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2006年2月18日(土)、新潟県南魚沼市塩沢で「第22回しおざわ雪譜(せっぷ)まつり」が開催された。午前10時から始まった「山伏水行之儀」が行われたのは、機織り(はたおり)の神・巻機権現(まきはたごんげん)として崇められる山岳修験道の霊山・巻機山(まきはたやま)(1967m)の登山口にあるC水(しみず)と呼ばれる村落で、JR塩沢駅から車で15分ほどで着く。 |
「山伏水行之儀」は、天台系の里山伏である本山修験宗(ほんざんしゅげんしゅう)の巻機山萬学院(まきはたやま・まんがくいん)住職・田村昌法(たむらしょうほう)さん59歳が主催する滝行(たきぎょう)である。里山伏(さとやまぶし)と呼ばれる山伏は、新潟県と高知県にしか見られないといわれる。 |
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やまぶしの とびちるしぶき ゆきげみず |
Melted snow
flying about
like a cloud of spray
from a body of yamabushi. |
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▲▼ 外気温-5℃の中で白衣を脱ぎ、越中褌一丁の裸形(らぎょう)になって滝に向かった昌法さんは、足から清水を浴びて徐々に身体を冷水に慣らし、肩、首、頭頂と冷水を浴びていった。昌法さんは、山伏の流儀で、頭巾(ときん)に脚絆(きゃはん)を付け、藁沓(わらぐつ)を履いている。裸足では雪中歩行ができず、滝の中で滑って危ないという。 |
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雪で覆われて洞窟のようになった火生(かしょう)の滝は、周囲に氷柱(つらら)が下がっている。その中央に行者一人が立つことのできる岩があり、そこに立つと、零度に近い雪解水(ゆきげみず)が容赦なく行者の身体を打つ。 |
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はつはるや まいなすごどの みずのぎょう |
Early spring,
Cold-water ablutions
temperature
minus five degrees Centigrade. |
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印を結んで滝に打たれる山伏・萬学院昌法さん |
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▼ 午後、塩沢にある民家のような佇まいの萬学院を訪ねた。斎主の昌法さんは、私と同い年であることにビックリ。滝行とは違って非常ににこやかで、好感が持てた。奥様が出てこられたので、名刺を渡して挨拶したところ茶菓子の接待を受け、大変お世話になった。 |
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夜の大護摩の準備 / 萬学院(午後4時20分) |
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▼ 百八燈大護摩の主役を務める山伏一行は市内の牧之通り(ぼくしどおり)で蝋燭神輿(ろうそくみこし)と合流し、午後5時10分に会場に到着。間もなく本日のメイン・イベントである百八燈大護摩が始まった。 |
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ごまだんの ぐれんのほのお ゆきげかぜ |
Snow-melting wind,
Bright red flames
on a
holy-fire platform
for invocation. |
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神札を炊きあげる山伏たち(午後6時33分) |
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500周年!西大寺会陽 |
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西大寺 |
岡山県岡山市東区 |
平成22年(2010)2月20日(土) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成22年(2010)2月20日(土)、岡山市東区の金陵山西大寺(きんりょうざん・さいだいじ)で500周年の節目を迎えた「西大寺会陽はだかまつり」が開催され、33,000人の観客と9,500人の裸が参加した。裸祭りとして有名な西大寺会陽(さいだいじえよう)は、かつては、旧暦正月元旦から27日(にしちにち)つまり14日間続いた修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)の14日の夜半に行われていたが、昭和37年(1962)から毎年新暦2月の第3土曜日に行われるようになった。 |
岡山市商工会議所西大寺支所に置かれた西大寺青年会議所少年はだか祭り実行委員会が主催する「少年はだか祭り」は、次代の会陽を担う少年たちの健全な育成を目的に、本番の会陽の前哨戦として昭和47年(1972)から実施されており、今年で39回目となる。当初は市中行進だけだったが、昭和54年(1979)から宝筒(たからづつ)争奪戦が加えられた。 |
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今年から飲酒などによる事故防止の観点から宝木(しんぎ)投下時間が2時間早まり、会陽褌をキリリと締め込んだ裸たちは、垢離取場(こりとりば)で垢離を取り、本尊にお参りした後、午後10時に投下された一対二本の宝木を巡って激しい争奪戦が繰り広げ、宝木仮受所(しんぎかりうけしょ)(岡山商工会議所西大寺支所)での山主(やまぬし)(僧侶)の検分により二組の取主(とりぬし)が福男(ふくおとこ)に認定された。 |
その後、福男たちは宝木を携えて西大寺バスターミナルに赴き、御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受式典(ふくうけしきてん)に出席。宝木は、山主により、牛玉(ごおう)封じののち厨子(ずし)に納められ、創立100周年の節目を迎えた祝主(いわいぬし)の両備グループに引き継がれた。 |
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ふんどしの かけぬけてゆく かんのこり |
Midwinter ablutions, men of loincloths running through the pool. |
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▲▼ 会陽(えよう)とは、修正会結願(しゅしょうえ・けちがん)行事の地域的名称である。岡山県以外でも香川県善通寺市の善通寺会陽などがあるほか、岡山県には岡山市・金山寺会陽、美作町・安養寺会陽、西粟倉村・岩倉寺会陽など多くの会陽がある。しかし、何といっても全国に名を知られているのが岡山市・西大寺会陽であり、昭和34年(1959)岡山県により重要無形民俗文化財に指定されている。 |
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次々と |
地押 |
に繰り込む |
企業裸 |
たち 21:33 |
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▲▼ 深夜、西大寺観音院本堂大床(おおゆか 本堂外陣(げじん)の呼称)に参集した大勢の裸群の頭上に修正会のあいだ修せられた一対二本の宝木(しんぎ)が投下され、裸たちがすさましい争奪戦を繰り広げる会陽は、近年も死者を出したほどに荒っぽい。 |
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↓宝木 |
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写真:西大寺会陽奉賛会 |
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▲▼ 以前は修正会結願の日の真夜中に御福窓から住職によって牛玉(ごおう)(右から西大寺、牛玉、宝印と書かれた紙の護符)が投下されていた。 |
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争奪戦が激化するにつれて、紙ではちぎれてしまうことから、室町時代の永正7年(1510)当時の住職であった忠阿上人(ちゅうあしょうにん)が牛玉を木に巻き付けた宝木(しんぎ)に代え、長さ20cmほどの木製の円筒となって今日に至っている。この時初めて会陽(春の意の「陽」に会う)と名付けられたという。 |
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本堂大床 |
の攻防! 22:00:36 |
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現在は、梁から飛び降りるのは危険行為として禁止されている。 |
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写真:西大寺会陽奉賛会 |
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おおゆかの ふくとりにわく えようかな |
Festival Eyo, enthusiasm for taking lucky charms at Ohyuka hall. |
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宝木投下1時間後に福男に認定されたのは、寺坂グループの古屋野幹仁さん(38歳 倉敷市)、加島谷祐司さん(30歳 東区西大寺)、寺坂幸也さん(41歳 東区西大寺)の3人。宝木仮受所の一升桝に山盛りの米に宝木を突き立てた。今回、3年連続福男に輝くという快挙を成し遂げたので、ことさら注目を浴びた。 続いて、二組目の取主が仮受所に姿を現し、検分の結果、飯田組の田坂大地さん(34歳 東区瀬戸町)、飯田耕太郎さん(40歳 姫路市)、岡田勲さん(66歳 東区竹原)の3人が福男に認定された。 |
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3年連続 |
福男 |
となった寺坂グループ 23:01 |
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二組目の |
福男 |
飯田組の3人 23:07 |
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ふくおとこ えようでみせる はつわらい |
Lucky men, showing their first smiles for the year at Eyo Festival. |
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両備グループの福受会場で、福男たちのグループ2組40人による「宝木祝い込み」と呼ばれるお披露目パレードが行われた後、二本の宝木は住職ら僧侶によって厨子に納められた。続いて、「祝主(いわいぬし)行燈(あんどん)の揮毫(きごう)」に移り、小嶋光信両備グループ代表が縦横120cm×40cmほどの行燈の一面に力強く「御福頂戴」と墨書(ぼくしょ)し、二本の宝木は双宝木(もろしんぎ)として両備グループのものとなった。その後、小嶋光信代表の挨拶の後、祝宴に入ったが、時刻は既に翌日に入っていた。 |
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あんどんの ごふくちょうだい えようのひ |
The day of Eyo Festival, 'Give me good luck.' on a paper lantern. |
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小嶋光信 |
両備グループ代表の挨拶 2010.2.21 00:01 |
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七所社きねこさ祭 |
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七所社 |
愛知県名古屋市 |
平成20年(2008)2月23日(土) |
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男 |
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平成20年(2008)2月23日(土)愛知県名古屋市中村区岩塚町(いわつかちょう)に鎮座する七所社(ひちしょしゃ)で「きねこさ祭り」が開かれた。きねこさ祭は、毎年旧暦1月17日に厄除け、子孫繁栄、天下太平、五穀豊穣などを祈念して行われる祭礼で、特に厄除けに霊験があると伝えられている。 「きねこさ祭」の名前は、午後3時から行われる神前での厄除神事で耕作の所作を演じる合間に役者が「キネ」(たて杵)と「コサ」(杵からこすり落とした餅)と呼ぶ採物*(とりもの)で暴れ回ることに由来する。キネコサで叩かれると厄除けになるという。 |
祭礼の中心は後厄(42歳)の男性10名と厄年の子供2名の12名である。神社の社務所で早朝の冷水での禊など3日間の潔斎(けっさい)を経て当日を迎える。参道の入口には、氏子の手による大注連縄(おおしめなわ)が飾られ当日は12時半から庄内川(しょうないがわ)での川祭り神事、午後2時から古式行列、午後3時から境内での厄除け神事などが行われる。(名古屋市無形民族文化財) |
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気合い! |
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