いられている。現在、そのギリシャとは因縁浅からぬ隣国トルコは、発展途上にあるがオカンさんのような人が多ければトルコの将来は明るいだろう。オカンさんには心からお礼申し上げると共に、今後の健闘を祈りたい。閑話休題。

▼ チャイハネの後、一行は歩いてグランド・バザールに行き、1481年に建設されたヌルオスマンイエの門の前で、自由行動となった。バザールの中に入ると迷路のような状態なので、時間内にこの場所に戻ってくるよう念を押された。手帳にメモした合い言葉は「ヌルオスマンイエ」。迷ったときには、この呪文を唱えれば、指さして進む方向を教えてくれる。  
グランド・バザール「ヌルオスマンイエの門(1461)」 11:45

グランド・バザール 11:55

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グランド・バザール Kapalı Çarşı

 
▲▼ グランド・バザールは、トルコ語でカパル・チャルシといい、屋根付き市場という意味である。この市場は、中東中最大といわれる大規模なバザールで、買い物をするよりは存在そのものが見所となっている。一度入ると同じ入口に戻って来るのは不可能といわれるほど入り組んでいる。4,400軒もの店があるというのだから驚く。  
グランド・バザール 11:55

グランド・バザール 11:55

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▲▼ グランド・バザールは、もともと15世紀半ばにメフメットII世により建設されたイチ・ベデステン Ìç Bedesten とサンダル・ベデステニ Sandal Bedesteni という二つの市場が中心になっている。前者は古くから金、銀、宝石を扱う貴金属店が集まっておりその伝統は今も続いている。後者は主に絹などの商品を扱っていた。その後バザールはどんどん拡張され、現在のような巨大市場に成長した。  

トルコの民俗楽器を売る店

トルコの民俗楽器を売る店

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▲▼ グランド・バザールで、オカンさんが頼んでくれた店員の道案内で、トルコの名門サッカーチームのガラタサライ公式店で記念品を買った後、民族楽器店を見つけたので、試聴させて貰った上で、CD2枚を購入した。この作品のBGMには、この店で調達したCDの曲が多数使われている。試聴して良いと思った曲を選んだので、当然かも知れないが、1枚1,000円ほどだったので、かなり安い買い物だった。  

試聴してCD2枚購入

試聴してCD2枚購入

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▲▼ その後、新市街のタクシム広場から歩行者天国となっていたイスティクラル通りを歩いて昼食のレストランに行った。トルコ最後の食事は、日本食という趣向だった。  
イスタンブールの歩行者天国イスティクラル通り 13:40

イスタンブールの歩行者天国イスティクラル通り 13:40

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 昼食後、アタチュルク空港でオカンさんの見送りを受け、トルコ航空TK50便に搭乗し、午後6時40分頃成田向け離陸。翌4月20日(火)午前11時40分頃無事成田に着陸し、予定通り帰国することができた。

和田義男

  
撮 影

2010年4月17-19日

OLYMPUS  
E-30  E-
510
 

9-18mm
12-60mm
  70-300mm

1230万画素 2900枚 6.91GB
 

 6月8日(火)、遂に「トルコ感動の旅・上中下」三部作が完成した。4月20日に帰国後、約50日が経過し、その間、2泊3日の鐵砲洲奉祝大祭の取材や出張などで編集が中断することもあったがその他は編集に集中し終わってみれば、1,230万画素6,450枚15.5GBの原画から20頁432枚265MBという過去に例のない感動巨編を世に送り出すことができた。
 全力を傾注して仕上げたこの作品は、3月13日(土)に発表した「500周年!西大寺会陽」と共に、Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品にふさわしいクオリティの高い作品に仕上がったものと自負している。

夢中でインターネット!

 今後、トルコの旅決定版として全国の読者に楽しんで頂ける「トルコ感動の旅・上中下」を完成して一番に感じたことは、インターネットの有り難さである。もし、この巨大な作品を丸ごと1冊の本にして出版しようとすれば、1冊何万円にもなってしまい、誰も買う人はいないだろうし、自費出版するにしても何百万円もの資金が必要となり、実現不可能であることは明らかである。
 現在、Wa☆Daフォトギャラリーは、WADAX(ワダックス)という日本のレンタルサーバーを利用しているが、容量40GBのレンタル料金は、1月5,000円という安価なものである。そのほかにパソコンをインターネットに接続してもらうプロバイダー料金を1月5,000円支払ってホームページを運用している。
 これまでの10年間に発表した作品は424編にのぼるが、その容量は8.4GBなので、まだ31.6GBも残っている。このペースで作品を発表し続けても、あと20年は大丈夫だろう。こんなに低料金で世界に和田ワールドを発信できるとは、まるで夢を見ているようである。
 これは全てIT技術の急速な進歩のお陰である。創作と発表の場をこれほど手軽に得られる時代は過去に存在せず、高度情報化社会の現代に生きていることを思うと、熱いものが湧き上がり、次の作品への創作意欲がかき立てられる。私には1日24時間では足りないという思いがある。あと何年元気に生きて行けるかは神のみぞ知ることだが、気力・体力・財力の続く限り、世界を撮す遊び人として、これからも夢中で歩き続けてゆきたい。

特集!旅紀行第87集 「トルコ感動の旅・下」

撮影・制作 : 和田義男

    平成22年(2010)6月8日 作品:第15作  画像:(大155+小10) 頁数:7  ファイル数:333 ファイル容量:85MB

特集!旅紀行第85〜87集 「トルコ感動の旅・上・中・下」三部作

 平成22年(2010)6月8日 作品:第13-15作  画像:(大389+小43) 頁数:20  ファイル数:922 ファイル容量:265MB
 
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:365 頁数:1,385 ファイル数:57,482 ファイル容量:8,315MB
  薔薇の谷幾万年の燃ゆる春 北舟 

ばらのたに いくまんねんの もゆるはる

Rose Valley, the burning spring for tens of thousand of years.

編集子の選ぶ傑作

トルコのグランドキャニオン・カッパドキアのローズバレー 2010.4.16 19:14

トルコのグランドキャニオン・カッパドキアのローズバレー 2010.4.16 19:14

拡大写真(3000X1400)606KB

  薔薇の谷見下ろす気球春の旅  北舟 

ばらのたに みおろすききゅう はるのたび

A spring tour, looking down the Rose Valley from the balloon.

編集子の選ぶ傑作

カッパドキアの薔薇の谷

(ローズバレー)その2

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元気に旅を続けよう!
 今回の旅は、いつものスタンダード・コースと違って、ワンランク上のコースを選んだ。そのお陰で、カッパドキアではウチヒサルの洞窟ホテル「カッパドキア・ケイブ・リゾート(CCR)」に連泊し、最後のイスタンブールでは、元宮殿だったチュラン・パレス・ホテルに宿泊できた。現地のパンフレットによると、前者は1泊4万円、後者は5万円という高級ホテルだった。現地ガイドのオカンさんによると、トルコの平均年収は40万円ほどなので、彼らから見れば、とても贅沢な旅ということになる。
 カッパドキアの熱気球ツアーでは、24人乗りのバルーンを借り切って22人が70分の空中遊覧を楽しんだが、一人1万5千円の料金なので、たった1回のフライトで33万円を支払った。トルコの平均年収を考えると如何に高額かが分かる。発展途上にあるトルコは、中国同様、外国人価格があると思われるが、それを割り引いても贅沢な旅であることは間違いない。
 戦後、働き蜂や会社人間などと揶揄されながらも働き続けて定年を迎えた団塊の世代を中心に、これまでに積み重ねてきた勤労の果実として海外旅行を楽しむ人たちが多い。残された人生をどう過ごすかは人により様々だが、ゆとりがあれば、ちょっと贅沢なツアーを選ぶこともできる。今回は新婚さんカップルがいなかったが老後を迎えた人たちがこれだけの旅を選択できる国、それが現在の日本であり、国力の一端を示すものである。
 現在、去年旅行したギリシャが末期のオスマントルコと同じように国債が償還できずに倒産寸前にありEU諸国などから援助を受けて凌いでいるが、スペインなどもバブルが弾けてかつての日本の二の舞に陥っている。ヨーロッパ諸国の金融不安から株安と共に円高ドル安(92円)ユーロ安(110円)となり先行き不安な世界情勢は当分続くことだろう。しかしこういう時機にこそ強い円を使い元気を出して旅に出かけよう。それが世界経済の危機、ひいては日本の不況を救う社会貢献となることは間違いない。 〈 完 〉  2010.6.8 和田義男/世界を撮す遊び人
  三日月のチュラン宮殿夜半の春  北舟 

みかづきの ちゅらんきゅうでん よわのはる

Midnight spring, a crescent moon above the Ciragan Palace.

編集子の選ぶ傑作

ライトアップされたチュラン宮殿

ライトアップされたチュラン宮殿 21:25

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読者からのお便り

2010年6月10日(木)曇  橋本絹子  様より

Re: 「トルコ感動の旅・下」完成! トルコ感動の旅・下、完成おめでとう御座います。今日一日pcに釘付けになり 今見終りました所です。熱気球の行く先はどうなるのだろうとハラハラして見たものです スリルを味会うのも好いですが 怖いと思いませんでしたか??そんな中 春暁やカッパドギアの熱気球 余裕綽綽 素敵な俳句を詠まれ凄いと思いました。

カメラを向けた時には俳句が詠まれて居るのですね どの写真も素晴らしく カッパどギアの日の出や冨士山に良く似たエルジェス山も素敵な風景です pcが出来なかったら世界の国々の写真に出会う事はなかった事と思います 和田先生のお陰です 最後に 愛の谷お伽の国の早春賦 まさに至福の時だろうと思います。有難う御座いました。
 
今晩は。お便り有り難うございました。今日一日「トルコ感動の旅・下」を鑑賞していただき、光栄です。たっぷりと楽しんで頂いたようで、作者冥利につきます。俳句は、残念ながら、撮影中には詠むことができません。撮影に夢中なので、二つの作業は難しいと思います。聖徳太子でもできないと思います。(^^; 

帰国して、編集しながら、いつもは、通勤電車の中で考えることが多いです。始発で坐って行けますので、1時間費やして、ゆっくりと詠みます。実際に行ってきたイメージがありますので、帰ってきてからでも大丈夫です。秀作はなかなかできませんが、俳句でも旅を再度楽しめますので、楽しいことだけは確かです。

本当にパソコンとインターネットのお陰で、日本国内にいても海外旅行を楽しむことができます。素敵な世の中になりましたね。これからもお楽しみ下さい。有り難うございました。
2010年6月9日(水)晴  芳賀美代子  様より

悲しいほど見入ってしまいました 「トルコ感動の旅上・中・下」の完成おめでとうございます。完全に脱帽です。カメラが違う、技術が違う、アングルが違う、2週間前に私が旅したトルコとは思えない写真ばかりです。私の写真には建物が大きすぎて全体像の写真が一つもないんですが、あれは広角レンズを使って撮ったものですか?

このツアーは本当にグレードアップしたツアーだったんですね。旅物語の安いツアーとは雲泥の差があるホテルだし、ディナーです。全く自信をなくしてしまった私ですが、めげずに旅行記の作成に取り掛かることにします。ありがとうございました。

 
今晩は。お便り有り難うございました。早々にトルコ感動の旅三部作をご覧いただき、光栄です。完成に50日もかかってしまいましたが、1回の旅行で20頁432枚もの作品は前例がなく、それだけ中味が濃いトルコの旅でした。カッパドキアだけでも4頁になったのは、枚数に制限がないからできることでしょうね。

今回は、ワンレベル高いツアーでしたが、ツアー代金をちょっと奮発すれば誰でも参加できるレベルです。たまには良いと思いますが、豪華な旅よりもスタンダードコースで多くの国に旅行した方が良いと考えています。ホテルも楽しむというよりは、寝るだけのところですから、豪華な部屋は私の目的とする世界を撮す旅には必要ありません。でも、家内が同行していますので、たまには奮発するのも悪くはないでしょう。(^^;

写真は、カメラが写すものです。私はシャッターボタンを押すだけです。写りが違うのは、私のカメラがオリンパスのプロ用の最高級デジカメだからです。一眼デジカメですので、超広角・標準・望遠の3種類のレンズを交換しながら、二刀流で撮影しました。重い撮影資器材を持ち歩くだけでも、大変です。道具が良ければ、写りが良いのは当たり前で、同じだったら、私の方が落ち込みます。(^^; 

雄大な大自然を撮影するには、広角レンズが必要です。大きな建物もバックできないときは、広角レンズを使用しないと一枚の画面に収まりません。

大自然を撮影するのに標準レンズしかないときは、20%ほどダブらせて連続写真を撮ってみて下さい。今は、パノラマ写真といいますが、パソコンソフトでシームレスに貼り合わせできますので、広角レンズで撮影した以上に広範囲に、かつ、綺麗に撮れます。是非試してみて下さい。

自信をなくされたとのことですが、カメラの違いだけですから、めげないで頑張って下さい。標準レンズでも色々と工夫し、私のようにありとあらゆる場所から激写して、大量に撮影すれば、下手な鉄砲も数打ちゃ当たります。私は、8日間で6,450枚15.5GBを撮してきました。大変な作業量ですが、これが和田式撮影術です。是非、真似して下さい。旅行記の完成、楽しみしています。有り難うございました。
 
努力が足りなかったんですね。素人は素人なりに撮る方法を勉強しなければ! 肝に銘じます。写真もさることながら、文章も素人ですので今ひとつ。せっかく励ましてくださったのですから、頑張って面白い旅行記を書く努力をします。ありがとうございました。

追伸 ド素人の私にも出来るカメラ技術を伝授してくださったのに感激して、肝心なお礼を書くのを忘れてしまいました。カッパドキアの熱気球レポートよかったです。一番熱望して見たかった絶景を、まるでその場にいて一緒に体験しているような錯覚を覚えるほどのルポルタージュ写真でした。素晴らしい素晴らしい絶景でした。75分の空の旅は最高の思い出になったことでしょう。お陰さまで、私も熱気球からのカッパドキアの絶景を見ることができました。ありがとうございます。

それにしても和田さんはお優しい。愛妻家なんですねえ。「家内が同行していますので、たまには奮発するのも悪くないでしょう」ですか・・・・・ それに引き換え、我が家の亭主は旅行に対しては全くの受動態です。道中は足が痛いだの、くたびれただの、もう沢山だの、そんな所には行きたくないだの、危ないからよせだのと私の行く手を阻んでばかりで最悪のパートナーです。旅行中の私の口癖は「お願いだから旅行中は私の言うことを聞いて」です。参加者は殆どがご夫婦で、皆さんそれぞれの夫婦の有り様でしたが、私達もきっと、他人様にはおかしな夫婦に映っていたでしょうね。
 
おはようございます。トルコの旅で、一番思い出に残るのは、カッパドキアの熱気球でした。2頁に渡って詳しく解説しましたので、気に入っていただき、大変嬉しく思います。

夫婦の旅は、人それぞれです。ご主人が健在にもかかわらず、一人旅の方もおられます。婉曲に理由をお聞きすると、旅に興味がなかったり、一緒に行くのが煩わしかったりと、理由は色々です。芳賀さんは、ご主人とご一緒ですから、それだけでも有り難いのではないでしょうか。

夫婦は、他人行儀な他人と違って、云いたいことを言い合いますので、直ぐに喧嘩になったりするのが正常です。配偶者といっても価値観が違う他人には変わりなく、意見があわないのは当たり前です。私たち夫婦も全く同じで、一緒に旅ができるだけでも有り難いと思っています。

私は、旅先でカメラを持って走り回り、取り残された家内は一人で観光することが多く、不満に思っています。他の夫婦は二人で廻っているのに、ウチの亭主は勝手な行動を取っていると機嫌が良くありません。当然ですよね。でも、それを許してもらわないと良い写真は撮れませんので、私は譲れず、家内は諦めているのです。

そのため、次の旅は何処にするとか、どの会社のどのコースにしようとか、自由行動はどうするとか、写真を撮る時間さえ確保できれば、あとは家内の考えを尊重するように務めています。ロマンと感動を求めて撮影することに最大の価値観を置き、勝手な行動を取る私は、決して優しい夫ではなく、楽しいパートナーでもありません。(^^;

芳賀さんのご主人は、ご自分のペースがあり、ゆっくりと旅を楽しみたいのです。せかせかと動き回って、あれもこれもと見て回り、写真を撮って廻るよりも、旅先で人生をゆっくりと楽しみたいという素晴らしい方です。危ないところに近づかないよう忠告される優しい方です。少し、歩み寄ることも必要でしょうね。 有り難うございました。
 
人生の大先輩の含蓄はさすがだなあ。全く、その通りです。なんやかんやと言っても最後は夫婦ですから、こんな私で我慢している夫に感謝すべきでしょうね。

しかし、しかし、しかし・・・・・・まだまだ人間ができていない私がいます。つまらない愚痴に真摯な回答をくださり感謝します。ありがとうございました。
2010年6月12日(土)晴  永田百合子  様より

Re: 「トルコ感動の旅・下」完成! こんにちわ。京都では梅雨入りが遅れ日中は結構 暑い日が続いています。先日は「トルコ感動の旅・下」 完成!の映像を有難うございました。昔聞いた事のある音楽と共に 大変ユニークな地形があったり 建物も日本では考えられないと思ったり 又 立派な大理石の建造物であったりで 世界の国々ではいろいろ想像もつかない珍しいものを拝見できまして 有難うございます。

ちょっと怖い様な地形もみられましたが 華奢?な女性二人組では ツアーとはいえ和田様の映像で拝見している方が 楽しいような気が致します。多くの乗客を乗せている熱気球も実際に乗れば怖いかもわかりませんね〜。でも 雄大な景色を見ながらの旅は心に深く残るかも〜ですね。

俳句 何時も自然なありのままの句を拝見して素直な句が一番と楽しみにしています。 有難うございました。

 
おはようございます。お便り有り難うございました。今朝は、東京は雨で、関東も今日から梅雨に入ったようです。鬱陶しく感じますが、植物にとっては天からの恵みの雨。南アフリカのワールドカップのテレビ中継で寝不足が続きますが、砂漠化したアフリカと違って、大地の緑に感謝です。

ローマ人やギリシャ人、そして現在はトルコ人の国となったエストニアは、帝国の存亡の都度、多くの血が流されてきました。日本は先の大戦の敗北でも植民地や奴隷にされず、琉球やアイヌなどの少数民族の悲劇がありますが、大筋では日本民族の同一性が保たれました。これも周囲を海という防塁で守られているお陰ですね。日本でワールドカップが開催されたときもフーリガンが大挙押し寄せてくるとの風評から厳重な警備が敷かれましたが、予想通り、海を渡って来ることができず、風評に終わりました。

リアルタイムで情報を共有できる情報化時代は、旅に出なくてもリビングでロマンと感動を味わうことが出来て最高ですね。私のつたない俳句をいつもご覧いただき、有り難うございます。
2010年6月9日(水)晴  杉村敏夫  様より

新作のご案内ありがとうございます 「トルコ感動の旅・三部作」の完成ほんとにおめでとうございます。

カッパドキアの日の出に感動し、ホットエアーバルーンに魅せられながらやっとボスポラス海峡に辿りつきました。このボスポラスという響きが私はとても好きで、西洋と東洋が交差するなんとも言えない不思議な魅力がありました。編集に時間をかけられたことが理解できます。そして現地ガイド、オカンさんの最後の日のスーツ姿にはやはり伝わってくるものがありました。これで私もトルコが大好きになりました。いつの日か訪問できるといいな。本日17時、Twitterで三部作完成の紹介をしてみますね。


Twitterで2回紹介 本日17時と18時に2回、Twitterのタイムラインに掲載しました。

1日に1万前後のアクセスがある和田さんのサイトには、余り影響はないかも知れませんが 世界で1億人が参加している巨大なサイトですから、テストケースという意味もあります。Twitterの凄いところは時間をかけず、すぐに反応があるところです。

Wa☆Daフォトギャラリー「トルコ感動の旅、上中下」三部作が完成。素晴らしいできだ! http://wadaphoto.jp/

 
今晩は。お便り有り難うございました。50日かかってやっと脱稿しました。大変でしたが、皆さんのご期待に応えられたものと思っています。

おっしゃるように、ボスポラスという言葉は、学校で習って以来、イスタンブールと共に異国情緒溢れる言葉だと思っています。行ってみれば、海そのものは日本の海と変わらず、船釣りもハマちゃんの世界とさほど変わりません。

海も好きですが、矢張り、今回は、カッパドキアが心に残りました。カッパドキアという言葉も凄いですよね。

最近、ツイッターがブームだそうですね。共用サーバーなので、余りアクセスが集中すると、黒石寺蘇民祭の時のように、サーバーがパンクしてWADAXにアクセス制限をかけられてしまいますので、痛し痒しです。私は、一日1万アクセス前後が似合っています。有り難うございました。
2010年6月4日(金)曇  小池淳二  様より

トルコから慰霊の旅 こんにちは。昨日の朝日新聞・夕刊にトルコに関する記事がありました。オスマントルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本沖で遭難してから120年。

亡くなった乗組員を追悼する式典が現地であったとのことで、慰霊碑前では、トルコ軍楽隊が、貴ギャラリーでも聴かれる伝統の軍楽「メフテル」を披露したそうです。記事の写真には、伝統の軍楽隊の正装に身を包んだ隊員の姿がありました。

今朝のNHKテレビでもこのことを取り上げていましたが、軍楽隊の演奏した曲は「さくら」でした。慰霊と友好の旅と思われますが、報道された写真と貴ギャラリーのを見比べました。下巻を楽しみに待っております。

 
今晩は。お便り有り難うございました。本件については、「トルコ感動の旅・中」の最後に 日本・トルコ(日土)友好の嚆矢 
 という随筆を追加で掲載しています。この情報は、和歌山県田辺市在住の山下昭次さんから頂いたものですが、その通りになりましたね。国際交流の美談として多くの方々に知って頂きたいと思います。

現在、下巻を鋭意編集中です。週末には何とか発表したいと頑張っていますので、今しばらくお待ち下さい。有り難うございました。
2010年6月3日(木)晴  芳賀美代子  様より

トルコは素晴らしい 旅物語「エジプト・トルコ・ギリシャ13日間」は盛りだくさんの観光で大満足でしたが、やっぱり強行軍でした。観光シーズンだったのでどこもかしこも観光客だらけ。その中で1番乗りしてゆっくり見ようとすれば、早朝出発もやむを得ず、納得して根性で13日を乗り切りました。事前に和田さんのフォトと助言があったので、お陰さまで見たいところはしっかり見てきました。ありがとうございます。行く先々で現地のガイドに「ここが見たい」「この写真が撮りたい」「これが食べたい」「これを買いたい」と言って、ガイド中へばりついていたので、私の要望を100%聞いてくれました。

アヤソフィアの2階の入り口は和田さんに聞いていましたが ガイドが”ここから行け”と場所まで案内してくれたので、探すことなくたっぷり見学できました。

パムッカレの石灰棚は一番乗りだったため、温泉を流し始めたばかりで水が少なく透明で、あの、白とブルーのコントラストが綺麗な風景が見れなかったのがくやしいくらい残念でした。が・・・・・、頑張って、夫の尻を叩きながら遺跡プール裏手の円形劇場まで行ってきました。しかし、劇場の観客席上段の真ん中からのアングルを撮るなんて発想がその時はなく、端っこからの写真で満足して帰って来たのですが、後から見て失敗に気づき、悔しいのなんのって。その立ち位置からは観客席は扇形には写らないんですよね。遺跡がゴロゴロしている中を頑張って登って行ったのに・・・・・・時間がなくてあそこまで行くだけでせいぜいだったのは事実ですが、それに」気づいていれば駆け足で頂点の場所まで行ったのにと思うと悔しいの一言です。ホテルのプールは夜10時までで、夕食のバイキングもそこそこに、水着に着替えて30分だけ浸かってきました。温度が40度くらいあっていい湯加減で、眠ってからも暫くは汗がだくだく流れ、パムッカレの温泉は本物だったようです。残念ながら、ハマム(トルコ風呂)は遅くて体験できませんでしたが、翌日の朝食前に、露天風呂の足湯に浸かって満足しました。町のハマムは男女別に厳格に分かれているようなのですが、ホテルの場合は混浴が多く、下手をすると男性のスタッフに身体をこすってもらう歯目にもなりかねないとのこと、体験しなくてよかったです。

カッパドキアの宿泊が隣町だったので、ホテルの部屋からバルーンが次々見えたのには感激しましたが、遠く豆粒サイズで朝日で鼠色で残念でした。私達の出発(7時半)のバスから、バルーン乗り体験をしたアメリカ人観光客のマイクロバスがホテルに到着したのを見た時のショックを和田さんは想像できますか? 出発時間が9時だったら絶対、バルーン乗りツアーを申し込んでいたでしょう。

和田さんが行かれなかったトルコの古都ブルサの2つのモスクはイスタンブールのものとは内部が全く違い、素朴で面白かったですよ。ショールは着用でしたからイスラム教徒になった気分をちょっぴり味わいました。隣接のブルーの霊廟には棺がたくさん置いてあり、メヴラーナとはちょっと違った見物もしました。もう一か所は、黒海近くの町サフランボルで、古い木の家が連なる世界遺産の街並みは可愛らしくて異色の風景でした。

ボスボラス海峡クルーズも晴天でよかったのですが、海峡の様子はトプカプ宮殿のバルコニーからと第一ボスボラス大橋(バスの窓から)からの眺めの方が鮮明に見渡せるようです。気付きましたか?

結構写真は撮ったのですが、カメラも技術もお粗末なので、ぼやけていたり、ベストショットでなかったりで和田さんの様な写真が1枚もないんです。同じトルコを旅行してきたはずなのに、本当に残念です。帰国早々色々あって、新聞を発行するのがやっとで、ようやく撮った写真を眺めているところです。

期待していた食事は私には脂っこすぎて全然食べれませんでした。お菓子もどれもこれも、蜂蜜たっぷりで甘くて少しつまんだ程度。トルコアイスとサフランボルのロクムは美味しかったです。チャイはエジプトのほうが美味しかったし、アップルティーは甘くて。サクランボとザクロジュース、アイラン(飲むヨーグルト)はまあまあ、地酒のウゾは化学アルコールのようでまずかったかな?

そうそう、イスタンブールの街中で、カフェで昼食をとっている作業服姿の若者数名をバスの窓から見かけたのですが、あれってもしかしたら大成建設の社員だったのかなあ? 待望の地下鉄工事に携わっている日本人の話をバスの中できいたばかりだったのでそう思ってシャッターを切りました。

 
おはようございます。長文のお便り、有り難うございました。楽しく拝読しました。13日間というハードスケジュールをこなされたお元気な芳賀さんに脱帽します。出発前に立てられた予定を殆ど全て実行されたのは、行動力のある芳賀さんだからなし得たことだと思います。

パムッカレは、ローマ劇場まで上られたとのこと、凄いスタミナですね。(^^; ボスポラス海峡は、第一ボスポラス大橋からの眺めが素晴らしいかったとのこと、橋の下を通過するクルーズでは味わえない景観でしょうね。

カッパドキアでは、バスの出発時間がもう少し遅ければバルーンに乗れたとのこと、残念でしたね。イスタンブールで工事作業を行っている日本人は大成グループの社員だけだと思います。シルケジ駅の地下鉄駅舎工事をしているそばを通ったとき、現地ガイドから大成の工事現場ですと紹介されて、嬉しく思いました。ツアーでは、最後まで私の職業を明かしませんでしたので、驚いたような顔して聞いていましたが・・・。(^^; 有り難うございました。
2010年5月31日(月)晴  沖本陽子  様より

いつもありがとうございます。 お元気でお過ごしのご様子何よりです。「トルコ感動の旅・上・中」編お知らせありがとうございました。すばらしい作品で楽しく拝見致しました。「下編」が待ち遠しいです。丁度同じ頃、私共もトルコ旅行致しましたので、作品を見ながら、その時の情景が浮かんで参ります。

沢山撮っていらした中の選択で、ご苦労も多かったと思います。私も、沢山撮りましたが、その選択に悩んでいます。24日間でしたので、東トルコやその他少しゆっくりと観光致しました。西に比べ、東地方の人々の暮らしは厳しく、又クルド問題等大変な所で、この機会で無いと観光できないと思いました。

ありがとうございます。益々のご活躍を祈念いたします。
 
こんにちは。お便り有り難うございました。現在、下を編集中ですがカッパドキアだけで3頁はゆうに超え、良い写真が沢山あって取捨選択に手間取っています。

同じ時期にトルコを旅行され、東の方まで廻ってこられたとのこと、お疲れ様でした。もしよろしければ、私たちが行けなかった所を撮影されておられる部分を作品化させていただけないでしょうか。急ぎませんので、ご検討を賜れば幸甚です。有り難うございました。
2010年5月30日(日)曇  菊池倶三郎  様より

何時も楽しみを頂き、ありがとう御座います 今月の特にトルコの作品は精力的に編集をされた作品に感謝します。膨大な量の画像をわずか数百枚に絞り込んで掲載される訳ですから後ろ髪を引かれる思いの画像も沢山「お倉入り」にされた事と思われ
ます。定番の安全観光コース。作品の発表を待ち望んでおりましたが、私の想像をはるかに超えた「絶賛される画像と丁寧いな解説」の連続で、ページをめくるたびに旅行した時の記憶が甦りきました。更に後日の「下巻」を待ち望んで居ります。ありがとう御座いました。

 
こんにちは。お便り有り難うございました。「トルコ感動の旅・中」を気に入っていただき、光栄です。ご指摘のように、写真を選択するにも時間がかかりました。あれもこれもと掲載する内に、3部作になりました。下巻も大変分量があり、鋭意編集中です。現時点で、最高の作品にしたいと張り切っております。どうぞご期待下さい。有り難うございました。
2010年5月28日(金)曇  橋本絹子  様より

Re: 「トルコ感動の旅・中」完成! トルコ感動の旅第二作品有難う御座いました。アルテミス神殿やパムツカレ石灰棚等見れないものを送信して頂き感謝します 余生を過ごしたマリアの家祈願文を結んでいる所は日本の御神籤と変りませんね 民族が違っても願う気持ちは同じですね カッパドキアウチヒサルの日没は美しいですね 意外だったのは洞窟の様なホテルが想像もしていない所が立派だった事です驚きです。ご夫妻も一息つけた事と思います 長旅お疲れ様でした。有難う御座いました。
 
おはようございます。お便り有り難うございました。現在、三部作の最後の作品の編集に当たっていますが、写真は300枚を超えました。それだけ素晴らしいところが沢山あるトルコでした。仕上げるのにまだ時間がかかりそうです。今しばらくお待ち下さい。有り難うございました。
2010年5月27日(木)曇  永田百合子  様より

Re: 「トルコ感動の旅・中」完成! お早うございます。トルコの素晴らしい映像と音楽を有難うございました。このところ読売新聞ワイズくらぶ主催の俳句の会のお手伝いやお稽古の お教室の日本画グループ展が 岡崎のみやこメッセであり 今日の午後から搬入で落ち着かない日々を過ごしていました。

初めの方を少し拝見していましたが 素晴らしい景色に素晴らしい音楽! 俳句も楽しみにしています。今夜あたりから ゆっくり拝見させていただきます。私のスイス旅行も7月20日過ぎからの日程が取れまして楽しみにしています。和田様の以前のスイス旅行の映像を拝見して 旅支度の参考にさせていただきます。いつもいつも 有難うございます。

 
おはようございます。お元気でご活躍のご様子、良く分かりました。7月下旬のスイス旅行、少し、暑いかも知れませんが、山に登れば涼しく、大自然の壮大な景色を堪能できることと思います。体調と天候に恵まれますことを祈念しております。有り難うございました。
2010年5月17日(月)晴   山下昭次   様より

トルコ・日本友好の歴史に花を添えたいのです。 こんばんは、はじめまして! 私は、和歌山県田辺市在住の山下昭次と申します。トルコの写真資料を探して貴サイトに巡り合いました。素敵な写真の数々に圧倒されています。和田様にお願いがありまして不躾ながら今回メールをさせていただきました。

 私の友人に蝦乃木ユーイチという音楽家がいます。私は、蝦乃木氏の作品に映像を付けネット上から世界へ発信する作業を頼まれ、映像制作に苦悩している者ですが、出来るならメッセージ性のある映像を発信したいと二人で画策しています。さて、 彼の作品に〜エルトゥルル号遭難120周年/日本・トルコ友好のテーマ〜 「誓い」という曲があるのですが(庄野真代さんに歌ってもらってます)今回この曲に映像を付けることになりました。 

 実は、和歌山とトルコには深い縁があり、日本とトルコの友好の歴史のきっかけになった出来事より120周年を迎えました。和田様もご存知のことと思いますが、その事件が、エルトゥルル号遭難の物語です。エルトゥルル号は、明治時代、トルコより派遣された友好使節団が乗ったフリゲート艦で700名程の人員を乗せ日本からトルコへ帰還途上、串本の大島沖で台風の荒波にもまれ座礁、爆発沈没する悲劇に遭遇しました。

 当時の大島の村人たちは、異国の遭難者を救助し、 なけなしの食材を提供。それこそ命を張った救援を行いました。遭難で600余りの方が亡くなり、生存者はたった60数名という悲劇でしたが、当時の人々の尽力で生存者を無事、故国に送り届けることが出来ました。 大島ではおびただしい遺体を引き上げ手厚く葬り、慰霊碑を建立し弔っています。いまだに塵ひとつ無く大切に慰霊しています。トルコでは日本人の温情に答え今でも教科書でエルトゥルル号遭難と日本人の真心を伝え続けているそうです。

 過日 イ・イ戦争の折 フセインが無差別に航空機を攻撃すると宣言。各国の人々が次々に中東から脱出してゆく中、日本人の救出が遅れ、脱出出来なく成りました。 タイムリミットぎりぎり日本人を救出に空港に到着したのは、トルコ航空の飛行機でした。 
エルトゥルル号の恩義を忘れていないトルコ人たちが「今度は私たちが恩返しをする番だ」と、救援の手を差し伸べたのだと聞いています。 日本とトルコの間にはこのように深い友好の歴史があります。現在日本とトルコの共同事業で水中考古学者たちが遺品の発掘・引き上げ調査が継続中です。来月、地元 串本では盛大なイベントも予定されています。
 
今回は、このトルコと日本の友好の歴史物語を映像で表現したいと愚考しています。地元の写真は、ロケや役所・観光協会・海中公園 等より提供があり、どうにか揃いそうなのですが、肝心のトルコ関連の映像資料が乏しく難航しています。これは大手レコード会社の営利目的とした映像制作でなく あくまで地元から情報発信しようという、ボランティア的作業ですのでトルコまで取材に行けるわけでもなく困っています。

 大変申し訳ないあつかましいお願いなのですが、貴サイトで発表しているお写真を作者様の温情にすがり、使わせていただくというわけにはいかないでしょうか? 営利目的ではございませんので著作使用料をお払いすることや御礼に金品を贈ることも出来ないので本当に申し訳なくあつかましいにも程があるとは重々承知で、お願いするしかないのですが、どうかよろしくお願いいたします。

参考までに今までの作品のリンクです。
 
蝦乃木氏のブログです。

http://blogs.yahoo.co.jp/ebinoki/23815795.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ebinoki/23989136.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ebinoki/23882519.html

 私のブログです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yama741456/folder/80442.html

 発表しているyoutubeの私のチャンネルです。
http://www.youtube.com/user/syondy?feature=mhw5

本業の会社の作品YOUTUBEチャンネルです。
http://www.youtube.com/user/JyoEKPro#p/u

突然のメール申し訳ございませんでした。どうか、よろしくお願いいたします。
 
おはようございます。長文のお便り有り難うございました。私の写真は、商用以外の福祉、教育、医療、国際交流その他のボランティア活動に使われるのであれば、フリーで提供させて頂いておりますので、お役にたてれば光栄です。お好きな写真をお使い下さい。

使用にあたっては、「写真提供:Wa☆Daフォトギャラリー 撮影:和田義男」とクレジットを表示して頂き、「Wa☆Daフォトギャラリー」に「http://wadaphoto.jp/」をリンクして下さい。表示場所についてはお任せします。また、使用された画面のURLをお知らせ下さい。

なお、現在、「トルコ感動の旅・下」を制作中であり、間に合えばこちらの画像も使用して頂いてかまいません。トルコの対日感情は非常に良く、その点も作品で紹介したいと思っておりますが、ご紹介いただいたエピソードやボランティア活動もURLと共に是非紹介させていただきたいと思いますので、宜しくお願いします。有り難うございました。
 
お世話になっています。和歌山県田辺市の山下昭次です。このたびは、私どもの無理なお願いに、こころよくお答えいただきありがとうございます。

和田様のご協力に深く感謝申し上げます。お言葉に甘えまして画像をお借りさせていただきます。編集が済みましたらyoutubeからグローバルに発信したいと存じます。準備できましたらまた、ご連絡させていただきます。

この度の作品制作で、及ばずながらも日本とトルコのさらなる友好の一助になればと・・・思っています。友誼の歴史を広く世間の方々に知っていただけたらこれに勝る喜びはございません。この度は本当にありがとうございました。
2010年5月17日(月)晴  杉村敏夫  様より

Twitterで「トルコ感動の旅」を紹介 お早うございます。ところで私はいまTwitterにはまっています。

本日、〜Wa☆Daフォトギャラリーの「トルコ感動の旅・上」はスバラシイできだ。http://wadaphoto.jp/〜とつぶやいてみました。文
字制限が140字ですので、こんな文章にしました。また違う角度から光をあててみました。ツイッターはRT(リツイート)という優れ
た機能をもっていますので、回覧板としてまわすこともできます。テストケースできょう2、3回つぶやいてみます。世界で1億人、毎
日30万人がTwitterを始めているということです。

アイスランド火山噴火で、Tweitter仲間がオランダで立ち往生しました。早朝Twitterのタイムライン上に日本からの情報が欲しい
との彼の記事を見ました。私は仏AFP通信社記事などをまとめて、彼にダイレクトメールで送信しました。現地のJALには情報は
まったくないとのことでした。危機管理が意外とできないのですね。

 
おはようございます。ツイッターで紹介していただいたお陰で、アクセスが増えたように感じています。いわゆるクチコミの世界バージョンということでしょうか。ツイッターは速報性があり、情報提供ということでも価値の高いフォーラムですね。有り難うございました。
2010年5月16日(日)晴  橋本絹子  様より

Re: 「トルコ感動の旅・上」完成! 「トルコ感動の旅、有難う御座います。本当にロマンと感動の旅でしたね どんな俳句の作品
を詠まれたのか?期待して居ました。流石即吟の先生 春日和八の字髭の軍楽隊 や 春光やハレムの広間夢の跡 等お見事
です やはりハレムは大奥と一緒ですね 幻のトロイの木馬は映画でも見ました 懐かしく思い出されました チャイを飲まれて居
る和田先生の写真にご苦労様有難う御座いましたとお礼を云いました。単細胞の私です。これからも宜しくお願いします。

 
おはようございます。お便り有り難うございました。大変お待たせしましたが、やっと前編ができあがりました。いつも俳句に注目して頂き、光栄です。即吟とのお言葉、まさにその通りで、プロのように一句を詠むのにあれこれひねったりしていませんので、単純素朴が私の取り柄です。余り参考にはならないかも知れませんが、ひとつの路線としてこだわってやっています。チャイを飲む私の写真は、家内が撮影したものですが、ちょっとアップ気味で恥ずかしくもありますが、もう二度と渡ることはないと思われるダーダネルス海峡の記念として挿入しました。(^^;
2010年5月15日(土)晴  杉村敏夫  様より

新作のご案内ありがとうございます 「トル感動の旅・上」のご案内ありがとうございます。トルコはなんとも魅惑的な国です。一語でいうとやはり西洋と東洋の交わった文化があるということでしょうか。

トルコには親日家が多いのだとか・・・。ロシアのバルチック艦隊を撃破して勝利した日本は、トルコの人たちに崇敬の念で見られたとも。最近の事情はどうなのでしょうか。ところで最後のところの「ペルガモン王国のアクロポリス遺跡」の荘厳さにやはり感激でした。それでは「下巻」を楽しみにしています。

 
おはようございます。お便り有り難うございました。早々に「トル感動の旅・上」をご覧いただき、光栄です。後編で説明するつもりですが、トルコの対日感情はとても良く、日本は先進国として尊敬されています。おっしゃるように日露戦争で憎きロシアを破ったことがきっかけとなっているようです。後編の編集も時間がかかると思いますが、ご期待下さい。有り難うございました。
2010年5月15日(土)晴  小池淳二  様より

「トルコ感動の旅・上」 拝見。 今晩は。今朝から2度拝見いたしました。私も見た場面ですが、アングルとか色合いとかとても素晴らしい出来上がりですね。説明もわかりやすく、音楽も軍楽隊の例のマーチが良いですね。どのような俳句がつくのかも楽しみになってきました。

追伸。 ヒッポドロムの「金の泉亭」(ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世がトルコのスルタン・アブドゥルハミド2世に寄贈。)の写真2葉を添付しました。多分次回下巻に出てくると思いますが、もし無かったらと思いました。2009年6月5日の撮影です。
今晩は。やっと前半が完成しました。今までで一番手間がかかりました。ドイツの泉は上手く撮影できておらず、省略していましたが、お送り頂いた写真を使わせていただき、さきほど追加させて頂きましたので、よろしくお願いします。貴重な写真、有り難うございました。
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