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保原つつこ引祭 |
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厳島神社 |
福島県伊達市 |
2011年3月6日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成23年(2011) 3月6日(日)、福島県伊達市(
だてし)保原町(ほばらまち)に鎮座する厳島(いつくしま)神社(大嶽洋一(おおたけ・よういち)宮司
69歳)で「つつこ引祭(つつこびきまつり)」が開催された。 |
江戸時代中期の享保年間(1716〜1735)に大飢饉があり、当時の領主・松平出雲守(まつだいら・いずものかみ)通春(みちはる)公が厳島神社の境内(当時は現在の丸山観音)に領民を集め、種籾(たねもみ)を分け与えたところ、翌年は大豊作となったことから、農民たちは領主の善政に感謝し、神前に初穂を捧げて豊作を祝った。それ以来、五穀豊穣を祈る神事として、旧正月に裸の若衆が「つつこ」を引き合う勇壮な農民祭(のうみんさい)として盛んに行われるようになった。 |
毎年行われる「つつこ引祭」は、厳島神社の弁天様の祭礼神事で、近郷近在から選ばれた42歳の厄年に当たる若衆が裸で「つつこ」を引き合う奇祭として知られる。昭和31年(1956)に福島県十大祭に選定されている。 |
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そうしゅんの はんそでふんどし つつこひき |
Early spring, short sleeves and loincloths of Tsutsuko pulling
festival. |
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新尺さん |
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俵さん |
長谷川さん |
遠藤さん |
田中さん |
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▼
「つつこ御輿」は、保原四丁目交差点に入った後、左折して白組の下方部(しもほうぶ)地区を北上した。担ぎ手に変身した引き手たちのかけ声は「ワッショイ!ワッショイ!」で、まさに神輿練(みこしねり)そのもの。ここにも「ワッショイ」が生き残っているのが嬉しい。先棒(さきぼう)中央の棒鼻(ぼうばな)に手を掛けている人が神輿長に当たる「つつこ長」で、指揮の旗を持つ指揮者の下で「つつこ御輿」を差配している。 |
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あしなみを そろえてはるの みこしかな |
A portable ritual carrier of
spring, keeping pace together. |
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保原四丁目交差点に入った「つつこ御輿」 13:11
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▼
一番乗競争は、「つつこ引」を景気づけるためのアトラクションで、吉札争奪戦である。吉札の取主(とりぬし)には後刻、拝殿での表彰式で吉札に応じた賞金が与えられるとあって、競争に熱が入るのも頷ける。スタートダッシュで飛び出した若者二人がダントツに早く、一番乗・二番乗で吉札のポールを手に入れた。 |
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きちふだの いちばんのりや はるまつり |
Spring festival, scrambling for lucky cards. |
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▲▼ 一番乗競争が終わると、引き手たちは「つつこ」を担いで下方部に移動し、つつこを取り囲んで一斉に持ち上げたあと地面に落とす作業が繰り返された。本番の「つつこ引」が始まる前の準備運動を兼ねた地ならしのようなもので、下方部、内町、上方部の順に行われた。このイベントの呼名がついていないので、筆者は「つつこ練」と名付けた。 |
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はるむかう つつこねりなり しろふどし |
Getting more like spring, Tsutsuko lifting wearing a white
loincloth. |
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▼ 14:15頃から赤白黄の鉢巻を締めた引き手たちが保原四丁目交差点の中心に置かれた「つつこ」の大縄を三方に引いて、それぞれのゴール地点を目指す「つつこ引(びき)」が始まった。白組「下方部」は北へ、黄組「内町」は東へ、赤組「上方部」は南へ引く。約50mほど先にそれぞれ「決勝点」の横断幕が張られている。 |
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「つつこ引」の開始 / 保原四丁目交差点 2011.3.6 14:15
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←白組「下方部」北 |
↑黄組「内町」東 |
→赤組「上方部」南 |
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うららけし さんぽうにひく つつこかな |
Mild spring day, Tsutsuko pulling for three ways. |
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▲▼ 「つつこ練」が終わると、中から餅を取り出すため、大嶽宮司が包丁を持参し、「つつこ」を解体し始めた。稲藁(いなわら)を束ねていた大縄を切断したあと、稲藁の中に収められていた藁苞(わらづと)を切り開いた。 |
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間もなく湯気が立ち始め、やがて円筒形の布袋が現れた。前日蒸したあと「つつこ」に収められていた二升の赤飯は、「つつこ引祭」を終えてペースト状の餅になっていた。 |
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二升の赤飯を包んだ |
藁苞 |
を切り裂く 14:36 |
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せきはんの つつこにつきし はるまつり |
Spring festival, steamed rice with red beans pounded by Tsutsuko. |
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▼ 引き手たちは、「つつこ餅」が取り出された後、「つつこ」を囲んで円陣を組み、祭典が無事に終わったことを祝うと共に、来年の再会を約し、「つつこ長」の発声で手〆を行い、お開きとなった。 |
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のどかなる てじめでひらく つつこさい |
Peaceful spring, breaking up Tsutsuko festival with hand
clapping. |
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中田裸祭り |
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中田大国霊神社 |
愛知県豊田市 |
平成17年(2005)3月6日(日) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成17年(2005)3月6日(日)、愛知県豊田市中田町(とよたし・なかだちょう)の中田大国霊神社で、裸祭りが行われた。古くから豊田市中田町に鎮座する中田八幡社には、愛知県稲沢市(いなざわし)の厄払いの裸祭り(儺追なおい神事)で知られる尾張國府宮(おわりこうのみや)正しくは尾張國府大国霊神社(おわりこくふおおくにみたまじんじゃ)の分社・中田大国霊神社が祀られている。毎年3月第1日曜日に大勢の裸男が厄払いの儀式(儺追神事)を行うこの祭りは、国府宮裸祭りと共に中田裸祭り(中田大国霊神社裸祭り)として知られる。 |
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昭和7年(1932)中田村の氏神・中田八幡社の改築の際、1670年頃(寛文年間)に尾張國府宮の御塞(おさい)が本殿に安置されていたことが判明。昭和9年(1934)、村民有志により八幡社西隣に神殿を新築し、中田大国霊神社と命名し、本社・尾張國府宮より分社の認産を受けた。 |
爾来、尾張国府宮の分社として、毎年本社と同じ古例の神事を旧正月23日(現在は3月第1日曜日)に行っている。正規には儺追なおい祭り(儺追なおい神事)であるが、一般には裸祭りと称している。途中、戦争や昭和天皇の崩御などで中断したが、平成2年(1990)に再開。平成4年(1992)には60周年記念祭が開催され、以後100人を越える参加者があり、今年は県外者も含めて120人が参加する盛況となった。 |
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やくおとし しんちくたかく たにたてり |
Exorcism,
God bamboo standing
high on a rice field. |
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曲 芸 |
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▲ 公民館を出発した裸の集団は、道中練りを行いながら神社に向かったが、中間付近の休憩所に着くと、田圃(たんぼ)でアトラクションの神竹(しんちく)登りが行われた。平成4年(1992)の60周年記念祭のとき、誰かが遊び半分に神竹を田圃に立てて登ったのが始まりで、以来、白布を巻いた専用の竹を用意し、それが折れるまでよじ登るようになった。 |
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赤鳥居に向かって突進!
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しんちくを かついではしる やくもうで |
Exorcising worship,
rushing to the shrine
with a God bamboo
on their shoulders. |
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気合いの宮入り |
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▲ 神竹(しんちく)を抱えた厄男たちは、赤鳥居に向かう100mほどの直線の参道を気勢をあげながら一気に駈け抜け、豪快に宮入りする。神竹奉納の最大の見せ場である。中田大国霊神社に奉納された神竹は、一年間保管され、大晦日に他のお守りとともに焚きあげられるという。 |
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境内での揉み合い |
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▲▼ 厄男たちが境内に入ると、揉み合いが始まった。柄杓(ひしゃく)で力水(ちからみず)をかける人もいる。芯男(しんおとこ)に厄を渡すべく、小規模ながら渦ができ、男たちの熱気が最高潮に達する。ここでは、尾張國府宮の裸祭りのように死者が出るような激しい争いはなく、和気藹々とした揉み合いで、おしくらまんじゅうのようにスクラムを組み、体を寄せ合って回転しながら芯男に触れてゆく。 |
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裸押し |
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▼ 境内での揉み合いが終わると、芯男は神社のすぐ横に掘られた穴をまたぎ、介添人が白衣の襟首から背中にお飾りの丸餅の様な厄餅を一つ入れた。芯男は白衣の帯を緩め、卵を産み落とすようにして厄餅を穴の中に落とした。餅が落とされると、「厄が落ちたぞー!」という大きな声があがった。この厄餅はあらかじめ神社に奉納されている特別な餅で、大鏡餅を砕いたものではない。厄餅を穴に落とすことで厄払い(厄落し)となり、芯男に擦り付けられていた全員の厄が一度に祓われたのである。 |
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厄餅による厄落し |
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中部地方の獅子舞 |
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伊那富神社・久留真神社・六把野神社 |
三重県 |
平成20年(2008)3月 |
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男 |
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中部地方には、昔の村や字の鎮守社に邪気払いの獅子舞が多く、昔から今に伝えられている。その多くは秋の収穫を祝う祭りに奉納されるが、春の祭礼にも登場する。 |
獅子舞の起源は、エジプトのスフィンクスだとする説がある。エジプト文明は太陽神を崇拝し、多神教で偶像崇拝が盛んに行われた。なかでも身体がライオン(獅子)で女性の顔を持つスフィンクスは、翼を持って空を飛び、地上を闊歩する全能の神として最も崇拝されていたといわれる。 |
古代のエジプト人は、ライオンは王を守護する霊獣であり、王の威厳を象徴するものと考えていた。ヨーロッパの王や貴族の紋章にライオンが使われているのも伝統であり、また、インドで発祥した仏教では仏法の守護神とされ大日如来や文殊菩薩の乗物となっている。 |
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くちとりの つかむしっぽや ししのまい |
A lion dancing, the attendant holding the tail. |
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4頭の獅子頭と舞手 |
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日本語の獅子(シシ)ライオンは、中国の師子(シーツィ)からきているといわれているが、古代ペルシャ語やインドでは「シンハ」、琉球では「シーサー」と呼ばれる。ペルシャからシルクロードを経て中国に伝来した獅子は、宗教や文化に取り込まれ、やがて民俗芸能の獅子舞としてアジアに広がり、日本にも伝わると、地域の風俗や風習に融合され、さまざまな形態の獅子舞が生まれた。 |
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中部地方の獅子舞も基本的には同じ流れを汲むもので、長い歴史の間にそれぞれの地域で創意工夫され、少しずつ変わってきており、風貌や舞い方、所作などに違いがみられ、興味が尽きない。 |
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獅子舞と口取の子/六把野神社(三重県東員町) 2008.3.9 |
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近江八幡左義長まつり |
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日牟禮八幡宮 |
滋賀県近江八幡市 |
平成20年(2008)3月16日(日) |
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男 |
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「近江八幡(おうみはちまん)左義長(さぎちょう)まつり」は、滋賀県近江八幡市に鎮座する日牟禮八幡宮(ひむれ・はちまんぐう)で行われる火祭りで、国の選択無形民俗文化財である。もともと左義長は、中国の漢時代に正月行事として行われ爆竹によって厄除けをした行事であったといわれる。 |
わが国では承久元年(1219)より、鎮護国家や五穀豊穣を祈る祭りとして行われるようになり、近江八幡では、豊臣秀次が八幡城を築いて城下町を開いたのと同時に、氏神である八幡宮の祭礼として定着したといわれる。 |
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近江八幡の左義長は、藁(わら)を1束ごとに積み重ねた約3mの三角錐の山車が胴体で、その上の数mの青竹に赤紙を中心としていろいろな飾りものが付けられる。頭の上には火のぼりという御弊(ごへい)をが付けられ、左義長の中心には、毎年の干支(平成20年は鼠)にちなんだ造り物がつけられる。各町内は、金にいとめをつけず、豪華さを競い合っている。 |
土曜の午後、左義長10数基が神社を出発する。揃いの踊り半纏を着て化粧した若者たちが、拍子木を持ち、「チョウヤレ」の掛け声も勇ましく、町内を御渡り(おわたり)する。翌日の日曜は、朝から各町内を練り歩き、午後には「けんか」と呼ばれる左義長同士のぶつかり合いが繰り広げられる。午後8時頃から境内で順次奉火され、二日間にわたる祭のクライマックスを迎える。 |
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かぶきもの |
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さぎちょうの ぶつかりじあい しろねずみ |
White mice, a bumping game of Sagityo ritual. |
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炎上する左義長 |
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