|
|
|
|
|
|
|
|
東向きに建つ拝殿に向かって左(南)側に神府授与所と神楽殿が一体となって建っている。神楽殿は、平成5年(1993)に竣工した新しい建物で、地下には控え室やトイレなどがあり、拝殿につながる地下通路がある。 |
|
|
|
|
|
|
|
神社北側の神府授与所と |
神楽殿 |
2008.9.6 13:50 |
|
|
拡大写真(1400x1050)301KB |
|
|
|
|
|
|
神楽殿の奥には、本社と同じ櫛真智命(くしまちのみこと)・大己貴命(おほなむちのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)・廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと)の御嶽大神(みたけおおかみ)が祀られている。その手前に観客の畳席より一段高い檜舞台があり、神楽(かぐら)は神に向かって奉催される。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1200)311KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
神事で行う「玉串奉奠」は、仏式の焼香にあたるもの。玉串(たまぐし)は、紙垂(しで)や木綿(ゆう)をつけた榊の枝で、玉串を神前に捧げて拝礼することを玉串奉奠という。行者たちは、奉告祭を前に、その作法を教わった。 |
|
神職から玉串を渡されたときは、玉串の根もとを右手で上から包むように、左手で枝先の下から持つようにして受け取る。このとき、左手(葉先)の方が高くなるようにする。 |
玉串を捧げる案(あん)(机)の前へ進み、一揖(いちゆう)(軽いおじぎ)する。 玉串を胸の高さまで持ち上げたら、右手(根もと)を手前に引き玉串を縦にする。次に左手を根元に、右手を枝先へと持ち替える。玉串を右回りに回転させ、根もとを祭壇に向けて案(あん)(机)に置く。二礼二拍手一礼をし、再び一揖(いちゆう)して元の席に戻る。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1000x1400)207KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
奉告祭とは、神に告げる儀式で、修行講座に入学したことを報告し、その恙(つつが)なき成就を祈念するもの。行者の代表者数名が弊殿に上がり、神の前に額ずいて玉串奉奠を行った。 |
|
|
|
|
拝殿 |
での |
奉告祭 |
14:20 |
|
|
拡大写真(1400x1050)307KB |
|
|
|
しんぜんに たまぐしほうず たきぎょうじゃ |
An ascetic of the waterfall
offers a branch of a sacred tree to the gods. |
|
|
|
|
|
|
|
|
拝殿に飾られている「深山跋渉の図」は鰭崎英朋*(ひれざきえいほう)により明治43年(1910)に制作されたもので、大正元年(1912)に100人もの人夫により運び上げられたという。日本武尊 (やまとたけるのみこと) が東征の際、邪神の妖霧によって道に迷ったとき、白狼が現れて案内してくれたという伝説を描いたもので、日本武尊と白黒二頭の狼が描かれている。 |
*鰭崎英朋:明治14年(1881)- 明治43年(1910) 挿絵画家。本名は太郎、別号は晋司・絢堂。東京浅草生れ。明治34年(1901)鈴木清方・山中古洞らと烏合会を結成。明治後期、挿絵家として活躍。 |
|
|
|
|
|