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▼ 社務所の見学を終えた後、山崎さんの車で社務所の南東約1.5km先の大崎口登山道に鎮座する八海山里宮(はっかいさんさとみや)の不動滝(ふどうのたき)まで行き、滝行(たきぎょう)の事前踏査を行った。 |
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社務所・ |
八海山尊神社 |
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里宮 |
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不動滝 |
の位置 |
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Google Earth |
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▲▼ 社務所を出て南東に進むと、直ぐに国道291号線に出る。左手(北東)には山田宮司が管理する大前神社(おおさきじんじゃ)があるが、雪に埋もれていてアクセス不能だった。その北方には、魚沼や長岡方面につながる大崎トンネルがあった。 |
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魚沼・長岡方面に至る国道291号線と大崎トンネル
13:23
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資料:八海山尊神社 |
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▲▼
国道291号線を横断し、八海山里宮に至る除雪道路を南東に進むと、右手に八海山尊神社があるが、雪の壁に阻まれて、路上からは見えなかった。 |
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資料:八海山尊神社 |
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▲▼
神社のパンフレットによると、八海山尊神社の西側に霊風園と呼ばれる広場があり、毎年10月20日には大火渡祭が執り行われる。広場から神社に向かって「龍鳴(りゅうめい)の階(きざはし)」と呼ばれる88段の大階段がある。この日は、雪に埋もれて何も見えなかったが、広場から柏手(かしわで)を打つと、龍が鳴くが如く石段が響くことから、誰からともなく龍鳴の名がつけられたという。 |
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霊風園の左(北)側には霊風殿と呼ばれる六角堂があるが、雪に覆われていて入ることができなかった。平成6年(1994)八海山中興開山200年祭の折に造営されたもので、険しい八ッ峰を山行(さんこう)しなくても参拝できるよう、八海山・大日ヶ嶽(だいにちがだけ)に鎮座する八海山大神像と同じものが安置されている。 |
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▼ 八海山尊神社の大鳥居の左(北)側には、手水舎(てみずや)がある。古来より知られる八海山二合目半にある金剛霊泉(こんごうれいせん)の清水を分水したもので、昭和60年(1985)に新潟県名水に指定されている。
不動明王立像の石像が祀られており、龍の口から清水が迸(ほとばし)っている。 |
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▼ 八海山尊神社と龍鳴の階(りゅうめいのきざはし)の間に位置する大鳥居は、昭和56年(1981)に八海山尊神社の霊験にふさわしい象徴として建立された。高さが8.5mあり、岐阜県恵那産の白御影石で造られたもので、一枚岩の鳥居としては日本有数の偉容を誇る。金内文男先達によると、これほど分厚い雪が積もった大鳥居は見たことがないという。 |
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雪を被った高さ8.5m
白御影石の |
大鳥居 |
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手水舎 |
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▼ 正面に「八海山尊神」の扁額が掛けられた八海山尊神社は、雪の中にあった。
神仏習合の歴史を持つこの神社は、明治維新の際の廃仏毀釈や修験の禁止など、厳しい嵐に晒されながらも今日まで生き残り、神道と修験道とが見事に習合した神社として多くの信者の帰依を受けている。この社殿は、
先代の故山田一利宮司の偉業により、昭和54年(1979)に旧里宮から御神体を遷座して造営されたものである。
八海山尊神社公式サイト
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八海山尊神の |
扁額 |
を掲げた |
八海山尊 |
神社 13:36 |
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▼ 長寿延命の高砂大神と縁結びの大国主尊を祀る和楽殿(わらくでん)は、各地から訪れる参拝者が身体を休めて、暫しの歓談を楽しむ無料休息所として使われているという。 |
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▼ 神社から除雪道路に引き返し、車で奥に進むと、除雪が途絶えた行き止まりに蕎麦屋(そばや)があった。その駐車場に車を置いて右手正面の雪に半分埋もれた小さな石鳥居をくぐり、里宮へと続く山道を進んだ。 |
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里宮 |
( |
元宮 |
)入口の石鳥居 13:45 |
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▼ 石鳥居から雪の山道を100mほど進むと、綿帽子を被った石碑が散在しており、その奥に八海山尊神社の前身である八海山里宮(はっかいさん・さとみや)(元宮)がある。里宮の手前に空地(あきち)があり、右手に禊更衣所(みそぎこういしょ)、左手に八海山開闢(かいびゃく)の祖・泰賢行者(たいけんぎょうじゃ)の霊窟(れいくつ)と里宮不動滝(さとみや・ふどうのたき)がある。 |
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神社の境内地から登山道にかけて至る所に霊神塔(れいしんとう)が点在している。綿帽子を被っている石碑の多くは霊神塔で、死後、霊魂は八海山の山々に帰るといわれ、先達(せんだつ)や信徒などが祀られている。 |
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←里宮不動滝 |
泰賢行者の霊窟 |
↑里宮 |
禊更衣所 |
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▼ 里宮の直下に建てられた禊更衣所(みそぎこういしょ)は、滝行のときに行衣に着替えるところである。入口には青いビニールシートが張られており、朝の滝行のときは、これを広げて屋根代わりにし、その下で焚火をして暖を取る。 |
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里宮 |
の下にある |
禊更衣所 |
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▼ 禊更衣所の内部は、板間になっており、その奥に男女別の二部屋がある。板間には石油ストーブが置かれており、深夜の滝行は、焚火がないので、暖を取る唯一の設備となる。行者が履く藁草履(わらぞうり)と濡れた身体を拭(ぬぐ)うバスタオルが備えられている。 |
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▼ 空地の左手には、泰賢行者(たいけんぎょうじゃ)の霊窟(れいくつ)があり、その奥には、不動明王が祀られた里宮不動滝(さとみや・ふどうのたき)がある。 |
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雪に閉ざされた |
里宮不動滝 |
(左)と |
泰賢行者 |
の |
霊窟 |
(右) |
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八海山の社(やしろ)は、中臣鎌足(なかとみのかまたり)(614-669)が御神託を得て御室(現六合目)に祠を設けたのがその嚆矢(こうし)と伝えられている。八海山には役小角(えんのおづぬ)や弘法大師が頂上で密法修行を行ったという伝説が残されてはいるものの、全国的には無名に近い存在だった。 |
しかし、寛政6年(1794)、大崎村出身の泰賢行者(たいけんぎょうじゃ)が木曽御嶽山(きそのおんたけさん)の中興の開祖・普寛(ふかん)と共に八海山の登拝道を開くと、八海山は御嶽山の兄弟山として尊敬を集め、次第に全国にその名を知られるようになり、県境を越えて各地の講集団が訪れるようになった。 |
大崎口登拝道は、泰賢行者自らが大崎村の御嶽講を率いて享和3年(1803)に切り開いたもので、これが大崎口里宮(現八海山尊神社)を世に知らしめた始まりであり、泰賢行者は、八海山開闢(かいびゃく)の祖として敬われている。 |
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▲ 奉賢行者は、享和年間にこの霊窟に三年間籠もり、苦行の木食修行(もくじきしゅぎょう)を続けた結果、霊夢(れいむ)を得て八海山大崎口登拝道を開闢(かいびゃく)した。今日、節分までの1週間に渡って行われる寒修行中、行者たちが全員五穀断の行食を取るのは、初心に返り、奉賢行者の偉業を偲ぶためであろう。 |
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八海山の滝行が行われる |
里宮不動滝 |
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13:55 |
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▲▼ 大寒の最も寒い時期の1週間、毎日深夜零時と朝9時の二回、社務所から泰賢行者の霊窟のそばを流れる里宮不動滝まで片道約1.5kmの道のりを徒歩で往復し、冷水に生身を晒す禊は、寒修行の中で最も過酷な試練である。 |
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滝口の上に祀られた |
不動明王像 |
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げんかんの ふどうのたきや ほらのおと |
The coldest season, a sound of a conch shell at Fudo waterfall. |
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▲▼ しかし、行者たちにとっては、身をもって先人の偉業を偲ぶのに最も相応(ふさわ)しい修行であり、それを長年にわたって実践してきた先達たちの誇りともなっていよう。現在も多くの信者が寒修行に参加するのは、不可能を可能にする気力と体力を涵養し、自己の可能性を高める試練と考えているからであろう。 |
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写真:八海山尊神社社務所 |
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▼ 禊更衣所の前から雪道をのぼると、直ぐに里宮の正面に着く。この里宮への参道は、八海山大崎口登山道の起点ともなっている。 |
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▲▼ 現在の八海山尊神社の前身である里宮は、予想外に小さな社(やしろ)だった。先代の山田一利宮司の偉業により、今日の隆盛がもたらされたことを知り、感動を禁じ得なかった。 |
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護摩祈祷 |
が行われる |
里宮 |
の内部 |
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