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黒川花笠太鼓踊り |
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大宮神社 |
滋賀県甲賀市 |
平成20年(2008)4月20日(日) |
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男 |
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滋賀県甲賀市に鎮座する大宮神社に奉納される鬼の面が踊る花笠太鼓踊りは、室町後期から江戸時代にかけて各地に普及した「風流踊り」を原形とする踊りで、雨乞いのための踊りと伝えられている。 |
甲賀市土山町の花笠太鼓踊りは、ここ黒川と山女原・黒滝に伝承されており、滋賀県の無形民俗文化財に指定され、毎年4月第三日曜日の祭礼に、地元の青年たちによって奉納されている。 |
午前9時45分ころ、高らかに響く法螺貝や太鼓の音とともに、上組と下組の各集落から役員を先頭に鬼の面をつけた棒振り、太鼓役、花形姿の踊り子などの行列が出発。途中で合流し、独特の出会いの儀式が行われる。その後、神職らに先導されて宮入し、境内で上組と下組に別れ、新楽踊りに続いて4人の鬼役と太鼓役を中心に輪をつくり、大黒踊りが奉納される。 |
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おにのまい さくらのしたの あかずきん |
An ogre dancing,
a red hood under the cherry tree. |
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大黒踊り |
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鞨鼓踊り |
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陽夫多神社 |
三重県伊賀市 |
平成16年(2004)2月25日(水) |
撮影・制作:和田義男 |
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陽夫多(やぶた)神社は、三重県伊賀市馬場に鎮座する神社で、境内は広く、社殿は山の斜面に造られていて、幾段もの急な石段を登った奥に拝殿がある。この神社の春祭りに行われる鞨鼓(かんこ)踊りは、旧大江村(現・伊賀市大江)にあった火明(ひあかし)神社の境内で夏祭りとして踊られていたもので、江戸の寛永年間に始まり、伝えられてきたものという。 |
明治41年(1908)に陽夫多(やぶた)神社に合祀されてからは、毎年4月20日の春祭りに踊られており、伊賀市の無形文化財に指定されている。 |
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鞨鼓踊り/ |
陽夫多 |
神社(三重県伊賀市) 2008.4.20 |
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靖國奉納大相撲 |
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靖國神社 |
東京都千代田区九段 |
平成21年(2009)4月10日(金) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成21年(2009)4月10日(金)、東京都千代田区九段に鎮座する靖國神社(やすくにじんじゃ)で日本相撲協会による奉納大相撲が開催された。明治2年(1869)、靖國神社の鎮座祭に際して大相撲が奉納されて以来、春の例大祭には、横綱をはじめ200名余の力士による奉納相撲(無料)が執り行われる。約8,000人を収容する相撲場は、大勢の見物客で賑わう。 |
靖國神社は、皇居の北西、千鳥ヶ淵のそばにある神社で、幕末の嘉永6年(1853)以降、身分や勲功、男女の別なく、国を守るために死亡した246万6千余柱を神霊(靖国の大神)として祀る神社である。明治2年(1869)、戊辰戦争の朝廷方戦死者を慰霊するため、大村益次郎の献策により東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)として創建されたことに始まり、明治12年(1879)に靖国神社と改称されて今日に至っている。 |
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日本の国技たる相撲の頂点に位置する大相撲は、日本古来の奉納相撲を起源とし、江戸時代から続く職業的な力士たちによって行われる神事や武道、商業的な相撲興行を意味し、また、力士などの集団社会を指す言葉であった。現在では、日本相撲協会が主催する相撲興行のことである。 |
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桜吹雪の相撲場 |
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くだんした さくらふぶきの どひょうかな |
Cherry petals falling like snowflakes on the sumo ring at Kudan-shita. |
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化粧廻しは、大相撲の関取が土俵入りの際に締める儀式用の廻しである。長さ8m、幅68cmの長い博多織の布の先端に豪華な刺繍と馬簾*(ばれん)の付いたエプロンのような大きな前垂れを持つ高価な廻し(相撲褌)で、一体ものである。 |
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力士たちは、化粧廻しを汚さないため、六尺褌か紐を一重結びしてTバック状にした越中褌を締めた上に化粧廻しを締めている。(取組のときの廻しは、直接肌に締める。) |
*馬簾:裾に付いている房糸。 |
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第69代横綱・ |
白鵬翔 |
の |
不知火型 |
土俵入 |
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はるびより ましろきつなの どひょういり |
Fine day
in spring, the sumo wrestler's ring performance with a pure white rope on the ring. |
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第68代横綱・ |
朝青龍明徳 |
の |
雲竜型 |
土俵入 |
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やすくにの みたまにささぐ はるずもう |
Spring sumo wrestling, dedicating to the soul of Yasukuni shrine. |
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中入後最初の土佐ノ海・豊桜戦
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廻し(まわし)は相撲を取るときに身につける褌(ふんどし)の一種。まわし、回し、相撲褌とも表記され、外国人競技者の間では 相撲ベルト sumo belt 相撲サッシュ sumo sash と呼ばれる。一部の裸祭りでも使用されている。 |
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稽古廻しや幕下以下の力士、アマチュア競技者が締める廻しは、硬い木綿布(キャンバス)で出来ている。転倒時の怪我の防止と身体の保護や取組みで技を掛けることが主たる目的である。小学生以下の子供用は大人用よりは柔らかい布を使っている。 |
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関取が取組のときに締める取り廻し(締め込み)は、カラフルな絹でできており、柔らかくて光沢がある。 |
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はるかぜや まわしにたくす すもうどう |
Spring wind, the code of the sumo wrestling on the loincloth. |
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千秋楽結びの一番・横綱対決! 2009.4.10 15:01 |
第68代横綱・朝青龍 |
立行司・第38代式守伊之助 |
第69代横綱・白鵬 |
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はるひてる どひょうをわかす おおいちばん |
Spring sun shinning on the ring, the final match exciting sumo spectators. |
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朝青龍の強烈な吊り出し |
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これまで裸祭りシリーズの中でアマチュア力士たちによる奉納相撲を取材してきたが、その頂点に立つ大相撲を取材できないものかと思い続けてきた。大相撲の本場所で、これほど土俵近くの席を取るのは難しいので、靖國神社のお陰で日本の裸褌文化の華といえる大相撲の全貌を明らかに出来たことを嬉しく思う。 |
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さすがにプロ集団の相撲は、アマチュア相撲とは格段の差があり、そのパワーに圧倒され、江戸時代に始まった勧進相撲の伝統を全く変質させることなく現在に伝えている相撲の伝統美にすっかり魅了された。 |
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勝者の舞・弓取式 |
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鎌倉まつり |
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鶴岡八幡宮 |
神奈川県鎌倉市 |
2004年4月11日(日)・18日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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2004年4月11日(日) と18日(日)の二日間にわたって鎌倉まつりを見に行った。JR新宿駅から新宿湘南ラインを利用すれば、約1時間で鎌倉駅に着く。11日は、鎌倉大仏を見学したあと、午後から鶴岡八幡宮に行った。 |
鎌倉大仏は、いつ何の目的で造られたのかは分からないが、700年前に修行僧の浄光(じょうこう)が寄付金を募り現在より小さな木造仏が 寛元元年(1243)に造られたのに始まる。宇治元年(1247)の大風で仏像も殿舎も破壊されたので、今度は青銅の大仏を造ることとし、建長4年(1252)に 工を起し、仏像も殿舎も数年で完成したという。 |
この日、午前11時から午後2時頃まで、若宮大路から鶴岡八幡宮まで、神奈川県警音楽隊をはじめ神輿囃子など、各地区から工夫を凝らした華やかなパレードが繰り広げられた。 |
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鶴岡八幡宮での神輿練り
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午後1時過ぎから舞殿において本年度のミス鎌倉の披露があった。神奈川県では唯一のミスコンテストとして知られるミス鎌倉の本審査は、4月2日に鎌倉市小町の鎌倉生涯学習センターで開かれ、161名の中から4名が選ばれた。応募者の2/3は、市外に住む女性だったという。 |
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2004ミス鎌倉 |
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▼ 午後3時から鶴岡八幡宮・舞殿(まいでん)で鎌倉まつり初日のフィナーレとなる静の舞が鎌倉観光協会より奉納された。今年の演者は、藤間流の藤間寿美霞(ふじますみか)さんで、当時の衣装を忠実に再現した装束で現れ、艶やかで美しい舞を披露し、観客を魅了した。 |
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はなのかや しんぜんにまう しらびょうし |
A classic dancer dancing in front of Shinto gods, fragnant with cherry brossoms. |
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静の舞 |
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▼ 第46回鎌倉まつりの最終日となった2004年4月18日(日)、鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場で祭りのフィナーレを飾る流鏑馬神事が行われたので、再び鎌倉を訪れた。 |
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騎射の一種で、馬場に並行して方板の的を数間おきに3個並べ、射手が馬場を馳せながら射る。犬追物(いぬおうもの)、笠懸(かさがけ)と共に騎射三物(きしゃみつもの)と呼ばれ、中世武士の武芸鍛錬の代表的なものであった。 |
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矢は鏑矢(かぶらや)*1を用い、その装束は一般に行縢(むかばき)*2に綾藺笠(あやいがさ)*3を着け、重 藤(しげどう)の弓を持つ。流鏑馬の語は矢馳馬(やはせうま)あるいは矢伏射馬(やぶさめ)の転化したものといわれる。
*1鏑矢(かぶらや): 先に鏑をつけた矢。空中を飛ぶ時、鏑の孔に風が入って響きを発する。(鏑: 木・竹の根または角つので蕪かぶらの形に作り、中を空にし、数個の孔を穿って矢の先に付けるもの。)
*2行縢(むかばき): 足の部分にまとう旅行具。長途の歩行用として布帛(ふはく)類を細長く裁って足首から膝の下にかけて巻きつける形式。
*3綾藺笠(あやいがさ): 藺を編んで造り、裏に絹をはった笠。中央に突出部がある。武士の狩装束で、遠行または流鏑馬用。 |
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鎌倉時代に広く行われた流鏑馬も室町期以降衰退し、現在では神事の儀式としてその名を残すのみとなった。 |
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馬場を行進する武田流の射手たち |
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▲▼ 午後2時から流鏑馬に不向きな競争馬を功みに馭(ぎょ)して流鏑馬馬場を疾走する武田流の古式流嫡馬神事の妙技が被露され、 大勢の観客の喝采を浴びた。 |
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やぶさめの かぶらやのおと かぜひかる |
An arrow of
archery on horseback
whistling, A wind of spring
glistening. |
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弓を引く射手
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舞殿の上で、凱陣之式に添った神事が行われた。司家による太刀の鯉口を切る動作など、興味深いしきたりを見ることができた。 甲斐の武田菱の衣装も素晴らしかった。 |
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太刀の鯉口を切る司家
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